倒産は企業の死ではない。そこから始まるドラマがある。
調査員とは
この国のビジネスには、ヒト・モノ・カネのほかに流通しているものがある。それは情報だ。
国境を越えて広く展開するビジネスの中でも、この国の環境は特に異質だ。あまり知られていないことだが、日本中の企業には100点満点で100段階の点数がついている。ビジネスの中心であるかの国でさえ、企業を評価する指標は特に「特に優れている」、「優れている」、「適している」、「適していない」のわずか4段階。逆に日本のビジネスに関わってきた人は、海外の企業にこの100点満点の評点がついていないことに驚き、何とかできないものかと相談をよこしたりする。そんな時廣井はこう答えるのだ。
「日本のほうが異質です。日本が世界最高だからだと思っていただいてもいいです。」
そして、この100点満点の点数を日本に定着させたのは、廣井の勤務先である調査会社だ。廣井は、もう20年以上調査会社で調査員として働いている。海外企業との取引をしたい企業は、先ほど相談を持ち掛けてきた会社以外にも多い。というか、現代の経営者はこの国の経済の先行きをあまり楽観視していない。できるものならば、自らの取り扱う商品やサービスを海外向けの販路に乗せたいと考えている。
「廣井さん。まだ早いんでしょうかね。」
「早いということはないでしょうが、準備は念入りにしたほうがいいと思いますよ。」
「シンガポールあたりに、うちの商品を東南アジア向けに販売してくれる代理店を見つけたいと思うんですが。」
「戦略としてはとても面白いですけどね。」
やっぱりそうか。とでも言いたげに座りなおしたのは、戸田健介。廣井がもう何年も調査し続けている会社「(株)リースアップ戸田」の社長だ。企業や団体でリース利用したノートパソコンを買い上げ、一般向けに販売している。顧客は定年退職した高齢者が多い。金額的に安い単価を設定できることと、テレビやラジオを通じた通販でリースアップ品を取り上げたアイデアが受けて、急成長してきたが、ここにきて悩みも多いらしい。
「このところ、東南アジア製の新品の機材が安く入ってきているのは廣井さんもご存知だと思いますが。」
「なんか、どこの国で作っているのと聞きたくなるようなメーカー名が多いですよね。」
「ノートパソコンの部品といっても、最近はそんなに特殊なものでもなくて。一昔前の性能でよいと割り切れば、あれもこれも、部品は全部手に入りますから。」
「東南アジアのメーカーなんでしょ。組み立てる人の人件費さえ安ければ、それなりの金額で新品のノートパソコンが組みあがっていると。」
「うちの扱っている商品はリースアップ品ですから、それなりに利幅を取ることができたのですが、価格帯でちょうどぶつかってしまうんです。」
現代の競争は、相手が見えない。かつて、日本中のパソコンメーカーを驚かせて、格安でパソコンを手に入れるビジネスを作り上げた社長は、逆に海外製の格安新品パソコンにシェアを奪われる脅威に怯えている。人口減少を余儀なくされているこの国において、ビジネスは綱引きだ。勝つためには相手のシェアを減らすしかない。しかし、思いもよらないところからシェアを奪っていくライバルがいる。食うか食われるかの真剣勝負で疲弊していく会社をなんとかしなければならない。この社長は、手遅れにならないうちに海外を目指そうとしている。メイドインジャパンのパソコンが安く手に入るのなら、これからビジネスが本格化する東南アジアに打って出る価値はある。
「会社を作って4年ですか。」
「そうです。あっというまです。」
「昨年3年目で年間売り上げ10億円。りっぱな会社になりましたね。」
「最初から全国展開を考えたのがよかったと思っています。」
I県で設立した会社は、だいたい地元をターゲットにしている。多くの経営者は謙遜気味に県外なんてそんな大それたこと・・・。うちは地元に根を張って頑張っていきますと言う。戸田社長は、開業を志した時から地元にこだわらなかった。これがよかったのだと思う。
「廣井さんが最初に見えたのは、会社を作ってすぐでしたよね。」
「決算前に調査が入るのって、実は少ないですよ。だいたいは、設立してから1年ぐらい経って、第一期決算が終わってから、ぼちぼち入ってくる感じですね。」
「どこからの調査かと、正直びくびくしましたけど、結局どこからの調査だかは教えてもらえませんでした。」
「教えられないというより、知らないから教えようもないという方が正しいかな。でも、あの時は言いませんでしたけど、開業してすぐ入る調査は、だいたい先行しているライバル会社です。」
「そうだろうと思いました。インターネット通販で取り扱われる商品がだんだん多くなってきて、リースアップのパソコンもオークションなんかで出回り始めたころでしたからね。」「急に出てきて、しかもI県。なんで?もしかしたら、超大手のパソコンメーカーが発注した調査だったかもしれませんね。」
「まさかね。さっきも言いましたけど、今となっては、こちらが東南アジアあたりのメーカーを調査したいと思っていますから、同じことですよ。やっぱり、わからないというのは怖い。」「会社名と住所がわかれば、いつでも調査発注しますので言ってください。」
その後は、お決まりのヒアリング調査が15分ほど。取引先も変わらないし、決算内容も申し分ない。心配していた借入金はほとんど増えていない。
「在庫資金とかは、あまり必要ない感じですか。」
そう、小売りの場合は、欲しい時に欲しい人に商品を供給するために、どうしても在庫が必要になる。(株)リースアップは自社の不動産を持たない。本社も倉庫も賃貸物件なので、固定負債は少額だが、反面担保になるような資産がないため、資金繰りが詰まってこないように注意が必要だ。
「おかげ様で、お客様からの引き合いが多いので、仕入れが間に合わないくらいです。もっとも、リースアップのノートパソコンって、会社全体でまとめて数十台の単位で出回りますから、仕入れにもあまり苦労はしていません。」
つまり、在庫するひまもなく販売できるため、資金負担も少なくて済むというわけだ。小売業という業態の中では理想でもある。
「海外展開って」
戸田社長が話を戻す。
「ああ、調査はだいたい終わりです。そうでしたね。」
「どれぐらいのタイミングで検討すればいいんでしょうね。」
「会社によってまちまちだと思います。資金的な余力があれば検討してもいいと思いますけど、調査会社的に見れば、営業範囲を広げるときに一番注意しなければならないのは人材の配置です。」
「海外となると、やはり言葉の問題もありますからね。」
「そうですね。語学もそうですし、お金のやり取りにしても法律にしても、この国とは大きく違います。社長が海外に行ったっきりというケースもありますが、その場合には国内をしっかり任せられる人材を育てなければなりません。」
「お金は借りられるけれど、人材は時間がかかるか。」
「ちゃんとした人でないと。ドラマやニュースになるような資金の持ち逃げとか、会社の乗っ取りとかは、表に出てこないだけで、どこにでもありますからね。倒産って、表に出てこないところで、そんないろんなドラマがあるんですよ。」
「そうか、人材だよな。わかりました。また相談させてもらいます。」
日本の調査会社に対して企業が持つ印象は大きく3つに分かれる。一つは大嫌い。会社の情報をタダで聞いていって、金をとって売るビジネスが許せない人たち。二つ目はしょうがない。敵に回してよいことはないから、ほどほどに情報開示して付き合うタイプ。三つ目は戸田社長のように、むしろ積極的に調査会社を利用しようとする経営者。これは経営判断なので、どれが正しくて、どれが間違っているというものではない。ただ、調査員が持っている様々な情報は経営者にとって有益なものばかりだ。ならば、利用した方がよいに決まっている。