もし、村上春樹がカップ焼きそばの作り方を書いたら
この作品は、僕の謂わば「蔵」の中で、長い間眠っていたものである。随分前、「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」という本に触発され、村上春樹的作品を書いてみようと試みた。しかし、自分ではあまり気に入らず、僕の心の片隅に追いやり、ほとんど思い出すこともなかったものだ。
しかし、どういう訳か、今頃になって、フッとそんな作品があることを思いだした。
おそらく、いや、きっとこの作品は「蔵」から出してもらいたがっていたのだ。
こんなものを出すのは、僕にとって、とても恥ずかしいことではある。出してもらいたがっているからといって、そのまま出してもいいものだろうか。
この気の抜けたような、すでに流行遅れになった作品を出すことによって、何かが変わるのだろうか。何かが変わるかも知れない、何も変わらないかも知れない。
であれば、出してみて、その結果を知りたいというのは当然ではないか。
自分勝手なこの理屈はなかなか巧く出来ていると思う。
いや、こんな説明など不要で、はじめから「前書き」無しで、進めれば一番良かったのだが。
カップ焼きそばがどうして目の前にあるのか、僕にはわからない。まったく唐突な話で、いきなり目の前に中指を立てられた気分だ。
しかし、それは実際そこにあるのだからどうしようもない。誰かが僕の知らないうちに置いていったのか、それとも、元々そこにあったことに僕が気づかなかっただけなのか。
しかも、それが焼きうどんではなく、焼きそばであるところに、僕はカップ焼きそばという存在そのものの根源的な意味、すなわち、形而上的な問題が提示されているのではないかと感じてしまった。そして、カップ焼きそばがその本来の姿である焼きそばへと昇華する宿命的なものを抱えていることについて、詳細なレポート作成を求められているようにも思われた。
こんな無理難題な課題を投げかけるのは、おそらくカップ焼きそばピープルと呼ばれる人たちの仕業だろう。彼らは自らの存在意義を絶えず誰かに認めてもらいたいのだ。
彼らはいつも僕たちの背後にいて、カップ焼きそばを作るところを観察している。何かする度に「ああ、そうじゃない」とか「そこは、もう少し多めに」とか。もちろん、僕たちにはその姿は見えないし、その声も聞こえない。でも、彼らは真剣に何かを伝えようとしている。真珠を飲み込んで声を出せなくなった恋する人魚のように。
目の前にあるのは「ソース焼きそば」だ。「しょうゆ焼きそば」ではない。この二つには厳然たる違いがある。「カップ焼きそばピープル」にも「ソース派」と「しょうゆ派」があって、二つはいつも諍いを起こしているらしい。最近では、第三勢力の「塩派」も現れて、我々こそが真のカップ焼きそばだと主張し合っているのだが、どうやら今は「ソース焼きそば」がその覇権を握っており、「しょうゆ派」、「塩派」はどうやって勢力の拡大を図ろうかと策略を練っているみたいなのである。
そんな背景はあるのだろうが、とりあえずは僕に関係のないことだ。
僕はカップ焼きそばを作ることにした。思い出したように腹が減っていたのだ。
カップ焼きそばを作るのは嫌いではない。手を抜かず、慎重に作れば結果は間違いなく、満足できるものになる。
カップの蓋を開けて、お湯を注ぎ、3分間待って、お湯を捨てたら、備え付けのソースを混ぜて、トッピングの青のりと紅生姜を振りかける。
慎重に作るとは、一つ一つの手順をきちんと踏むことだ。シャツにアイロンをかける時、決められた手順で行うみたいに。ただそれだけのことだ。
そう、ただそれだけのこと。左右の手のひらを上に向け、肩をすぼめてこう言えばいい。“That’s all.”
フンフン……と先日観た三文オペラの「モリタート」を鼻歌交じりに、カップのフィルムを剥がしにかかった時、どこからか声が聞こえてきた。
「おや? 君はただそれだけで満足しているのかね」
「そうよ、そうよ、何も考えずに作るなんて傲慢だわ」
「なんて罪深い男なんだ。カップ焼きそばを冒瀆している」
「わかっちゃいないな。本当に」
「ありえないわ」
ワイワイと僕を非難する声が、耳の奥から聞こえてきた。
少し驚きはしたが、彼らはきっとカップ焼きそばピープルなんだろう。そう直感した。
ちょっと静かにしてくれないか、君たちが僕を非難するのは勝手だが、僕には僕のやり方、作り方というものがある。放って置いてくれればありがたい。
そう言ってやったのだが、すぐに頭頂部と両耳が交差する辺りから力強い男性の声が響いてきた。
「うむ、それでは、君はわれわれの存在を無視するというのかね。それでカップ焼きそばを作ろうとするのだね。普段ならわれわれの声は、うむ、人間の耳には聞こえないが、今日はあまりにも浅はかな君の考えにどうしても忠告をしたくて、うむ、地下的水脈の領域から話しかけているのだ」
地下的水脈?
「そうだ、地下的水脈というのは一人の人間の心の中だけでなく、世界中の人々の心と繋がっており、一つの宇宙を形成している。そして、そこに存在する水路は、うむ、条件さえ整えば、しっかりと共有することができる。ちょうど、カウンセラーがクライエントと向き合って、お互いが、うむ、一つの世界を共有できているときのように。わかるかな?」
わかる気がする、と僕は言った。しかし、そう言ったものの、完全に理解している訳ではなかった。
「うむ、まだまだ理解が足りんようだが、まあ、これ以上は言うまい。とりあえず、われわれの言うことに耳を傾けることだ」
カップ焼きそばが突然僕の目の前に置かれて、それでまた、急にカップ焼きそばピープルの声が聞こえたりして、僕はものすごく戸惑ったけれど、世の中には色んなことが起こり得るし、これも、その色んなことの一つなんだろう。深く考えれば、痛切に深刻な問題だが、いちいち関わると大変なことになる。そういうこともあるのだろう、そう割り切って、僕は自分を納得させた。
「いい傾向だ」
「そうね、そういう風に考え直すなら許してあげるわ」
「素直なことはいいことだぞ。われわれの言うとおり作れば、今まで味わったことのないくらい美味しいカップ焼きそばができる」
口々にそう言っていたが、誰かがそれを制止したみたいに急にシンとした。
先ほど、一番に発言した統括者みたいなのが喋る雰囲気だ。
「それでは、……」
落ち着き払った声が僕の耳の奥に響いた。
「カップ焼きそばピープルを代表して、今からその手順について、うむ、申し上げたい」
その声は再び僕の耳の奥から頭の中心に抜けるように一層明瞭に聞こえてくる。電話交換手が電話線を切り替えて、新しい配線で繋いだみたいだった。
「言うまでも無いことだが、カップ焼きそばを作るには、うむ、作り方をよく読まなくてはならない。一口にカップ焼きそばと言っても様々な種類がある。人間と言っても、この地球上には様々な人種がいて、宗教や言語があるように。それぞれの特徴を、うむ、見極めなければならない」
それはそうだ。そんなことくらいは言われなくてもわかっている。
「いや、そういう心の緩み、弛みが単純なことを複雑にしてしまうのだ。思わぬ勘違いが思わぬ結果に繋がってしまう。では訊くが、これまでの君の人生の中で、そういう経験は、うむ、一度もなかったと断言できるかね」
断言できないと思う。僕は素直に答えた。
「そうだろう、だから油断がならんのだ。まず、作り方をじっくり読むことだ」
やれやれ、ここから始まるのか。僕は気が重くなった。
「作り方に書かれていることをしっかりと頭にたたき込んでいれば、後は、うむ、それをきっちり手順どおりに遂行するだけだ。こんな簡単なことはあるまい」
だから、僕は言ったはずだ、手順を間違えずに粛々と実行すればいいだけだと。
「いや、そこが違うのだ。ただ単に手順を踏むだけでは意味も何もなくなってしまう」
「本当、いつもあなたはそうなのよ、だから……」
聞き覚えのある女性の声が響いた。
「ゴミを捨てに行っても、工夫というものがない。少し工夫さえすれば、カラスにゴミ袋を突かれることもなかったのに」
その声の主は、あきらかに僕の妻だった。3ヶ月前に突然いなくなってしまった妻の声だった。出ていった理由は今でもわからないが、そうか、彼女は今はカップ焼きそばピープルになっていたのだ。
「ねぇ、一つだけ訊きたいんだけど、君はどうしてカップ焼きそばピープルになってしまったの?」そう訊ねてみた。しかし、僕の声は木霊に吸い取られたように細く消えてしまい、それに対する答は返ってこなかった。
「それに」とまたカップ焼きそば代表者が続けた。
「一番大事なのは、気持ちを籠めて作るということだ。どんな料理も、うむ、気持ちがこもらなければ美味しくは感じられないものなのだ。先ほどの女性が言ったように、工夫というのも一つの気持ちということを忘れてはいけない」
気持ちが料理を美味しくさせるとは、聞いたことはあるが、誰も本気になどしていない。気持ちで美味しくなるなら、調味料なんて要らないし、そもそも料理をするということさえ無意味になってくる。
そんな僕の考えていることを察したように、男は言った。
「君は祈りということを知っているかね。祈りとは思いが実現するように強く願うことだ。その思いが強ければ強いほど、うむ、実現の可能性は高くなる。多くの人々が強く願えば、雨だって降らせる。あるいは、呪いということもある。人を呪い殺すというのは、……馬鹿げていると思うかね。例えば、……精神分……のC.G.ユン……の言う“プシコイド”……概念はそれ……関わって、うむ、非常に……味深いものに感じておる。思考が…………と……物質化して目の前……」急に代表者の声が徐々に途切れ途切れになった。
「……出来事に何らか…………響を与えると……うのは絵空事ではな……」
声が突然、そこで途絶えた。
電話線が混線したため、電話交換手がプッと電話線を抜いたみたいだった。
そして、その後は、まったく何も聞こえなくなった。
頭の中がシンとした。何が起こったのか、僕にはわからなかった。
いくら耳を澄ましても、もう誰の声も聞こえなかった。
僕の耳の奥に、嵐が過ぎ去った砂漠のような余韻が残っているだけだった。
目の前にはやはりカップ焼きそばが置かれている。
夢ではない。
確かにそれは、そこにある。100年も前から存在していたように。
「少し工夫さえすれば、カラスにゴミ袋を突かれることもなかったのに」
工夫か……。そんなことは今まで考えたことがなかった。
「一番大事なのは、気持ちを籠めて作るということだ」代表者の声も頭の中で再び響いた。
気持ちを籠めるか……。
僕はカップ焼きそばを作るのに、今まで大きな勘違いをしていたのかも知れない。
僕は手に取って、まじまじとカップ焼きそばを眺めた。
作り方がカップの側面に小さな字で書かれている。
それはあたかも壁画に描かれた古代文字のようだった。
ここに秘密が隠されているのかも知れない。
その小さな文字の一つ一つに、カップ焼きそばを美味しく作り上げるヒントが隠されているのかも知れない。
それにしても、妻はどこに行ってしまったのだろう。なぜ家を出て行ってしまったのだろう。そして、なぜ、カップ焼きそばピープルになってしまったのだろう。
僕の疑問は一つの大きな渦となって頭を掻き回していた。
この世界のどこかに扉があって、そこを押すとクルリと扉が反転して、違う世界、さっきの男が言う、地下的水脈に通じる世界に入れるのではないか。そんな気がした。
ひょっとすると、カップ焼きそばを美味しく作る工夫に思いを巡らせていけば、
その扉のありかが見えるかも知れない。
馬鹿げた考えだとは思うが、思えば思うほど、そんな気がしてくる。
僕は大きく息を吸い込み、慎重に、慎重にカップ焼きそばの蓋を捲った。
(了)
やはり、読み返してみて、どこか味付けが足りない気がしてならない。
なら、もう少し推敲して、完全なものにするまで、寝かせておけばいいのにとも思ったけれど、どうしても出してもらいたがっているようなので(笑)、恥ずかしながらお目に掛けることにしました。
うーん、何かが足りない……。
「それはね、村上春樹作品に対する愛情だよ」と言われたりして。