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俺達は爆発します?  作者: 本知そら
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第三章 とある体育の話

 学校とは教育を受ける場所だ。人が社会へと旅立つために、その準備として、ある一定の知識を得る場所。それが学校だ。日本には一般的に小学校、中学校、高校、大学があり、中学までは義務教育として、誰もが教育を受ける義務がある。

 高校以降の進学については任意となるが、多くの人が進学を希望する。専門学校はともかく、普通校のカリキュラムに学校間の差はほとんどなく、どこの高校を選んでも構わない。そもそも自身で知識を深めることができれば学校なんて行く必要がない。

 しかし現実は学校の名、そしてそこから発行される成績表という名の額縁と証明書が、社会へ出る際にとても重要視され、今後の人生さえも決めてしまうほどの効力を有する。いくら知識が豊富でも、学歴が中学卒業迄だと、就職の際には不利になる。だから大抵の人は良い額縁を得るために中学から良い成績を取って、受験勉強をして、評判の良い高校へ入ろうとする。もちろん、引きこもりだった俺も例外ではない。

 その観点からすれば、俺の通う一之宮は大学への進学率が高く、その後の就職率もほぼ毎年百パーセントだと、同県内にある大学からの評判も良い。ただし、同じ進学校でライバル校の蓮池高校や千里学園高校と比べると多少国立大学への合格率が低く、特に他県の国立大学への進学率については大きな溝がある。

 まあ、他県に行くつもりのない人に取ってみればどうでもいいことであり、中学時から目標を他県の大学へと定めていれば、蓮池や学園へ行けば済むことなので、特に生徒及び保護者からのカリキュラムについての不満はあがっていない。

 俺自身も大学にえり好みはなく、家の近くにある私立大学へ進学する予定だから一之宮に不満はない。制服のスカートの丈の長さも及第点。不満を挙げるとすれば、授業のつまらなさだろうか。子守歌としては上出来だけど、俺は学校に惰眠を貪りに来ているわけじゃない。もう少し先生方には教科書を模写する以外の授業をしてほしいところだ。

 と、話は脱線してしまったけど、つまり一之宮は県下でも有名な進学校であり、共学校だ。毎年難問だと言われる入学試験をパスしたという自負が生徒にもある。

 そんな創立百年を超えようとしている歴史ある学校なのに、そこにも変人はいるのだ。


「ふっふーん」


 機嫌良く鼻歌混じりに髪を弄る女の子。いや、男。一之宮のセーラー服に女装した男、立仙かなた。

 百年前の創立者も、まさか男がセーラー服を着て通学するとは思わなかっただろう。校則に書いてないからという理由で入学当初から女装し続けているというかなたは、今日もバッチリ女の子していた。

 風紀委員会というものが存在しないので、制服の着こなしにキツイ縛りはなく、常識の範囲内であれば制服を弄ることも許容されている。とは言え、古くさいデザインの制服なので、大抵の人が制服を弄るのではなく、制服の上にカーディガンやセーターを着ることでファッション性を見いだしている。ダサいなら隠してしまえ、ということだ。


「かなたのスカートって短いよな」


 かなたのふとももを見て言う。男のはずなのに、綺麗で細い脚。女の子の脚みたいだ。かなたを見ていると、本当にコイツが男かどうか自信がなくなってくる。実際裸を見たわけじゃないし。


「もー。千尋のえっち」


 ……男のはず。


「だって元の丈だと可愛くないでしょ?」

「そうなんだけどな……」


 いくら制服がダサくて弄らないと言っても、スカートの長さは別だ。これだけはみんな弄る。教室を見回しただけでも、俺のように膝とほぼ同じ丈の人はおらず、多かれ少なかれスカートの丈を短くしている。その中でもかなたは短い方で、女子平均を上回るのではないかと思われる。

 これ、階段で見えるだろ。女の子以上に見えてはいけないところが見えてしまうだろ。……そういや、かなたはどっちの下着を穿いて――いやいやいや! 想像するな! 想像したらダメだ!


「むふふ。何を想像してるのかなあ?」


 かなたが口元に手を当て、ニヤリと笑う。


「な、ななななにも想像してない!」

「隠さなくったって良いって。みんな疑問に思うよね」


 腕を組んでうんうんと頷く。


「結構僕みたいに女の子の格好をする男の子もいるみたいでね。ネットを探すといろいろ便利なグッズが手に入るんだよ」

「グッズ?」

「うん。ショーツを穿いても女の子みたいに見えるグッズ」

「そ、そんな物もあるのか。ってかなたお前、やっぱり下着は女物を……?」

「うん。穿いてるよ」


 はっきりと答えやがりましたよコイツ。少しも臆すること無く堂々と。

 でもやっぱりそうなのか。かなたは女物の下着を……。


「なんなら見てみる? ちゃんと女の子に見えるよ」

「結構です!」


 両手を突きだして断固拒否する。女の子に見えるからと言って見たい物じゃない。もしかすると男にしては華奢なかなただから、本当に女の子と見分けがつかないかもしれないけど、それはそれで嫌だ。


「遠慮しなくて良いのに。千尋って、僕が本当に男かどうか、まだちょっと疑ってるでしょ? それを晴らしてあげようと思ったの」


 かなたが椅子から立ち上がり、スカートの裾を持つ。ここ、教室なんですけど。


「だからと言って他人のそこは見たくない」

「……たしかに」


 納得して手を下ろしてくれた。……なんで周りからため息が聞こえるんだ。

 登校を初めて今日で五日目。まだまだクラスに馴染めたとは言えないまでも、かなたを交えて雑談したりお昼を一緒に食べるくらいのクラスメイトは何人かできた。

 順調に社会復帰――もとい、リア充路線に変更していて、ちょっと自分が恐ろしい。引きこもっていた頃は外の世界に出るなんて絶対無理だと思っていたのに、今日もこうして約束通り登校している。初日は注目されてしまったが、翌日以降は沈静化してその他一般生徒になれたことが大きかった。

 やってみれば案外できてしまうものだ。


「ふーむ。じゃあどうやって僕が男か信じて貰えるか……」

「そんなに真剣に悩まなくても」

「あーそっか。簡単なことだ」


 何か良い案が思いついたらしい。唐突に俺の手首を掴んだかなたは、おもむろに自身の胸に引っ張り込んだ。思わぬ行動に心臓が跳ね上がる。


『きゃー!』


 教室に響く黄色い悲鳴。男の声も混じっていたような気がする。


「ねっ?」

「う、うん」


 なるほど……。真っ平らだ。大草原だ。まな板だ。

 かなたの胸に膨らみはなかった。あったのは女の子にしては堅い胸板。女の子特有の軟らかい胸という物がどこにも存在しなかった。

 女の子にも胸のない子はいるので確実な証拠とは言えないが、それでもこれでかなたが男であるのは間違いない。……元々生徒証の性別が男で、男子トイレに普通に入っていくのを見て、理解はしていたんだけど。


「分かって貰えたところで、今度は千尋が女の子かどうかの確認を……」


 両手をワキワキするかなたからサッと体を離す。彼は「おっ」と声を漏らすと手を下ろし、クスクスと笑った。


「触るまでもなく女の子だね」


 かなたが俺の胸を指差す。なんだと視線を下ろせば、そこには胸の前でクロスさせた俺の両腕があった。

 胸を庇っているらしい。誰だって分かる。しかしこの行動、普通の男なら取らない。何故なら胸の一つや二つ触られても、男であればどうってことないからだ。

 かあっと顔が熱くなる。あれだけ女であることを否定しておきながら、咄嗟に取った行動が女のそれだったのだ。

 出来ることなら時間を巻き戻したい。穴があったら入りたい。記憶を消せるなら消してしまいたい。

 出来るはずのないことを切望して頭を抱える。寝癖が指の間からぴょんと跳ねた。


「あはは。恥ずかしがってる。千尋はかわいいねっ」


 一日一回は口にする言葉を紡いでかなたは笑う。なんだか馬鹿にされているような気もするけど、きっとかなたにその気はないのだろう。

 そうしていると二限目の本鈴が鳴った。かなたはクスクスと笑いながら机の下に脚をしまい、前を向いた。まだ熱い頬に手の甲を当てながら、机の中から教科書とノートを取り出す。次の授業は数学だ。問題を解く分、他の授業より退屈しないで済みそうだ。


 ◇◆◇◆


 学校とは教育を受ける場所と同時に、社会に出れば必須である団体行動の重要性とその方法を覚える場でもある。人の社会で生きていく限り、自分の身勝手で何もかもがまかり通るわけではない。時には他人と足並みを揃えることも必要なのだ。


「だから行こう。かなた」

「無理だって」


 団体行動の必要性を説いても、かなたは動かなかった。頑なにその場から離れようとしない。


「早くしないと次の授業に遅れるぞ」

「だからさっきから言ってるように、僕はここで着替えるんだって」

「じゃあ俺も――」

「それはダメ」


 声を遮られて否定された。まだ言っていないのに。


紫苑しおんちゃん、香奈恵かなえちゃん、千尋をよろしくー」


 そう言ってかなたは手を振り、男子トイレの中に消えていった。慌てて後を追おうと足を踏み出したその時、何者かに両脇から腕を回して固定され、それ以上前に進めなくなってしまった。


「千尋ちゃん。行こっ」

「早くしないと私達が遅れるわよ」

「え、ち、ちょっと」


 かなたの友達であり、俺とも先日昼食を一緒にしたことがきっかけで友達になった紫苑さんと香奈恵さん。その二人に脇を固定されたまま、引きずられるようにして連行される。力を入れてもビクともしない。この二人、本当に女の子か?

 そうしてやってきた先は、またもや男子禁制の場所、女子更衣室だった。

 次の授業は体育。運動をするために体操服に着替えなければならない。

 女の子に見えても男であるかなたは、(女子がOKしてもかなたが遠慮したため)女子更衣室で着替えるわけにはいかず。といっても男子と一緒に着替えられても(男子の目のやり場が)困るらしく、結局かなたは男子トイレで着替えるようにしている。

 一方俺は生物学上女のため、(俺は良かったが周りに大反対されたので)男子更衣室で着替えるわけにはいかず、しかし個人的に女子更衣室で着替えるのは絶対に嫌だったので、かなたでなんとかしようと思ったのだけど……さっきのように失敗に終わってしまった。


「特に場所は決まってないから、好きな場所を使って」

「は、はい」


 思わず敬語で返事して、周囲を見回す。

 視界の多くを薄橙色が占めるなかに、青や緑や白や赤、様々な色彩がアクセントを加えている。十代のうら若き乙女が惜しげもなく柔肌を衆目にさらけ出して――ってなんだこれは!?

 そこはまさに男子禁制の園だった。いつもは制服に包まれた女の子達が、人目を気にせず無防備にもその玉のような肌を晒している。

 うわあ……目がちかちかする。女の子は男と違って下着にも気を遣うと何かの雑誌で見たことがあるけど、本当なのか。ブラとショーツの色、デザインも揃えているようだ。

 ロッカーに体操服入れを置きながら、横目でチラチラと観察する。け、決して嫌らしい意味ではなく、単純に気になっただけだ。


「早く着替えないと遅刻だよー」

「えっ、あ、うん」


 紫苑さんの呼びかけにハッとして慌てて着替え始める。制服を脱ぎ、体操服入れからジャージを取り出す。まずはズボンから……


「千尋さんって、意外と細いのね」

「ひゃん!?」


 突然背後から脇腹を触られて、あられもない声が出た。すぐさま上着を取って胸を隠し、振り返る。


「あらごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんだけど」


 香奈恵さんだった。既に体操服へと着替えた彼女は両手をわきわきさせながら申し訳なさそうに言った。


「あまりにも千尋さんの肌が白かったから、触ってみたかったのに」


 どうしてそんな理由で触りたくなるんだ。白いのは単純に引きこもっていたせいで少しも肌を焼いてこなかったからだ。


「千尋ちゃんのブラかわいいねー。どこで買ったの?」


 香奈恵さんの後ろから紫苑さんがひょいと顔を出す。


「さ、さあ。どこで買ったかなんて忘れた」

「そうなんだ。残念」


 俺の下着は全て母さんが買ってきた物だ。どこで買ったかなんて知らない。

 ちなみに今俺がつけているブラは水玉模様で縁にレースのあしらわれた物だ。セットでタンスに入っていたショーツも穿いている。否応なく女子力が上がりそうなデザインだ。これが意外と履き心地良くて結構気に入っている。ブラもないほうがいいのだが、擦れると痛いから付けている。

 女になった当初は、女物の下着を着けることに、もの凄い抵抗を感じた。しかし今ではご覧の通り、すっかり慣れてしまっている。

 しかしまあ、それは仕方ない。男物は肌に合わないのだ。それに、何かの拍子で見えたときに男物のパンツを穿いていたりブラをしていないというのも……他人からすれば変だろうしな。


「細くていいなー。何食べたらこんなになるんだろ」

「あなたみたいに食べてないからでしょ」

「あっ、なるほど。食べちゃダメなんだ」

「ちょ、さわ――ひゃん!?」


 またあられもない声が出た。脇腹は反則だ。

 後ずさり、紫苑さんから体を離す。「あー」とか残念そうな顔をしているけど関係ない。さっさとTシャツを着てその上にジャージの上着を着る。

 ……少し透けるな。

 白いTシャツを見下ろして思う。ブラをしていて良かった。もちろん下着を見られるのは恥ずかしいが、それ以上に下着の下を見られることがもっと恥ずかしい。


「じゃ、行こっか」


 再び両脇を固定される。


「いや、逃げないよ?」

「かなたがね、もしかしたら千尋ちゃんは男子の方に行きかねないからちゃんと見といてって言われたの」

「さ、さすがにそれは……」


 ない。とは言い切れず曖昧な表情をする。やるなかなた。俺のことをよく分かっている。


「だよねーっ。ないよねー」


 あははと笑って紫苑さんが手を離してくれた。と思ったら今度は手を握られた。


「でも一応確保。千尋ちゃんってなんか、時々突拍子もないことをしでかすから」


 それは何のことを言ってるのだろう。一昨日家を出るのが遅れ、走って学校へ来たせいで体が熱を持ったので冷まそうと、襟を緩めてパタパタと胸に風を送り込んでいた時のことだろうか。それとも椅子の上であぐらをかいたことだろうか。それともそれとも、さっき教室で男子に混じって着替えようとしたことだろうか。他にもいくつか思い当たるけど、全てかなたに注意されたことだ。

 大人しく手を引かれ、更衣室から体育館、そして女の子の輪の中へ。体育は男女別に出席を取るので、自然とグループは大きく分けて二つに分かれる。俺は紫苑さんや香奈恵さんと同じグループだ。

 男子のグループに目を向ければ、そこにかなたがいた。彼は体操服を着ていてもやっぱり女の子だった。髪型のせいだろうか。胸のない女の子にしか見えない。

 男子のグループに一人(見た目は)女の子が混ざっているのは、遠目から見ても目立っていた。しかし不思議と違和感はなかった。彼は笑顔で周囲の男と会話をしている。自然と輪の中に溶け込んでいた。


「千尋さん、どうしたの?」

「どうしたって聞かなくても分かるでしょ。かなたが近くに居なくて、寂しいんだよね? 分かる、分かるよ」


 紫苑さんの手が肩にポンと置かれる。反論しようとしたけど、彼女の言葉を聞いて、たしかに心の何処かで寂しさを感じていたことに気付かされる。ふと、かなたが俺に気付き、大きく手を振ってくれた。途端に心が沸き立つ。俺はかなたの犬か。

 頭を振って、踵を返す。かなたがいなくてもやっていける。そう自分に言い聞かせて、先生が来るまでの間を紫苑さん、香奈恵さんの二人で雑談をして時間を潰した。

 やがて本鈴が鳴り、先生がやってきた。今日の授業は男女合同のバレーらしい。


「それじゃ二人組になってストレッチね」


 ちょっと先生! それはダメだ!


 ◇◆◇◆


「ん……」


 意識がまどろんでいる。視界はぼやけ、よく見えない。

 ここはどこだろう。たしか今は体育の時間で、バレーをしていたはず。紫苑さんのグループに入って、バレーは未経験と言ったら手取り足取り教えてくれた。トスとレシーブを覚えたところで試合が始まって……あれ、そのあとどうしたっけ。


「千尋、起きた?」


 起きた? 起きたと聞かれる理由が分からない。次第に意識ははっきりしてくるのに、視界はぼやけたまま。顔に手をやると、そこに眼鏡はなかった。見えないはずだ。


「はい、眼鏡」


 かなただと思われる人物から眼鏡を受け取る。鮮明になった視界に映ったのは、やはりかなたで、それと白い天井だった。


「大丈夫? 気分は悪くない?」

「うん。だいじょ――くっ」


 体を起こそうとしたら、頭に痛みが走った。それほど強い痛みではなかったが、表情を歪めるには充分だった。


「やっはり痛む? 救急車呼ぶ?」


 途端にあわあわとするかなた。それが可笑しくてプッと吹き出してしまう。


「ちょっと痛むだけだ。そんなに心配することじゃないって」

「でも、頭を打ったんだよ? もしかしたら大変なことに」

「大丈夫だって」


 かなたをなだめながら、周囲に視線を巡らせる。

 ここは保健室のようだ。室内を見回す限り先生はおらず、体操服姿の俺とかなただけしかいない。

 途切れる前の記憶を探る。……ああそうだ。バレーの試合中にレシーブを失敗して、両手で受けたボールが顔面に激突、そのまま倒れて床に後頭部を打ち付けたのだ。

 つまりレシーブを失敗して倒れ、保健室に担ぎ込まれたわけだ。かっこわる。


「かなたがここまで運んでくれたのか?」

「うん」

「ずっとそこにいたのか?」

「うん。だって心配だったんだもん」


 涙をその目に滲ませ、かなたは言った。今にも泣き出してしまいそうな彼の表情に、胸がきゅっと締め付けられる。


「ごめん。俺のドジで心配かけて」


 俺はごく自然に、彼の頭に両腕を回し、抱き寄せた。


「え……あのっ、えぇっ!?」


 変な声を上げるかなたの頭を優しく撫でる。やたらもぞもぞするのでいつもより腕に力を込める。


「ち、千尋っ。なななにをして――」

「暴れるな。頭が撫でにくい」

「は、はい」


 かなたの動きが止まる。腕から力を抜き、彼の頭を抱え直して、さらに胸へと抱き寄せる。サラサラの細い髪に指を差し込み、スッと梳く。色素の薄い茶色の髪は蛍光灯の明かりを受けてキラリと輝いた。

 色は違えど髪質は花音に近いかもしれない。触り心地が似ていて、心が安らぐ。


「あのー……千尋さん?」

「なんでそんなに遠慮がちなんだよ」

「それはまあ、遠慮がちにならざるを得ないというか、なっておかないと後々大変そうだなというか……」

「うん?」


 何が言いたいのか分からない。首を傾げると、何故かかなたは慌てて目をそらした。


「まあ、その、たぶん千尋は意識してやってるんじゃないだろーなーと思ってたり」


 意識? ああもうまどろっこしい。


「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」


 ビシッと言ってやる。すると観念したのか、かなたは遠慮がちにゆっくりと俺を見上げた。


「……う、うん。じゃあ、はっきり言うよ?」

「どうぞ」


 上目遣いのかなたが俺を見つめる。そして、ゆっくりと告げた。


「…………む、胸が当たってる」

「胸?」


 かなたがコクリと頷く。

 ……胸。むね。ムネ。首とお腹の間の部分のことを言い、英語で言うとチェスト、又はバストと言う。日本語だと他にもさらにち――


「……あ」


 何かがピンときた。それを確かめるため、おもむろに視線を胸元へ向ける。

 僅かな膨らみを有する俺の胸を押し潰すかのように、かなたの頬が隙間など少しもなく、文字通り密着していた。

 それはいつものように、妹の花音にするように、かなたを抱きしめていた。


「え……あれ、なん、で?」

「お、落ち着いてっ。落ち着いて千尋!」


 一瞬にして顔が熱を持ち、頭の中が真っ白になる。腕の力が抜けると、かなたは素早く体を離して俺の両肩に手を置いた。


「か、か、かな、かなたが……っ」

「千尋、落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だから」


 切羽詰まった表情で両肩を揺らすかなた。ガクガクと体が前後に揺れる。


「でも――」

「大丈夫!」


 いったい何が大丈夫なのか分からないが、かなたは真剣な表情で力強くそう言った。


「ちゃんと胸あったから!」

「#!?$%&!?」


 言葉にならない悲鳴を上げて、かなたの頬を引っぱ叩いた。

 かなたは俺以上に気が動転していた。

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