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俺達は爆発します?  作者: 本知そら
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第二章 登校初日の話 下

 午後からの授業も退屈の極みだった。授業の主題がどうやって効率よく知識を吸収しようかではなく、どうやってこの眠気に打ち勝つかという点であるところからも察することが出来るだろう。とにかく眠いのだ。


 ◇◆◇◆


 そうして訪れた五限目の休み時間。この日一番の難題が突如として降ってきた。


「千尋。ちょっと待って」


 後方から力強く肩を掴まれた。振り向けばそこにかなたの顔があり、何故か表情に焦りを滲ませていた。


「ん、どうした?」


 若干急いでいた俺はぶっきらぼうに返した。


「い、今、どこに行こうとしたの?」


 何を聞いてくるのかと思えばそんなことか。見れば分かるだろうに。

 俺は行き先を指差す。


「見たとおり、トイレだけど?」

「それは分かるよ。誰にでも分かる」


 だったら離してほしい。五限目の途中からずっと我慢していたのだから。早くこの苦痛から解放されたいのだ。


「でもね、千尋。ちょーっと指差す方向が違うんじゃない?」


 頬を引きつらせてかなたが言う。そんなことはないはずだと、指差した先へと視線を向ける。


『男子トイレ』


 やっぱり合ってるじゃないか。

「やっぱり合ってるじゃないかみたいな顔をしないで!」


 心を読まれた!?


「表情を見たら誰だって分かるから!」


 真面目な顔をして言われてしまった。肩をぐいっと引かれて回れ左。向かい合ったところで両肩をガシッと掴まれた。


「今、男子トイレに入ろうとしたよね?」

「うん」

「千尋は女の子だよね?」

「女って言うな」

「でも女の子だよね?」


 周囲に聞かれないよう、鼻と鼻とがくっつくんじゃないかというぐらいに顔を近づけてかなたが言う。相変わらずその表情に笑みはない。


「……生物学的上には、女だな」

「女の子なんだよね!?」

「ぬぐ……な、何回も言うな。そうだよ女だよ女なんだよ。悪いかっ」

「悪くない。ぜんっぜん悪くないよ!」


 かなたの顔に薄く笑みが浮かぶ。俺が女で何が嬉しいんだ。こっちは自分が女であることが嫌だっていうのに。


「もしかして、千尋って男の子になりたいの?」

「なりたいんじゃない。元々俺は――」


 ふいの問いかけに馬鹿正直に応えそうになる。すんでのところで口を噤んだ。


「……何でもない。とにかく俺は自分が女であることが嫌なんだよ。だから俺は男だ」


 子供の駄々のような理屈。女が嫌だから男って、自分で言っておきながら無茶苦茶だと思った。

 さすがのかなたもこれには呆れただろう。女の体で女の格好をしたヤツが、それでも自分のことを男だと言っているんだ。普通ならドン引きだ。


「そっか」


 なのにかなたは肯定も否定もしなかった。ただ小さく頷くだけだった。


「なんかよく分からないけど、うん、なんとなく分かるよ」

「分かるのか分からないのか、どっちだよ」

「どっちだろうね」


 あははとかなたが笑う。その笑顔を見て、内心ほっとする自分がいたことに驚く。


「でもそれとこれは別! 千尋がどう思ってても、周りからすれば千尋は女の子なの。女の子が男子トイレ入ったら大変なことになるの! 分かるよね?」


 いったいどう大変になるのだろう。さすがに立ってする方はできないから個室を使う。男子でも女子でも個室に入ってしまえば変わらないだろう。


「入ってしまえば一緒だとか考えないようにね!」


 やっぱり心を読んでいるんじゃないだろうか。


「いやでも――」

「こっちはダメだからね!」


 そう言ってかなたが男子トイレの前の立って両手を広げた。もちろん周りには俺達以外にも人がいるわけで、突然の彼の行動にざわつき始める。

 ……とりあえず、だ。そろそろトイレに行かないとヤバイ。限界が近いのだ。


「かなた。そこを――」

「ダメ」


 とりつく島もない。額に汗を滲ませて、視線を上げる。


『女子トイレ』


 ぬぐぐ……。こ、こうなったら仕方ない。緊急事態だ。女子トイレを使うしかない。

 キッとかなたをひと睨みして一度も足を踏み入れたことのない女子トイレへ駆け込む。女になったのはかなり前だけど、引きこもっていたせいで家の外のトイレを使ったことがない。だから女子専用のトイレというものに入ったのはこれが初めてだった。

 女の子専用の空間らしいピンク色の壁。大きな鏡のある洗面所には髪を梳く女の子がいた。

 入ってはいけないところに入ってしまった気がして、嫌な汗が背中を流れる。違う。これは脂汗だ。

 これ以上は我慢できないと、あまり周りを見ないようにして一番奥の個室に入り、鍵をかけた。外から女の子の楽しげな会話が聞こえて、なんとも居心地が悪い。

 早く済ませて出よう。そればかりを考える。

 素早くショーツを下ろして用を足し、一息吐くことなく個室を出て手を洗い、外へ出た。


「お疲れ様。どうだった?」

「……ノーコメント」


 トイレにどうもこうもないだろう。とにかく恥ずかしい。顔から火が出そうだ。


「学校じゃこれが普通なんだから、慣れないとね」


 ポンポンと肩を叩かれる。慣れるんだろうか、これに。

 と、そこでふと疑問が浮かんだ。聞いて良いのだろうか。かなたならいいか。いいよな。うん。


「そういえば、かなたはどっちのトイレを使ってるんだ?」

「もちろん男子トイレだよ。僕もちょっと行ってくるね」


 これが証拠だと言わんばかりに、かなたは堂々と男子トイレに足を踏み入れた。男なのだからそれが当然なのだろうけど、見た目が見た目だけにもしやということも考えたのだ。

 さぞかし中にいた男子諸君から悲鳴が上がるだろうと思いきや、そんな声は一つもなく、数分後何食わぬ顔をして彼はトイレから出てきた。


「みんな知ってるから」


 驚く俺に、かなたははにかんでそう言った。


 ◇◆◇◆


 夕方。放課後も街へ遊びに行こうと言うかなたの誘いを断り、足を引きずるようにして家へと帰ってきた。

 久しぶりの学校生活で疲労困憊だった。頭はまだまだ回るのだけど、それに体がついてこない。引きこもりによる体力不足だ。

 ポケットから家の鍵を取り出し、玄関のドアノブに差し込み右に回す。ガチャリと金属音を確認してから左に回して鍵を引き抜き、ポケットにしまう。鉄製の重いドアを開けて中に入ると、リビングには明かりが灯っていた。

 両親の帰りはいつも日付が変わってからだ。ということは、俺より先に帰っていたのは――


「ただいま。花音かのん


 リビングのドアを開けて、ソファー越しに見える小さな頭に声をかけた。


「あー。にーにおかえりなさーい」


 俺よりも一回りも二回りも小さな女の子が振り返り、その顔に満面の笑みを浮かべた。

 女の子の名前は比与森花音。九つも歳の離れた俺の妹だ。

 秋だというのにカップアイスを食べていたらしい花音は口の周りを白く汚していた。その愛らしい姿に頬を緩ませると、ダイニングテーブルに鞄を置き、代わりにタオルを持って花音の隣に腰を下ろした。


「アイスを食べるのはいいけど、もうちょっと綺麗に食べような」

「ふぁい」


 タオルで口元を拭ってやる。花音は嫌がる素振りを見せることなく、むしろ拭きやすいように「んっ」と顎を上げてくれた。


「はい。綺麗になった」

「えへへ。ありがとう」


 両手を広げて抱きつく花音。グリグリと頭を胸に擦りつけてから見上げて微笑んだ。

 昔から両親の帰りが遅い我が家では、自然と妹の面倒は俺が看ることになっていた。引きこもっていたこともあり、幼稚園に行かなかった花音とはほぼ四六時中一緒だった。おかげで花音は両親よりも俺に懐き、こうして小学校に通うようになった今でも家では俺にベッタリだ。

 もちろん俺も花音のことは大好きだ。こんなに俺のことを慕ってくれるのだから、好きにならないはずがない。なにより花音は家族でただ一人、俺のことを兄だと思ってくれている。両親とは違い、偏見のない目で俺を見てくれる。それがどれだけ俺の心の支えになっているか分からない。だから俺は花音が大好きなのだ。シスコンと言われても仕方ないぐらいに。


「にーに。なんかいつもと違う」

「ん? ああ、今日は制服を着てるからな」

「せいふく?」


 花音が小首を傾げる。花音の通う小学校は私服登校だから、制服というものを知らないのだ。


「高校へ行くときに着る服だよ」

「にーに高校に行ったの? だいじょうぶ?」


 花音が眉をハの字にする。心配するなと、頭に手を置いて撫でてやる。

 何故俺が高校へ通っていなかったのか。それを花音は知らない。しかし何かしら感じるものはあるらしく、幼いながら俺を気遣ってくれている。


「大丈夫だ。明日も学校に行くしな」


 撫でながら言うと、「んしょ」と花音が手を伸ばし、俺の頭に手を乗せた。


「にーに良い子」

「花音もな」


 お互いがお互いの頭を撫でて微笑みあう。なんとも緩い空気が流れる。ずっとこうしていたいのも山々だけど、ご飯を作らないといけないので名残惜しくも花音から離れてキッチンへと向かう。


「花音は今日何が食べたい?」


 エプロンを着てキッチンに立つ。先に制服を着替えようかとも思ったけど、面倒なのでそのままだ。


「にーにが作るご飯ならなんでもいいー」

「そんなこと言うと花音の嫌いなナスの入ったマーボーナスにするぞ?」

「うぅ~。にーにのいじわる」


 ぷくっと頬を膨らませる花音。リスのようで可愛い。そうだ。これだ。これが可愛いと言うんだよ。


「あはは。嘘だよ。でも、ナスも食べられるようにならないと大きくなれないぞ?」


 好き嫌いは良くないので、花音のために心を鬼にする。とは言え、嫌がっているのを無理矢理食べさせるのも良くない。ナスはまた今度だ。


「……じ、じゃあがんばって食べるっ。にーにのおよめさんになりたいから早く大きくなりたいっ」


 ぐはっ。クリティカルヒット。嬉しすぎて鼻血出そう。


「そ、そうか。それじゃあ早く大きくならないとな」

「うんっ」

「でもナスを食べたからと言ってすぐに大きくなるわけじゃないから、今日は花音の好きなハンバーグにしよう」

「わーい。にーにだいすきっ!」


 両手を上げて全身で喜びを表現する。そんなに喜んで貰えると作りがいがある。たしか昨日タイムセールで買ったミンチ肉があったはず。

 冷蔵庫を漁ってハンバーグの材料をテーブルに並べていく。


「花音も手伝うよ?」

「ありがとう。とは言ってもまだ手伝って貰えるようなことはないし……ああそうだ。お庭の洗濯物を取り込んできてくれ」

「はーいっ」


 元気良く返事して、トタトタと窓へと向かう。その後ろ姿を微笑ましく見守りながら、晩ご飯の作成に取りかかった。


 ◇◆◇◆


 二人きりの晩ご飯を終えた後、食器を片付けて洗濯物を畳み、お風呂が溜まるまでの間をソファーに寝転んで漫画を読んでいた。

 花音はと言えば、最初のうちは俺のすぐ近くに座ってテレビを見ていたのだけど、面白い番組がなかったからか、気付けばいつもの指定席である俺のお腹の上にいた。いわゆる馬乗りというヤツだ。

 花音曰く、俺がソファーに寝転がっていると、こうしなければくっつくことができないらしい。行儀が悪いのであまり教育上よろしくないのだけど、俺が苦しくならないよう位置を調整して跨がっているようなので、まあ大目に見ている。


「にーに」

「んー」


 花音は時折俺を呼ぶ。特に用事はないらしいので、返事さえしていれば喜んでくれる。


「ねえにーに」

「んー」


 それは何度目だっただろうか。


「にーには学校楽しかった?」


 漫画を読むのを止めて、視線を花音に向ける。花音は笑顔のまま、俺の答えを待っているようだった。

 花音に言われて、初めて今日の一日を振り返る。かなたとの約束から始まった久しぶりの学校。中学以来の登校。

 俺が女になってから、初めての登校。

 予想通り奇異の目に晒され、居心地は最悪だった。授業もつまらなかったし、トイレは女子トイレに入らされて大変だった。

 しかしお昼休みになる頃には向けられる視線の数も少なくなって大して気にならなくなったし、かなたと話をするのは面白かった。久しぶりに陸と梨子にも会えたし。


「うん。まあ、楽しかったかな」


 総じてみれば、たぶん楽しかった。かなたのおかげだ。彼のおかげで孤立することはなかった。

 そうだ。彼と言えば、明日は学ランを着て学校へ来るんだっけ。帰り際、俺が誘いを断わったせいもあるけど、あっさり「また明日ね」と別れたから失念していた。

 かなたは本当に明日から学ランで来るのだろうか。いや、彼のことだ。必ず来るだろう。俺同様に約束を守るヤツだから。

 約束は約束だ。仕方ない。しかし、本当にそれでいいのだろうか。

 彼が学ランを着ているところを想像する。今日学校で見た彼に学ランを重ね合わせて脳内シミュレーション。

 ……似合わない。全然似合っていない。女の子が男装しているかのようだ。実際は男が女装していて、性別的に見たら学ランで合っているはずなのに、まったくと言って良いほど似合っていなかった。違和感が半端じゃない。

 彼が女装していると知ったとき、なんでこんなヤツが男なんだと憤りを覚えた。男でありたかった俺が女になり、なんかよく分からない理由で女装しているアイツが男のままというこの不条理さ。その憤りが彼の女装を否定し、今回の件の発端となった。だから彼が女装をやめれば、俺の気も晴れるはずだった。

 だが、それがどうだ。今は心がモヤモヤしている。本当にそれでいいのか、と。学校で女装なんて、絶対彼は変人としてみんなから孤立していると思っていた。現実はその逆で、むしろ男子にも女子にも、性別を問わず好意的に受け入れられていた。

 今更になって彼女――じゃない、彼が学ランを着る方がみんなにとっては普通ではないのかもしれないと考え始める。もしかなたが学ランを着たら、男なのに「かなたが男装している」などとみんなから指をさされて笑われるのだろうか。


「今の格好があまりにも似合いすぎているからなあ……」

「にーに、どうしたの?」


 声に出ていたらしい。ハッとして花音を見ると、不思議そうに俺を見つめていた。何でもないと、頭を撫でてやる。


「花音は、同じクラスの男子がスカートを穿いてたらどう思う?」


 気付けば俺はそんな質問をしていた。「んー」と顎に手を当て、小首を傾げる。食べてしまいたいぐらいかわいい。


「どういうこと?」


 質問の意味が分からなかったようだ。ちょっと抽象的過ぎたか。


「男子がスカートを穿いてるのを見たら、花音はどんな気持ちになる?」

「気持ち?」


 花音は首を傾げたままだ。しかし返答は早かった。


「かわいかったらかわいいって思う」


 思いもよらない答えに唖然とする。しかし、たしかにその通りだ。可愛かったら可愛い。中身が、性別がどうであれ、似合っていれば可愛いのだ。


「ふふ。そうだよな」


 馬乗りになる花音の顎下を掻いてやる。猫のように目を細める花音。

 花音のおかげで考えがまとまった。善は急げと、花音の脇に手を差し入れて持ち上げ、ソファーの横に下ろす。


「そろそろお風呂が溜まるから、入ってきな」

「にーには? にーにと入る!」


 立ち上がった俺を見上げ、ピョンピョンと両手を上げて跳ねる。今すぐにでも脱衣所へと向かいたい衝動をなんとか抑え、花音の背中をポンと叩く。


「後で行くから、先に体を洗っとけ」

「むぅー。ぜったいだからねっ」


 小指を差し出してきたので、それに俺の小指をひっかけて指切りをする。気分を良くした花音は洗濯物の中から下着を手に取り、先にリビングを出た。


「さて」


 背伸びしながらリビングを出て、自室へと向かう。部屋の電気を付けることなくパソコンの前に座ると、電源を入れて、起動するのを待つ。携帯の壁紙と同じ画像がアイコンのバックに表示され、それを眺めながら『リフレインオンライン』と書かれたアイコンをダブルクリック。IDとパスワードを打ち込みゲームにログインする。ギルドのメンバーと挨拶を交わし、フレンドリストを開くと、やっぱりかなたはもうログインしていた。

 プレイするのはお風呂を出た後だ。ただ、かなたにこれだけは先に言っておきたかった。


『当分の間はセーラー服で良い』


 チャットを送信終えると離席モードに切り替え、席を立った。

 お風呂で花音が待っているのだ。

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