エピローグ
「お腹が痛い……」
その日。朝から俺は絶不調だった。原因は下腹部の痛み。いわゆる生理痛というヤツだ。一応俺も女なので、普通の女の子のように普通に生理も来るわけで、しかもこれが結構重い部類らしく、毎月のように俺を悩ませるのだ。
「大丈夫?」
かなたが心配そうに顔を覗き込む。さすがのかなたも、生理痛の痛みは未経験なので要領が分からないのだろう。ただただ俺の頭を撫でていた。
「いやあ。今日もお二人は熱いですなーっ。夫が妻をかいがいしく世話を焼いていらっしゃるようで」
ニヤニヤと笑いながら紫苑さんが言う。
「いやー。夫だなんてそんなあ」
かなたがニヘラと頬を緩ませる。それを見てむっとしてしまう。
「かなた、手が止まってる」
「あ、ごめんごめん」
かなたの手が優しく俺の頭を撫でる。お腹の方が痛いのに、何故かかなたに頭を撫でられると痛みが和らぐのだ。
「なんでかなたは何もなくて、おれ――私だけが痛い思いするんだよ。不公平だ」
「あ、あはは」
愚痴るとかなたから乾いた笑いが漏れた。
ちなみにあの告白のあと、かなたから「レストランで告白してたときの千尋が凄くかわいかった」と言われたことがきっかけで、最近では口調を少し矯正中だ。これが結構面倒なのだけど、高校二年生にもなって女が俺というのもおかしいとは薄々感じていたので仕方ない。
「うー。痛いよー……」
机に突っ伏して唸り声を上げる。
「こ、こうなったらしょうがい。千尋、キスしようよ。キスしたらきっと痛みも――」
「どうしてそうなるの。それに言ったよね? キスするときは私がいいと決めたとき、私からするって」
かなたのことは好きなのだけど、キスとなったらまた話は別。俺は元男の現女。かなたは見た目女だけど実は男。複雑すぎてちょっとまだ心の整理がつかないのだ。
「そ、そうだけど……。だって千尋、全然デレないんだもん。僕の彼女なんだからもっとデレてくれてもいいのに」
「私にツンデレ属性とかないよ」
かなたの言いたいことも分かる。かなたはどちらかというと所構わずベタベタしたいタイプ。対して俺は人前ではさっぱりと、ベタベタするなら誰もいないところでこっそりとしたいタイプ。タイプが正反対なのだ。
「不満だーっ」
かなたが両手を上げて抗議する。ここ、教室なんだけど。
「静かにして」
「はい」
静かになった。
◇◆◇◆
放課後になって、家に帰る頃には幾分お腹の痛みもマシになっていた。とは言っても街に行ってデートをする気分にもならなかったので早々に帰ってきた。かなたはとてもとても不満そうだったけど、また今度埋め合わせすると言ったら渋々了承してくれた。やれやれ、面倒な彼氏だ。
薬を飲み、自室のベッドで横になる。今日はまだ花音は帰ってきていない。友達の家で遊んでくると言っていたから、帰るのは五時か六時というところだろう。
横になって三十分。かなり楽になったので暇つぶしにRFにログインすることにした。ログインすると案の定かなたは既にいて、街の中のバザーを見て回っているようだった。
と、ログインしたばかりだというのにかなたからメッセージが届いた。街を西に出たところにある岬に来てくれとのことだった。無下にするわけにもいかないので、行ってみることにした。
岬には既にかなた――アリエスがいた。見慣れた白銀の騎士鎧を纏ったイケメンが俺に気付いて微笑む。
「やあ、マイハニー」
「いや、ゲームの中だとどちらも男だからその発言はちょっと……」
あ、しゅんってなった。しかしどっちも男性キャラなのにマイハニーはないだろう。そもそもマイハニーという呼び方自体がどうかと思うけど。
「と、とにかくシンシア。プレゼントだ」
そう言ってトレードしてきたアイテムは超レアアイテムと名高い性別転換薬だった。
通常RFはゲーム開始当初に作成した容姿からの変更は不可能となっている。しかし、レアモンスターから希にドロップするこの性別転換薬を使えば、性別を変化させると同時に、事前に設定した任意の容姿に一度だけ変更が可能なのだ。モンスター自体がレアであり、さらにそこからドロップする確率が一パーセント未満という希も希も超希なこのアイテムはバザーに出せば高値で取引されながらもすぐに売れてしまう人気アイテムとなっている。毎週値上がりしていることからもその高い人気が窺い知れる。
「こ、こんな高価な物、もらえないって」
「いいからいいから。使ってよ。シンシアってリアルじゃ全然素っ気ないじゃん? だからせめてゲームの中でくらいは好きなようにベタベタされてくれてもいいんじゃないかなーって思ったんだけど」
なるほど。つまり俺がこれを使い女性キャラクターとなって、ゲーム内でいちゃいちゃしようという魂胆か。
「もう容姿は設定してあるからさ。後は使うだけ。もし気に入らなければもう一個用意してるから、これで戻って貰って構わない。どう?」
二つも売れば、今の装備をワンランク上に一新することも可能だろうに……。そうまでして俺とベタベタしたいというのか。
「はいはい。分かったよ。でもそれはいらない。売って装備の足しにでもしてよ」
仕方ないのでアリエスの好きなようにさせてやろう。
受け取った性別転換薬をさっそく使用する。使用した途端、俺の周囲に濃い煙と虹色の光りが現われて体を包み込んだ。それらがゆっくり消えると、俺のキャラクターは小柄で長い黒髪をした少女の姿になっていた。
「……ってこれ、リアルの私そっくりじゃないか!」
「そうなるように作ったから!」
輝く笑顔で言い切ったアリエスに、怒りを通り越して呆れてしまう。
「じゃ、行こうか」
「どこへ?」
「街の教会。結婚式を挙げよう!」
「まさかウェディングセットまで持ってるのか!?」
それもレアアイテム。使用するとそのエリアに一時間専用のBGMが流れ、空からは真っ白な羽が降るようになる。それプラス、装備品として白のタキシードとウェディングドレスが使用したキャラクターの手元に現われるのだ。
「これで全財産使い果たした」
「よくやるよ」
もう笑いしか出てこない。
アリエスはチャットモードをギルドに切り替えた。
『今から僕とシンシアの結婚式やるから、来られるヤツは集合!』
途端にギルドチャットにもの凄い数のログが流れ、声で溢れた。そりゃそうだ。彼らはまだ俺が男だと思っているのだから。
「この騒ぎどうするの?」
「ゲームなんだから、これぐらい騒がしい方が楽しいでしょ」
「それもそうだけど……。まあいいか」
ゲームは彼の好きなようにさせようと決めたんだ。彼の気の済むままにさせてやろう。
「はい。ドレス。これを装備して」
「こ、ここで? せめて教会に行ってからで……」
ウェディングドレスはとても目立つ。通常装備と違って防御力が皆無な代わりに装備すると背中に発光のエフェクトが付与されるのだ。
「だめだめ。せっかくなんだからみんなに見せつけてやろう」
あーもう暴走が止まらない。これもリアルでの反動か?
「ほら、早く着替えて」
既にタキシードに着替えたかなたが急かしてくる。渋々ステータスウィンドウを開き、お望み通りに装備をウェディングドレスに変更する。すると大きく裾の広がったリアルの結婚式でも良くお目にするウェディングドレスが現われた。もちろんそれは俺が着ている物だ。
「うんうん。凄く似合ってるよ」
満足そうに頷くアリエス。
案の定周囲ではさっそく騒ぎが起こり、ウェディングドレスを着た俺に視線が集まっていた。
ギルドチャットに目をやれば、結構な人数が参加する旨を伝えていた。教会に入りきるかな。
「さ、行こうか」
アリエスが手を差し出す。その手に自分の手を重ねると、彼は心から嬉しそうに笑った。
それを見て、こういうのもいいかなと思ってしまった。




