最終章 素直になればいい 下
翌日学校に行くとかなたはいなかった。ホームルームが始まっても来ることはなく、代わりに担任から、かなたは欠席することが伝えられた。
風邪だろうか。昨日はあんなに元気だったのに。一人悶々としていたら、香奈恵さんが声をかけてくれた。そして、
「あら、千尋さん聞いてないの? かなたは今日お見合いに行ってるのよ」
と教えてくれた。
「お見合い?」
聞き間違いでなければ、香奈恵さんは今そう言った。
「お見合いって、あの、結婚を目的として第三者が仲介して顔を会わせる、あのお見合い?」
「ええ」
お見合い。なんでかなたがお見合いなんかを?
頭の中がグルグルと回る。様々な言葉が飛び交い、俺を責める。気持ち悪くなって、思わず口元を抑え呼吸を整える。
もしかしてかなたは隠していた? いや、彼は隠し事なんてする人じゃない。でも……。
考えたところで答えは見つからない。分かっていながら繰り返すのは、それだけショックだったということだろう。
誰かにこのことを相談したかった。気付けば手には携帯を持ち、メールを打っていた。
◇◆◇◆
「それで私をメールで呼び出したわけね」
「ごめん。こんなことで呼び出したりして」
一限目を終えた休み時間。屋上手前の踊り場へ呼んだのは幼馴染みの梨子だった。
「気にしないで。むしろ嬉しかったわよ。私を頼ってくれて」
梨子が昔と変わらない笑みを浮かべる。それを見てほっと胸を撫で下ろす。
「それで、立仙さんのことよね?」
「うん。かなたが今日お見合いをしてるらしくて、それを知ってからいても立っても居られなくて」
そうやって話す間も胸の前で組んだ手をしきりに動かす。心がざわざわして落ち着かないのだ。
「立仙さんの家がそれなりの格式があるところだって知ってる?」
「知らない」
それも初めて知った。かなたは家のことをほとんど話した事がなかったから。
「私も詳しくは聞いていないけれど、結構なお金持ちらしいわよ。かなたはその家の一人息子。普通高校生でお見合いなんて早すぎるけど、それがこと家柄が関わってくると、そうとも限らなくなるわ」
「そ、それって……」
声が震えていた。
「……親同士が決めたこと、というのもありえない話ではないということよ」
ドクンと心臓が大きく揺れる。続いて血の気がサッと引き、足元がぐらついた。咄嗟に近くの手摺りを掴んだ。
そんな。まさか。かなたが? ありえない。昨日あんなことを言っていたのに。そのかなたが親同士が決めたことでどこの誰とも知らないヤツにとられるというのか?
「千尋。あなた、立仙さんのことが好きなの?」
「へっ? そ、それは……」
「好きなんでしょ?」
言葉を詰まらせる俺に梨子は追い打ちをかける。
「……分からない。人を好きになったことなんてないから、これが好きなのかどうか分からないんだよ」
胸の前でぎゅっと手を握りしめる。心臓が強く鼓動して痛い。病気だろうか。
梨子は大きくため息をついて、肩を竦めた
「今更何言ってるのよ。千尋、あなた今、立仙さんのことを考えているでしょ?」
「も、もちろん。それしか考えてないよ」
「立仙さんのことを考えると胸がきゅっと痛むでしょ? 誰かに取られてしまうと思うとイライラして、いても立っても居られないでしょ?」
「う、うん」
梨子の言うことが当てはまっていて驚く。
「立仙さんに触れられるとドキッとするでしょ? 抱きしめられると心地良いんでしょ?」
「うん」
「それが恋よ。あなた、立仙さんのことが好きなのよ」
……俺はかなたのことが好き。はっきりと梨子はそう言った。
薄々ながら、そうじゃないかとは思っていた。ここ最近かなたを見る度に、触れられる度に心と体が勝手に反応していた。だからもしかすると……と。
けれど確証はなかった。だからそれが確実な物となってからかなたに伝えようと思っていた。
しかし今日、かなたはお見合いなのだ。親同士が決めたこと……。そうして決まってしまうことも有り得ると梨子は言った。
少し遅かった。今更自分の気持ちを知ったって――
「で、千尋はどうするの?」
「どうするって、俺に何ができるって言うんだよ」
「さあ。それは自分で考えるべきじゃない?」
考えるって、考えてどうするんだよ。親同士が決めたことに部外者の俺がどうこうできるものじゃない。
『僕は今でも千尋のことが好きだと言うことを知っておいてほしかったんだ』
昨日のかなたの言葉だ。今もかなたは俺のことが好きだという。それが本当だったら……。
「そういえば、昔こんなドラマがあったわね。結婚式の会場に新婦の元恋人が現われて、式の最中だというのに新婦を奪って逃げるという話」
「うん。それは俺も覚えてる。まさかこんなときに思い出すとは思わなかったけど」
「あれって、新郎の方はたまったものじゃないけれど、結構ヒーローしてたと思わない?」
梨子が俺の目を見て、悪戯な笑みを浮かべる。
まあそうだよな。そうするしかないか。俺は肩を竦める。
「場所なら私が知っているから、あなたの携帯に送信しておくわ。だからさっさと行きなさい」
「はいはい。分かった。分かりましたよ」
踵を返し、階段を一段飛ばしで降りていく。
「頑張りなさいよ」
頭上から聞こえた声に振り向かずに、手だけを振って答えた。
◇◆◇◆
お見合いの場所は意外に学校から近く、商店街の中にあるレストランの一室らしい。個室にいるとのことなので、グレードの高い店なのだろう。そんなところに高校生の俺が入れるのかどうか疑問だが、行ってみるしかない。
梨子から送られてきた住所を元に場所を割り出し、一つのビルを見つける。そこの四階に上がり、レストランの前にたどり着いた。
そのレストランの入口にはドアがあり、脇には『完全予約制』と書かれていた。
早くも難関が立ちふさがる。どうする? 無理矢理突入して一部屋ずつ見て回るか? いや、そんなことしていたらすぐに店員に捕まってしまうだろう。だったら店員を騙してかなたのいる部屋まで連れて行って貰うか? それがベストなのだろうけど、果たしてかなたの名前をだしただけではいどうぞと連れて行って貰えるだろうか。もしダメだったらやっぱり強引に行くしかないんだろうな。
やらないで後悔するより、やって後悔しよう。自分に言い聞かせて、重々しいドアに手をかけた。
中に入ると、そこはやはり俺なんかの高校生がお呼びでないレストランだった。足元が見える程度の間接照明を備えた大人の雰囲気を漂わせる店内に、思わず見入ってしまった。
「比与森千尋様でしょうか?」
「へっ、は、はいそうですけど……?」
突然名前を呼ばれ、返事する。そこにいたのは黒のスーツを来た店員らしき男性だった。
「立仙かなた様がお待ちです。どうぞこちらへ」
かなたが俺を待っていた? 予想外の展開に頭がついていかない。男性のあとをついていきながら状況を整理する。
おそらく向かう先にはかなた達がいるのだろう。どうしてこうなったのかは定かじゃないけど、利用するしかない。個室に入ってかなたを見つけたら即座に捕まえて……あれ、どうしたらいいんだっけ? その後のことを何も考えていなかった。
今更になって焦り出す。しかし時間は待ってくれず、すぐにかなた達のいる個室についてしまった。
男性がドアを開ける。礼をして中にはいると、そこには高そうな机を挟んで座り談笑する四人の男女がいた。
奧には紺色のスーツを着たいかにも「できます」といったイケメンと、その母と思われる女性。手前には着物を着た女性と、その隣に一之宮の制服を着た、かなたがいた。
「かなた!」
「え、千尋!? どうしてこんなところに?」
振り返ったかなたは、俺の姿を見て驚愕していた。
小走りで彼の隣に立ち、男を睨み付ける。男は突然の乱入者に動揺しているようだった。
「だ、誰だ君は!?」
誰って言われてもどう答えたら良いのか。友達、とかじゃここまで来た意味がない。どう答えるかなんて決まっているじゃないか。
俺は一歩前に出て、水平に右手を上げる。男からかなたを護るように。
すうっと息を吸い、そして言ってやった。
「か、かなたさんにはもう心に決めた、私という婚約者がいるんです! あなたには渡せません!」
羞恥に顔が赤く染まるのを感じつつも、張り裂けそうな心臓を押さえつけ精一杯の声で叫んだ。
男は目を見開いて固まってしまった。よほど俺の言ったことがショックだったようだ。
連れ去るなら今しかない。後ろにいるはずのかなたに手を伸ばし、その手を握りしめる。
「かなた!」
「は、はい」
「走るぞ!」
かなたが立ち上がったのを確認してから手を引っ張って走り出す。
静かな店内を高校生二人が走り抜ける。通りかかった店員に白い目で見られてしまったが気にしない。とにかくここを出て、あの男が追って来られないところまで逃げるのだ。
レストランを出て、ビルを出て、商店街を抜けて近くを流れる川の土手まで。
「はあっ、はあっ。こ、ここまで来ればもう大丈夫か」
橋の下まできたところで止まり、手を離した。日頃から体育でしか運動していないから持久力はからっきしだ。息が上がって苦しい。
「えーと、千尋……これはどういうこと?」
かなたはぽかんとした表情で首を傾げた。なんで息一つ乱れてないんだ。不公平さにちょっと気分を害する。
深呼吸を繰り返し、息を整える。幾分落ち着いたところで口を開いた。
「か、かなたがお見合いだって聞いたから、いても立っても居られなくて。破談させてやろうと思って来たんだよ」
「お見合い? あー!」
かなたが手を打ち鳴らす。
「なんだそういうことなんだ。あはははっ」
そうして何故か腹を抱えて笑い出した。
「な、なんで笑ってるんだよ」
「だっておかしいんだもん。昨日あれだけ千尋のことが好きだって言ったのに来ちゃうなんて。そもそも心配しないように教えなかったのに、誰から聞いたの?」
「えっと、その、香奈恵さんから」
「香奈恵かあ。そういえば口封じしてなかったか。失敗したなあ」
口ではそう言いながらも、その表情には笑みが浮かんでいた。今度は俺がぽかんとする番だった。
「お見合いっていっても、ただ形式上相手に会うだけのものだよ。そもそも相手は男だったでしょ? あれ、実は僕とあちらのお母さんとで、相手の息子さんを貶めて笑ってやろうというドッキリだったんだよ」
「……はい?」
ドッキリ? どういうこと?
「だからドッキリ。息子さんを驚かせようと画策したドッキリなの。どうも以前行われた親戚の集まりで僕を見かけてから気になってたらしくて、それを知ったあちらのお母さんと僕のお母さんが、だったら僕が男だと言うことを伏せてお見合いさせて、最後に種明かしして息子さんを驚かせようって考えたの。僕はそれに乗っかっただけ」
「……え、えっとつまり、今回のはお見合いでもお見合いじゃなくてドッキリで、別に親同士の決まりであの男と婚約するなんて事はまったくなかった、と……」
「当たり前だよ。僕は千尋のことが好きなんだから」
そう言ってやっぱり笑うかなた。
なるほど。……ってことは、全て無駄だったってことか!
「あーもう学校抜け出してまで何をやってたんだ俺は!?」
頭を抱えてその場に座り込んでしまう。恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
「千尋、ご苦労様」
「無駄足だったけどね……」
穴があったら入りたいを通り越して、穴を掘ってでも今すぐ入りたい。
「ううん。そんなことないよ」
「なんでだよ……」
泣きそうになりながら顔を上げてかなたを見る。
「さっきのお店で千尋が言ったこと、あれは本当?」
「俺、何か言ったっけ?」
「言ったよ! 僕にはもう心に決めた千尋という婚約者がいる、って」
……あ。たしかに、そんなことを言ったような気がしないでもないような。
「あれって、もしかしなくても告白だよね?」
途端にニヤリと笑うかなた。
「えーと、そうだっけ……」
「はぐらかさない!」
顔を両手ではさまれて、無理矢理前を向かされた。
「ねえ、どうなの?」
表情は笑ったまま。だけどその目は真剣だった。
うぅ……。仕方ない。もう一度勇気を振り絞ってかなたに伝えよう。
「……だよ」
「え、なに? 何て言ったの?」
ぼそぼそと呟いた声はやっぱり届かなかったようで、無駄に羞恥を煽っただけだった。だから今度こそ、あと一回だけ、頑張ることにした。
「そうだよ! 告白だよ! 俺はかなたが好きなんだよ!」