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秋風シリーズ

放課後ミルクティー

 放課後の旧図書室。

ここに居るのは僕ともう一人、菫先輩のみ。

 閉め切った窓の内側は結露していて、恐らく氷のように冷え切っているだろう。

十月はまだ過ごしやすい気候だった。でも十一月に入った途端、一気に気温は下がり風も冷たくなってしまった。放課後にうとうとと舟を漕ぐ事も無くなり、少し寂しい気もするが読書がはかどるので、多少寒いくらいもいいかもしれないが。

 

 外からは運動部の掛け声が聞こえてきて、まさに放課後! という雰囲気だ。

この時間帯は好きだ。別に勉強がそこまで嫌いというわけでは無いが、読書をするにはうってつけだし……何より


『少し寒くなってきたね。紅茶でも煎れようか』


 菫先輩とのやり取りが単純に楽しい。

先輩は幼い頃、声帯に異常をきたす病気にかかり声が出せない。

 まったく出せないわけでは無い。出そうと思えば出せるが、無理して出すなとドクターストップが掛かっているらしい。

 なので先輩とのやりとりは基本、筆談だ。

最初、僕は普通に先輩の筆談を読んで声に出して返事していた。しかしついに我慢できなくなり、不謹慎だとも思ったが、僕は先輩に筆談で返事をするようになった。何故に不謹慎かと言えば……まるで筆談を楽しんでいるかのようだからだ。いや、確実に僕は楽しんでいる。これを不謹慎と言わず何というのか。別に先輩は好きで筆談しているわけでは無い。病で仕方なくだ。


『いいですね、紅茶。ミルクティーとか美味しいですよね』


 しかし先輩は僕の筆談を快く承諾してくれた。もしかしたら内心では「ああん?!」とか思ってるかもしれないが。でも先輩の笑顔を見るたびに安心してしまう。今、この放課後のこの一時が勉学で疲れ切った僕の癒しの時間だ。まあ、そこまで勉強に打ち込んでいるのか? と言われると困ってしまうが。


 先輩と僕は読んでいる文庫本に一度栞を挟み、紅茶を淹れるべくそれぞれ椅子から立ち上がる。僕はティーカップを、先輩は茶葉をそれぞれ用意。あとはお湯を沸騰させるべく、ポットの電源を入れる。そこで先輩は何かに気付いたかのように……胸ポケットからメモ帳を取り出し、さらさらと綺麗な字で筆談を。


『ごめん、ミルクがないよ。ミルクティーがいいんだよね?』


 僕はその筆談を読んで、思わず怪しい笑みを浮かべてしまう。

先輩は大真面目だ。先ほどミルクティーが好きだと確かに筆談で言ったが、僕はぶっちゃけ先輩と飲む紅茶なら何でもいい。なんだったら苦手なコーヒーでもがぶ飲みできる。たぶん。


『大丈夫です。ミルクが無くても紅茶美味しいですから』


 返事の筆談を読むなり、まるでいきなり外の世界に放り出された小動物のように……不安そうな顔をする先輩。そのまま再びメモ帳へと筆談を書き込んでいき、僕の目の前へ差し出してくる。


『ミルクを探す旅に出よう』


 なんと。

まるでチーズを探しに旅に出るネズミの冒険みたいだ。しかしミルクを探しにって……何処に行けばいいのか。中学の頃なら給食に必ず牛乳が出ていたが、高校になってからは完全弁当制。そういえば牛乳単品で飲む事なんてめっきり無くなったな。普段はココアとかに混ぜて飲んだりしてるけども。


 僕は先輩へと返事の筆談を書く。

すると先輩はまだ書いている途中だと言うのに、僕の真後ろに回りこみ、肩口から覗き込んでくる。ちなみに僕は先輩より五センチほど身長が低い。あぁ、神様……僕にあと六センチの身長を下さい。


 そんな無駄な祈りは、先輩から発せられる良い匂いで一瞬で掻き消される。

少し耳元に先輩の息遣いも届いてくる。

 思わず途中で筆談は止まってしまい、僕のメモ帳には『何処にミル』で止まってしまっている。先輩は、はよ続き書けよ、と言わんばかりに僕の横顔を見つめてくるが……こんなに距離が近いとヤバイ。色々と。


「せ、せせせんぱい! ミルク何処に探しに行きますか!」


 思わず普通に声に出してしまう僕。先輩は首を傾げつつ、再びメモ帳へ筆談を。


さあ、先輩は一体どこに牛乳を探しに行こうと言い出すのか。

緊張の一瞬だ。


『自動販売機に行ってみよう』


あ、結構普通だ。




 ※




 新校舎と旧校舎の間、売店の横に自動販売機は設置されている。僕と先輩は並んで陳列されている商品を眺めるが……牛乳はない。そういえば自動販売機で牛乳を探すなんて初めてかもしれない。普段から積極的に飲もうとしてないからだろうか。だから身長が……


『ないねぇ、ワトソン君』


 むむ、ホームズネタが来た。

僕はここぞとメモ帳を取り出し……


『ないですね、ホームズ先生』


この些細なやり取りが本当に楽しい。

まるで先輩と相棒の関係になったようだ。このまま難事件の一つや二つ、解決できそうな気もしてくる。


「お、暇そうな奴がいるな」


 その時、僕らの後ろから声を掛けてくる一人の教師。

英語担当の津金(つがね)先生だ。あだ名はメガネ先生。


「君達、部活動、委員会以外の生徒は速やかに下校せよという校則知ってるか?」


 無論、知っている。だが真面目に守っている生徒が一体どれだけ居るのだろうか。勿論さっさと帰る生徒も居るが、別に校則を守っているわけでは無いし、僕らの様に何も無くても学校で喋っているだけの生徒なんて腐る程いる。


 菫先輩は変わらず笑顔で筆談を。そのまま先生の前に突き出すと、津金教諭は声に出して読み上げる。


「ふむ。知りませんでした……って、んなわけあるか。お前三年だろうが」


テヘっと可愛く笑う菫先輩。思わず僕は吹き出してしまい、菫先輩は『何故笑った?』と不気味な笑みを向けてくる。


「というわけで二人とも、暇なら少し手伝って欲しい事があるんだが……三十分くらい時間くれ」


「僕は別に構いませんけども……菫先輩は……?」


僕の言葉に頷いてくる先輩。構わないようだ。


「ならちょっと旧校舎の資料室まで付いてきてくれ。探し物を手伝って欲しいんだ」




 ※




 津金教諭は英語の教師だが、それとは別に生徒指導の先生でもある。メガネ先生というあだ名も、別に見た目だけから来ているわけでは無い。性格が大真面目だからだ。だから下級生にとっては少しとっつきにくい先生の様に思えるが、上級生からは絶大な信頼を得ている。その理由はどんな相談でも真面目に答えてくれるからだそうだ。噂では、恋愛相談も受けてくれるとか。


 津金教諭のあとに付いて歩き、旧校舎の資料室へと。っていうかここ……僕らがさっきまで居た旧図書室の真下じゃないか。あ、そういえば……ポットのお湯は既に沸騰してしまっているだろうか。別にガスを使っているわけでは無いので、沸騰しきったら自動的に電源が落ちて冷めるだけだが。


 資料室の中は旧図書室に比べると酷く汚い。整理整頓が行き届いてないし、机や棚の上には埃が積もりに積もっている。


「それで……何を探すんですか?」


「あぁ、昔使ってた英語の教材をな……アルファベットが書いてあるトランプみたいな奴だ」


何故にそんな物を。高校の英語の授業で使うのか? それってアルファベットを覚える時に使う玩具みたいな奴だよな。今なら下手したら幼稚園でも使っていそうな……


 菫先輩は先生の言葉に頷きつつ、足の踏み場を探しつつ資料室の奥へ。僕はどのあたりを探そうか。なんだか色々積み重なってて、トランプサイズの教材を探すなんて砂漠の中の米粒を探すような作業になりそうだが。


「埃っぽいな……空気入れ替えるか」


 先生は資料室の窓を全開に。その途端、風が勢いよく入ってきて、机や棚に降り積もっていた埃が余計に舞う。いや、この事態は十分に予想できた事だ。これじゃあ全く逆効果だ。何してくれるんだ、この教諭は……


「……!」


 しかしその瞬間、僕の目に飛び込んできたのは先輩の……白い太腿……。

風で先輩のスカートが捲れて……って、何をマジマジとみてるんだ僕は!


「…………」


 先輩はスカートを抑えつつ、目を逸らす僕をジ……っと見つめてくる。

そのまま曇っていた窓ガラスへと「見た?」と指で書いてくる。


「み、みてません……僕は何も見てません……」


「そう邪見にするな。相手は思春期真っ盛りの少年だぞ」


津金教諭……! フォローするならもっとまともな物をよこせ!

全くこれっぽっちもフォローになってない!


「じゃあ俺は隣の部屋も見てくるから。二人でここ頼むわ」


逃げるとは卑怯なり!




 ※




 それからニ十分程、僕と先輩は手分けして目的の教材を探すが……そんな物は一向に見当たらない。というかここ資料室だったっけ。あるのは妙に古い学校新聞や教科書、授業で使ったと思われるボロボロの教材などなど……。


「先輩、ありましたか……って……」


 例の教材はあったか? と尋ねる僕の目に飛び込んできたのは、学校新聞を熱心に読みふける先輩。何をサボっているのですか、貴方は。


 僕の視線に気が付いた先輩は、妙に目を煌めかせながら学校新聞を見せつけてくる。一体何をそんなに……むむ、これは……一九五〇年の文化祭の時の新聞か。勿論僕は生まれてない。


「凄い古い学校新聞ですね……ボロボロじゃないですか。しかも手書き……」


 今はもうパソコンで作るのが当たり前になってるから、逆に新鮮だ。しかし綺麗な字だ。きっと書いた人は美人に違いない。菫先輩みたいな。


「文化祭……そういえばそろそろ準備期間に入りますよね。先輩のクラスは何するんですか?」


 先輩は新聞の、とある部分を指し示す。そこにはロミオとジュリエットの演目の記事が書かれていた。もしかしてロミジュリをやるという事だろうか。


「もしかしてロミジュリですか?」


コクン、と頷く先輩。

しかし先輩は声が出せない。という事は裏方か。先輩もジュリエット役がやりたかったとか……思うのだろうか。僕は絶対裏方がいいが。


 すると先輩はメモ帳を取り出し


『私、脚本するの』


「え、マジっすか。先輩、ロミジュリも読んでるんですか?」


ちなみに僕は読んだ事は無い。あまりに有名すぎて、大体の話も知っている。だから読まなかっただけだが……。


『読んだ事あるよ……今回のは面白おかしくコメディ風に』


ふむ。

ロミジュリを読んだ事の無い僕にとっては、救いようのないくらいの恋愛悲劇なんだが。あれをどうやってコメディにするんだろうか……。


「ロミジュリって悲しいお話ですよね……コメディってどうやって……」


『ロミジュリは元々コメディチックだよ』


え?! そうなの?!

いや、だってロミオはジュリエットが死んだと思って毒飲んで……その後ジュリエットもロミオの後を追って自殺して……なんでそれがコメディに……?


『一読あれ』


えええっ!

気になる! ものすごく気になる!

なんだろう、今すぐ図書館に行って借りたくなってきた。


 そういえば……シェークスピアって四台悲劇やらが有名だけど、どっかでコメディの方が多く手掛けてるみたいな事を聞いたことがある。

 もしかしてロミジュリもその中の一つだったんだろうか。でも逆に……ネットでロミジュリはホラー……みたいな感想を残している人も居たような……。

 要は解釈の違いという奴だろうか。でもそれも小説を読む上での楽しみ方の一つだ。読む時々にとって、登場人物のセリフの意味が変わって感じられる事なんていくらでもあるし……。


「あったあった」


 その時、隣の部屋で探していた津金教諭が戻ってきた。その瞬間、僕らはあたかも今まで真面目に探してました、と言わんばかりに額の汗を拭う仕草を。汗なんて一ミリもかいてないが。


「ありがとな。礼といっちゃなんだが……これをやろう」


 そういいながら津金教諭が差し出してきたのは、とある喫茶店のクーポン券。というかこの喫茶店……僕の行きつけじゃないか。クーポン券なんて発行してたのか、爺ちゃん。


「じゃあな。暗くなる前に帰れよ」


そのまま津金教諭は去っていき……僕達は夕焼けでオレンジ色に染まる資料室の中、クーポン券を手に取り互いに笑い合った。


もう、こんなの行くしかないじゃないか。


そして紅茶は……爺ちゃんに煎れてもらおう。


もちろん僕は、ミルクティーで。





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― 新着の感想 ―
[一言] ふおぉ、美影くんと菫先輩の距離が近付いて、二人一緒にいるのが当たり前な雰囲気に!d(^-^) いいじゃないですか~。少しずつ、大切に温めて行って欲しいと思います。 美影くん頑張れ! ミルク(…
[良い点] ほのぼのとした雰囲気が良かったです。
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