1.右へ進めと言われても
新作の執筆が行き詰まりました!(大の字)
ので、こっちを投稿させていただきます。
【文系脳】(ぶんけい-のう)[名]
(1)事物を、ことごとく物語的、情緒的、文脈的に解釈しようとする脳のこと。またその思考傾向。
(2)数学的論理性や図形的空間把握能力に欠けた有り様。
(3)へりくつ屋で、くだらぬことを四六時中考えている脳のこと。またその思考傾向
――作者定義
たとえば、あなたがショッピングモールでトイレに行くとする。
トイレマークの描かれた看板を探し、目で追いながら廊下をふらふらと歩き、時々人にぶつかりそうになるのをなんとか避けたりしながら、指示通り右へ折れる。
なんとなく天井の照明に視線をやったりなんかしつつ、そのまましばし前進。
障がい者用トイレ、男性用トイレを横目に流し、赤色の女性用トイレマークをきちんと確認して、ようやく扉に手を掛ける。
そこまではいい。
問題は、トイレを出る時だ。
用を済ませ、手を洗い、あなたはスマホを流れるようにチェックしながら扉を開け、廊下へと力強く一歩を踏み出す。
LINEの溜まったスマホをバッグに戻し、ついでに顔も上げたところで、あなたは愕然とする。
「STAFF ONLY」。または、「非常口」。
これらの看板ないし扉が、突如としてあなたの前に出現するからだ。
「…………!?」
突然眼前に迫ってきた壁に、あなたは静かに息を呑む。
この壁、この扉はいったいどうやって現れたのか。
だがそこで、数十年に渡って蓄積された経験が静かに告げる。
どうやら、また、方向を間違えたらしい。
くるりと踵を返せば、なるほど確かに、こちらの廊下はメイン通路に繋がっている。
けれどおかしい。
トイレに入る時、廊下を右に捻ってきた身体感覚はまだ残っている。
だからトイレから出たときは、戻ろうと体を左に捻ったのに、なぜ道が入れ替わっているのだろう。
あなたは釈然としない思いを棚上げし、とりあえず友人たちの待つ場所へと戻っていく。
棚にはそんな釈然としない思いが、もう無数に転がっている。
こうした経験を話すと、女友達は9割がた「わかるー!」と言ってくれる。
私も、トイレに行くと、よく帰る時の方向を間違えちゃうよと。
なので私は安心して、最近自身に振りかかった「道の不思議」について切り出す。
すると徐々に、友人たちの顔は無表情になってゆく。
私の実家の近くには、「水道道路」と呼ばれる県道がある。
色々な道と交差していて、スーパーへ行くのにも病院へ行くのにも、とにかくこの道路を走行、または横断することになる(らしい)、そんな四車線の道路だ。
ただ私は、自身の運転でこの道路を走ったことが、ほとんど無い。
というのも、免許を取ったのは社会人になる直前で、入社してすぐ地方配属になってしまい、たまに帰京するときには、保険の関係で、母の車を運転するのが躊躇われたためだ。
となると必然、私の定位置は、子ども時代から変わらず助手席、または後部座席ということになる。
そして私は、今年になるまでその位置に収まり、漫然と水道道路を眺めてきた。
そんな私を衝撃が襲った。
ある時、新たなカフェがオープンするとかで、我が家近辺を収めた簡略地図付きのチラシが配られたのだ。
普段、「読めないから」という理由で地図の類を切り捨てていた私は、「カフェ情報ならば真剣に読まねばならぬ」と思い直し、じっくりとその地図を眺めた。
そして、怪訝な想いで首を傾げた。
「…………?」
地図上では、「水道道路」と書かれた道が、私の思い描いていたのとは異なる形で、ずどんと真っすぐ、町を貫いていた。
「……ねえ、お母さん。水道道路って、こんな真っすぐな道なの?」
「は?」
道はどこかに繋がっている、というのがモットーで、しょっちゅう裏道を抜けようとしては時間をロスしている母が、やけに胡乱げな眼差しで聞き返してきた。
「なに言ってんの。そりゃそうでしょ」
「え、でもさ、縦の水道道路と横の水道道路があるでしょ?」
「は?」
母の視線が、なに言ってんだこいつ的なものに変わる。
私は説明の必要性を感じ、一生懸命言葉を紡いだ。
それは、要約するとこんな感じだ。
スーパーに行くとき、我々はあなたが「水道道路」と呼ぶ道を横断する。
なので私は、視界の左から右にかけて横たわるその道を、スーパーに行くときの水道道路、または横の水道道路と認識、処理してきた。
一方、病院に行くとき、我々は四車線の太い道を真っすぐに進む。
これはなんという道かと幼い頃聞いたら、あなたは「水道道路だ」と答えたので、「なんでもかんでも水道道路だと答えときゃ、こちらがびびると思いやがって」と内心思いながら、私はその道を、病院に行くときの水道道路、または縦の水道道路と認識、処理してきた。
横の水道道路と縦の水道道路とでは、周囲の光景が異なるし、道路の表面の色合いも若干異なる。
なにより、前者は視界を横切るのに対して、後者は常に視界を縦に分割している。
なのでそれがまさか同一のものとは思えず、よって私は、てっきり水道道路には二種のバリエーションがあるのだと思っていた。
そう言うと、母はなにか未知の生物を見つけたような目で娘の私を見てきた。
「いや、そもそも道を説明するのに、右とか左とか言うのがわからないし。普通、道や場所を説明するときは、東西南北で言うでしょ?」
道を説明するのに東西南北。
彼女はなにを言っているのだろう。
自身の価値観を「普通」という言葉を用いて説明する人間は、やすやすと信用してはならない。
私は警戒を強めた。
だが、そう、確かに、道を説明するときに用いる「右に進む」「左に進む」という言い回しについては、実は私も以前から違和感を抱いていた。
だって、我々は、常に前を向いて進んでいる。
右折するとき、その一瞬は右に体を(タイヤを)捻っても、しばらくすればそれは「前進」という行為に塗り替わる。東西南北どころか、私の方向感覚には、常に「前」の一つしかない。
なのに、右に進めとは、左に進めとは、どういうことなのか。蟹歩きをすればよいのか。
そんな文系脳の持ち主なので、カーブした道、あるいは斜めの道というのが、私は本当に嫌いだ。
辛うじて把握できる「縦の道」「横の道」という認識すら、そうした道はぐにゃりと捻じ曲げてしまう。
大通りから左にそれて、そこから今度は右に曲がって、私の中ではすっかり「大通りと並行、縦の道を歩いている」という認識だったのに、なぜか元の大通りと直角に合流してしまったとき、私は大いに動揺したし、魔境の存在を疑った。
が、友人によれば、その時歩いていた道は大きくカーブしていて、我々は「く」の字を逆流するような格好で歩いていたのだという。
私はもう、都市計画からやり直すべきだと憤慨した。
直線の振りをしてゆるやかにカーブするなど、本当に、道として一番やってはいけないことだと思う。
こうした話を、最初友人は「中村にもそんな弱点があったんだ、うけるー」といった感じで、喜んで聞いてくれる。
付き合い立ての恋人であれば、微笑ましそうな視線の一つも向けてくれる。
ところが、連れ沿う時間が長くなり、駅で正反対の出口に出て、ショッピングモールで途方に暮れ、タクシーを斜め下の方向に案内し、地図を潔くゴミ箱に捨てる姿を目撃する頃になると――だってどうせ読めない――、彼らの視線は「何曜日に捨ててやろうかこの生ごみ」的なそれに変わる。
もうだめだ。
だいぶ命の危機だ。
ところが、そんな私をさらに追い詰める、私の特徴がある。
それは、やたら早足であり、やたら確信に満ちた立ち姿をしているということである。
人はかつて、そんな私を「ママチャリに乗ってる時ですら背筋伸びてやがる」と評した。
そのような在り方は、私をとんだ悲劇に導いたこともあった。
北海道でのことだ。
風に美しく揺れるラベンダー畑が見られるということで、私は当時最新のガラケーを握りしめ、北の大地に降り立っていた。
その駅から目的の場所までは、十分ほど歩くとの事前情報が頭にあった。
私は一度に大量のテキストに触れるのが常なので、それがガイドブックから来たものなのか、駅構内案内板から来たものなのか、すれ違いざまに観光客が話していた言葉を拾ったものなのかは、もうその時点で定かではなかった。
ただ、「十分くらいなら、地図なしで行けるな」という、漠とした確信だけがあった。
不幸なことに、一緒に来ていた友人は、朝方体調を崩してホテルで休んでいた。
ラベンダー畑を見たがっていた彼女がいないのなら、私は行き先を変更してもよかったはずだったが、ラベンダー味のソフトクリームには興味があった。
私は一度to doリストに載せた事項は、なんとしても敢行せねば気が済まない性質だ。
もはや使命感を抱え、私は滑らかに舗装された道路の片隅を歩きはじめた。
結論からいえば、一分で迷った。
というか、厳密に言えば、私はホームを出てから足を踏み出すべき方向を間違えていた。
始まる前から終わっていたというあれだ。
だが、そのことに私は気付いていなかった。
私は顎を引き、無駄に凛と見える表情で寡黙に歩いた。
決定的に不幸だったのは、視線を固定し――基本、歩くときは考え事をしているので、視点がさまようことはないのだ――、迷いなくホームを去ってゆく私は、かなり「頼れる」人間に見えたということだろう。
しかも、片手には、小さなバッグに収まりきらなかったガイドブックがあった――いつも、バッグの容量と荷物量を見誤る――ので、観光客であることもまた明らかだった。
必然、私の後ろには、「この人も観光客だよね、この人に着いていけば大丈夫かな……?」といった、フォロワーっ気のある人々が数人着いてきた。
改札から出口に分かれるとき、その数人を伴っていたことで、それがまた小規模の集団に見えたのか、後ろにさらにもう数グループ。
私はいつしか、十人近くの人々を先導する存在に成り上がってしまっていた。
果たして、私は自分の誤りに気付いた。
後ろに続く人々の存在にも気付いた。
彼らが地図をちらちらと見ながら、不安そうに私の方を見ているのにも気付いてしまった。
そう。私は地図の主張はさっぱり読み取れないが、視線と囁き声にはひどく敏感なのである。
迷った。
しかも、めっちゃ着いてきてる。
それを悟った私は、じわりと冷や汗を滲ませた。
ねえ、嘘でしょ、ハニー。
いったいどこのファッキンビッチが、私からラベンダーソフトクリームを奪おうってわけ?
パニックに陥りかけた脳が、そんな女性の声を素早く紡ぎ上げる。
私は混乱に叩き込まれると、頭の中に一斉に言葉が溢れだし、それはなぜだかアメリカンな語調であることが多いのだが、これは文系脳に共通するなにか現象なのだろうか。
そして、私のソフトクリームへの道を妨げているファッキンビッチは、ほかの誰でもない私だ。
唇に手をやる。
一番近くのグループが、私に話しかけるかを悩んでいる気配を感じる。
ますますパニックの度合いが高まった。
オーケー、確認しましょう。 私は中村、ここは富良野。
なにから手を付ければいいか?
そんなの決まってる、地図を広げるんだベイビー。
ちなみに、とにかく混乱しているわけなので、脳内語調は突然男性のものに変わったりもするのだが、これもなにか文系脳の特徴なのだろうか。
該当するページを、汗ばんだ手でめくる。
目的のページはすぐに見つけられたが、載せられた地図の意味はわからない。
だって、この地図のうち、自分は今どこにいてどこを向いているのか。
よーし、いい子だ。
ベストは尽くした。
ここから先どうすればいいかって?
おいおい、冗談だろダーリン、あんたのポケットには頼れるちっちゃなヒーローが収まってるじゃないか。
そいつで相棒を呼び出す。それで決まりだ。
私はもたつく手で携帯電話を引っ張り出した。
二日酔いでダウンしている友人は、宇多田ヒカルの歌詞を彷彿とさせるコール数で、やっと電話を取ってくれた。
「もしもし……?」
掠れた声から、早くも不機嫌のニュアンスを察知する。
そう、私はまた、相手の声色や機嫌に敏感な人間でもあった。
私は思った。
今こいつに相談したら殺られる。
だがしかし、すでに電話は繋がってしまった。
今更なのだが、遠く離れたホテルで寝ている友人に、なんだって私は道を尋ねる電話を掛けているのだろう。混乱は常に人を異常な行動に導く。
私はまごつきながら、極力それを押し隠し、ジョークすら交えて窮状を訴えた。
ややあってから、「え、なに、私にナビしろってこと? ここから?」と聞き返す友人の声が、なにかの宣告のように聞こえる。
「うん、まあ……平たく言えば、そんな感じ……」
友人、沈黙。
だが、呆れたように、
「……今、何が見えるの?」
と続けてくれた彼女に、私は歓喜した。脳内のアメリカンも歓喜した。
さすが長女だ、苛つきながらも世話を焼く。
そこに遠慮なく付け込むのが末っ子の私だ。
「ええと、右側に、大きいトラックが……」
「右もトラックも知らねえよ」
だが長女の忍耐にも限界があった。
アメリカンは怯えたようにさっと黙り込んだ。
そうだ、以前まさに彼女から、動くものを目印にするなと叱られたのだった。
私は慌てて周囲を見回した。
動かないもの。動かない目印。
どこまでも真っすぐに伸びる道路、足元にコンビニのビニール袋を絡ませた電柱、両脇に広がる畑、風に揺れる名前の知らない雑草、背後からこちらを窺っている集団。
不意に涙が滲みそうになった。
だめだ。
どれも目印にはなりえない。
私にだってそのくらいはわかる。
役立たずの前後左右認識能力が、風に煽られたビニール袋のようにゆらゆらと頼りなく揺れ動いている。
「空が……」
まっすぐ伸びた道路の先、遮るものの一切無い青空が、やけにぱきりと視界に映った。
白い絵の具をすうと引いたような、薄い雲を浮かべた青空は、ゆらゆらと揺れる私をよそに、泰然とそこに広がっていた。
それがその場にある、唯一不動のものだった。
「空が……青い、です……」
「…………」
友人が押し黙る。
電話越しの息遣いに「どうしてくれようこの生ごみ」といった感情を聞き取る。
また脳内に言葉が溢れる。
奔流が激しすぎて、自分自身ですらすべてを解読できない思考の中に、アメリカンな女性の声が聞こえた。
オーケー、私は中村。ここは富良野。
ハニー、あなた、疲れているのよ――