ふたりのドライブ
それは突然の電話で逆らえない命令だった。
「今から出かけるよ」
「・・・は?」
「じゃあ、10分後くらいに着くから」
「いや、先輩、意味が」
「ブツ、ツーツーツー」
「・・・え、嘘でしょ」
バイトを終え帰宅したのが、午後10時。それからお風呂に入ったり、大学の課題を片付けたりして深夜1時を回り、さて寝ようかと眼鏡を外しベッドへ入った瞬間を見計らった様に、それはかかってきた。バイト先の仲の良い男の先輩からの命令だった。顔はスッピン、服はすでにパジャマがわりのスウェットに着替えて、寝る気満々だった私。しかし、彼の言うことを無視すると、今日の夜のバイトの時間に蹴りが飛んでくる。大人しく着替えよう。スウェットを脱ぎ、パーカーとジーンズに着替え眼鏡をかける。携帯と財布を鞄に入れ家を出た。約束の10分後は目の前だった。
近くのコンビニの前で先輩が来るのを待っていると、黒の軽自動車が入ってきた。運転席を見れば、私服姿の先輩が片手を上げた。
助手席のドアを開ければ、そこには先輩の鞄が置いてあった。それを見て、後部座席に移動しようかとドアを閉めかけた私に「隣でいいよ」と声がかかった。
「大丈夫ですか?助手席は恋人だけ、とか童貞丸出しのこと言わなくて」
「いや、まじ、殺すよ」
「・・・この状況だと笑い話にできないので」
「とりあえず乗りなよ」
「はい」
鞄を後ろに置き直してくれた先輩に促され、渋々助手席に乗り込んだ。車内では、先輩の好きな邦楽ロックバンドの新譜が流れていて、彼の匂いが強く香っていた。シートベルトを締めた私を確認し、流れるように走り出した先輩の愛車は、そのまま国道を直進して行く。深夜1時を過ぎると車の数が極端に減り、周りに走っている車は1台もいない。
「それで、どこへ行くんですか?」
私の方をチラッと見た先輩は、口の端を微妙に上げただけで質問への答えはくれない。
「え、本当にどこに行くんですか?と言うか、私はなぜ呼び出されたんですか?」
今日も学校とバイトあるの知ってますよね?慌てた様にそう続ければ、うんと言う短い返事が返ってきた。
「まだ起きてそうなの、君だけだったから」
「私、そんな理由で呼び出されたんですか?」
「そう。だって君、俺の電話には100パーセント出るでしょ?」
自信満々にそう言われて、ぐっと押し黙る。その通りなので反論はできなかった。確かに私は、先輩の電話には必ず出る様にしていた。講義中で、着歴が残っていた時は、休憩時間に掛け直す。
正直なところ、惚れた弱み以外の何物でもなかった。そして先輩はそんな私に気がつきながら、それを利用し、面白がる様に私に構った。
顔は良くもなく、悪くもない。身長も高くもなく低くもない。しかし、頭は良いそんな彼は、女子にモテないわけでは無いが、本人が女性を苦手としているため、発展しない。そんな人だった。
そしてそんな先輩にとって、私は女性に慣れるための程の良い相手に選ばれたのだ。
それにしても、今日は本当に変だ。行き先も告げずに、深夜に呼び出されるなんて、出会って1年経つけれど、初めてのことだった。
「行き先は決まってるんですよね?」
「決まってる」
「じゃあもう、それで良いです。とりあえず、明るい場所は基本的にダメなのでそれだけ守っていただければ」
「え、なんで?」
「スッピンなんで、明るい場所だとちょっと」
語尾を弱めながらそう言って、窓の外へ視線を流す。先輩がこちらを見ていることに気がついたので、顔を隠す様に背けたのだ。しかし、私のそんな目論見は次の瞬間には儚くも砕け散る。信号でストップした先輩が、車内のライトを点けた。
「ふーん、スッピンか」
「ちょっ!」
「いやどんな感じかと思って」
「まじ、無理ですって、ちょっと先輩ッ!」
こちらへと身を乗り出した先輩は、きっと性格の悪い笑みを浮かべているはずだけれど、それを見る勇気はない。そんなことしたら、私のスッピンが先輩に晒されてしまう。
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃ無いですって、近い!あ、ほら、信号!青になりましたよ!」
「ふっ、仕方ない後でいいや」
「いやっ、後も何も無いです」
笑いながら離れていった先輩の体温を少し寂しく思いながらも、スッピンを直視されなくて済んでホッと息を吐いた。再び走り始めた車は、いつの間にか県を移動していた。黄色に点滅する信号を走り抜け、暗い田舎道を静かに通過していく。車内には、先輩が時々口ずさむ洋楽のラブソングが静かに流れ始めた。
車に乗り込んでから、1時間ほどが経過した頃。車が駐車場へ滑り込んだ。
「着いたんですか?」
「着いた」
駐車スペースに車を止め、先輩が先に車から降りた。それを追うように車から降りれば、そこはとある空港のそばにある公園だった。
「先輩、ここって空港ですよね?」
「そうそう」
「・・・え、何でここ?」
「だって、君行きたいって言ってたでしょ?」
何でも無いようにそう言った先輩は、空に浮かぶ月を見ていた。私はそんな先輩を見ながら、溢れ出そうな想いを身の内に止めようと必死だった。
そんな言葉をそんな風に告げないでほしい。先輩の好きな人を私は知ってる。必死に隠しながら、隠しきれていない。バカで可愛い大好きな先輩。
「・・・言いましたっけ?」
「言ってただろ。友達が、彼氏と夜のブランコ乗ったって自慢して羨ましかったって」
「そう、でしたっけ?」
「うん」
くるりとこちらを振り向き、ニヤッと笑う先輩に泣きそうになる。
「先輩って、意外と私のこと好きですよね・・・」
泣きそうな気持ちを隠しながら、ニヒッと笑いながらふざけて言うと、期待していた反応を先輩は示してくれず、しんっとした深夜の少し冷たい空気が辺りを包み込んだ。
「え、いや、笑うか、否定するか、蹴るかどれかして下さいよ」
「あ、いや・・・」
「は?」
笑いながら先輩の顔を見れば、初めて見るほど驚いた顔の先輩がそこに立っていた。
「先輩?どうかしたんですか?」
「いや、今まで全く考えてなかったんだけど、そっか」
そう言って近寄って来た先輩は、先ほどまでとは一変して真剣な顔をしていて、思わず後ずさる。最低限の明かりが灯るここでは、近づかない限りスッピンを見られることはないと思っていたのに、これ以上近づかれるとかなりやばい。
ただでさえ、耳まで熱を持ってるのに、バレてしまう。
「来ないで下さい!」
「いやだ」
「近づかないで下さい!」
「いやだ」
後ろ向きに下がる私とグイグイ近づいてくる先輩では、移動速度に差ができてしまう。そしてとうとう、ギュッと手首を掴まれた。ぐいっと引っ張られ、先輩との距離が一気に近づいてしまった。
「俺さ、君が好きかもしれない」
「は・・・い?」
まさかの言葉にピシッと固まった。淡い光に照らされた先輩の顔は、真剣そのもので初めて見るものだった。でも、私は彼があの人を好きなことを知っている。
「でも、先輩、高橋さんのこと好きですよね?」
だから言った。先輩の好きな人は、私じゃなくて、先輩の一つ上の高校時代の先輩。タレ目が可愛らしい高橋さん。時々、バイト先に来てくれる彼女は、とても優しくて大好きだった。
「・・・ん?」
「・・・え?」
キョトンとした先輩の表情に私もキョトンとしてしまった。首を傾げて少し考えるそぶりをした先輩は、私を見て笑った。
「高橋さんは、憧れてるけど別に好きじゃないよ」
「そ、うなんですか?先輩、高橋さんと話すとき照れてるから好きなのかと思ってました」
「いや、美人相手には誰だって照れるでしょ?」
「そんなものなんですか?」
「そんなものだよ。というか・・・」
先輩は、そこで言葉を切り、私から手を離した。そして大きなため息を吐いた。
「話逸れたけど、俺は君が好きなんだけど、君も俺が好きだよね?」
いつもの彼なら、私にこんな聞き方はしない。私がイエスと答えるのはわかってる。そんな問いでもないものを投げかけてくる。それなのに今は、私の答えを不安げに待ってる。
「なんで私が、先輩からの連絡に100パーセント返すと思ってるんですか」
笑うのを失敗した、そんな顔で彼に答える。私の返事を聞いて、先輩が安心したかの様に笑った。
「大体、非常識なんですよ。こんな時間に女の子連れ回すなんて」
「だって、今日、君とここに来たかったんだもん」
「もんってなんですか、可愛くないですよ」
「俺、今日誕生日なんだよ」
「・・・は?」
帰りの車内で、拗ねた様に文句を言う私に先輩が、そんな言葉を漏らした。
「いや、今日誕生日なんですか?」
「うん。今日で、24歳になった」
「なんで、もっと早く言わなかったんですか?」
「だって、俺の誕生日で君には関係ないかなぁって思って」
「関係あるに決まってるじゃないですか!」
運転席にグイッと近づいて怒鳴れば、先輩が危ないからと片腕を出して私を止める。
「わかった、ごめんて」
「もう、誕生日プレゼント何がいいんですか?」
椅子に体を深く沈めて、静かに聞き直す。当日なので、手軽なものにしてくれるとありがたいと告げ、答えを促す。
「え?くれるの?」
「はい。欲しいもの言ってください」
「・・・それってものじゃなくてもいい?」
神妙な面持ちで言った先輩に、首を傾げて頷けば、その顔がニンマリと人の悪い笑みに変わった。
「・・・え?」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
「いや、結局何が欲しいんですか?」
「・・・ん?」
それは、今日の行き先を聞いたときと同じ顔つきで、絶対教える気は無いのだと悟る。
「・・・学校昼からですけど、できるだけ早めに帰してください」
「わかった」
そう言った先輩に疑いの目を向けながら、窓の外に視線を投げた。
窓に映った自分の顔ごしに、先輩の顔が見えた。それが今までに無い、とても良い笑顔を浮かべていて、そんな顔をしてくれるなら、私があげられるものは全てあげようと思った。