魔王閣下の料理人3
グルメマンガ家(だけじゃなくて、多ジャンルで描いてるけど)・西条真二先生の『鉄鍋のジャン!』と『至福の暴対レシピ』を元ネタに書いてみました。
『鉄鍋のジャン!R 頂上作戦』と『至福の暴対レシピ』は、どっちも尻切れトンボ感が……、うーん。
1
あなたは知っているだろうか。
4つの猿の顔と1つの人間の顔、そして10本の腕を持つハヌマーンの猿面から取り出した四色の脳味噌が奏でる、色とりどりの玄妙な味わいを。
あなたは知っているだろうか。
卵の殻を割った相手を呪い殺そうとにらみつける、しっぽの蛇が全身にグルリと巻きついた、孵化しかけたバジリスクのホビロンのパリパリした食感を。
もちろん、ぼくはそのすべてを知っている。
未来永劫薄れはしない血の色が床に染み込んだ屠殺場がぼくの遊び場。幻獣たちの断末魔がぼくの子守唄。
ぼくの名は、ジフラール・クロロフィル。魔界の第35位を占める魔王ハーゲンティ閣下の料理人だ。
2
権力の頂点に至る道筋はいくつもある。
多くの者はそのことを知らず、たったひとつのやり方で上をめざそうとする。すなわち、暴力によって、自分より上の位にあるものを排除するやり方だ。誰もが生まれ落ちたときから「弱肉強食」の四字を胸に刻み、絶え間ない戦乱渦巻くこの魔界にあっては無理もない。
だが、ひとりの男が、異なるアプローチが存在することを見つけだす。
たとえば、料理。
たとえば、ワイン。
あるときは、自分を害そうとする者をもてなすことで懐柔し、あるときは、強き者に取り入って自らにかわり敵を討たせる。
そうやって、食事というものが、盾にも矛にもなることを知った。
決してあわてることなく、権力の梯子段を一歩一歩、いや、ひとつかみずつ這い上がっていったその男は今、魔界72柱の中位に達し、さらに上をめざそうとしている。
彼、魔王ハーゲンティが、食卓という名の戦場で手にする、切れ味鋭いひとふりの武器。それがぼくだ。
今宵、斬るか斬られるか。すべては料理の出来次第——。
3
「料理勝負…でございますか?」
魔王閣下の突然の申し渡しに、ぼくはしばし言葉を失った。
「美食家同盟のことは知っているだろう?」
それは美食倶楽部のようなものでございますか?、とは口に出せず、ぼくはあいまいに笑ってみせた。
「もちろん存じておりますとも」
「カエサル、カリギュラ、ネロ、コンモドゥス。かつてローマ帝国で『暴君』の名をほしいままにするとともに、美食の粋を凝らした4皇帝が作り上げた一種のサロンだな」
ぼくは、その説明に内心でほっとため息をついた。美食倶楽部を連想したのも、あながち間違いではなかったようだ。
「食べるために吐き、吐くために食べる」
これは、全世界の富をかき集め、贅のかぎりを尽くしたローマ貴族らの美食にかけるすさまじい情熱を表した言葉だ。
一日三食、一食に二、三時間を費やした彼らは、満腹になると鳥の羽を喉に突っ込んで食べたものを吐き出しては、何事もなかったように新しい料理をふたたび詰め込んだという。
魔界随一の美食家との風評を得つつあるハーゲンティ閣下のお抱え料理人であるぼくから見ても、そうしたローマ貴族らの蕩尽ぶりには、開いた口がふさがらないと感じてしまう。少なくとも長生きはできない生き方だ。
そんなローマ帝国の奢侈をそっくりこの魔界に再現しようというのが、人間の器には到底おさまりきらない所業のせいで、死後に魔界に転生した4人のローマ皇帝からなる美食家同盟の目的なのだった。
「どうやら、成り上がりのわたしのことが気に入らないらしい。料理勝負にかこつけて、ここらでひねりつぶしてやろう、というわけだ」
口もとに人のよさそうな笑いをたたえた魔王閣下の目は、だが、いささかも笑ってはいない。
天を衝くほどのプライドを持ち合わせているはずの皇帝らにはふさわしくないことに、この料理勝負は形式的には、「近時、魔界のうわさを席巻している魔王ハーゲンティお抱えの料理人の胸を借りる」ということになったらしい。
「4皇帝自慢の各々の料理人が、オードブルからデザートまで一皿ずつ、合計4皿の料理を出すことで、お前と競いたいそうだ」
なるほど。こちらとしては、いつもどおり、4皇帝と魔王閣下を合わせた5人分のコース料理を用意するだけで足りるわけか。メニューは何がいいだろう……。
思索の輪の中に入りかけたとき、魔王閣下がなにげなくつけ加えた一言が、勝負の開始を告げる銅鑼をたたいたときのように、ぼくを震撼させた。
「挑戦者という立場上、料理はすべて向こうが後から出すそうだ」
魔王閣下、料理勝負においてそれは……
「どうした?」
魔王閣下の怪訝そうな声に、ぼくは言葉を飲み込んだ。
「いえ……」
魔王閣下はご存知ないようだ。料理勝負においては、後出しが絶対の鉄則だということを。先に料理を出すのは——
そう、いわゆる「負けフラグ」というやつだ。
4
一月後。
料理勝負の舞台となったのは、ネロ陛下の居城である黄金宮殿だった。5人の魔王を迎えるにふさわしい壮麗さが、そこが選ばれた何よりの理由だが、ぼくの有利を避けるため、少なくとも美食家同盟の誰かの居城にしたいという思惑はあっただろう。
当時の人間界において、全世界の覇者と呼べる地位を得、現在この魔界でも、魔王閣下より高い地位を占めている4人の皇帝が食卓に並んでいる姿は、壮観の一言だった。
尊大なカエサル。
狂熱的なネロ。
偏執的なカリギュラ。
蛮勇あふれるコンモドゥス。
4人のうち、3人が暗殺されており、最後のひとりも、皇帝の地位を剥奪され追い詰められて自殺していることを考えると、ローマ皇帝というのは、いやはや大変な職業なのだと思わざるをえない。ぼくなら、匙加減ひとつ間違えれば首をはねられかねないとしても、しがない料理人の方がいい。
勝負開始の前に、ぼくと各皇帝お抱えの料理人4人が並ばされ、挨拶することになった。どの料理人も、ひとくせもふたくせもありそうな者ばかりだ。
たとえそれが名目上のものにすぎないとしても、今夜はぼくが胸を貸す立場ということになっている。
「今日の晩餐には」ぼくは、せいぜい自信たっぷりに聞こえるように言った。「羽根が何本あっても足りないでしょう」
カエサル陛下の名言にならうなら、賽は投げられたのだ。
5
まずは、食前酒。
4人のローマ皇帝と魔王閣下のグラスに、アペロールを注いで回った。
アペロールは、イタリア語で食前酒を意味する「アペリティーヴォ」にその名を由来する、パヴィア産のリキュールだ。まさに食前酒にふさわしい銘柄だ。
「このパヴィアは、カエサル陛下がガリアを征服した時代には、ガリア・キサルピナと呼ばれておりました」
「知っている」
戦勝時の興奮を思い出したせいか、それとも単にアルコールのせいか、カエサル陛下の禿頭がやや赤らんだように見えた。
次に、オードブル。
ぼくが用意したのは、ロメインレタスの上にドレッシングをかけ、削りおろしたパルメザンチーズとクルトンをトッピングしたサラダだった。
その名は——
「シーザーサラダでございます」
カエサル陛下は、ややむっりしながら、シーザーサラダを口に運んだ。
「言っておくが、このサラダが余の好物だという話。あれはウソだ」
「存じております」
「ついでに言うと、余は帝王切開で生まれたわけでもない」
「それも存じております」
「イタリア料理でもなければ、余と関係があるわけでもない。何の変哲もないサラダだ。料理人、なぜこれをオードブルに選んだ?」
「それは……」
「それは?」
「洒落でございます」
魔王閣下のひやりとした視線が、ぼくを素早く撫でるのを感じる。
火の輪くぐりか、綱わたりか。料理人ではなく、サーカスの芸人にでもなった気分だった。
これで、カエサル陛下が怒り狂ってさらに真っ赤になるか、額に青筋が浮き出るかすれば、ぼくは初手から失敗したことになる。黒焦げになるか、真っ逆様になるかだ。
ぼくは、カエサル陛下の禿頭を信号をうかがうようにじっと見守った。
カエサル陛下は、赤にも青にもならないかわりに、げらげらと大声で笑い出した。
「なるほど洒落か。面白いな」
カエサル陛下は、「ハゲの女たらし」という悪口を、どこ吹く風と相手の言うがままにさせておいた人物だ。さすがに度量が広い。
カエサル陛下が著した『ガリア戦記』のように、フルコースとは、起伏のある一編のストーリーだ。序章に、食前酒とサラダを置いた理由は、この後の料理によって明らかになるはずだった。
一方、カエサル陛下お抱えの料理人が出してきたのは、キノコのラザニアだった。
シーザーサラダと同様に、平凡と言ってよい一品だが、この場でそれを出してくるところに確かな実力が感じられた。リコッタに、モッツァレラに、パルメザン……、複数のチーズを混ぜ合わせた複雑な香りがただよってくる。チーズだけでなく、キノコも何種類も使っているようだった。
6
そして、スープ。
「大した度胸だな、料理人」
スープを入れた寸胴鍋を運んできたぼくに、テーブルの端に座ったカリギュラ陛下が、ややかすれ気味の声をかけてきた。
「一歩間違えれば、こけにされたと、今頃は料理のかわりにお前の首がこのテーブルの上に載っておるぞ」
そう言って、カリギュラ陛下は、カエサル陛下のことをあごで指してみせた。
ぼくは、唇の前で人差し指を立て、いたずらっぽく笑った。
「見るな、と言われれば、見たくなる。やるな、と言われれば、やりたくなる。そういうものではありませんか」
「その心持ちにはおぼえがあるな」
近親相姦に虐殺、国庫を揺るがすほどの浪費と、世にタブーとされる数々の悪業を犯したカリギュラ陛下は、共犯者めいた笑いを見せた。
やってはならないことを、ついしでかしてしまう。そんな人間の天邪鬼な心のはたらきのことは、「カリギュラ効果」と呼ばれている……。
寸胴鍋からぼくがよそったスープは、赤みを帯びた鮮やかなオレンジ色をした柿のポタージュだった。
放蕩のあげくに病を得て倒れ、名君から暴君に変貌したと言われるカリギュラ陛下は、今も病的な雰囲気をまとわりつかせていた。
その痩せこけた体には、滋養の高いポタージュが利くのではと思っての選択だが、さて、どうなるだろうか。
「柿とは珍しいな」
「季節に合わせて旬のものがよいかと」
スプーンですくってポタージュを一口。その表情は、カリギュラ陛下のトレードマークたる熱狂とも耽溺ともほど遠いものだった。
「ふむ。まあ、悪くはないかな」
カリギュラ陛下お抱えの料理人がぼくのスープを見る目には、柿などとは貧相な、と言わんばかりの確かな侮りが感じられた。
彼が出してきたのは、アクアパッツア。渡り蟹を、トマトとオリーブオイル、それに白ワインで煮込んだ贅沢なスープだ。確かに、単体では、柿のポタージュとは比べ物にならないだろう。
ぼくのスープのときとは打って変わって、アクアパッツアを一心に口に運ぶカリギュラ陛下の表情に、相手の料理人が、してやったりと微笑むのが見えた。
7
いよいよ、メインディッシュだ。
巨大な骨つきの肉の塊を、客に見えるように激しく燃えさかる火で焼く。料理を出す直前のぼくの演出に、ネロ陛下の乾ききった目が、つかのま、ギラリとした熱を帯びた。
西暦64年に起きたローマ大火は、7日間燃え続け、人口100万を超えていた当時のローマの3分の2を焼き尽くした。
ネロ陛下は、それを見物しながら、崩れ去るローマを伝説上の都市トロイアになぞらえ、トロイアの陥落を伝える叙事詩を吟じたという。一説によれば、大火後に建設された黄金宮殿をはじめとするローマ再編のため、火をつけたのはネロ陛下自身であるとも言われている。
「あれはいい目の保養になった」
ぼくはちらりと、数か月前に見た、信長公による凄絶な焼き討ちのことを思い出した。確かにあれはとても綺麗だった……。
「だが、目的はそれだけではない」
ネロ陛下は、にやりと笑った。
「鶏も豚も牛も人も、丸焼けになったのをその場で喰らうのは極上の愉悦であった。目も舌も大いに楽しませてくれたものよ」
うっとりとネロ陛下は言葉を続けた。
「またあのような大火を目にしたいものだ」
「そんなスケールの大きいバーベキューには、豪快さで劣るかもしれませんが」
前置きしてぼくが出したメインディッシュは、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ。
極太の骨についた肉を自らナイフで切り取って食べる、見た目だけでなく食べ方も豪快なフィレンツェ風Tボーンステーキだ。
肉をむさぼるネロ陛下の目の中では、かつての大火の残り火が今もちらちらと燃えているようだった。
一方、ネロ陛下お抱えの料理人が出してきたのは、若鶏のディアボロ風グリルだった。
「ディアボロ……、“悪魔”か」
自嘲とも取れる響きでネロ陛下がつぶやく。聖書に出てくる悪魔の数字《666》が、ネロ陛下の名を暗号化したものだということを知っているのだろう。
名前のとおり、若鶏を切り開いた形は、マントを広げた悪魔の姿によく似ていた。ピリリと辛い唐辛子を使ったソースも地獄の業火のように舌を焼く。その辛さを中和するために、この料理人は、つけあわせに栗を使っていた。なかなかのアイディアだ。
8
最後は、デザート。
こちらが用意したのは、アフォガート。
イタリア語で「溺れた」を意味するその名のとおり、ジェラートが断末魔のうめきを上げそうなくらい、リキュールをたっぷりとかけてやる。
ギリシア神話に出てくるヘラクレスの化身と自称し、狼の毛皮を身にまとったコンモドゥス陛下が、銀のスプーンを手に取って、小さなグラスと向かい合うさまには、何やらほほえましいものが感じられた。
溺れかけたジェラートをスプーンですくい、リキュールごと口に含んだコンモドゥス陛下は、皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「これは、余が毒殺されたときに飲んだワインよりずっと美味いな」
一方、コンモドゥス陛下お抱えの料理人が出してきたのは、ザバイオーネだった。
焼きフルーツに、カスタードクリームをかけたデザートだ。火を通すことで、ひときわ香ばしい匂いを放つフルーツは、いずれも南国産のバナナと「果物の王様」ドリアンだ。
9
デザートまで食べ終えた後は、いよいよ審査が行われ、勝敗が決することになる。
そのはずだった。
デザートを出してから数分後、まず、カリギュラ陛下が昏倒した。次に、鳥の羽根を使ってもいないのに、ネロ陛下が嘔吐した。コンモドゥス陛下が立ちくらみがすると言ってテーブルの上に突っ伏し、カエサル陛下と魔王閣下が顔色を悪くして、せわしなくグラスの水を口に運んだ。
「これは……」
あわてて駆けつけたネロ陛下の侍医が、おそらく美食が趣味の主人をおもんばかってのことだろう、おそるおそるという感じで口にした診察結果は——
「どうやら食べ合わせが悪かったようです」
「食べ合わせ」。
それは、避けた方がよいとされる料理の組み合わせのことだ。いっしょに食べると消化不良を起こしやすかったり、いっしょに食べるにはどちらもあまりに贅沢すぎることなどが、その理由となる。
そして、単に縁起が悪いというにとどまらず、確実に食べた者の健康を害するような食べ合わせも存在する。
相性が抜群なワインと料理の組み合わせのことを、フランスでは「マリアージュ」——“結婚”と呼ぶ。
だが、こうした食べ合わせはまさに「ディヴォース」——“離婚”だ。それも致命的な。そんな相性の悪い料理同士の不幸な組み合わせは、文字どおり、食べた者の“死”によって分かたれるのだ。
食前酒と、オードブルのキノコのラザニア。
ラザニアの中の数種類のキノコには、ヒトヨタケが混じっていた。
ヒトヨタケが含む成分は、体内のアルデヒド脱水素酵素を阻害し、アルコールの分解を不可能にする。その結果として、酒とヒトヨタケをいっしょに食べた者は、中毒症状を呈することになる。
ときに一週間を越える、悪酔いに次ぐ悪酔いの繰り返しだ。人によっては、死に至ることもある。
魚料理の、柿のポタージュと渡り蟹のアクアパッツア。
柿が含む成分は、血液中の鉄分と結びつき、貧血を引き起こすことで体を冷やす。寒性の食材である蟹にも、体を冷やす作用がある。
メインディッシュの、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナと若鶏のディアボロ風グリルのつけあわせの栗。
ぶ厚い牛肉と丸のままの栗は、いずれも消化が悪く、胃に負担をかける。
デザートの、アフォガートとドリアンのザバイオーネ。
アフォガートにかけたリキュールのアルコールと、高カロリーのドリアンの相乗作用は、血液中の血糖値を急激に上げるため、死に至ることがある。
10
もちろん、食べ合わせを利用して料理勝負の参加者を暗殺しようとした嫌疑は、4皇帝お抱えの料理人らにかけられた。
何しろ、こちらの出した料理は、すべて順番が先なのだ。ぼくが出す料理を見て、後から出す料理人が、食べ合わせの悪い料理に出し物を変更した、あるいは追加したと考えるのが自然だろう。
……だが、事実はそうではない。
星の数ほどのレシピを習得した料理人であっても、心底自信が持てる料理というのは案外少ないものだ。負ければ首が飛びかねないくらい大事な勝負ともなればなおさらだ。
コース料理の順番、料理人の得意料理、現在の季節や気候、市場の状態。それらを加味すれば、相手が出してくる料理は、おおよそ見当がつくものだ。
たなごころを指すように、相手の出す料理を推測した後は、さまざまな手練手管を使った。各料理人のなじみの仕入れ先に手を回して、こちらの指定した食材を旬だと言って売り込ませる。知らない間に、相手の食材の中に望みの物を滑り込ませる。十も手を打てば、そのうちのひとつやふたつは成就するものだ。そうすることで、後出しの相手を自在にコントロールする魔法が可能となる。弱者が強者を出し抜くためには、情報の価値は測り知れないほど甚大だ。
弱者?
いいや、とぼくは首を振った。
こと料理という土俵においては、ぼくらはすでに弱者とはほど遠い。4匹のアリを、1頭のゾウが踏みつぶした。ただ、それだけの話なのかもしれなかった。
11
料理勝負の最後を飾るスパイスは、魔王閣下が自らふりかけた。
無関係とされた魔王閣下とぼくが、居城に戻る際に、4皇帝に告げたのだ。
「身内の過ぎた忠義はときに困りものですね。いっそうらやましい、と思わなくもありませんが」
忠義。
魔王閣下のその言葉で、ぼくはローマ時代のある逸話を思い出した。
カエサル陛下ら、ローマ帝国を支配する3人の実力者が、一隻の船に乗り込んでいたときのことだ。船の護衛をしていた軍人に、ひとりの部下がこうささやいた。
彼ら3人を皆殺しにすれば、あなたが世界を手に入れられる、と。
だが、軍人はこう言って、その申し出を断った。
「なぜおれに黙ってやらなかった。お前が勝手にやれば、それは『忠義』だが、おれがやれば『悪事』ということになる」
その話をはじめて聞いたときに感じたのは、同じ行為でも、位が上がると評価が変わるとは、貴族様とはさても難儀な身分だということだった。
欲しいものが、魂を賭けても得たいものがあるならば、誰に後ろ指をさされようとただつかみ取ればよい。そう考えてしまうのは、しょせんはぼくが、生まれも育ちも卑しい人間だからなのだろうか。
美食家同盟お抱えの料理人たちは、魔王閣下の言葉に感化された主人たちに、度の過ぎた忠義者として、その日のうちに処刑されたそうだ。
美食家同盟などと言ったところで、そのメンバー同士は決して一枚岩ではない。心中では、致命的な食べ合わせによってライバルを蹴落とそうとした料理人をほめたたえていたとしても、同盟者としての体面上、部下の勇み足を見過ごすことはできなかったのだ。
つまりは、これが『忠義』の末路というわけだった。
今夜のメニュー
・アペロール
・シーザーサラダ / キノコのラザニア
・柿のポタージュ / 渡り蟹のアクアパッツア
・ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ /
若鶏のディアボロ風グリル(栗をつけあわせに)
・アフォガート / 南国フルーツのザバイオーネ
12
2日後にネロ陛下は死亡し、その翌日、カリギュラ陛下が後を追った。
「さて、残るはひとりか……、それともゼロかな」
魔王閣下がつぶやいたとおり、生き残ったカエサル陛下とコンモドゥス陛下は反目した。美食家同盟の誰かが、食べ合わせの悪い料理を通じてメンバーの暗殺を図ったとするなら、自分以外に生き残ったメンバーを疑わないわけにはいかない。
当人は見られなくなってしまったが、ネロ陛下が待望した「大火」が起ころうとしていた。
人間界ではめったに見られなかったであろう、ふたりのローマ皇帝による戦争が。
……7日間続いたカエサル陛下とコンモドゥス陛下の戦争は、カエサル陛下の勝利で幕を閉じた。
武芸百般に通じ、闘技場で自ら剣闘士や獣を相手取ることもあったコンモドゥス陛下は、個人的な武勇では、「ハゲの女たらし」をはるかに凌駕していただろう。
だが、戦争となれば話は別だ。
「指導者に求められる5つの資質をすべて満たしている」と評された巨人・カエサルとでは、しょせん格が違っていた。こちらとしては、両者の共倒れを期待したのだが、何もかもそううまくはいかないものだ。
美食家同盟の最後の生き残り、カエサル陛下からの新同盟結成の提案を、魔王閣下はやんわりと断ったそうだ。
「そういえば、結局、てんやわんやで料理勝負の決着はつかないままでしたね」
「おかしなことを言うな、ジフラール。もちろんあの勝負はお前の勝ちだったとわたしは思っているよ」
いまだに煙がくすぶる戦場跡を見下ろしながら、魔王閣下は珍しいことにぼくの名を呼んで言った。ひどく上機嫌なその横顔を、ぼくはそっと見つめた。
内容がどうあれ、生き残った者が勝ちなのだ、とその表情は言っていた。
そのとおりだ。料理勝負では後出しが勝つこと以上に、それが、魔界においても人間界においても絶対の鉄則なのだった。
ぼくの名は、ジフラール・クロロフィル。魔界の第32位を占める魔王ハーゲンティ閣下の料理人だ。
ぼくは、『ジョジョ』や『カイジ』といったトリック・ギャンブル系のマンガも好きなんですが、よくできた料理マンガでは、勝った料理にはちゃんと「理」があるので、そこらへんがトリック・ギャンブル系と共通しているのかなと思いました。