初めての外はゲームの世界でした
最近乙女ゲームもの流行っているみたいなので、なんとなく書いてみました。
暇つぶしにどうぞ。
各々がファンクラブ会長のお姉様方をエスコートして会場に現れた。
それを見て少女の目は大きく見開かれる。
彼らはこの御曹司や権力者の子息令嬢が集まるこの学園で、最も権力・財力・知力……そして容姿を兼ね備えた……輝かしい将来を約束されたスーパーエリート。
そんな彼らを攻略し、この一大イベント……交流会でのパートナーになる権利を少女は得ていた。
……はずだった。
交流会の一週間前から男子生徒は各々を示す、花をモチーフにしたアクセサリーを用意する。
それをパートナーにしたい女子生徒に渡し、”売約済み”であることを示すのだ。
もし申し出が重複してしまった場合、選ばれた女子生徒は選んだ男子生徒に貰ったアクセサリーを身につけ会場に赴くのである。
少女が得たアクセサリーの数は、五つ。
深紅の薔薇のついたティアラはびっしりとダイアモンドが敷き詰められている。
純潔を思わせるような白百合の耳飾りからはまるで白百合の流した涙のようなオパールが揺れている。
大きな向日葵のブローチは造花ではなく、琥珀と黒水晶で作られておりまるで太陽の光を浴びて輝くよう。
控えめな鈴蘭のブレスレットは真珠と交互に連なり、上品で優しい仕上がりになっている。
恋心のように淡く色づく桜はピンクダイアモンドで、華奢なネックレスのトップだ。
少女の頭にはティアラがあった。
薔薇のコサージュを身につけ、薔薇の良く似合う金髪碧眼の貴公子の隣に並び、勝者の笑みを浮かべる勝ち気な美女。
白百合のコサージュを身につけ、まさに姫を護らんとする高潔な騎士を思わせる銀髪緑眼の彼の隣に並び、頬を紅く染める愛らしい少女。
向日葵のコサージュを身につけ、いつも兄のような立場で見守ってくれる優しいの大地の色の髪と深緑の瞳の隣に並び、嬉しげにはしゃぐ活発な少女。
鈴蘭のコサージュを身につけ、思わず抱きしめたくなる愛らしい天使のような蜂蜜色の髪と瞳の隣に並び、胸をときめかせる癒し系美女。
桜のコサージュを身につけ、落ち着いた妖しい色気を纏った黒髪紫目の隣に並び、うっとりとしている小悪魔系少女。
それをしばらく呆然と眺めた少女は、踵を返した。
中庭のベンチに座り、歯を食いしばって泣いた。
シルクの手袋の上に、ぽたぽたと涙が落ちるがそれを拭ってくれる優しい手は、もうない。
「……馬鹿みたい」
黒髪黒目で勉強以外に少女が秀でた場所は特にない。
どこにでもいる、普通の女の子。
この学園に憧れて、お姫様になりたくて、必死に勉強して特待生になった。
そういう、設定。
少女はその設定を理解し、必死に勉強し、イベントを熟してきた。
……何の因果か、転生してしまったこの乙女ゲームの世界を攻略する為に。
病気で十六と言う若さで死んでしまった少女は、高校生活を心から楽しんでいた。
高校に通える事が、嬉しかった。
昔から病気を患い、碌に学校に通ったはない。
友達もおらず、毎日病室で過ごしていた。
両親や兄が少女を退屈させない為に漫画やゲームをよく買ってきていた。
その中の一つがこの乙女ゲームの世界だった。
ゲームの中のきらきらとした学園生活は、少女にとって憧れの的で何度もここに通う自分を想像した。
友達が欲しかった。
恋がしてみたかった。
高校に通いたかった。
朝、自分の部屋で目を覚ましたかった。
今、それが叶おうとしていたのに……。
「ふ、ふえぇぇぇぇぇん」
手の甲で目を覆って、大声で泣く。
「おか……さん、おとーさん……おにーちゃ……っ、ひっぅ」
生前の両親と兄を呼び、幼子のように涙を流す。
この世界での主人公は捨て子で、高校進学と共に孤児院を出て一人暮らしを始めている。
実は誘拐された大富豪の娘で……というエンドもあったので家族はどこかにいるのだろうが、今、少女は一人だった。
ベンチの上で膝を抱え、その膝に顏を埋めて泣き続けた。
「……どうした?」
「……!」
びくっと肩を揺らす。
のろのろと顏を上げると、そこにはゲームの中でも見た事のない人が心配そうに少女を見下ろしていた。
+++
「……なんだと?」
「嘘を吐くな、彼女がそんなことをする分けないだろう」
「……本気で言っている?」
「そ、そんな……僕だって」
「これは……さすがに許せませんね」
お互いを恋敵と認識している五人は、怒りを露にし瞳に物騒な光をちらつかせる。
クリストファー・K・ラザフォード。
金髪碧眼の彼は目つきが氷のように冷たく、性格もかなりキツい。
他人に厳しく、自身にはさらに厳しい。
多くを語らず、一人を好む。
いつも読書をしており、大抵の人間を無視するか一瞥する。
その冷たい態度から”氷のプリンス”と呼ばれ数多の人間を魅了している。
別称はあながち間違いではなく、彼はとある国の王位継承権を所持しており命を狙われているのだ。
どの兄弟よりも優秀で邪魔な第二王子。
幼い頃から周りは敵だらけで、父王が留学を名目にクリストファーを逃がしたのだ。
他人を決して信じず、心臓は氷で覆われている。
それぞれ立場は違えども、類は友を呼ぶとでも言うべきかこの学園のトップである残りの四人だけにはある程度心を許していた。
「……お前を見ていると俺が馬鹿のようではないか」
「え? ……あの、クリス様?」
クリストファーを愛称で呼ぶ少女。
この学園に入学してきた新入生。
トップ五人しか入る事を許可されていない薔薇園に迷い込んだちんちくりん。
当たり前のことを、まるで特別な事のように語る少女を……当たり前の景色を美しいと涙する少女の存在が、クリスにとっては不可解だった。
些細な事で心底喜び、幸せを噛み締める少女をクリスは羨ましいと思った。
クリス達と共にいる事で嫌がらせを受けていたときも、少女は楽しげで。
悩みなんてなさそうな能天気ぶりに、何度も呆れた笑いが漏れた。
その度に「クリスが笑った!」と指を指してくる他の四人に冷ややかな一瞥をやったものだ。
「お前といると、悩んでいるのが馬鹿らしくなる」
「??」
首を傾げる少女に、また笑いが漏れる。
少女は首を傾げて唸るばかりだ。
「お前といると……おもしろい」
「え、と?」
小動物のように小さくちょろちょろと動き回る少女を壁と腕で閉じ込めて、見下ろす。
こんなにも至近距離で見つめていると言うのに少女は頬を染めるどころか、動揺すらしていない。
くっとまた笑いが漏れた。
このクリストファー・K・ラザフォードが迫っていると言うのに、目を逸らす事も無く何をするんだろうと興味津々に見上げてくる。
大きく目を見開く少女の唇を奪い、クリスは芽生えた気持ちに気づいた。
「……俺のものにならないか?」
カイル・璃皇・J・アッシュベリー。
日本人と英国人のハーフだが、銀髪緑眼と日本の血は薄いと言えるだろう。
アッシュベリー家は英国の伯爵家。
歴史ある王侯貴族の一員で、気品溢れている。
馬術や弓、剣などの武術を嗜み、王子であるクリスの一歩後に付き従う様はまるで王子を護る騎士。
情に厚く、庇護欲が強い。
「危ないだろう」
「ご、ごめんなさい。カイル様」
上を見て歩く少女はよく躓く。
何も見逃したくはないとばかりに只管前だけを向く少女。
小さな身体を受け止めた際、見られたいくつもの生傷に眉を潜めずにはいられない。
権力者の自分たちに取り入ろうとする者はいくらでもいる。
五人全員の総意で少女には手を貸さないと決めているが、カイルにはそろそろ限界だった。
小さくか弱い女性が傷つくのを見て見ぬ振りをする事など。
「……すまない」
「カイル様が謝る事など、何一つありませんよ?」
頬を撫で謝罪すれば、少女は輝く笑顔をカイルに向けた。
絶望してもおかしくない状態で、笑顔を保つ事は難しい。
「強いんだな……でも」
「え……ん?」
切れた唇の端に触れるだけのキスをする。
そして跪き、手の甲に唇を落とした。
もう我慢できない。
見過ごせはしない。
「……護らせてくれ」
皇大地。
直系ではないが天皇家の血筋をひいており、止ん事無い生まれである彼はチョコレートブラウンの髪に深緑の瞳をしている。
優しく細められた目はたれ目で、大地の顏をより柔和にしており、見た目通りとても穏やかで優しいお兄さんだ。
実際弟妹がたくさんいるので自然と年下の女の子には甘くなってしまう。
「これ、おいしいよ? あーん」
「あーん」
口元にスコーンを差し出せば素直に口を開ける少女。
ひな鳥に餌付けをしているようでとても楽しい。
もぐもぐとほっぺたを膨らませて百面相をする少女を見て、きっと見た目よりも中身が余り育っていないんだろうな、と思う。
その証拠に、行動が今年六歳になる姪っ子にそっくりだ。
もう一口、と少女が大地の袖を引く。
「はいはい、ほら……あーん」
「あー……む……むぅ?」
余りにも大きな口を開けるものだから、少女は大地の指先も噛んでしまい、大地の長く細い指先に歯形がついている。
ごめんなさいと青くなって謝る少女を見て、ただの食意地だと分かる。
……歯型をつけられたのは初めてだ。
意識して歯形のついた指先を口に含み舐め上げるが、少女はきょとんとしてまた青ざめ「い、痛いですか?」とおろおろしだした。
ここは真っ赤になって間接キスを意識するところなんだけどなぁ……と内心で思い、弾けるように笑う。
「はは! あーもー、可愛いなぁ」
「ふぇ!? だ、大地様!?」
弟妹にするようにちゅっちゅっと顔中にキスを降らせる。
おでこに、瞼に、目尻に、鼻に、頬に、そして……唇に。
「可愛い」
エイベル・颯太・ビートン。
少女と唯一同級生の愛くるしい天使のような小さな顏は瞳と同じ色の蜂蜜色の髪が覆っている。
一瞬女の子に見えるほど可愛らしい。
最近成長期なのか身長が伸びている颯太だが、それを嘆いた周りのファン達は毎日伸びないようにお祈りしているとかいないとか。
世界的に有名な映画監督とハリウッドスターの間に産まれた芸能界のサラブレッドである。
小さい頃から子役として売れ続け、今では両親に負けるに劣らない自身の財産がある。
天然で少しぼぉっとしている、身長に悩むお年頃の少年である。
「ね、僕の事、好き?」
「颯太君のこと? 好きですよ?」
小さな少女より少しだけ高い目線にいる颯太は少女と一緒に首を傾げた。
なんだかいつもの女の子と反応が違うと首を傾げ続ける。
そんな颯太をみて少女はさらに傾いた。
「……僕だけを、好き?」
「え?」
どうしてそんな事を聞くのだろう、と少女はまた首を捻った。
そして笑顔で「たくさんいるのでわかりません」と言う。
むっとして、胸に手を当てて首を傾げる。
むってなんだろう。
いつの間にか詰め寄っていたらしく、少女の顏が目の前だ。
じっと桜色の唇を見て、何となく、重ねた。
「ああ、そっか」
「ふ!? え!? あ!?」
真っ赤になる少女をみて、颯太は花が咲くような笑顔で少女を抱きしめた。
「僕が、君を好きなんだ」
神宮寺伊織。
黒い髪はまっすぐで腰まで伸ばされており、目の下には泣きぼくろ。妖しく光る紫の瞳が何とも妖しく色気が漂う。
香道の家元で、花に群がる蝶のように、その不思議な香りに誘われて女性が集まってくる。
扇子で隠した口元はいつもニヒルな笑みを張り付かせており、人を見下す傾向にある。
年上の女性を好み、後腐れない男女関係を幾度と無く繰り返していた。
「お馬鹿ですねぇ……品がない」
「いたっ! いたっ!」
べしっ、べしっと額を扇子で叩けば少女は口を尖らせて唸った後、ふへっと顏をほころばせた。
口元を扇子で隠したまま、片方の眉を器用に持ち上げ小さな少女を見下ろす。
教えてほしい、と言うから香道から茶道、舞道、華道を順番に週二回教えてやっている。
この学園でここまで庶民なのも珍しく、品が無く浮きまくっていたので許せなかったのが理由だ。
美しくないものは許せない。
芸能のことになるとどうしても厳しくなる伊織の指導に文句も言わないどころか、怒られても叩かれても楽しげである。
新しい事を教える度に「すごい」と目を輝かせ、「楽しい」と笑う。
怒られても、怒られる事すら嬉しいのか「ごめんなさい!」と元気溌剌で伊織は扇子で口元を隠す回数が増えた。
「……何を笑っているんです。私は怒っているんですよ」
「ごめんなさい、伊織様。もっと頑張ります」
へにゃ、と締まりのない顏で笑う少女を見て、また扇子で口元を隠し顏を背ける。
そんな伊織を変に思ったのか少女は香炉を持ったまま立ち上がり、伊織を下から覗き込む。
不機嫌に「見るな」と言えばびっくりしたのか香炉を落として割ってしまった。
扇子をばっと広げにやりと笑う。
「おやおや……割ってしまいましたねぇ」
「……あう……ごめんなさい」
しゅんとする少女に迫ると、少女は小さい身体をさらに小さくし、萎れるような声で謝っている。
ぱちんと閉じた扇子の先で少女の顎をくいと持ち上げ、艶かしく見えるように笑うが少女はぷるぷると震え、自分から前髪を分け、額を露にする。
……どうぞ叩いてください、とでも言うように。
ますますつり上がる口角はもう押さえる事は出来ない。
兎を食らう、狼のように、少女の熟れた唇を貪る。
「お仕置きが必要なようですね……?」
と、言うように五人全員が少女とキスをした事が問題だった。
お互いの牽制の為に言ったつもりが全員が同じだけ進展してしまっていたことに、少女の無防備さと無垢さに腹が立って。
渡したはずのアクセサリーがつけられておらずやはりここにいる五人全員が渡しているとの事。
交流会を前に、五人全員がやるせない気持ちを燻らせていた。
もし、この中の誰かが選ばれて少女が誰かのアクセサリーを身につけていたとしても……一同は己の出生から、今までの経験から、自分たちが少女に弄ばれているのではないかと言う疑惑を拭いきれないでいた。
あの馬鹿にそんな真似が出来るはずない。
信じたい。
そう思うが、自身の気持ちのまま他人を信用する事は彼らに取って一番難しいことでもあった。
彼らは自分の行動が周囲に多大な影響を及ぼす事を自覚している。
それは親族や近しい者たちにも危害が及ぶかもしれない危険を孕んでいるのだ。
だから、彼らは少し少女を試すつもりだった。
お仕置きもかねて。
俺たちを、信じさせてくれ。
そう、願いを込めて。
各々の自称ファンクラブの会長を集め、交流会のパートナーを頼む。
交流会は英国にある姉妹校と行われる、学園きっての一大イベントでパートナーは必要不可欠。
自称ファンクラブの会長達は、この五人には劣るもののきちんとした良家の子女ばかりで自身の立場を弁える事が出来るだけの良識がある。
深い意味はない、ただパートナーとして交流会に参加してくれないだろうかと誘えば彼女達は一も二もなく頷いた。
……さぁ、これが吉と出るか凶と出るか。
もし彼らの地位や容姿に引かれただけの……彼らの力を利用しようとするものならば、何か行動を起こすはずである。
彼らは隣に居て欲しかった少女とは別のパートナーと会場に赴いた。
そこで、彼らは目にする。
精一杯背伸びをしたのだろう。
初めて着たであろうドレスは少女には似合っておらず、ドレスが浮いてしまっている。
自分たちのタキシードに合わせて少女のドレスを作らせていた。
こっそりと抜け駆けのつもりで全員がドレスを少女に送っていたはずだが、少女はそのどれも身につけておらず、自身で選んだセンスのない桃色のドレスを身にまとっている。
クリスが渡したティアラは輝きを失い、まるでイミテーションのよう。
それでもクリスは自分のアクセサリーが少女の頭を飾っている事に驚喜した。
他の面々は胸が抉られるような思いで少女をただ見つめた。
少女が目を見開く。
呆然とした少女に五人全員が息を止め、出方を待った。
「まぁ……なんですの、あの格好」
「あれは、さすがにちょっと……」
「う〜ん、我が校の品位にも関わるからなぁ」
「庇いきれませんわ」
「……くすくす」
隣の女の囁きに凍てついた一瞥をくれるクリス。
侮蔑を含んだ声音にぎりっと拳を握るカイル。
苦笑しながら言う女の子を笑顔で黙らせる大地。
呆れた声にむっと不機嫌さを滲みだす颯太。
冷笑に感情のない目で見下す伊織。
……目を離した、一瞬だった。
少女が居ない。
直ぐに目線で探すが姉妹校の学生が次々と挨拶にきてそれどころではなくなった。
少女は、薔薇園に来なくなった。
颯太が言うには教室にもいないらしい。
教師に聞けば休みだと言う。
独自の情報網を使っても、少女は見つからなかった。
焦った。
今まで自分の思い通りにならなかった事などない。
自分たちが、少女を信じきれなかったから……?
どんなに悔やんでも時間は戻らない。
ただ只管、彼らは探し続ける。
しかし、見つかったのは交流会からひと月立ってからだった。
いや……見つかったのではない、少女から薔薇園にやってきたのだ。
+++
全員が顔をしかめた。
少女はこの一ヶ月でとても……美しくなっていた。
明らかに誰かの手によるものだ。
誰かが、少女の髪を整え、誰かが少女の髪を結う。
ふっくらとしていた頬はフェイシャルでもしたのかすっきりとしており、肌も以前より透明感がある。
爪だって綺麗に整えられ、コーティングされ、まるで桜貝。
うっすらと化粧までされており、幼さしか見られなかった少女の羽化でも見ているようだ。
少し、大人びた少女の顏。
久しぶりに見た笑顔は、今までよりも輝いて見えた。
「お久しぶりです」
すっとお辞儀をする少女の角度は完璧で、礼儀作法まで教えられていることにちっと誰かが舌打ちをした。
「それと……」
「「「「「……」」」」」
白いテーブルに並べられた、アクセサリー。
ティアラをクリスの前に。
耳飾りをカイルの前に。
ブローチを大地の前に。
ブレスレットを颯太の前に。
ネックレスを伊織の前に。
「ごめんなさい」
「「「「「……」」」」」
顏が上げられない。
目の前の花を呆然と見つめた。
「……ごめんなさい。あなた達はもう自由です」
「……何を、言っている」
「どうし……」
「自由ってどういうこと……?」
「わかんない。何言ってるの?」
「どういうことです」
解放を意味する言葉に引っかかりを覚え、警戒する者、困惑する者。
少女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「いえ、違います。あなた達は初めから自由だった。私が私の知っていた世界を押し付けていた。……私、あなた達と居ないと駄目なんだと思っていました。誰か一人を決めないとこの世界には居られないんだと思っていました」
何を言っているかわからない。
皆真剣に少女の声に耳を傾け、先を促す。
「……あなた達が、交流会で別の女性と居るのを見て、愕然としました」
「なら……」
どうして居なくなったの、と誰かが言う前に少女は晴れやかな顏で言ったのだ。
「私でなくても、いいんだって思い知りました」
「……なにを」
「え……?」
「ちょっと、まって」
「ちがっ!」
「……で?」
理解できずに眉を潜める者。焦る者。怒気を表す者。
少女は優しく笑む。
「私、決められた運命を生きてきました。ここに来てもそう。決められた未来に向かって歩んできました。でも、交流会の一週間前から、私の知っている未来ではなくなったんです。……全員からパートナーの権利を頂けるなんて、思っても見ませんでした」
少女は胸の前で手を握りしめ、続ける。
「誰か決めないと、そう思って、焦って、一番始めに私に花をくれたクリス様のティアラをつけました」
「っ」
クリスの顏が引きつる。
「……でも、交流会にいくと、誰も私なんか待っていなくて。私が思い描いていた未来とは別の未来が広がっていました」
「それはっ……」
「誤解なんだ!」
口を挟むカイルと大地の言葉にきょとんとして、少女はにっこりと笑う。
「あなた達も、誰かと恋をする事に気づきました。……そして同時に、私もあなた達ではない、別の誰かでも構わないのだと言う事がわかりました」
微笑んでいた少女の瞳から涙が溢れた。
「ここは、紛れもない現実だったことに、気づかせてくれて……ありがとうございました」
少女が、何故泣いているのか、わからない。
「そして、私の世界を押し付けてしまって……本当にごめんなさい」
頭を下げた少女からぽたぽたと涙が零れ、薔薇園の床を濡らす。
「それでもっ……私は、あなた達に会えて……初めての学生生活が、楽しくて、浮かれてっ……何もかもが綺麗で……輝いてて……”外”を見るのに精一杯で、自分がなんでこの世界に生まれたかなんて、考えようともしなかった」
少女の心の叫びに、胸が締め付けられる。
全ては理解できないが、少女が言わんとしていることが頭をよぎり声も出ない。
別れを切り出そうとしている……?
「少し考えれば、少し周りを見れば分かる事だったのに、それをしなかったのは私の怠惰です。この世界はゲームでも何でもない。私が産まれた、新しい世界なんだって」
ぐっと少女が顏を上げる。
「私は、私の。──香月美琴としての新しい道を歩いてもいいんだって」
少女──美琴の顏は涙でぐしゃぐしゃで、それでも綺麗だと思った。
「あなた達と、あの方が教えてくれた」
「あの方……?」
誰かが問いかけるがその答えは、美琴のすぐ後まで来ていた。
美琴の涙を隠すように大きな手で美琴の目を覆う優しい手。
「……私のお姫様を泣かせるなんて、ませた子供達だな」
五人はこの男を知っていた。
「クロード・バーキン……」
誰かが呆然と口にする。
名前を呼ばれたクロードは嗜めるように言った。
「こら、年長者を呼び捨てにするものではないよ。……きちんと理事長と呼びなさい」
大人の余裕を滲ませた、姉妹校の理事長が美琴の耳を塞いだ。
+++
凄く勉強熱心で、好奇心旺盛で一生懸命な可愛い女の子がいる、と日本の姉妹校から自慢話を聞いて理事長として興味を持った。
問題のある生徒だとも耳にしていた。
女の子の名前は香月美琴。
上流階級でも富豪の娘でもなく、ただの一般庶民らしく案の定ひどい虐めをうけているそうだ。
しかし、その虐めすら楽しむ奇妙な女の子らしい。
初めての特待生なので、交流会で美琴に会えるのを楽しみにしていた。
交流会で一人だけ明らかに浮いている女の子がいた。
直ぐに例の特待生だろうと分かった。
会場に入ってきた瞬間、呆然と立ち尽くしたかと思うと、踵を返して行ってしまったので、周りに群がる生徒を上手く交わして美琴を探した。
中庭のベンチで膝を抱えて泣く女の子。
しばらく木の陰に隠れて様子を見たが、「ふぇぇぇ」と大きな声で泣きながら両親や兄弟を呼ぶ姿に、ぷっと笑ってしまった。
なんとも素直で幼い泣き方である。
「……どうした?」
「……!」
声をかけると、膝に顏を埋めたまま美琴は飛び上がり震えた。
そしてのろのろと顏をあげる。
「ぷ……ははははは」
「は、ぇ?」
泣きすぎてパンパンにはれた目で見つめてくる女の子の姿に思わず笑ってしまう。
自分で言うのもなんだが、美丈夫なので異性は必ず演技をする。
子供でも女は女だ。
自分が可愛く、美しく見える演技を女の本能でしてしまうのだろう。
しかし、この子は。
こんな可愛くない無防備な顏をした女の子なんて見た事ない。
「あはは……ごめん、君があまりにも気持ちよく泣いていたから、つい。許してくれる?」
「……」
ぽかんと、見上げる美琴の頬を突くと、はっとしてまじまじと観察されてしまう。
「……ねこさん?」
「うーん、君の思考回路がどうなっているのか知りたいね。どうしてそう思ったのかな?」
子供が好奇心にかられておもちゃを掴むように……美琴はクロードの顏に手を伸ばした。
「真っ黒な毛並みに、ビー玉みたいに青くて透き通ったきれいな目」
「君の中で猫は黒くて目が青いのかな?」
こくりと頷く美琴。
「おにーちゃんにもらった絵本の主人公のねこさん」と呟いている。
「それ以外に猫見た事ないの?」
「うん、ない……」
はて、美琴は今十六歳なはず。
十六年生きていて猫を見た事がないなどありえるのだろうか?
「この……」
「ん? ……いいよ、言ってごらん」
小さな子供に接するような気持ちで優しく促す。
「こんな風に、夜風にあたるのも、外で月を見るのも、ドレスを着るのも、学校に通うのも……全部、初めて」
「……」
「綺麗……嬉しい」
「……君は」
いや、素性は全て調べている。
孤児の彼女はこの学園の特待生として奨学金と援助金を貰って一人暮らしを始めるまで、孤児院で奴隷のような生活を続けていた事。
孤児院の親から虐待を受け働いていたと言う。
まるで太陽に当たった事がないように真っ白な肌。
栄養不足な未発達な身体。
戸籍登録されておらず、存在すら認められていなかった女の子。
慈善事業が趣味のこの日本の学園の校長に掬い取られた……可哀想な子。
「……私、可哀想じゃないです。だって、乗り切ればシンデレラになれるって分かってたから」
「……」
美琴の語る夢物語をクロードは黙って聞いた。
前世の記憶、決まったストーリー。
ぽつ、ぽつと語る美琴が途中言葉を切りひたとクロードを見つめた。
「あなたは、シナリオにいなかった人」
「……そうなのかい? でも、私はここに居るよ?」
不思議そうにクロードを見つめて宝物を見つけたように笑った。
「うん、びっくりした。……私も、ここに、居る」
きらきらと輝く美琴の笑顔。
「私の知ってるシナリオ以外のことが、知れる。……また、新しい世界が知れる」
「……」
「嬉しい、嬉しい……どうして、こんなにも楽しいんだろう。どうして、こんなにも、綺麗なんだろう」
「綺麗」と言いながら、”世界”を見つめて涙を流す美琴を心から美しいと思った。
彼女は、まだ子供だ。
家族との触れ合いもない、友達もいない。
人に飢えている。
こんな状態で心が成長できるわけない。
まだ”女”ですらない。
そんな美琴に”恋”は早すぎたのだろう。
戸惑い、流されるばかりで。
見知ったシナリオだろうと、生身に感じるのとはまた違うはずだ。
「……今まで、一人で怖かったな」
「……」
よしよし、と頭を撫でてやるとこてんと肩に凭れ掛かってきた。
愛おしい、と感じる。
まるで娘が出来たようだ。
しばらくして「よし」と一つの決断を下す。
「私が君の後見人になろう。養女に迎えても良いが君にしがらみを与えたくないし……うん、後見人で」
「?」
「君が駄目だと言っても、私はもう決めた」
「え!?」
美琴をお姫様抱っこしてすたすたと歩き始める。
盛大に顏を顰めて。
「……軽すぎる。君内臓ちゃんと詰まってる?」
「ちゃ、ちゃんとあるもん!」
こんな他愛ないやり取りを繰り返し、クロードは美琴を自家用ヘリに放り込んだ。
一ヶ月。
本業をこなしつつ、信頼できる教育者を付け、日本での自宅で美琴を鍛えた。
ちなみに理事長は副業である。
一ヶ月が経とうとしていた頃、食事の作法の最終テストをしていた時の事だ。
美琴がクロードにこんな事を言った。
「……小父さまって、私のあしながおじさんみたい」
「おや? それでは将来美琴は私のお嫁さんだね」
十六歳と三十六歳か……と言えば美琴が真っ赤になった。
養女にしなくて正解だったな、と少し思ったのは内緒である。
金持ちの気まぐれ、と美琴を丸め込み今では一人暮らしの家を引き払わせ、ここに住まわせている。
素直で真っ白な心を持っている美琴は、どんどん色々なことを吸収し、自身の力に変えて行く。
美琴の成長が嬉しくて、可愛くて、愛しくて。
クロードの過保護ぶり……溺愛ぶりは端から見ても苦笑を禁じ得ない。
こんなにも世界を求め、愛している美琴に、自分の与えられる全てを与えてあげたい。
そう、思っていた。
+++
「小父さま?」
耳を塞がれた美琴がクロードを見上げて首を傾げるが、にっこりと笑みだけを返す。
そして、殺気すら滲ませてクロードを睨みつける五人の輝かしい未来が待っている青年を冷めた目で見つめた。
「君たちは子供だな」
さらに怒りを膨らませる五人。
クロードは美琴をくるりと反転させ胸に抱き込みさらに耳を塞ぐ。
これで見えないし、聞こえない。
美琴はクロードの腕に安心して身を任せている。
「……こんな子供に、多くを求めて。大人げないと思わなかったのかい? それとも、君たちにはこの子が”女”に見えたのかい? ……発情期か?」
「っ!」
「何をっ!」
分かりやすく怒気を表す者もいれば、笑顔を張り付かせクロードをずっと見つめる者もいる。
五人の感情をいとも簡単に受け流し、クロードは馬鹿にするように笑った。
「君たちに、美琴はやらないよ。私がこの子の世界を広げ、この子に世界を全て見せてあげるのだから」
「「「「「……っ」」」」」
この男には、それができる。
それだけの実力と権力と富がある。
「僕は美琴ちゃんじゃなきゃ、いやだ」
「美琴は君じゃなくてもいいだろうな」
颯太は顏を顰め、泣くのをこらえた。
「俺は、彼女を……護れる男になりたい」
「護れなかっただろう? 自己保身ばかりで」
カイルが大きく震えた。
「……私は諦めませんよ? それは私のものです」
「Sっ気のある人には絶対あげない」
伊織の身体から真っ黒なオーラが漏れている。
「……俺は、彼女の意思を尊重したい」
「優しいだけじゃ、美琴は護れないし、美琴の為にならない」
大地はクロードの腕の中にいる美琴を悲しげに見つめた。
「……今に、見ていろ」
「そうだね……十年後に出直しておいで」
クリスが燃えるような瞳でクロードを睨んだ。
話は終わりとばかりにクロードは美琴の耳を塞ぐ手をのけ、拘束を緩める。
「小父さま? お話ししたの?」
「あ、そーだったね。まだだよ」
にっこりと笑うクロードからは先ほどの冷たさの欠片も見えない。
美琴が振り返ると、皆燃え盛る炎のような強い瞳をしていた。
初めて見る皆の表情に、美琴は嬉しくなる。
「……その、私、姉妹校に転入する事になりました」
「「「「「!?」」」」」
ざっとクロードを見れば口笛でも拭きそうな風体だ。
「あの、その。今までご迷惑を掛けてしまった私が言うのもなんですが……その、お願いが、あるのですが……」
もじもじとする美琴の口からでた言葉に、五人とも苦虫を噛み潰したような表情になった。
「あの! 私と、友達になってくれませんか!?」
ぷっと吹き出すクロードを睨み舌打ちをするクリス。
困ったように笑うカイル。
手で顏を覆う大地。
泣きそうになる颯太。
扇子で口元を隠し、震える伊織。
そんな六人に視線を彷徨わせ、美琴は皆からの返事を不安げに待ち続けた──。
すいません、読み返すと多々誤字がありました。
天皇→皇
命っ子→姪っ子
割ったしまった→割ってしまった
内蔵→内臓
指摘くださりありがとうございます。