復讐者
突然、レムが笑った。俺はその笑いに底知れぬ恐怖感を感じていた。
手にある拳銃にはまだ、弾は残っている。照準は、ちゃんとレムの頭を狙っている。俺が優勢なはずなのに、恐怖を感じているのは俺の方だった。
対するレムは俺を見て笑っている。何か仕掛けてくる気配はない。だが、笑っていたレムの顔が急に怯えたものになった。
「あ、あれ……僕、生きてる……? ハ、ハロルド……? ど、どうして……?」
「し、白々しい猿真似はやめろと言っている!」
「え……?」
俺が怒鳴ると、そいつはビクッと体を震わせて悲しそうな顔をして俺を見た。俺は直感で悟った。そいつはレムではなくラッドだった。
空気が変わったというべきだろうか。さっきまでのピリピリした空気ではなく、ラッドと一緒にいる時に感じる安心感といえばいいだろうか。そんな空気が今の彼からは感じられた。
「くそっ……!!」
俺は悔しさのあまり唇を噛み締める。奴は、一瞬にして俺の心を読み取り俺の弱点をついてきたのだ。
「ハロルド、どうしたの? 一体何が……」
本当に心配そうな顔をするラッドを見て俺は怒鳴った。
「来るな!」
ラッドは近寄ろうとしていたが、再び体を震わせてその場に立ち止まる。
「お願いだ……ラッド。俺のそばに、来ないでくれ……」
相手がラッドだとわかっていても、俺は拳銃を下ろすことはできなかった。
今日は何時に帰ってくるの? と、ただ、それが聞きたいだけだった。
その日は俺の13歳の誕生日で、いつもは職場にこもりきりの母親が時間を作って帰ってきてくれるという約束だった。
だから朝早くに目が覚めて、いてもたってもいられずに俺は朝から母親の職場に電話をかけた。いつも一緒にいられない母の声を早く聞きたかった。
…………………………………………。
だが、いつまで経っても誰も電話に出ない。無機質な電子音だけがずっとずっと鳴り続ける。
誰もいないのだろうか。
仕方なく、受話器を置こうとしたその時だった。
がちゃり、と相手が受話器を取る音がした。俺は慌てて置こうとしていた受話器を耳に当てる。
「も、もしもし?」
「……………………」
だが、相手は何も喋らない。
「あ、あの……」
「……が……ああ、あがっ……ハ、ハリィ?」
聞こえてきたのは恐ろしい呻き声だった。俺はびっくりして受話器から耳を離すが、最後に聞こえた俺の愛称にハッとして再び受話器を耳に当てる。
「お、お母さん? お母さんなの……?」
俺のことをハリィと呼ぶのは母親しかいなかった。
「……あぐっ……あ、ハ、ハリィ……ごめ、ごめん、ね……お、お母さん……か、帰れ、そうにない、の……ごめ、ん、ね……」
「お母さん!? どうしたの? お母さん!!」
「た、誕生日、お、おめで、とう……」
母は必死の思いでそれだけ言うと、後はどれだけ呼びかけても答えてくれなかった。そして途中でブツンという音がして電話が切れた。
この日、母は死んだ。すぐに父と一緒に母が勤めていた孤児院に行った。孤児院は全焼しており、中にいた職員と子供たちは全員焼け死んだと聞かされた。
母は、電話があった場所の前に倒れていたらしい。おそらく俺が電話をしてきたことに気付いて、焼かれながら必死の思いで受話器を取ったのだろう。
火事は事故と処理された。
それから数年後、孤児院の火災時の消火を手伝ったという男性と話す機会があった。父の仕事の関係で、たまたま定食屋で同席になったのだ。
その男は仕事相手の父の息子である俺のこともよく知っていて、母のこともよく知っていたから話の流れで火事の話になるのは不思議なことではなかった。
「あん時はすごかったねぇ。朝も早かったし。結構大きな建物だったから、火が上がったことに気付いた人たちは多かったよ」
「確か、台所の火元が原因だったと聞きました。中にいた人間は全員焼け死んだとも」
「いや……全員じゃなかったなぁ」
「え?」
「一人だけいたんだよ。あの火が上がった建物から出てきた子供が」
「…………………」
俺は絶句した。初耳の情報だったからだ。誰に聞いても孤児院関係者はあの日全員死んだと言っていたはずだった。
「おじさん、その子供を見たんですか?」
「ああ。確か俺が火事に気付いて駆けつけたとき、ちょうど玄関から出てきたよ。あん時は火を消すことに夢中でそいつの存在を思い出したのは、完全に鎮火した後のことだった。気付いて探し回ったらどこにもいないし、他の奴に聞いてもそんな子供見てないって言うしよ」
「子供……」
「でもあの火事も相当おかしなことだったよ。なんせ火の回りがえらく早くて消火作業がおっつかねーし。こんなとこでする話じゃないが、建物の中に倒れていた遺体はほとんどが炭のように真っ黒になってた。いくらなんでも、ここまで燃えるもんかってね。おかしいって町の警察に言ったんだが、何でかろくに相手してくれなかったし。事故の一点張りだったなぁ」
「その子供って、どんな子だったのか覚えてます?」
「あ、ああ。俺もたまに孤児院には仕事の関係で行くことがあったから見知った顔だったよ。確か名前は――」
そう言うと、おじさんはその子の容姿と名前を教えてくれた。
それから俺は、そのラッドという子を調べるようになった。あの日、一体何があったのか。彼は知ってる。そう思ったからだ。
そして数ヵ月後、俺は自分で稼いだ金で雇った探偵からラッドの資料と写真を手に入れることが出来た。
写真を見て、俺は驚愕した。
「レム……!!」
写真に写っているのは、間違いなくレムだった。
俺は今の父親に引き取られるまで、この町から遠くにある町の施設に預けられていた。その時、一緒に預けられていた子が数人いたがそのうちの一人がレムだ。会ったのは何年も前。まだ小さい頃のことだったが写真を見てはっきりと思い出した。
資料にはラッドについての詳細が書き込まれていた。だが、詳細といっても紙数枚のもので、今は一人暮らしをしているだの、誰からも好かれる好青年であるといった基本的なことしか書かれていなかった。それを見て、最初、俺は他人の空似か双子なんだろうかと思った。写真を見ると、確かに顔はレムなのだが、なんというか、そう。目が全く違うのだ。施設でかつて見たレムの目と写真に写るラッドの目。根本的に違っていた。ラッドがお人よしの好青年の優しい目だとしたら、レムの目はこう、周りに映る者全てを敵として見下すような冷たい目だ。
そういえば、施設の大人たちもレムのことを怖がっていたことを思い出す。
レムが施設から他の施設に突然移されたことがあった。確か理由は、彼の両親が互いに殺しあったことが施設の子供たちにばれてしまい、人殺しの子供としていじめられており、レムがいじめのリーダー格の男の子を半殺しにしたことだったはず。
それを思い出し、俺の脳裏に嫌な想像が浮かび背筋が凍った。
「あの、この写真のそっくりな子でレムという子供に心当たりはありませんか?」
差し出された写真を雇った探偵に見せながら尋ねると、探偵の表情が固まった。そしてすぐに言った。
「お客さん。悪いことは言わない。その名前はすぐに忘れた方がいい」
「……どういうことです?」
「知らないほうが長生きできる。だから俺もできれば話したくない」
「話したくないってことは、知ってるってことですね?」
「ああ。知ってる」
「えらく正直ですね」
「お客さんには嘘をつかないほうがいい、そう思っただけさ。その写真を見てレムって名前が出てくるくらいだ。下手なことを言って話をややこしくするのは避けたいんでね」
「なるほど……」
今の話でレムがどういう人物かわかった気がした。そして目の前の探偵がレムに関わり合いになりたくないということもわかった。レムに関しては別口を当たったほうがいいかもしれない。
「じゃあ、質問を変えます。この町の裏について詳しい知り合いはいませんか?」
「……できれば、子供には教えたくないんだがね」
「おじさんは正直者で助かります」
そう言って。俺は懐から札束の入った封筒を取り出し、探偵に差し出した。
「これは?」
「俺も見習ってみようかと思って。口止め料ですよ。俺がレムについて嗅ぎまわっていることを他言しないでいただきたい」
「………………」
「俺も、あなたも、早死にはしたくないもの同士、よろしくお願いしますね」
俺はにっこりと笑ってそう言うと、探偵から情報屋の存在を聞き出し、彼の事務所を後にした。最後の脅し文句としてはほとんどはったりだったが、保険としては充分だった。
そして少なくない時間をかけて慎重にレムの情報収集を終えた。
やはり、あれはただの火事なんかじゃなかった。
レムはあの日、孤児院の中にいた全ての人間をナイフで刺し殺し、更に念入りに遺体が全て焼けるように細工をしたあと、放火したのだ。
許せなかった。
血はつながっていないが、母は引き取ってくれた父よりも、我が子以上の思いで俺に愛情を注いでくれた。俺だけではない。孤児院で働くようになったのは、捨てられた俺を見て他にもかわいそうな子供たちがたくさんいることを知って、わざわざ勤めていた病院をやめてまで孤児院で働くようになったのだ。そんな優しい母が、俺は大好きだった。
絶対に、許さない。
必ず復讐してやる。必ず。
だがある日、俺の耳に以前依頼した探偵の遺体が海から発見されたという噂が入ってきた。このままでは情報を買った俺も近いうちに狙われるかもしれない。
情報屋から次のレムのターゲットは断罪の館の主だという情報が入ってきたのはそのすぐ後のことだった。チャンスだと思った。舞台としては相応しい。断罪の館で、誰にも裁けなかったお前を、俺が裁く。
俺は念入りにレムの行動をチェックし、先回りをして、断罪の館で奴を待つことにしたのだった。
「ハロルド……ごめんね」
ラッドが、口を開いた。
「何でこんなことになってるかわからないけど。多分、きっとそれは僕のせいなんだ……」
「ラッド。君は……」
「僕、たまに記憶が抜けるときがあるんだ。夢遊病なんじゃないかって言われたけど、僕はきっとそれは違うと思ってる。僕は、僕の知らない間に、周りの人を傷つけている。だから、人から嫌われてるんじゃないかって思ってるんだ。だから、僕が僕であるときは、人のためにいいことをしようって。いいことをして皆に好かれる人間であろうって努力してきた。でも……なんとなく、今の君を見てわかったよ。僕は、きっと、取り返しのつかないことをしたんだって。取り返しのつかないことをして、君を傷つけてるんだって」
そう言うと、ラッドは自分の手にあるナイフを見た。
「この状況を見て、ようやくわかったんだ。僕が、生きていていい人間なんかじゃないって」
そしてラッドはナイフを構える。自分に向かって。
「ラッド……何する気だ……」
「多分、だけど……僕は、君の大事な人も傷つけてしまったんじゃないかな。だから、僕を殺そうとしたんでしょ?」
「それは……」
「だから、自分のけりは、自分でつけるよ」
ラッドは構えたナイフを自分の腹めがけて振り下ろす。
「や、やめろ――!!」
俺はそれを止めようとして慌ててラッドに駆け寄るが
「え……?」
ラッドの持っていたナイフは切っ先を変えて、駆け寄ってきた俺の腹部に深々と刺さった。ごぼっ、と内臓から暖かいものが口の中を満たし、それは口から零れ出た。そして両膝を床に付いて、そのまま倒れこむ。
ああ、やっぱ、そうだよな……と俺は倒れながら思った。そして自分の甘さと覚悟のなさを呪った。
あの時、俺が声なんかかけずに潔く引き金を引いていれば、こんな状況にはなっていなかったはずだ。
レムの行動は早かった。
俺が引き金をひくと同時に瞬時に銃口を押しのけた。いや、奴の行動が早かったからじゃない。俺の中に迷いがあったせいだ。
短時間だがラッドと行動して、彼がどんな人間であるかを知った。いや、もともと知っていた。ラッドという人格がどんなに優しく、人間愛にあふれている人間なのか。レムとは正反対だった。守りたいと思えるような何かを、ラッドという人格は持っていた。
ラッドという人格と会話をして、仲良くなって。俺は彼を殺したくなどないと思うようになってしまった。
殺したい人間と殺したくない人間が目の前にいる。殺したくない。だが、殺さなければ自分が殺される。母の仇を討ちたい。だが、ラッドを死なせたくない。矛盾だらけだった。
俺には、やはり、人を殺す覚悟がなかった。その心の隙を、レムに突かれてしまった。
「……ラ、ラッド……」
自分を刺した男を見上げると、そいつはただただ、冷たい目をしたまま俺を見下ろしていた。
「レ、レム……貴様……」
血を吐きながら俺が睨みつけると、そいつは再び笑った。
「本当に、ラッドは俺にとっていい相棒だよ。俺がここで死なないのは、もしかしたらラッドのおかげなのかもしれないな」
「き、貴様……ふ、ふざけるな……ぐううっ!!」
レムは俺の腹から乱暴にナイフを抜いた。血がどんどん傷口から流れ出していく。
「苦しいか? そうだろうなぁ。痛いと思うぞ。何たって、気絶しない程度に手加減してるからなぁ」
「ぐうううっ……が……がああ、ああああっ……」
「この俺に挑戦してきた敬意を払ってやるよ。すぐ楽にしてやる。でも、最後に一つだけ聞かせてくれ。何で、さっきラッドを助けようとした?」
「………………いだろ?」
「……は? 悪い、もう一度言ってくれ」
俺はレムを睨むと、力を振り絞って叫んだ。
「人を助けるのに、理由なんかいらないだろ!!!」
「………………」
レムがそこで初めて、驚いたような顔をした。
「ラ、ラッドは人だ。お前、のような……ば、化け物、と違ってな……」
そして驚くことに、レムが悲しそうな目をして俺を見た。
「……ああ、そうだな。ラッドは俺とは違うな」
しがし、それは一瞬のことで、すぐにもとの冷たい目に戻る。そして笑った。
「お前の言うとおり、俺はラッドと違ってお前のことが大嫌いだ。良かったな」
レムは持っていたナイフを振り下ろす。
そこに、ぱち、ぱち、ぱち、ぱちと手を叩く音が聞こえてきた。その音に、レムの動きが止まる。そして次の瞬間、レムが俺から素早く離れた。そして今までレムがいたところに何かが飛んできて壁に刺さった。
「お前、いつからいやがった……」
レムが俺の後ろ――部屋の扉の方をにらみつけた。俺は腹をおさえ蹲っており、痛みで振り返ることができないのでそれが誰なのかわからない。だが、今までの余裕の表情だったレムの顔が明らかに変わっていた。
「いやー、実に面白い見世物でしたよ。私、感動してしまいました」
聞き覚えのある声だった。この声は、そうだ……。
俺は痛みを堪えながら、後ろをふりかえる。そこに立っていたのは、今まで行方がわからなくなっていた執事ドルイドだった。
今回はハロルド視点のお話ですね。シーンごとに視点が変わりわかりづらいかと思いますごめんなさい。まだまだ勉強中の身なので何かおかしいところがありましたらご指摘ください。ここまでお付き合いいただき最後まで読んでいただいている方々に厚く御礼申し上げます。まだ続きますのでお付き合いいただければ嬉しいです。ではでは。