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レムという男

遠くで、電話の鳴る音がした。

その音に、ようやく俺はその場から立ち上がる。

窓の外は、いつもどおりのいい天気だった。鳥の鳴き声だったり、町の住人の生活音が微かに聞こえてくる。いつもどおりの、朝だった。

ただ、部屋の、いや、建物の中は静まり返っていた。電話の音以外にする音といえば、俺の足音くらいだろうか。

廊下を出ると、そこらじゅうに障害物が倒れている。

そのまま俺は電話の音を無視して正面玄関に向かった。

「……う……ああっ……がっ……」

俺の背後で、障害物がうめき声を上げて動いた。足を止め、ゆっくりと振り返ってそれを見る。

「……あぁ。おはようございます、先生。いい夢見られましたか?」

「……あ、あなた……ら、ら……ラッド君……どうし、どうして……?」

ラッド、か。

俺はその一言に不快感を覚えて、ゆっくりと蹲る先生の下へと戻った。そして髪を掴み上げる。

「うぐっ……」

「先生、綺麗な顔が台無しじゃないですか。もうちょっと、俺が化粧してあげましょうか?」

自らの血で真っ赤に染まる先生の顔が、俺の右手にあるナイフを見て歪む。

「う、うううううっ……」

ナイフの腹で、ぺちぺちと先生の頬を軽く叩くと、先生は涙を流しながら必死に顔を背ける。

「それから……先生には、前に言ったはずですよ。俺の名前は、ラッドじゃなくて、レムだって」

「なっ……!?」

「でも、それももうどうでもいいですよね? 俺が誰なのか気にする必要はなくなるわけですから。あなたも……みんなも」

俺はナイフを懐にしまうと、懐からマッチを取り出した。

先生の顔色が変わる。マッチと先ほどから充満している匂いで俺が何をしようとしているか気付いたらしい。

「やめて、お願いっ!!」

マッチに火を灯すと、先生に向かって微笑んだ。

「では先生。おやすみなさい。良い夢を」

「やめ……ぎゃああああああああああああっ!!」

瞬時にして、落ちたマッチの火は建物内を這いずり回り、目の前の先生を焼き尽くす。

俺は建物全体に火が回らないうちに、外に出る。

雲ひとつない空。青い空。曇天の空も好きだけど、やっぱり青空が一番清々しい。

俺は玄関先で、空を仰いでひとつ伸びをすると、ゆっくりと歩き始める。

門のところまでさしかかると、火事に気付いた大人たちが集まってきていた。そして出てきた俺に駆け寄る。

「君、大丈夫かい? 他のみんなは?」

俺は駆け寄ってきたおじさんに言った。

「僕は大丈夫だよ。でもみんながまだ中にいるんだ。助けてあげて」

「よし、わかった。君は建物に近づいちゃいけないよ。わかったね?」

「わかった」

おじさんは他の大人たちに声をかけて敷地内へと入っていった。

俺はそれを見届けると、再び歩き出した。行く宛ては、どこにもなかったが、俺は生まれて初めて、自由というものを噛み締めていた。


俺が育った孤児院を出て、貧民街で暮らし始めるようになったのは十三の頃の話だ。といっても貴族街で掏りなんかして、暗殺の仕事を請け負ったりしていたらすぐに金はたまったので、貧民街で暮らしていたのは短い期間だけだ。稼いだ金でアパートを借りて、細々と生活を続けていた。

暗殺の依頼などをこなしていくと、結構裏の世界では知られるようになり、歳を重ねるにつれて依頼は多くなっていった。

そしてそんな生活を始めて三年くらい経ったとき、暗殺など裏稼業の仕事の仲介屋の店である館の噂を聞いた。

「ヴァイオレット邸?」

「ああ。森の中にあるんだ。別名断罪の館。数百年前に、ある魔術師によって建てられた館なんだが、それが曰くつきでね」

俺がいつも世話になっている仲介屋からの情報だった。

「曰くつき、ねぇ……」

「その館には、大富豪の主と数人の使用人だけが暮らしているって話なんだが、その富豪の主っていうのが病弱らしくて、あと数年もすればぽっくり逝くんじゃないかって言われている」

「ふーん」

「噂によると、その館には何億という金が蓄えられているんだとか。特にボディガードとかも雇ってないらしくて、金に飢えたならずものだったり盗賊団にはまさに格好の獲物ってわけよ」

「じゃあ、もう誰かが襲って独り占めしてるんじゃないのか?」

俺が突っ込むと、仲介屋は「とんでもない」と首を横に振った。

「だから曰くつきだって言ってるだろ? 最後まで話は聞けよ」

「へいへい……」

「その噂が流れてから、何人もの人間がその森の中にある館へと向かった。だが、誰一人帰ってくることはなかった」

「あ、そう」

「あ、そう。じゃねーよ。ほんとにお前さんはノリが悪いな、いつもながら」

頭をかきながら睨みつける仲介屋に俺はため息をつく。

「まさか、それが今回の依頼じゃないだろうな?」

「ノリは悪いが察しはいいんだな」

「…………」

仲介屋はその館の外観が描かれた絵と、地図が載った紙を俺に渡した。

「今回の依頼は、ヴァイオレット邸現在当主である、クリス=ヴァイオレットの暗殺だ。どうする? 受けるか?」

俺は渡された紙を一読した。

「ちょっと待て。顔もわからない相手を暗殺しろってか? 男か女かもわからないじゃないか」

「依頼料が破格だからな。それなりに面倒な依頼だ」

「…………」

資料には、クリス=ヴァイオレットの名前以外の情報は全くなかった。性別も、年齢も、どんな容姿をしているのかも。

「あ、そうそう。でも、例外がいたって話があったなぁ」

「例外?」

「ああ。偶然あの館に迷い込んだ人間がいてな、一晩泊めてもらったって話だったか」

「なんだ、帰ってきたやつがちゃんといるんじゃないか」

「だが、そいつも数日後、原因不明の病気で死んだよ。言ったろ、あの館は曰くつきだってね」

「ふーん……」

「ま、無理なら断ってもいいんだぞ。お前以外にも宛てはたくさんあるからな」

「誰が行かないって言ったよ。曰くつきの館ねぇ……おもしろそうじゃん」

俺は持っていた資料をテーブルの上に放り投げるとその場から立ち上がる。

「依頼料はいつもどおりの額でいいさ。あとはそっちが好きなだけ取ればいい」

「おっ、太っ腹だなぁ。普通は金はあればあるだけ欲しがるもんだがねぇ」

「それこそ前に言っただろ。俺は殺しができればいい。それだけだ」

俺は「邪魔したな」と言うと、店から出た。


数日後、俺は一人でヴァイオレット邸前にやってきた。門番はおらず、門は開きっぱなしになっていた。本当にこんなところに人なんか住んでいるのかと思わずにはいられないほどに、閑散としていた。

晴れていた空も、雲で覆われもう少しすれば本格的に雨が降ってくるだろう。

さて。どうしようか、と。とりあえず悩んでみるが、やることは決まっているので今更悩んでも仕方がない。

後は『相棒』に任せて、俺は成り行きを見守ることにする。

自分が二重人格であることに気付いたのは物心がついた頃のことだった。俺の両親はろくでもなしの父親と母親で、しょっちゅう喧嘩しては流血沙汰になっていたことは覚えている。

父親は働かずに昼間から酒を飲んでばっかりで、母親はヒステリーで癇癪持ちでいつも俺に当たっていた。

ある日、父親と母親は些細な喧嘩からいつもどおり刃物を引っ張り出して相打ち状態で死んでしまった。それから俺は孤児院に引き取られることになる。

ちょうどその頃くらいからだ。ラッドというもう一人の人格が生まれたのは。

ラッドは俺とは全く正反対の性格をしていた。いつもおどおどしているが、他人にはとても優しい心の持ち主だ。人はおろか虫も殺せないいい性格をしている。

反対に俺は、人間が嫌いで、人を傷つけたり殺したりしたことでちょっとした幸福を覚えるタイプとでもいうべきだろうか。

なんたって、俺が物心ついて初めて覚えた幸福は、煩い自分の両親をこの手で殺せたことなのだから。

当初、俺は主人格はずっとラッドの方なのだと思っていた。だが、違うことにすぐに気がつく。ラッドであるときも、俺はラッドが何をしたのかがはっきりとわかっているが、反対にラッドは俺が何をしたのか覚えていないのだ。それに、人格の切り替えは俺にしかできない。

ラッドは自分が夢遊病持ちなのだと悩んでいたようだが、俺はそれが滑稽でおかしかった。

まあ、そういうわけで俺はラッドの人格すら利用し暗殺の仕事をこれまでもこなしてきた。

ターゲットに近づくのはラッドの仕事。それから先は俺の仕事だ。ラッドの殺意が全くない性格というのは本当に暗殺には役立つ。俺は殺気をおさえることができないから、すぐに気付かれてしまうが、こいつはそもそも殺気自体がないのだから、ターゲットに近づくには簡単なのだ。ラッドは無意識にターゲットに近づいているが、俺が意図的に操っているため見当外れの場所に向かう必要はまったくない。

そういった意味で、ラッドは俺に相応しい『相棒』なのだ。


「………………」

俺は目の前に転がるジャックを見ながら考えた。いささか、考えなしだったかもしれないと。

現在、生死不明なのは消えてしまったというセレスと、姿を消したドルイドという執事。それから他の使用人と主であるクリスだ。

ジャックは手足を縛られたまま、顔を歪めて痛さに耐えられないのか呻き続けている。既に片方の目はなく、空洞となっておりそこから血やらなんやらが流れ出している。

「なあ、そろそろ答えてくれよ。何で使用人なんか殺したんだ? お前もこの館の財産目的なのか?」

俺はジャックが持っていたナイフをもてあそびながら、尋ねる。

「ざ、財産、な、なんて、お、俺は……し、知らな……」

「あ、そう」

「ぎゃあああああああああああっ!! あああああああっ!!」

今度は右耳にナイフを当てて力を入れた。ジャックはあまりの激痛か悲鳴を上げて体を仰け反る。

「ま、大方、お前も悪い趣味持ってたってとこだろ。残念だったな。俺が居合わせてしまって。運がなかったんだよ。お前はな」

今度は左耳。更にジャックは大声を上げて、そのまま気絶してしまった。

「ふむ……」

俺は気絶したジャックと胸を刺されたハロルドを見比べる。この状況をラッドが見たらどういう反応をするだろうか。

近くにあった鏡が目に入る。俺の顔やら手は血で赤く染まっていた。

今まで死体をラッドに見せたことはなかったが、これはこれで面白いかもしれない。そう考え、俺はラッドにバトンタッチをしたのだが……。

ちょっとだけ反省した。

俺は向けられた拳銃の銃口を間一髪でそらし、銃を撃った相手を見る。

「これが僕の本性だなんて、どういうことなの? ハロルド」

俺が目を向けると、ハロルドは舌打ちをするとすぐに俺と距離を取った。

「ねえ、どうして君が僕を殺そうとするの? さっき言ってくれたじゃない。僕のことを守ってくれるって」

あくまでもラッドとして、俺はハロルドに問いかけた。

「……白々しい演技はやめろ。俺はお前のことを知っているんだ。レム」

「………………」

俺は改めてハロルドを見る。さっきジャックから刺された胸から血は一滴も流れていなかった。俺の視線に気付いてか、ハロルドは懐から本を取り出した。さっきフランカの死体の側に落ちていたジャックが持っていた本だった。よく見れば表紙に傷がついている。

「あの時は、俺も駄目かと思ったが、どうやら俺はまだ死ぬ運命ではないようだ。お前を殺すまでは」

改めて、ハロルドは俺に銃を向ける。

俺は素直に関心した。俺の存在を知っているのは、仲介屋と俺に殺される奴だけだからだ。まさか、出会って一日も経っていないハロルドに自分のことを知られているとは思わなかった。

「理由は聞かない。どうしてわかった?」

「自分の胸によく聞いてみるんだな」

俺を殺したい理由なんて、考えるまでもない。自分でも様々な恨みを買っていることくらいわかっている。そうでないと、殺し屋稼業なんてやれるもんじゃない。他人の命を俺の都合で勝手に奪っているんだ。誰かの都合で俺が殺されても、俺には文句を言う資格も理由もない。

「……お前は、最初から俺が目当てでラッドに近づいたってことか?」

「……だとしたらどうする?」

「お前は、俺とラッドがどういう関係にあるのか知ってるのか?」

「……………………」

黙るハロルドを見て、俺は笑った。


以前、二部構成にするといいましたが、すみません。シーンを分けて投稿したいと思います。二重人格ネタは……二回目かな? まだ続きますのでお付き合いいただければ嬉しいです。最後まで読んでくださった方に、ここまでお付き合いいただいている方に感謝です。

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