春の訪れ
男達の殆どが物言わぬ屍となり、荒れ果てた玉座の間。
放たれた魔弾の爪痕は生々しく、竜巻に遭遇するかのように彼らを薙ぎ払った。
そんな惨状極まるこの場所にて、何とか生き延びた男がいる。
「ぐっ……がっ……」
ディルムの顔が苦悶に喘ぐ。
最後尾で魔法を展開させ、ギリギリの所で直撃を受けなかったため、運が良かったとしか言いようがない。
それでも視界はぐらぐらと揺れ、衝撃の余波で体が思うように動かせない。
ディルムに近づく白銀の剣と黒い鎧を身に付けた青年は、彼を見下ろし冷めた表情で言葉を発した。
「魔導書の力を使っているお前たちが、借り物だとか何とか俺に言える筋合いじゃないだろう」
「……な、なんだ、さっきのは……」
わななくディルムは問いかける。
全力で発動させた抗魔力障壁を撃ち抜き、たった五発で二百人を壊滅させた、己の知らない魔法。
「お前たちが良く使う、ただの魔力弾だよ」
「ま、魔力弾だと……嘘をつくなッ!!そんな、そんなはずはないっ!!」
威力だけでも白き稲妻を優に超え、しかも同時展開できる魔力弾など聞いたことが無い。
「幾ら否定しても本当の事だ。自分の力不足を棚上げして何を言ってるんだ」
いや、この場合は鍛錬不足かとヴァラルは呟く。
結局の所、魔法士が扱う魔力媒体は功罪をもたらした。
制御・変換というプロセスを経て、実力問わず魔法士へ幅広く受け入れられることにより、この国全体の繁栄――様々な魔法技術分野への発展を促した。
その反面、生き残る事だけを考え必死になっていた過去の歴史と比べると、一人一人の魔法士の力量は下がっていると言わざるを得ない。
史実によれば、この国以外で魔法の力が自然に目覚めた少数の人々は『身体強化』の魔法を駆使し、魔物達と戦っていたという。けれど、ライレンの魔法学院のように学問として体系化され大方の魔物を容易に駆逐できるようになってからは、汎用性の少ない難度の高い魔法は見向きもされなくなっていった。
国の豊かさと、個々の強さ。どちらを取り、どちらが正しいのかと問われれば判断に困るものではあるが、少なくともリヴィア達の魔法に対する考え方はヴァラルの心に響くものがあったことは確かだった。
「こっ、こ、こいつは何だ……」
よろよろと立ち上がりながら、ヴァラルを見据えるディルムの顔が歪んでいく。
彼の魔法士としての力量は既に把握済みだった。レスレック魔法学院の魔法薬研究会に所属し、授業中は不自然なまでに魔法を行使せず、魔力量は常人よりも多いだけの――
“――っ!?”
と、そんなこれまでの出来事を振り返る中で、ディルムは驚愕の事実に気が付いた。
「き、きさまっ、隠していたなっ!?」
一体いつ、ヴァラルが魔法を学びに来たと考えた。
あくまでも彼はこの国を知りたいということでいろいろ調べ回り、訪れた冒険者だったはず。
魔法学院は仮の寝床。最初から魔法を扱うことが出来、学ぶ必要が無かったとしたら……
自分達はとんでもない勘違いをしているのではないのか――
「違うな、ディルム」
「っ!!」
「隠していたんじゃない。使う必要が無かっただけだ」
Sクラスの冒険者となり散々目立った身だ。己の素性以外今更隠す必要性はあまりなかったが、かといってむやみにひけらかす必要もない。目立たないよう行動を自重していた結果、勝手に誤解を重ねていっただけの話だ。
ヴァラルは無愛想ながらはっきりと口にする。
「魔法士は無闇に魔法を見せるものではない。確かそんなことも言ってたな」
「にに、人間じゃあ、ない……人間じゃあないぞ、貴様……」
常識外の魔法力を見せられて、ディルムの声は震え、足元はぐらついていた。
“っ!!……ま、まさか……”
ヴァラルのあまりにも人間離れしたによって最悪の考えが頭によぎった。
ガタガタと震えながら、ディルムは声を振り絞る。そして、彼は本能的に魔力付与を行使し、電光石火の速さで背後に空いた大穴から逃げ出すのだった。
“あ、あいつは竜人かっ!?い、いやエルフっ!?……ち、違う。あいつらは人間に興味がない……こ、こんなところまで来るはずがない……”
ディルムの足が急な加速によって何度も転びながら、脱出を目指すディルム。
“だ、だとしたら……ま、魔人!?”
フォーサリア宮殿の本館をぬけ庭を横切る。
彼は全身から大汗を流し、顔は恐怖に張り付いていた。
“に、ににニーベンスの魔人がどうしてここにいるっ!!”
暗黒の地、ニーベンス。
東西にかけて広い領土を持つバルヘリオン帝国、その北部に位置する広大な大地のことを指している。
その地に住まうとされる竜人やエルフと呼ばれる亜人達。彼らは滅多なことで人前に姿を現さず、独自の文化を築いているとされているが、その詳細は一切不明である。
ニーベンスが今までにない程強大な魔物が闊歩する大地であること、何より魔人が存在するため、容易に近づける所ではないからだ。
――魔人
人間とは比較にならない強大な魔力と戦闘能力を有する、人類を凌駕した存在。
一体現れただけでも甚大な被害が発生し、過去には魔物を率い人間に対して戦を仕掛けたこともある彼らに、各国は魔物の脅威に対抗すると同時に彼らへの対処も連携して行っていた。
……いやそうしなければならない程、魔人の力は圧倒的だった。
玉座の間で起こった事と同じように。
「こ、こんなことをやっている場合ではない……い、急いで脱出しなければ……」
あちこちに手酷い傷を負いながらも、ディルムは一人、この場を脱出しようとする。
皇女などに構っている場合ではない。こうしている間にも、彼の魔の手が――
「づぁっ!!」
その時、ディルムのは思いきり何かにぶつかり、大きく転倒した。
“な、ななんだこれは!!”
人気の無くなったフォーサリア宮殿東門から外へ出ようとしたディルム。しかし、それは叶わない。
目には見えない透明な障壁が目の前に張り巡らされており、彼の行く手を阻んでいた。
「生憎、ここからはどこにも出られないぞ」
「なっ、ヴァラル!?」
恐ろしいまでにあっさりとした声に振り返ると、ヴァラルがすぐ傍まで近づいていた。
さらに彼の左右背後には黒い兜と鎧、剣を身に付けたランスローとガウェインが控えていた。
「ヴァラル様。指示通り囚われた宮廷魔法士他、人質となっていた皇妃と皇女を無事解放致しました」
「見つからなかったか?」
「滞りなく。さらに確認されていた魔導書は全て廃棄処分、二度と使い物になりますまい」
二人の報告にそうかと軽く返事をしながら、彼らの手腕は相変わらず見事だと感心するヴァラルだった。
“ひ、人質の救出……?なにを馬鹿な……ま、魔人がそんなことを?”
一方で、ディルムは彼に付き従う二人のことを知る由も無い。見る限りでは彼の仲間、というよりも主従の関係に近しいものがある。
「よし。それなら、後はこいつだけだな」
「も、目的は何だ、何故この国を庇うような真似をする!?」
杖を構えたまま、泣き言にも聞こえるディルムの喚き声。
ただひたすらに、ヴァラルという存在そのものにディルムは恐怖と疑念が募るばかりだった。
ヴァラルはそんな彼に対し大きくため息をついた後、ランスローとガウェインにそれぞれ視線を交わし、何かの指示を下す。
直後、ランスローの手元から閃光が走り、ディルムの両手で握りしめた杖は真っ二つに斬られた。
「っ!?」
「さっきまで強がっていた奴の台詞とは思えないな」
驚愕するディルムを余所にヴァラルは言い放ち、二人の黒い騎士はゆっくりと近づく。
彼が逃げ出さない様、ランスロー精巧な造りをした剣を右手に構え、ガウェインの左手は怪しげな魔力の光を放っていた。
「目的?自分のしたことをもう忘れたか。俺を嵌めてここまで騒がせたんだ、ちゃんと責任は取ってもらうぞ」
「や、止め……」
ガウェインがディルムを右手で胸ぐらを掴みあげ、左手の精神干渉魔法が顔面を捉えている。
「止めろおぉォ!!」
そして、夜明けを示す日の出と共に、彼の絶叫がフォーサリア宮殿のはずれで木霊した。
『ディルム・グラニス、遺体となって発見』
数日後、ライレンの情報各誌には以下のような見出しで大きく取り沙汰されていた。
フォーサリア宮殿を占拠し、皇妃たちを人質にとったとして指名手配されていたリーディングタイムズ社長、ディルム・グラニス。
その彼が今朝早く、とある空き部屋の一室で頭を撃ち抜き死亡しているのを住人が発見した。
近くに転がっていた物が彼の杖であること、冒険者ヴァラルは犯人ではないとして、これまでに行ってきた数々の計画の内容を詳細に記した書き置きを遺していたことから、自殺として取り扱っているという。
レスレックにおける一部の宮廷魔法士の反乱や、ライレンの魔法関連施設おける襲撃事件等、一連の大事件に関与する中心的な人物として、今後も真相を追及しているとのことだった。
宮廷魔法士の反乱により、生徒達を親元へ返し臨時の休校となったレスレック魔法学院。
決闘場の天井を破って入り込んだ瓦礫の山。レスレック城のあちこちの壁が崩壊し、強風が吹き込んでいたため、とてもではないが生徒達が留まるには危険すぎる。
幸い、試験は終わり授業もほぼ自習といっても良い状況だったので、この城への立ち入りを制限することにしたのだった。
「こっちはこっちで大変だったみたいだな」
久しぶりに晴れ間が広がりながらも、まだ寒さの残るレスレックの校長室に二人の姿があった。
剣と鎧を身に付けた冒険者の出で立ちをしたヴァラルと、いつもより良い生地を使った茶褐色のローブを着たオーランドが向かい合う形で、今後のレスレック魔法学院の運営について話し合っていた。
「生徒達が無事だったことが何よりもありがたいことじゃ。恩に着るぞい、ヴァラル」
オーランドの机の上にうずたかく積まれた書類の山。これらを今日中に整理しなければならないのだが、それでも彼は青年に礼を言う。
「いやそうじゃない。俺が言いたいのはもっと別の事だ、オーランド。よく二人のことを言い含められたな」
アイリスの治癒魔法、城の転移魔法に甲冑や鋼鉄獣。
この城の秘密の一端を知られるどころか、彼女たちについてよく説得できたものだとヴァラルは不思議な気持ちでいた。
オーランドはアイリスが去った後、リヴィア達の問いかけに先ほど自分たちを治療し、ダニエルを遠ざけた二人は亜人――エルフなのだと説明していた。
人間と殆ど接点が無いとされている亜人ではあるが、そんな風変りな彼女たちと何の因果か偶然出会い、交流を深めるうちに宮廷魔法士の反乱を知り、協力を要請したということにしたようである。
深く追求すればいくらでもぼろが出てきそうな話ではあるが、あながち間違っている話というわけでもなく、さらに亜人という未知の存在を大っぴらに喧伝するわけにもいかない。そのため、この場で起こったことは極力話すことの無い様、皆で約束を交わしたという。
「……イリス殿の魔眼。あれだけは使わせるわけにはいかぬからのう」
「フィックスのことか……忠告はしたんだけどな」
溜め息をつくようにして、ヴァラルは実践魔法学の教師のことを思い出す。
アイリスがハイエルフなのではないかと気が付いてしまった彼はその後、イリスの魔眼によって数日間の記憶を消去されてしまった。
本人曰く最少の力で行使したらしいのだが、思った以上に強く効いてしまったとのことで、オーランドはそれを見て何よりも強い口調で説得に当たったと言う。
宮殿で起こした今回の件についても、宮廷魔法士とヴァラルの間に調整役として出向き、自分が彼に依頼したのだとして、事態の収拾に奔走していた。
彼は生き返ったと同時に、これからはヴァラルと一蓮托生の身となり、彼の旅のサポートを影から支えることになったのだった。
「なるべく迷惑をかけない様にするつもりだ。けれど、もし素性を問われるようなことがあれば、オーランドの名前を出すつもりだ」
「お主に拾われた命じゃ。気にすることはないぞ、ヴァラル」
「いや、でもなあ……」
オーランドの机に積まれた、リヴィアも真っ青になる程の書類の山をちらりと眺めるヴァラル。
やたらと張り切る老人を目にしたヴァラル。彼を過労死させるわけにはいかないと思いながら、ここへ来た本題へ入るため、懐から精緻な銀細工を施した杖を取り出す。
「これは……」
「俺がいなくても城の事は任せたぞ」
幸い、致命的ともいえるレスレック城の魔力供給に関して異常は見当たらなかった。これがあれば、レスレックの番兵達は指示に従う。城の修繕、魔法学院の再開に向けて大きな力となるはずだ。
何の気概も無しにポンと渡されたそれにオーランドは驚きつつも、恭しく受け取る。
「ありがたい……」
そして、ヴァラルへ感謝の言葉を述べるのだった。
「こんにちは、冒険者さん」
「……フィオナか」
帰り際、ふと扉が開いていた魔法薬学の教室を覗くと彼女がいた事実をヴァラルはほんの僅かの間だけ受け止められずにいた。
「生徒の立ち入りは禁止じゃなかったか?」
「論文発表用の資料がまだここに残ってたから、許可もらって取りに来たの。最近は大変だったからね」
誰もいない静かな教室にて、彼女は机の上に乗りながらヴァラルを見つめる。すると、途端につまらなそうに足をふらふら揺らし始めた。
「ただ発表するだけなのに、お父さんさんもお母さんも皆張り切っちゃってさ。本当呆れちゃう」
「当たり前だ、娘の成長を喜ばない親はいない。長年の夢だったんだろう?」
「でも、あなたはいない」
「……」
再び彼を正面から見つめ、放ったフィオナの鋭い一言にヴァラルは何も言えない。
「アイリスさんとイリスさん……だっけ。あんな美人さんが近くにいたら、そりゃあ私なんて眼中にないわけだ」
そう言って彼女は机の上から降り、すたすたと近づく。
反論を許さないフィオナの追及。
彼女はヴァラルが人間ではないと言うことを知る数少ない人物の一人。ここで何らかの反応、言い訳をすればそれこそ二人との関係を自ら明かしてしまう。
「……このままサボっちゃおうかなあ」
彼の胸に頭を乗せ、囁くフィオナ。
「……本当は私じゃなくて、あなたがあれを書いたんだって皆にバラしちゃおうかなあ」
子供が駄々をこねるような、ふてくされた口調で彼女は文句を言う。
「言っちゃおうかなあ……冒険者ヴァラルは――」
自分たちと異なる存在だと。
青年を困らせる、フィオナの悪戯。
ヴァラルは愚痴のような彼女の言葉を黙って聞いている。
彼女はそのまま上目遣いにヴァラルを見やり、彼の手を握りしめる。
そして――
「な~んて。冗談だよ」
すっきりとした表情となり、フィオナはするりと自ら離れていく。
「フィオナがそんなことをするわけがない。最初から分かっていた」
レスレックでの授業や休憩時間、魔法薬研究会での実験の日々。フィオナがヴァラルを理解していたと同時に、ヴァラルもまた彼女の人柄について知り尽くしていた。
「ちぇ、もうちょっとびっくりしても良いのに……魔法薬を作ったり、この国を救ったり……本当、でたらめな人」
いくら背伸びをしようとも、ちっとも手が届かないヴァラルにフィオナはふてくされる。
「これ、もらっていくから」
見返すように彼女が持ち出したのは、ヴァラルの左手に収まった指輪。
離れる間際、フィオナは器用にも指輪を抜き取っていたようだった。
「ヴァラルの事だから必要ないでしょう?」
「……しょうがないな」
何もかもお見通しなフィオナに、ヴァラルは苦笑してしまう。
フォーサリア宮殿で放ったヴァラルの魔法は玉座の間に凄まじい被害をもたらすと共に、魔力媒体そのものを壊してしまった。最初の魔力媒体選びの最中では耐久性が最も高いものを選んだつもりだったが、すぐさま使用不能。今や彼女の手元にあるそれは、アクセサリーとしてのただの指輪。彼女の魔法行使には何の影響もないだろう。
「頑張れよ、フィオナ」
ライレン期待の魔法士の今後の活躍を願い、ヴァラルは左手を差し出す。
あの魔法薬が各地に広まればそれこそ大勢の人々の命を繋ぎ、そして救うだろう。
「……行ってらっしゃい」
フィオナは慈愛に満ちた表情を浮かべ、彼の手を握りしめようとして、
――体に気を付けてね、ヴァラル
彼をしっかりと抱擁するのだった。
ライレンの首都フォーサリアを北西に進むこと二日、学生服ではなく冒険者の風体となったヴァラルは雪解けた道をひたすら歩いていた。
日の光が野原に積もった雪に反射し、眩しく照らす。気温は上昇し、かつての冬の寒さが嘘のように感じる。
“ん……?”
遠くから何かがやってくる。そう思いヴァラルが空を見上げた瞬間、何か大きな影が通り過ぎる。
巻き上げるような強風が起こってあっという間にそれは通過し、がたがたと音を鳴らして着地した。
白と金を基調とした細かな意匠を施した高貴な荷台。それをけん引する低いうなり声を上げるドラゴン。
この国に訪れた時と同じ、皇族専用の竜車がヴァラルの前に現れた。
「こらぁああ!!」
護衛の宮廷魔法士達によって扉が開かれ、弾けるように飛び出してきたのはリヴィアだった。
フリルをあしらった白いドレスをパタパタと翻し、彼女はヴァラルに近づいた。
「……今日はフィオナの発表会だぞ。ここにいていいのか?」
「抜け出してきたわっ!!全く……わらわに黙って出ていこうとするなど、何を考えておるのじゃ!!」
「忙しそうだったから」
プンプンと怒りを露わにするリヴィアに、ヴァラルはありのままに答える。
レスレック城で用を済ませた後、フォーサリア宮殿へふらり立ち寄ったヴァラルだったが、そこにいたのは荒れ果てた宮殿内の復興に率先して取り組むリヴィアの姿。
黙って出ていくのも何だったが、かと言ってわざわざ出向いていくのも変な話だった。
そう思ったヴァラルは置手紙を残し、フォーサリアを後にしていた。
「……かの発表会はこの国にとって非常に重要なものじゃ。イシュテリアの生徒が殆どおるというのに、お主ときたら……」
レスレックの四人やカミラも駆けつけ、さらにはリヴィアの母親や妹たちも出席するフィオナの晴れの舞台。それを見過ごし、こうして一人立ち去るのは彼らしいと言うべきか。
フォーサリア宮殿での反乱を抑え込み、人質救出までもやってのけたヴァラル。本来はその功績に見合った褒賞を送るべきなのだろうが、当の本人はそれを拒否した事実にリヴィアは難しい顔をする。
「フィオナとはもう会った。だから問題は無い」
結果としてダニエルやディルムの企みを阻止することはできたものの、二度目の反乱を招いたことで、情勢は未だ不安定のまま。
それよりも一刻も早く政治機能を元通りにさせ、国民の不安を取り除くことが急務だ。
どうしてもというのなら、一刻も早いレスレック魔法学院の再開と、フィオナ・スノウの魔法薬量産に本格的に協力するという約束を取り付けることで彼女を納得させたのだった。
「え、な、何じゃと!?……あ、あ~……そういうことか」
登場する際の彼女のどこか吹っ切れた明るい表情、ネックレスとしてかけられた銀の指輪。あれは既にヴァラルと出会ったからなのだと、リヴィアは事情を把握する。
「……何じゃ、お主も『杖なし』だったのか」
さらに、得心がいったかのように彼女はヴァラルの左手を見る。
フォーサリア宮殿の玉座の間が著しく損傷の激しかったことに一つの解答を得た。
彼は魔法を使えなかったのではない。あまりにも潜在能力がありすぎたため、魔法の行使を己で制限していたのだ。
学院の生徒達を恐れさせないために。
「嫌うか?俺の事」
『杖なし』は魔法の行使に危険が生じるからという理由だけで恐れられている訳ではない。魔物以上の恐怖の存在である魔人もまた、魔力媒体無しで魔法を行使する『杖なし』であり、多くの人々の間で忌避されていたのである。
「じいやわらわもそうなのじゃ、そんなわけが無かろう」
そう言って彼女は指輪を取り外した後、バチバチと掌を放電させる。
以前よりもさらに淀みなく魔法を行使出来るようになり、調子が良い。『杖なし』となってからは、この世界に対する認識が少し変わったような気がしたリヴィアだった。
「お主に関する不満や批判は飽きるほど聞いてきた。今更な話じゃ」
一介の冒険者である彼の処遇に異議を唱える部下からの突き上げをリヴィアは受けてきた。
けれども彼女にはヴァラルに対する意地がある。
後になって約束を破るということは、彼との信頼を壊すことになる。部下の進言で簡単に心を変えるようならば、最初に出会ったときから彼と約束を交わさなければ良い。
リヴィアは己の発言に最後まで責任を持ち、突き通したのであった。
お主には苦労させられたとリヴィアは呆れた調子でヴァラルを見やる。
「……そうか」
ヴァラルは彼女の言葉を一つ一つ丁寧に耳に入れた後、彼女の紫の瞳をじっと見返す。
かつての怯えた少年とは似ても似つかない、全く正反対ともいえる性格の少女。しかし、その誰にも屈することの無い強い意志は、今も彼女に受け継がれていた。
「なら、これやるよ」
ヴァラルは懐かしそうに目を細めた後、ごそごそと腰に下げているポーチから小瓶を取り出し、彼女に手渡す。
綺麗な装飾を施したガラス瓶、その中に入っている黄金色の液体。
「こ、これは……?」
「一回限りの代物だ。使い方はポーションと同じ、外傷なら患部に直接かけても問題は無いが、神経に傷を負ったのなら直接飲ませた方が効果は高い」
「な、何を……?」
「これをどうするかはリヴィアに任せる……が、これからは家族と一緒に政務をこなすことを俺は勧める。このままだといつか体を壊すぞ」
突如渡された戸惑った表情のままのリヴィアに、まくし立てるようにしてヴァラルは忠告する。
そして――
「じゃあなっ」
ヴァラルは飛び出すようにしてその場から駆け出していくのだった。
暖かな日の光により、草木を覆っていた雪が溶け始めた平原。
ぽたりと雫が滴り落ち、それが地に還ることで止まっていた命の営みが再び始まろうとしている。
「……渡しちゃってよかったの?エリクシル」
「私たちのことを黙っていると約束した彼女のことです。きっと大丈夫ですよ」
その脇にある太い切り株の上で清潔な白いローブを纏ったアイリスと、日傘を差したゴシックドレス姿のイリスが語り合う。
アルカディアへ帰ったと思わせ最後に驚かせようとしていた二人は、先ほどの出来事を持ち込んでいた遠見の水晶玉で一部始終を覗き見していた。
「最後まで破天荒な皇女だったこと。どうやって元を辿れば、あの気弱なライルと同じになるのよ」
「私からすれば、とても可愛らしい方だったと思いますよ?」
「可愛らしい、ねえ……」
お転婆娘の間違いではないかと、アイリスの口から出た言葉にイリスは突っ込みを入れたくなった。
「大体、リヴィアやフィオナ、あそこにいる学生達は本当に運が良すぎる。あんな間近で彼と過ごすことが出来たんだから……メルディナにヴァラルを案内したときのこと、教えてやりたいくらい」
これまでを振り返るようにしてイリスはため息をつく。
アルカディアに存在するかの複合教育施設『メルディナ魔法学院』。そこに彼を連れて行ったときはとにかく大変だった。
学生達の大半がヴァラルの気を引こうとあの手この手で駆け引きを行っており、常に注目の的であった。
特に、女生徒からの勧誘は圧巻の一言。ヴァラルの周りを取り囲み、イリスがいくら追い払っても次々と現れていた。しかもヴァラルが彼女たちの言葉に耳を貸し、興味を持ってしまうため、丹精込めて計画した予定が脆くも崩れ去ったことを苦々しく思い出すイリスだった。
「……ところでさ、どうしてヴァラルはライルに手を貸したの?」
だが、そんなことを言ったところでただの負け惜しみ。彼の行動を止められるはずもない。
イリスはそんなことを思いながら、かつてこの地で起きた疑問を口にした。
「あら、気になりますか?」
「あんな代物をただ同然であげるなんておかしいじゃない」
ライレンの地下深くに存在する秘宝は千年の時を経た今も光を放っている。
「ライルは一体何をしたの?あなたやガルム、セランもあの場にいたんでしょ?」
何かつまらないことを言った瞬間、即座に首を跳ね飛ばされることは明らかだ。
イリスは事の顛末を知るアイリスに訊ねた。
「……そうですね。私も聞いた時は本当に驚きました」
アイリスは当時を振り返り一呼吸置いた後、
――国を造る
彼女の疑問に答えた。
「国を、造る?」
「そうです。かの少年は主様にそう言いました」
途端、呆気にとられたような顔つきをするイリス。
国?国を造る?
馬鹿だ、馬鹿としか言いようがない。
あの人を前にして、そんなことを言いだすとは。
彼の行ってきたような崇高な物語、あるいはそれに準じた珍談でも何かを披露するのかと思ったが、ふたを開ければ夢物語を語り聞かせるだけだったのか。
あまりにも予想外だったのか、イリスの顔は途端に崩れ、
「ぷっ……」
くすくす、と笑いをこらえるよう小刻みに体が震えた。
「そうそう、セランもそんな風に笑ってましたよ……ああ、彼はもっと下品な感じでしたけど」
「……」
アイリスが微笑ましげにそう言うと、途端にイリスの笑みは無くなり、気難しい顔をする。
あんな偏屈悪魔と一緒にされてはたまらない。二人の関係性を物語るような一面だった。
「……ビフレストの研究者達が知ったらどうなる事か。とんでもないよ、魔力を自分で生み出す体にして、かつ半永久的に効果があるんでしょ?私だって欲しいもの」
元ある魔力を増大させ、一を十にすることは簡単だ。強引な方法を取ればいくらでもある。
けれど、ゼロから一を生みだすのは途方も無く難しいことだ。
剣術の心得の無い者が、実戦で達人のように戦うことができるか?
学の無い者が、いきなり人々に知識を分け与えることが出来るか?
魔力の無い者が突如魔法を扱えるようになるのは、それ以上に考えられない事象なのだ。
「……でもまあ、良いんじゃない?こんな国があっても」
「……あら?」
けれど、イリスは自然と口に出る。魔物や魔人に対する危機感の無さ、魔法だけに頼った自衛法、『杖なし』に対する排他的な意識等、いくらでも欠点はある。けれど、そんな一朝一夕ではどうにもならない問題を抱えながらもこの国は成り立っている。
夢を夢のまま終わらせず、こうして実現させたことは唯一評価するべきだ。
セランとは別の意味で気難しいイリスが呟いた言葉に、アイリスは驚きをあらわにした。
「……何よ、アイリス」
「ふふっ、何でもありませんよ」
何か言いたいことでもあるのかとその目で訴える吸血鬼の真祖に、ハイエルフの彼女は穏やかに微笑んだ。
「……おい、帰ったんじゃなかったのか」
すると、そんな二人に黒髪の青年の間の抜けた声が届く。
「あ、来た」
「主様っ!」
アイリスとイリスは切り株から立ち上がり、急いで彼の下にかけ寄った。
三人の下に一陣の風が吹き抜ける。
身も凍えるような冷たさではない。寒さの和らぐような、どこか暖かで爽快な風。
騒ぐ二人とそれを落ち着かせようとする青年。彼らを見下ろす木々の枝には緑の新芽が伸び始めている。
季節は巡り、春の訪れを予感させていた。
――魔法皇国ライレン編、終――




