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黄金の時代  作者: 木村 洋平
魔法皇国ライレン編
77/79

彼女たちの戦い

「……誰だ、お前達は」


宮廷魔法士にあるまじき失態だとわかっていても杖が動かない。魔導書も発動させようという考えさえ思い浮かぶことが出来ない。


“魅了されている、のか……この僕が?”


何とか気を持ち直し、警戒心をあらわにしながらダニエルは二人を見やる。


しかし、彼の問いかけを本当にどうでも良さそうにして、アイリスとイリスはオーランドの方へ歩み寄った。


「な、何じゃお主らは……」


遮るようにしてリヴィアが二人の前に立つ。彼女もまた突然の乱入者に驚きながらも、その小さな体躯で彼女たちを見上げ、オーランドを庇っていた。


リヴィアの瞳をじっと見つめるアイリス。敵意が無いことを知らせ、アイリスはそっと彼女を押しのけてオーランドの状態を確かめる。


「どう?様子は」


「……問題ありません。これならまだ間に合います」


「そう?死んでるようにしか見えないんだけど」


事実であることには変わりないため、周りが動揺するのもお構いなしにイリスは言葉を口にする。


やはりショックだったのか、リヴィアの肩がびくりと揺れた。


「あれ使う?何個か持ってきたけど」


「お気遣いなく。それよりも予定通りにお願いします」


「わかった、任せて」


しゃがみ込んだアイリスとの短い会話。それが終わると、やっとイリスはダニエルの方へ振り向いた。


「というわけで、私と一緒に来てもらうから」


有無を言わせぬ迫力で、イリスとダニエルの足元に魔法陣が展開される。


「それじゃあお先に失礼」


「なっ!?どういうこと――」


いきなりの出来事に困惑するダニエル。目の前の彼女に抗弁しようとするも、二人は実技教室から消失していった。




「で、さっき何か言ってたけど何なの?」


「……お前たちは何者だ?」


ダニエルは再び問い返す。


肌を刺すようなひんやりとした空気に、がらんとした観客席。彼が現在いる場所はレスレック城に隣接する決闘場。


“あの城にこんな仕掛けがあるなんて聞いていない……何なんだこいつは”


意図的にこの場所へと転移した不可思議な現象の事もあって、ダニエルは微かに、けれど何かがまずいとざわめいていた。


「オーランドの知り合い。さっきの彼女もね。ま、あっちは随分昔からのようだけど」


“奴の知り合いだと?……応援がもう来たというのか”


彼はこの城の管理者も務めている。ならば己の知らぬレスレック城の秘密を知っていても不思議ではない。


ただ、彼女たちまでも扱えるということは、オーランドが二人に全幅の信頼を置いているということに他ならず、それなりの実力を秘めているということを意味している。


彼の知人を名乗る彼女達に、ある種の納得と焦りを覚えるダニエルだった。


「……君たちはかたき討ちということか。でもね、彼はもう死んでいる。今更君たちがどうこうしようと無駄な事だよ」


故に、ダニエルは説得という名の投降を呼びかける。


ここで君たちのような美しい者達までも、彼の後を追うことになれば大変悲しむ。


オーランドは生前君たちのことを大層気に入っていたはずだ、こんなところで命を落とすことはないと言葉巧みに詰め寄った。


どれだけの時間が流れただろう、彼の演説がますます過熱の一途を辿ろうとしたとき、


「本当、馬鹿ね」


イリスはそんなダニエルの甘言を全て一蹴した。


「かたき討ち?無駄な事?命を落とすことはない?何それ、本気で言ってるの?」


艶やかで冷徹な声がドーム状のホールの中で響き渡る。


アイリスは助ける気満々の様子だったが、オーランドの事もリヴィアの事もあくまでおまけでしかない。


「私がここにいるのはね、あんたがむかつくから。彼の事なんて知ったことじゃない」


何を勘違いしているのかは知らないが、ここに赴いた理由はただ一つ。


ヴァラルを貶めた彼を捻り潰す、それだけのことだ。


“……うん?”


あれを使おうと思い行動しようとした瞬間、ガラスの天井を割って大量の何かが落下してくるのだった。



◆◆◆



「……」


レスレック城の荒れ果てた実技教室では沈黙が訪れていた。


突如現れた二人の人物。そのうちの一人はダニエルと共に忽然と消え去り、今はいない。


ただ、もう一人の方の彼女がオーランドの下に座り込んだまま、目を閉じている。


蘇生魔法。


治癒魔法やポーションといった魔法薬はあくまでも命ある人間が対象。生命力の無くなった人間には意味が無い。


死者は蘇らず、杯からこぼれた命という名の水は元に戻らない。


それがこの世界の常識であり、当たり前のこと。魔法を学ぶ者ならばそれがよく分かる話だ。


けれどもし、彼女の言うように彼を蘇らせることが出来るのならば……


それは魔法なんかではない。


奇跡だ。


彼女たちは半信半疑の状態で事の成り行きを見守る。


アイリスは両手を重ね、そっとオーランドの上半身に乗せる。


まるで母親が我が子を撫でるようにして、優しく包み込む。


――悠久なる安らぎの風マザー・リザレクション


アイリスの手から光が満ちる。


木陰に覗き込む穏やかな日差し。


命の種子を新たに運び込む爽快な風。


輝かしい彼女の魔力が広がっていき、この場に春の陽気をもたらした。


「……あれ、何だよ」


「古代魔法……か?いや、違う。そんなものじゃ……ない。そういうレベルの魔法じゃあないぞ……あれは」


自分たちの扱う魔法とは何もかも違う、全てが違う、次元が違う。


ダニエルの使った古代魔法など、霞んで見えてしまうほどの圧倒的な光。


気の遠くなるような程の研鑽を積んだ果てに辿り着く、超常の領域に位置する奇跡の魔法。


クライヴとロベルタ達が信じられないような表情で自身の体を確認する。


いつの間にか、自分たちを拘束していた魔法もぽろぽろと崩壊していき、自分たちまで彼女の光を浴びることにより、力が湧き上がっていった。


さらに、


「ぅ……ぅぅむ……」


「っ!?じいっ!!」


光が徐々に解けていく。すると、むにゃむにゃと寝ぼけるような声がオーランドの下から聞こえてくる。


リヴィアはすぐさま彼の下に近寄り、ロベルタ達も急いで駆け寄る。


深々と突き刺さった痛々しいまでの傷はすっかり無くなり、血色も良い。


アイリスの魔法によって、オーランドは復活を果たした。




「オーランド、彼女たちを頼みますよ」


現状を整理しきれていないオーランドが、エリック達に囲まれているのをアイリスは微笑ましく眺めた後、そっと立ち上がり離れようとする。


彼女にはまだやることが残されているのだ。


「あ、ま、待つのじゃっ!」


はっとしたように、アイリスに声をかけるリヴィア。


彼女の奇跡にも等しい魔法に魅せられたのか、先ほどの皇女としての威厳はすっかりなりを潜めてしまい、レスレックの学生の一人として礼を言おうとしていた。


「おお、お礼を言いたい……お主のおかげでじいが助かった……ほ、本当じゃぞ!!」


ただ、人に感謝するのに慣れていなかったのか、どうしても上手く言うことが出来なかったのだった。


「いいえ、礼には及びませんよ。リヴィア様」


彼がこの国を気に入ったのがよく分かる。


魔導書やアムンテルの誘惑を断ち切り、高潔な心を持っていると自分自身の手で証明したのだ。それは何よりも誇るべき事である。


「……アイリス殿。これから何をするのじゃ?」


彼女がここにいるだけで、自身の身に起こったことを全て悟ったオーランドはゆっくりと腰を上げ、言葉を選ぶようにして口を開く。


「ここを占拠している宮廷魔法士を征伐します」


「っ!?……たった一人で、ですか?」


「一人、ということでもありません。そのための手筈は整えてあります」


「あ、アイリスさんっ!僕たちも手伝いますっ!」


さっきの優しげな表情とは異なり壮麗な雰囲気を醸し出すアイリスに、ニーナとエリック、ミドルの学生達が反応する。


彼女とオーランドが知り合いだったことも衝撃的な事実だったが、彼女たちの応答はごく自然なものであり、ここにいる皆の意志を代弁するものであった。


「ありがとう、その気持ちだけでも十分嬉しいです。大丈夫、これは私の役目。あなた達は何も心配する必要はありませんよ」


「……そ、そうですか」


クライヴとロベルタが交互に顔を合わせ、困惑の表情を浮かべる。


レスレック城はまだまだ予断を許さない状況だ。それにフォーサリア宮殿のことだってあるため、ここで自分たちが奮起しなければとんでもないことになるはずだ。


それなのに、どうして彼女の言葉一つでここまで安心できるのだろう。


「しばらくここで休んでいてください」


カチコチに緊張しきった彼らが一旦落ち着いたのを見計らい、アイリスは彼らに一言告げ入口へと向かおうとする。


「……あのっ!」


振り向くアイリスに、フィオナは何かを感じ取った。


「あなたは……」


性格や容姿はまるで違うが、冒険者の彼とどこか似た雰囲気。


ヴァラルという名を、聞いたことはありますか。


「やっぱり何でもないです……すいません、呼び止めてしまって」


「……いいえ。貴女もお元気で」


けれどフィオナは何も言えない。


アイリスの人間離れした、吸い込まれそうな美貌。


――俺は、人間じゃないんだよ


フィオナは彼から聞いた言葉をしまい込み、アイリスを送り出した。



◆◆◆



「こ、こいつらは、いい、一体何なんだ!?」


「わ、分かるものかっ!そんなことっ!」


『複写の書』を持ちながら逃げ回る二人の宮廷魔法士。


レスレック城のあちこちで、慌てふためく彼らの叫び声が反響している。


二人の前に現れたのは、この城の置物として安置された古びた甲冑。見回りの最中突如それらの首が一斉に動き、襲い掛かってきた。


今までは全くそんな気配すらも無かったのにどうしてだ。


こんな事件、レスレック城では一度も起こったことはなかったはず。


彼らは目の前のありえない出来事にパニックとなっていた。


「し、しかも、こいつらっ!!」


「まだ動くのかッッ!!」


彼らはこうしている合間にも魔導書を使い、古代魔法を発動させている。


弾けるような音の後、一撃で粉々になる甲冑たち。辺りには金属の残骸が散らばっている。


しかし、その破片が一つ一つ宙に浮くとすぐさま集まり、元の形に復元していた。


こんなことが何度繰り返されてきただろうか。彼らの内には得体のしれない怖気がこみ上げ、次々と飛び掛かってくる甲冑たちを躱し、魔法を炸裂させて逃げ回っていたのだ。


「はぁ……はぁ……どうなってるんだ、この城はっ……」


「そんなのはこっちが聞きたい……」


大量の甲冑を何とかやり過ごし、通路の脇で悪態をつく二人。


リーダーであるダニエルが、今夜決行すると自分たちに伝えてからまるで進展が無い。


彼の事ならばとっくにリヴィアを確保しているはずなのに、連絡一つ来ないのは不自然だ。


さらに、何度も自動的に修復する甲冑もこの目で確認しながら、今でもにわかには信じがたい現象だった。


修復される度に微弱な光を宿していたことから、無機物に対しての何かしらの魔力供給が行われたのは想像がつく。


だが、問題はどこから行われているのかということだ。


甲冑一つ一つに対する魔力供給、それは決して容易に発動できるものではない。


大きさが大きさだけに、あれひとつを動かすだけでも結構な魔力を消費する。それを何百体も動かそうとする時点で、ここにいる宮廷魔法士達の魔力が底をつくだろう。


それなのに今、こうして現実的にはありえない事態が起こっている。

「もうわけがわからない……」


こんなことになるのなら彼の誘いに乗るべきではなかったと、宮廷魔法士の愚痴が零れた。


けれど、それだけでは済まなかった。


パラパラと天井の塵が落ちていき、床からは微かな地響きがする。


「こここ、今度は何が来るっていうんだ……」


「も、もうここにはいられない、とっとと逃げ――」


ようと言いかけたとき、


「あ、足がッ!足がっ!!」


彼らの足元が、底なし沼のように沈み込んでいった。


もがく二人の下へ近づいていく地響き。


それが、彼らへ残された最後の猶予。


ぼんやりとした奥の廊下の壁に影が映り込む。


「う、嘘だ……こんなのは嘘だ……」


それは翼の生えた獣のような何かだった。


ねじくれた角、獅子の体躯に、先端は斧のように長い尾を持つ鋼鉄の獣。


「ガ、ガガガ、鋼鉄獣ガーゴイル……」


銅像のように各階層に配置された、不動の番人。


主が帰還し、城が修復されることで本来の防衛機能を取り戻した鋼の獣たち。


「はは、は……そ、そういうことか……」


ようやく、男は気がついた。


さっきの甲冑、意図的に発動した足元の沼地、目の前で殺意を撒き散らす鋼鉄獣ガーゴイル


これらの非生物に対する魔力供給。その源は紛れもないレスレック城そのものだということに。


何か、そう何かを致命的に間違えたのか、自分たちを侵入者として認識され彼らの封印を解いてしまったのだと。


――侵入者ヲ、確認シタ


鋼鉄獣ガーゴイルは周りに呼びかけるようにして唸り声をあげ、二人に迫る来る。


その声を聞きつけ、通路一帯を埋め尽くすような数の大量の甲冑までも現れた。


――排除セヨ、排除セヨ、排除セヨ


「こ、こんな、こんな城だったなんて知らないっ!知らなかったんだっ!!俺はッ!!」


圧倒的な物量の前に、一人が涙目になり必死になって魔導書を発動させる中、もう一人は頬をひきつらせることしか出来なかった。


哀れな反逆者の末路など、想像に難くない。


二人はそのまま、レスレック城の番人たちの濁流に飲み込まれていくのだった。




◆◆◆




レスレック城の中層に、三人の人影があった。


フィックス・ベックマン、アンリ・バルト、マチルダ・アディンセル。


三人の教師たちがとある人物と合流を探し出そうと、城の中をきびきびと駆け回っていた。


「……一体何が起こっているんだ、この城で」


「私が来てから初めての事だ」


「とりあえず、オーランド学院長を探し出さなければ。彼はここにいるはずです」


マチルダは大きく息を吐く。


異変を感じたのは、オーランドの魔法結界が寮の入り口や通路のあちこちに張り巡らされたのを知った時。


マチルダ達はすぐさま何か余程の事態が起こっていると判断し、急いで他の教師を呼び起こした。そして急遽、生徒達の安全を確認する者と現状を把握するための者の二手に分かれ、三人はオーランドと合流しようとしていたのであった。


「ゼクティウム」


いざという時のためにオーランドから聞かされた秘密の合言葉により、三人は結界をするりと抜けていく。


「しかしこれは……」


「何度見てもありえない……」


目の前をガチャガチャとけたたましく音を鳴らし、甲冑の集団が通り抜けていく。


それを見届けたフィックスとアンリは思わずぼやいた。


「あれもオーランド学院長がやったというのか?」


「……直接はやっていないだろうさ、恐らくは」


「どういうことだ、アンリ」


「……この城そのものが防衛機能を果たしているんだと思う。外敵を排除するために。いくら学院長でも流石にこの規模は無理だ」


「外敵……宮廷魔法士あいつらのことか」


「ああ、恐らく。そうじゃないと私たちまで襲われていたはずだ。辻褄が合わない」


おびただしい数の甲冑や鋼鉄獣ガーゴイル、それらと出会った際は背筋が凍ったものだった。


しかし、彼らは自分たちを無視して次々と宮廷魔法士に襲い掛かっていき、その姿を思い出して年甲斐も無く安堵してしまうアンリであった。


「……後で詳しく、事情を聞くしかないな」


「フィックス、そろそろ上層へ向かいましょう。この階層は調べ尽くしたはずです」


「分かっているマチルダ」


フィックスはマチルダの気を落ち着かせながら辺りに気を配り、先導する。


ここで宮廷魔法士と鉢合わせすることはなるべく避けたい。


追いつめられた彼らが何をしでかすか知ったものではないため、彼は慎重に上層へ通じる階段へと足を運び、二人を率いる。


「……静かにっ」


不意に、フィックスの足が止まり、後ろにいる二人を押しとどめる。


右の角を曲がれば、上層へつながる階段がある。けれど、その前には生き残りと思われる宮廷魔法士が大勢いた。


「何だ……?」


不自然に思ったフィックスはそっと覗きこむ。良く観察してみると、彼らに立ち塞がるようにして、美しい女が階段の前で佇んでいた。


彼らの間で言い争いのようなものが起きているのか、怒号が飛び交っている。


「……まずいぞ、これは」


レスレックでは見たことも無い女性であった。しかし、ここにいるということは何かしらの事情を知る人物であると考えられる。


“彼女を助けなければ……いやしかし”


宮廷魔法士の数は十数人、対してこちらは三人だけ。


むやみに突っ込むだけでは、こちらがやられてしまう。


何か策を練らなければと、フィックスが二人に現状を伝えるため魔法でサインを送った。


「……甲冑たちが来るのを待ってみてはどうだろう?」


「それでは遅すぎます!事は一刻を争うのですよ?悠長に待っている暇など無いはずです!」


「マチルダ……それはあまりに無策だ。彼らは殺気立っている、私達だけで敵う相手ではない」


「ではどうするというのです!!ここで彼女を見殺しにするというのですか!?オーランド学院長ならば、決してそんなことをしませんっ!」


「私はあくまでも現実的な案を言っているだけなんだ」


一人を優先し三人を窮地に立たせるか。三人を優先し、彼女を見捨てるか。二人の意見は平行線を辿っている。


「分かった……それなら俺が出る。全員を相手にしなければ良い。不意を打ってこちらに注意をひきつけ、その隙に彼女に逃げろと伝えれば良い」


その代わり、最初は付き合ってもらうぞと二人に告げるフィックス。彼の問いかけに、アンリとマチルダはそれぞれ無言で頷き返した。


杖を構える三人。一斉に出られるようフィックスが数字を数え始める。


“彼女には悪いがこれで精いっぱいだ……後は彼女が無事に逃げられれば良いが”


彼は目を閉じて静かに集中する。


「三、二、一……今――」


『今だ』と指示し、フィックスたちは右手の角から飛び出そうとした。


その瞬間


「伏せろっッ!!」


膨れ上がる圧倒的な力。


血の気が引き、全身に走る言いようのない恐怖。


これまでに経験したことも無い、強烈な殺気がフィックスへ叩き込まれる。


彼は強引に振り返り、本能のままに二人を抱きかかえ、廊下に押し倒した。


ガラガラと何かが崩壊するような轟音。


降りかかる壁の破片。


直後、吹き込む外の冷気。


膨大な魔力が爆発したかのような凄まじい衝撃に、フィックスは意識を失いかけた。


“な……何があった……”


さっきの音のせいで耳が聞こえにくくなってしまった。それでもフィックスはゆっくりと目を開き、状況を把握しようとする。


「――っッ!!」


信じられない光景が映っていた。


腕が、見えた。


人の身を優に越えた巨大な腕。


それがレスレック城の壁面を一瞬にして破壊し、外に突き抜けている。


“ど……どうしてこんなものが……”


突如顕現したとんでもない大きさの巨腕に、フィックスは戦慄する。


“ま、まさか……あれなのか……?”


さっきまであのような腕は一切なかった、見間違いなどありはしない。


ならば、魔法の現象として発生したということ。


“あの魔法だというのか?”


引き抜かれる巨腕に畏れを抱きながら、フィックスは立ち上がる。


アンリとマチルダは頭を強く打ち、気絶している。


自身も散らばった破片により、頭と体の節々が痛みを訴えている。


今にも倒れそうになりながらも、それでも足を動かすフィックス・ベックマン。


実践魔法学で多種多様な魔法を扱う彼が少年の頃から追い求め、憧れ抱く奇跡の魔法。


この右手の角を曲がった所に全ての答えがあると、痛みをこらえ、よろよろと近づいた。


「あ、あああ……」


“やはり、やはりそうだったのか……”


フィックスは感動のうめき声を上げた後視界はぼやけ、糸が切れたように意識を失っていった。



そこには巨神がいた。


彼女を守護するようにして背後に佇む古の巨神。


大地を震撼させ、比較するのもおこがましいほどの絶大な魔力を秘めた、見るもの全てを圧倒する絶対の存在。


その全長は最早想像もつかず、あまりにも大きすぎるため上体だけを顕現させていた。



――精霊魔法


大いなる自然の力と契約し、偉大なる精霊の力をその身に宿す伝説の魔法。


精霊のもたらす力は筆舌に尽くしがたく、その秘儀を見出したとされるハイエルフは永久とわの繁栄を築いたとされている。


物語の中にしか存在しない究極の召喚魔法。


黄金の長髪を風になびかせ、巨神を仰ぎ見るアイリスが幻想的に映し出されていた。




◆◆◆




「……あ~あ、これはひどい」


「っ!?」


突如決闘場へ降り注ぎ、砂埃を巻き上げる瓦礫の山。


ダニエルは顔を腕で覆い転がり込む一方で、イリスはため息をつきながらも微動だにしていない。


「折角直したのにまた壊してどうするのよ、アイリス」


「な、なんだこれは……」


ダニエルは一つ一つが岩のような大きさの瓦礫を信じられない様子で眺めている。


砕かれたレスレック城の城壁であることは間違いない。


だが、どうしてそんなものがここへ落下してきたというのだ。


「……ああ、そうそう。言い忘れていたけど、城にいるあんたのお仲間、もう誰も残っていないから」


「……な、にぃ?」


「ほら」


くいっと目の前の残骸を示すイリスに、ダニエルは恐る恐る凝視する。


「な、ななっ!?」


べっとりと付着した赤い痕跡。いくつもの魔導書が散乱し、人の手と思われる何かが瓦礫の下から見えていた。


「わざわざここで騒ぎを起こすことはないのに。本当、馬鹿ばっかり」


心底つまらなそうにしてメルディナ魔法学院の学院長は呟いた。


“さっきの女がこれを……たった一人で?”


一方、この惨状を目にしたせいなのか、ダニエルの頬に冷や汗が流れる。


彼らには魔導書があったはずだ、自身と同じ古代魔法が記されたあの本が。


それなのに、どうしてこうもあっさりやられているのだ。


どんな出来事があったのかは想像もしたくない。


けれど、こうした一方的な蹂躙が今もあの城で行われていることを、嫌でも理解せざるを得なかった。


“そ、そんなふざけたことが……あ、あってたまるかっ”


「だ、だが、僕たちはまだ負けていない。あの宮殿には――」


「私が言ったこと聞いてないの?私はこの国の事なんてどうでも良い。人質とか関係ないの」


苦し紛れの彼の言葉にイリスは釘を刺した。


「そんなことで私をたらし込もうだなんて千年早い……一生無理ね」


やれやれとあきれ顔でダニエルを見据えるイリス。


こちらにもダニエルの動揺が手に取るように伝わり、嗜虐心に火がつく彼女だった。


「くっ!!」


予定が大幅に狂った。いや、狂ったという騒ぎではない。


まずい、本当に不味いぞこれは。


リヴィアの確保に失敗し、宮廷魔法士達は蹂躙され、全員やられた。しかも目の前には得体のしれない女がいる。


駄目だ、動揺する気配も見せない彼女には何を言っても無駄だ。


“……ここは一度身を隠すしかない”


魔導書を発動させた後、自身の体に魔力付与エンチャントを付与。


いざという時のために学んでおいて本当によかったと、ダニエルはこの場を逃走する算段を整え始める。


即断即決、彼はすかさず魔導書を発動させようとするが――


“な、な……なんだ、これ……は”


彼は石像のように固まってしまった。


「か、体が……」


どんなに力を振り絞っても四肢はピクリとも動かない。


縛られている訳でもなく、足がすくんでいる訳でもない。辛うじて声を出すのがやっとの状態だった。


「逃げられると思ってるの?」


「な、何をした……?ぼ、僕に何をした?」


「何もしていない。あなたが勝手に動かなくなっただけ」



――石化の魔眼(ゴルゴーン)、解放



彼女の真紅の右目には奇怪な紋様が浮かび上がり、しっかりとダニエルを捉えていた。


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