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黄金の時代  作者: 木村 洋平
魔法皇国ライレン編
76/79

ゼクティウム


アーガルタのとある部屋に、大勢の人々がいた。


赤子を抱える女性、杖をつき小刻みに震える老人に少年少女たち。


彼らの目の前には三人の男女がいる。


この間の一件で思うところがあったのか、何も言わずにいるアイリス。


素っ気なく腕を組み、憮然と立ち尽くしているガルム。


涼しげな表情をして、泰然とした意志を秘めるセラン。


広々とした大きな一室に、三人は人々を呼び出していた。


「さて……予告したように、明日にはこの城を去ってもらいます」


セランの冷徹な一言、それによって人々はざわめきだす。


お願いだ。私たちを見捨てないでくれ。頼むといった懇願の声が次々と上がっていく。


「喚くなよ、人間」


怒気を含ませた、ガルムの一喝が轟き渡る。


瞬時に人々は言葉を失い、そのまま黙りこんだ。


「何時までたっても、進歩の無い奴らだ……あいつらが事を起こす前に、俺達に言える機会はいくらでもあったはずだぜ」


「あなた達は我が身を大事にするあまり、誰も動こうとしなかった……それはつまり、私たちがどうなっても構わなかったということですよ」


例えそれが大人たちに脅されていたとしてもだ。


自己擁護だけは一人前であると、人々の頼みを軽くあしらうガルムとセラン。


それでも、彼らは必死に許しを請う。


今ここで見捨てられたら、行くあてなどどこにもないのだ。


理論的に反論するセランとガルムに、感情で訴える残された人々。


あまりにも不毛な争いだった。


「……仕方ないですねえ。そんなにここに残りたいのなら、チャンスをあげましょうか」


“セラン?何を言い出すんだ、いきなり”


だが、三人のうちの一人セランがいきなり言い出したことに変化が起こる。


やれやれと首を振り、諦めきった調子の彼にガルムは目を見開いた。


彼らに譲歩する必要など全くない。それなのにこいつは何を言い出すのだと。


“ああ、良いですねえ。その希望に満ちた表情、本当に滑稽だ……”


一方、そんなガルムの考えを露も知らないセランは、自身の一言によって途端に喜ぶ人々の反応を愉快そうに眺めている。


“……碌な考えじゃなさそうだ”


ガルムは相変わらずその表情を見て、また何かやらかす気だなとため息交じりに頭を抑えた。


アイリスは今もまた、気の毒そうに彼らを眺めていた。


「おやおや、喜ぶのは早いですよ人間。まだ何も言って無いじゃないですか……」


――あなた方の中から一人を選び、私たちに捧げなさい


セランは途端に口の端を大きく吊り上げ、彼らを一気に奈落の底へと蹴落とした。





「レ、レイステル。そ、それはもしや……」


「ええ、あなた達の想像通りの事で大体あっていますよ」


「なっ!?」


人々の間ではまたもやどよめきに包まれる。


レイステルの言っていることは紛れもない人身供与。


一人の犠牲と引き換えに、残りは見逃すという悪魔の取引だ。


「この場で決めてもらいますよ。今直ぐに」


「そ、そんな……」


この場にいる誰か一つの命で全員が助かる。


理屈で考えれば、これ以上文句の付けようの無い条件であることは考えるまでも無い。


だが、それは破滅への第一歩。自己保身に走った彼らがそんなこと出来るはずもない。


“さて、彼らは何をするのやら……”


この中にいる一人が大声を上げて誰かを吊し上げ、そのまま引きずり出されるか。


または、このまま誰も選び出すことをできず、極寒の外の世界に放り出してしまおうか。


それとも、数に任せてこのまま集団で襲いかかってくるのか。


人々を、愉悦の表情で眺めていたセランだった。


そのため、


「ほ、本当に見逃してくれるのですか……?」


「……ええ、良いですよ」


自身の思惑が外れ、自ら立ち上がった少年に多少の苛立ちを覚えたのは確かであった。





“こいつは……?”


人々が言い争いになる直前で立ち上がった男に周りがどよめく中、ガルムはふと顔をあげ彼をまじまじと観察した。


雪のような白い髪に紫の瞳を持つ、まだあどけなさの残る少年だった。


「名前は?」


「ラ、ライル……ライルと、言います」


「ライル……ああ、あの時の」


ライルと呼ばれた少年の顔立ちにセランは見覚えがあった。


魔法の力を知りたいと頼み込んできたあの時の少年か。


「責任を感じているのですか?自分が頼み込まなければ、こんな結末にはならなかったと。回避できたと。けれど思い違いも甚だしいですよ、あなた達はいずれにせよ――」


「い、いえ……それは違います。そこまでは、流石に……」


「では何だと……?」


ライルのしどろもどろとした口調に、セランは不機嫌になる。


こうもはっきり怯えているというのに、自身の意にそぐわず言い返してくるところに不快感を覚えていた。


「あ、あなたは約束してくれた。命一つで他の人達を見逃すと。な、なら、とても安い」


「……嘘だとは思わなかったのですか?」


「い、以前もあなたは魔法を教えるという約束を守ってくれた。そんなあなたが嘘をつくとは考えられない」


“……この少年は”


ただ、取引の内容が自分たちに有利だったから。


それだけで、名乗りを上げたのか。



自分の命を何とも思っていないのか。


人々が慌てふためく姿を期待していた悪魔は、少年を黙って睨みつけた。


「へえ、少しは言うじゃないか」


セランと交代するようにして、ガルムが一歩前に踏み出る。


ライルの表情は強張ったままであったが、それでも精一杯の勇気を振り絞るようにして何とか踏みとどまっていた。


「そんなにこいつらが大事か?こうしてお前が立ち上がっても、誰も庇い立てもせず、ただ黙って見てるような奴らが?俺にはとてもそうは見えない。命を懸ける価値なんざあるわけない」


ガルムは、唖然とした表情の初老の女と赤い手記を持った少年をじろりと見下ろす。


恐らくはライルの家族なのだろう、二人は必死に押しとどめるようにしてこれ以上何も言わないよう、その場に座らせようとしていた。


「そ、それでも僕にとっては大事な人たちです……母さんも、弟も、皆も」


「……おいお前ら。聞いたか?このライルは自ら進み出てお前たちを庇っているんだ。必死になってな。見ろよ、こいつ俺に怖気づいてるんだぜ?それなのに立ち上がってる。恥ずかしくないのか?お前たちはこいつの姿を見て、何も思わないのか?」


ガルムは大声で問いかける。


こんな一人の少年にすべてを任せていいのか。何か他に言うべきことがあるのではないか。


自分が彼の代わりになる。けれど、他の者には手を出さないでくれと。


そんな言葉が、ライルにしか出せないのか。


「いけ好かない連中だな、本当……」


けれど辺りはいつまでたっても静まり返ったまま、一人たりとも意見しようとしない。


ガルムはそんな彼らの反応にすっかり幻滅していた。


“……どうしますか?彼らの事”


“どうもこうもないだろうが。あいつ以外を見逃すしかないだろうが”


“気に食わないように見えるのは、私の気のせいでしょうか”


“当たり前だろうが”


視線を交わすガルムとセラン。


例え、ライルを手にかけたとしても根本的な問題は解決しない。


これまでの応答を鑑みても、一時的にはライルのことを彼らは感謝するだろう。


自分たちの身代わりになってくれたのだから。


けれど、真にどうにかするべきなのはライル以外の連中だ。このまま彼を処断したところで変わらない、何も解決しない。


彼らはまた、自分たちに頼りきりの生活を送るだろう。


そのことに非常に歯がゆい思いをするガルムだった。


“いっそのこと、三人だけ残すのはどうだ?あいつと、その家族だけ。俺達に意見した心意気に免じてな”


“私はかまいませんよ。大勢の人々を救うために己を差し出す者が救われ、何もしなかった人々が破滅する……結構じゃないですか、皮肉が効いて”


“そっか……アイリスもそれで良いな”


今まで何も言わずにいる彼女にも意見を聞かなければならない。彼女は最後まで彼らを信じてはいたようだが、これでわかっただろう。


少年一人の命を庇おうともしない、彼らの薄情さを。


“待ってください”


“……まだ何かあるのか。見ててわかっただろう、あいつらは――”


“そうではありません”


しかし、アイリスは二人のやり取りなど至極どうでも良さそうだった。


――主様が目覚めました


「……おいおい、何だって?」


「……ちょっと早すぎませんか?」


彼女の放った一言に、驚きのあまり思わず声に出てしまったガルムとセラン。


そんな突如深刻な顔を浮かべた三人を、人々はただ黙って見守ることしかできなかったのだった。






「あ、あの……」


「何です、少年」


「さっきの事……なにかあったのですか?」


アーガルタの下層、その通路の一角で戸惑いがちに問いかけるライル。


集まった人々をいきなり解散させたかと思いきや、自分だけは彼らと行動を共にしている。三人の表情は一様に複雑なものだった。


こうして立ち入り禁止区画に連れ出されたことから、予想外の事が起きたのは間違いなかった。


「……お前と会いたいって言いだした奴がいるんだよ」


「僕に会いたい、ですか……で、でもここにはあなた方三人しかいないはずでは」


「何言ってんだよ、勝手に決めつけるな。俺達は元々四人だぞ」


「よ、四人ですか?」


「そうだ。ちょっとばかし顔を出さなかったけどな」


延々と続く螺旋階段を下りる四人。驚くライルを余所にガルムはぶっきらぼうに答える。


ここにいる人々の行いを話した後でも、益々興味を持ったのか少年と話がしたいと言い出した彼。


ああいう何でも興味を持つ性格は何とかしてもらいたいものだとガルムは思うのだった。


“ま、後の事は直接聞いて確かめることだな”


アーガルタの最深部に四人は辿り着く。


正面には石造りの巨大な門。


あどけなさの残る少年は緊張のあまり息をのむ。


三人と同格、またはそれ以上の存在がこの奥にいると考えるだけで、今にも逃げ出したい。


けれど、ここで逃げ出してしまえば人々はどうなるかわからない。


自分が頑張るしかないのだ。


ライルは門が徐々に開かれるのを眺めた後、わずかな知恵と勇気、家族への想いを胸の内に秘め足を運ぶのだった。




◆◆◆



「その後ライルという少年はゼクティウムと出会い、対話を行った」


オーランドは話を続ける。


最早、誰にも知ることの無いこの国の歴史を。


「決死の覚悟であったことは容易に想像がつく。ゼクティウムの関心を失ってしまえば、何もかも終わりなのじゃから」


「……」


リヴィアもまた、オーランドの言葉を拾い上げるようにして己の中に取り込んでいく。


自身の祖先の忌むべき過去をこうして語り聞かせることに対し、どれほどの葛藤があったことか想像もつかない。


「そして、ついにライルの言葉は彼の心を動かした。ゼクティウムは少年の願いを聞き届け、仲間と共にアーガルタを去っていったのじゃ」


「い、いや待つのじゃ。いなくなった?ど、どうしてじゃ。許すのならまだしも、何故彼らがあそこを出ていくのじゃ」


「やり直しのための最後の機会をくれたのじゃよ。自分たちに頼らずとも、ちゃんとやっていけるかどうかを試すためにのう」


「け、けれど魔法を使えなければ……魔力が無くてはどうにもならないはずじゃ」


それが、ライレンの真実なのか。


四人がいなくなり、平穏無事となったあの城で人々は過ごしたのか。


けれど、それでは辻褄が合わない。


ライレンは言わずと知れた魔法大国、最先端の魔法技術は他国の群を抜くが、それも魔法士という存在がいればこその話だ。


魔力を宿していない彼らではどうにもならない。


何かが、何かが決定的に欠けている。


腑に落ちないリヴィアの顔が、オーランドの瞳に映り込んだ。


「……そうじゃのう。ライルという少年がいたおかげで、わしらはこうして生き延びることが出来た。けれど、それだけではここまで立派な国になることはなかったじゃろう」


「じゃ、じゃあ、どういうことなのじゃ……」


「リヴィア。フォーサリア宮殿の地下深くに眠るライレンの秘宝、お主は知っておるじゃろう?」


「あ、あれの事か?じゃがあれは――」


オーランドの意味深な発言に、リヴィアは戸惑った。


「何の役にも立たない只の置物、だと思っておるじゃろう?」


「う、うむ……」


「大違いじゃよ。あれはゼクティウムがライルに授けた奇跡の産物。まさにこの国の秘宝に相応しい」


「な、なぬっ!?」


あの結晶にはそんな由来があったのか。


リヴィアがまじまじとオーランドを見つめる。


「い、一体どんな秘密があるのじゃ、わらわが触っても何も起きなかったぞ!」


「……今のリヴィアやわしには効果がないじゃろう」


「こ、効果が無い?一体どういう意味じゃ!」


「それはのう――」



――あの結晶は触れた者に魔力をもたらすからじゃよ



「な、な、何じゃと……」


「だからこそ、わしらが触っても意味が無い。既に魔力をこの身に宿しておるからのう」


後天的に魔力を宿すことは不可能とされる今の魔法理論を、根幹から否定する神秘の結晶。


世界の条理を覆す奇跡の御業。


ウィデル結晶。


『目覚め』を意味するその結晶は今も輝きを失わず、見守るようにライレンの地下深くで光を放っている。


そして、ゼクティウム。


――もたらす者


魔力を持たぬ者に新たに魔力を宿すという奇跡の産物、『ウィデル結晶』を一人の少年に託した者。


アーガルタに住まうかつての人々は、ウィデル結晶の力によって魔法を扱えるようになったのだった。





「この国の祖先はゼクティウムに誓った。魔法の力を正しく管理し、扱っていくと……じゃが、やはりわしらには荷が重かったのかもしれん」


オーランドは静かに語る。


かつてアーガルタの惨劇がまたもや引き起こされ、あろうことか彼まで巻き込んでしまった。


ライレンの最大の過ち。


リヴィアはショックを受けていたのか俯いたまま何も言わない。


無理からぬことだ。当たり前だと思っていた魔法の力はゼクティウムから授けられたものだと知れば、誰だってそうなる。


とても辛いだろう、嘆かわしいことだろう。


この国の祖先はとてもちっぽけな存在だと彼女は知ったのだ。


己の信じる価値観が脆くも崩れ去る感覚はよく分かる。


自身もあの手記の中身を知った時は、しばらくの間何も考えがつかなかったのだから。


「……こうなることなら、いっそのこと魔法の力など手にするべきではなかったのかもしれん」


けれど、まだ希望はある。


現代に蘇ったゼクティウムとその仲間達。その大いなる力を借りれば、この窮地を脱することが出来るかもしれない。


オーランドは彼らの正体を明かし、救いを求めるよう彼女に伝えようとした。


「……じい、それは違う」


それでも彼女は――


彼女は、否定した。


「なぬ?」


オーランドの諦めきった顔をしっかりと見据え、立ち上がるリヴィア。


「確かに、じいの言うゼクティウムのおかげでわらわたちは魔力を手に入れたかもしれぬ」


「……」


ふわふわとした雪のような白い髪に紫の瞳。


愛らしさに溢れた彼女の姿は今は無く、威厳に満ち溢れた皇女がいる。


「けれど、ライレンをここまで発展させてきたのは先代たちのおかげであるのも事実。わらわたちの祖先が決死の思いで生き残ったから今がある。その想いまで否定してはならぬ」


「っ!?」


彼女の気迫に圧されるオーランド。


リヴィアを世話のかかる孫のように思っていたが、今の彼女は全く違う。


紛れもない、この国の皇女だ。


「じい、まだ事は公にはなっておらん。わらわはこの事態を止めなければならぬ。再び過ちを繰り返す前に」


「……レスレック城はダニエルの手の中、フォーサリア宮殿も危ない。お主一人で何ができるというのじゃ」


「何もできないかもしれぬ。けれど、彼らの言うことには決して従うつもりはないぞ?」


「……何故そこまでできる。死ぬよりもひどい目にあわされるかもしれんのじゃぞ?」


オーランドは分からない。


彼女は真実を知りながら、どうしてそこまで強くいられるのだ。


「ライレンを率いる者として……いや、この国に住まう一人の者として。それが責任を果たすということじゃろう?」


真実を知っても尚、リヴィアは挫けない。


矮小な存在であることを自ら認め、誇りを失わなかった。


過ちは犯した。けれど彼らは反省し、今に活かした。


一度の過ち位何だというのだ。


失敗し続けながらも進歩する。


それが、彼らに対する最大の敬意だ。


リヴィアの決意が、オーランドの心を大きく揺さぶった。


「……本当に立派になったのう」


「そんなことはないぞ。わらわはまだまだじゃ」


景色は段々と白く染まっていく。


まるで、二人の邂逅が終わりを告げるように。


「いいや、わしは思い知らされた……過去の出来事に囚われ、わしは前を向いて歩こうとはしなかった……教育者として失格じゃ」


彼女は本当に強い。


過去の呪縛に縛られることなく、彼女は前へ進もうとしている。


「そんなことはないぞ?わらわはこれからすることが山のようにある。ダニエルを倒し、城を開放した上で、フォーサリアにいる者達を救わねばならぬ。今から考えるだけでも苦労する」


「そうか……」


苦笑するリヴィアをオーランドはじっと観察する。


それでもやはり怖いのか、ほんの微かに震えている。


彼女も分かっているのだろう、ダニエルに逆らうことは命を失いかけない危険な行為であることを。


「……リヴィアよ、お主のその決意が確かならば彼らはきっと――」


「ん?何じゃ?」


「……いや、何でもない。しっかり頑張るのじゃぞ。出来ることなら、わしの分まで精いっぱい生きるのじゃぞ」


「うむっ!分かったっ!」


そして、霞んでいく景色の中リヴィアはオーランドに大きく頷いた後、ふっと消えるようにしてこの世界からいなくなった。


後に残されたのは、オーランド一人だけ。


彼の体は足元から徐々になくなっていく。


そのことに、己の死期はもう間近に迫っているのだなと悟った。


「リヴィア様……」


――貴女こそ、この国を導く御方じゃ……


遠い日のライルという少年を目を閉じて思い浮かべ、オーランドは静かに呟くのだった。




◆◆◆



レスレック城の上層にある実技教室ではダニエルの笑い声がけたたましく響いていた。


勝利を確信したような高らかな声。


それがこの場を支配していた。


「ああ、そういえば」


ふと思い出すようにして、ダニエルはリヴィアを見下げながら口にする。


「君には少しもったいないことをしたかもねえ、リヴィア。あの時はヴァラルにアムンテルを飲ませる直前だったそうじゃないか」


「アムンテルっ!?」


クライヴやロベルタ達に動揺が走る。


あれは依存性の高い禁断の魔法薬。一度飲ませたらそう簡単には効果が消えない危険なものであり、長期間にわたって解毒剤を服用させ、ようやく元通りになるのだ。


「お主か、あれを置いたのは」


「……僕では怪しすぎてばれてしまうからねえ。信用のおける君に使わせれば、簡単に引っかかる。彼を無力化させるためにも当然のことさ」


オーランドが倒され半狂乱になっていたはずの彼女が冷静になっていたことに、ダニエルは不自然に感じながらも会話を続ける。


あの冒険者は何をするかわかったものじゃない。恋心だろうと何だろうと、利用できるものは何でも利用する。


「あれをもう少し早く使っていたら、君も少しは彼との甘いひと時が過ごせたかもねえ……いや、本当に申し訳ないことをした」


後は、本命のフォーサリア宮殿さえ落とせば全て完了する。


「そ、そこまで考えて……」



「何なの、あなたは……」


笑顔の下に隠された身の毛のよだつような悪意。こんな危険な考えを持った彼を、自分たちは今まで慕い、暮らしていたのか。


エリックやニーナ達の顔が恐怖に張り付くのを満足げにダニエルは見下ろす。


「……何を言っておるのじゃ」


「何……?」


しかし、彼女は違った。


ゆらりと立ち上がるリヴィア。


両腕を拘束され、オーランドの血で真っ赤に染まった血塗れの皇女。


既に勝敗は付いている。それなのに、どうして気圧されるんだ。


ダニエルの体が思わず強張った。


「ダニエルよ、お主は勘違いしておる」


「勘違い……?一体何を勘違いしているというんだ、この僕が」


「アムンテルの事じゃ」


「……何を言っているのか。知ってるよ、君がヴァラルに惚れている事はね」


だからこそ、あれを使った。


彼があの薬に囚われたところで捕え、リヴィアと引き離す。そして、傷心の彼女に彼を装って近づき確保する。


当初の予定よりも大幅に変わってしまったが、最大の敵であるオーランドを倒すことが出来、彼女も手に落ちたため何の問題も無い。


「やはり勘違いしておる……訂正するがよいダニエル」


「はっ?だから何を勘違いしているというんだ」


彼女の物言いに押されながらも苛立たしく反応するダニエル。


人の心を強引に手に入れようとした罰だ、彼女にはこのような結末がお似合いだ。



「わらわはのう――」


――ヴァラルにアムンテルを使おうと思ったことなど、一度も無い。あんなもの、とっくに捨てたわ


「……な、何ぃ?」


あの魔法薬を使わなかった?


この国の最も希少な魔法薬にして、強力な効果を持つあれを捨てた?


ありえない。


リヴィアの堂々とした宣言を前に、ダニエルは驚きを隠せない。


「どうして使わなかったっ!!」


「わらわは皇女じゃ。彼に想いを寄せようと、曲げてはならぬ道理位、理解しておる」


――あまりわらわを舐めるでないぞ?


ピシリと、何かに亀裂が走る。


「う、嘘……」


その音は、彼女の手元から聞こえてくる。


今まで解除することのできなかった魔法を崩壊していく。


フィオナ達が、強大な魔力を帯び始めたリヴィアに言葉を漏らす。


「くそっ!」


ダニエルも彼らと同様だった。


あれは対象者の魔力媒体に干渉し、体内の魔力の流れをかく乱させるリヴィア専用の拘束魔法。それを内部から破ることなど考えられない。


もしもだ。もし仮にできたとしても、これほどの強力な魔力干渉ができるのは己の知る限り、『杖なし』であるオーランドしかいない。


“……まさかっ”


彼女はこの短期間で――


ダニエルは素早く杖を抜き、臨戦態勢を取る。


それと同時に彼女の拘束魔法がついに解かれた。


そして、二人が動き出そうとしたその瞬間――



――へえ、使わなかったんだ。アムンテル



声が聞こえた。


ヴァラルのような、気まぐれで素っ気ない大人びた女の声。


「ちょっと意外。私もてっきり、あれを使うと思っていたから」


その声色は何者をも魅了させる甘美な歌声のようにも感じられる。


この場にいた全員が、入口の方へ振り向いた。


「っ!?」


二人の女がいた。


一人は大きな胸元とスラリとした長い脚を強調するような、蠱惑的な格好をしたツインテールの女。


その上からマントを羽織った彼女は体を壁に傾けて腕を組み、こちらのやり取りを今までずっと眺めていたかのようだった。


「イリス」


「はいはい、分かってる」


もう一人は、ツインテールの長身の女と同じく綺麗な金の髪を持つ女。


気品に満ち、清楚な印象を与えるローブを纏い、隣の彼女をたしなめている。


二人は同じ人間とは思えない程、美しかった。


「……ま、良いか。とりあえず合格」


吸血鬼の真祖ブラッディ・プリンセスたるイリスと、


「行きますよ、主様のために」


かつてこの城に住まう偉大な存在である一人、イシュテリアと呼ばれたアイリスが彼らの前に姿を現したのだった。




◆◆◆




ライレンの首都、フォーサリア。


吹雪が止み終わり、降り注ぐ粉雪。


夜更けを過ぎたこの時間には街灯が寂しく灯り、道行く人は誰一人いない。


この国を象徴するフォーサリア宮殿の正門は固く閉じられ、中の様子をうかがい知ることが出来ない。


そんな退廃的な寒々しい冬空の中、宮殿を見据える三人の姿があった。


「どうだ?中の様子は」


「つい今しがた、制圧されたようです」


「ブレントという宮廷魔法士が最後まで交戦。けれど皇妃と二人の皇女を確保され、降伏を行った模様」


「……やはり厳しいか」


精強さを誇る宮廷魔法士も、あの魔導書には一歩譲る形となったか。


いや、奇襲されても尚、彼らがここまで互角に持ち直したのは流石というべきなのだろう。


王の騎士団(ロイヤル・ナイツ)のランスローとガウェインの報告を聞きながら、古びた剣と鎧を身に付けたヴァラルはぼそりと呟いた。


「……よし、それなら俺が出るか」


「ヴァラル様自ら行かれるのですか?」


「王よ、ここは我らにお任せを」


ランスローとガウェインはガチャリと鎧を鳴らす。


「何驚いてるんだ、別に不思議はないぞ。俺が出ればあいつらは当然騒ぎ出すだろう。そこを狙うんだ」


何しろ自分はこの国で指名手配されているのだ、彼らの気を引き付けるには十分な役割を果たすはずだ。


「囮、というわけですか」


「ああ、その方がお前たちもやりやすいだろう?」


「我らのためにその力を使われるとは……何と偉大な方だ」


“あの二人が上手くやってくれれば、もう少し何とかなるかもしれないけどな”


ガウェインが感動に打ち震えているのを置いておき、ヴァラルは話を続ける。


「お前たちは宮殿を囲んでの監視と封鎖、一人も外へ逃がすな。それと人質の安全確保も並行して行え。出来るな?」


「了解しました」


「よし、他の連中にも伝えておいてくれ」


二人の堅苦しいまでの臣下の礼に辟易しながらも、彼は気持ちを切り替え正面から宮殿へ乗り込もうとした。


「ヴァラル様、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」


「何だ?」



だが、ランスローの言葉が彼の行動を押しとどめた。


「何故、この国の騒動に力を振るわれるのですか?彼らの行いは過去の出来事とまるで同じ、ヴァラル様にも刃を向けられた」


それなのに三人のように彼らを見捨てず、今もこうして手を貸そうとしている。


無礼を承知の上で、その理由は何なのだとランスローはヴァラルに訊ねる。


ランスローの物言いに抗議しようとするガウェイン。しかしヴァラルは気にしていないと彼を諌める。


そして、ほんの少し考えるそぶりをした後ヴァラルは口にした。


「レスレックで世話になった連中がいるからな。あいつらのために俺が出来ることといったら、これ位だろう」


「あのお二人のために、ですか」


「……ちゃんと他にもいるぞ?」


彼女たちの居場所であるライレン。


二人の想いには応えられなかったが、信頼という別の形でヴァラルは応えようと思っていた。


「あいつらは本当に良い奴だからな。だから、あんな馬鹿げた奴らのせいでこの国が無くなるのは嫌なんだよ、俺は」


そう言って、彼は遠くに見えるフォーサリア宮殿をじっと眺める。


また彼女たちの事だけでなく、自身を犯罪者に仕立て上げた彼らに腹が立っていたのも事実であるため、きっちりとそのお礼をくれてやろうと思っていたヴァラルだった。


「……ヴァラル様の御考え、しかと理解致しました。出過ぎた真似をお許しください」


「気にするな、こんなことでどうこう言うつもりはない」


「はっ……」


深々と頭を下げるランスローとガウェイン。


ヴァラルとしてはこんな単純な理由で手を貸すことで彼らに幻滅されるかと思っていたが、彼らの琴線に何か触れる所があったのか、非常に好意的に受け入れられたことに驚いていた。


「よし、それじゃあ今度こそ行ってくる」


――後は任せたぞ


そしてヴァラルはサッと身を翻し、


「御意」


フォーサリア宮殿へ乗り込んでいくのだった。

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