フィオナの動機
「……やはり、厳しいと言わざるを得ませんか」
「すみません……」
フィオナは申し訳なさそうに、眉間にしわを寄せているマチルダに頭を下げる。
魔法薬研究会の論文提出が間近に迫り、マチルダの研究室では重苦しい雰囲気が漂っていた。
「謝ることはありませんよ、フィオナ。私は怒る気などありません。顔をあげなさい」
マチルダは手元に彼女の書き上げた論文を引き寄せ、その一節を読み上げた。
「デラセウムの蔦にレメダスの皮。これらの魔法薬の転用に関して、貴方なりの考察を拝見しましたが、非常に興味深い内容です」
普段は整理整頓され、小奇麗な印象を与えるマチルダの研究室には、魔法薬研究会が四年間に渡って分析・考察した調合レポートが山積みにされている。
詳しいことはライレンの研究所に本格的な実験を依頼しないとわからないが、どちらも従来の魔法薬や治癒魔法では克服し得ない難病に効力を発揮すると、マチルダの長年の経験と勘が告げていた。
これを発表すれば、魔法薬学会でも研究会、とりわけフィオナの顔が立つだろう。
しかし大変名誉なことであるはずなのに、それでも彼女の顔が晴れることはない。
「それなのに、貴方はまだ納得していないようですね」
「……もう少し時間をいただけませんか?」
「具体的には?」
「一ヶ月ください」
懇願するようにフィオナが伝える。
「なりません。限度があります」
だが、即座にきっぱりとした口調でマチルダは咎める。
「お願いしますっ!」
「……フィオナ、少し冷静になりなさい」
それから、二人の攻防が始まった。
一日ずつ交渉し、互いの妥協点を探り合う。
「――そ、それじゃあ……二週間」
「はぁ……これが本当に最後ですよ?」
そして、フィオナの懸命な説得により、やっとマチルダは折れた。
こういうところ、魔法薬に関する強情さは本当にアルフレッドとそっくりだと思いながら、フィオナの言葉にマチルダはげんなりした。
「やった!……こほん、それでは失礼します」
マチルダとの交渉に成功したフィオナ。
一瞬地が出たが、この場を取り繕うようにしてそそくさと後にした。
「ふぅ……」
それにしても大丈夫なのだろうか。
フィオナはあのように言っているものの、何の確証もなく悔し紛れに言っているようにしか聞こえない。
この調子では、完成できなかった時の彼女の落ち込みようは半端なものではないだろう。
しかし、これもいい機会だ。
彼女の気の済むまでやらせ、諦めてもらうしかない。
「……頼みますよ、ヴァラル」
出ていくフィオナの姿を見やり、彼女を応援するのではなく、ヴァラルのことを口にするマチルダ。
彼が協力しているにもかかわらず、彼女の魔法薬開発は大きく進むことはなかったため、彼女の当てが外れてしまったと言っても良いだろう。
ただ手助けするにせよ、このまま諦めさせるにしろ、フィオナの力になれる彼を期待し、マチルダは提出期限ぎりぎりまで二人を見守ることにするのだった。
◆◆◆
「あ~もう!どうしてなのっ!?」
癇癪を起こしたような大声が、特別研究室に響く。
ヴァラルの忠告に従い、ポーションの携行性、言いかえれば保存性を重視することにしたフィオナ。
本当は回復能力も向上させた物も作りたかったが、如何せん時間がかなり限られてしまっているため、彼女は方針転換し、急ぎ作業を行った。
けれど、現実はそう甘くない。
マチルダから延長許可を取り付けて四日経つが、彼女の予期した通り失敗の連続だった。
「材料は正しいはずなのに……」
手元の魔法式や実際に行った手順を確認するフィオナ。
……全て合っている。
最初の材料の選択から、最後の締めとなる作業まで。
ハイクラスの魔法薬学を専攻している彼女は、材料の表面的な効能だけでなく、それこそ薬草の栽培方法や、誰も知らないような最適な保管方法等も頭の中に入れており、伊達にカミラを助手にしている訳ではなかった。
しかし、それでも分からない。
「まだ調べてないものでもあるの?でもそれじゃあ……」
時間が足りない。
未知の材料に対する知識、効能、副作用や組合せ、何もかも。
そうなればどうしようもないと、調合する意欲が失せたのか、フィオナは作業机の上に突っ伏した。
「なあ、フィオナ」
だらしない彼女の姿を見ても平然としていて、黙々と実験結果を記録していたヴァラルから声をかけられる。
「……うん?何かあるの?」
気怠そうにフィオナはヴァラルの方に顔を向ける。
「いや、今更ながら聞いていなかったことがあってな」
「魔法薬に関しての質問?あ~でもちょっと待って、今は――」
「仮の話だが、二つのポーションのうち、どちらか一つを選べるとしたらどっちを取る?」
「仮の話、か……言って」
その時、ヴァラルは自ら彼女と正面から向き合う。
今までは聞き流していたように見えたが、この時の彼は彼女の本質を見定めるような真剣な目つきであった。
「誰にでも作れる従来のポーションと、フィオナしか作れない新しいポーション。手に入るとすればどっちだ?」
「最初」
「……」
フィオナは即答だった。
片方は言うまでもなく、彼女の夢だ。
マチルダにあれほど粘ったというのに、それをこうも簡単に放り出すことに、ヴァラルは思わず言葉が詰まった。
「どうしてそこまでやるんだ?」
「……え?」
「どうしてそこまで拘るんだ。マチルダはあれでいいと言っているじゃないか」
嫌味で言ったわけではないが、ヴァラルは疑問に思っていた。
四年にも渡り、こんな失敗を繰り返すばかりの調合に、彼女は何を思い、何を見出して取り組んでいたのか。
フィオナ・スノウをここまで突き動かすものは一体何なのか。
さらさらとペンを滑らせ、ヴァラルは訊ねた。
「あれ、言ってなかったっけ」
「聞いてない。それにカミラも知らないみたいだぞ」
「……そういえば、まだ誰にも言って無かったっけ」
「おい」
「あはは、ごめんごめん……でも知りたいの?私のこと」
小悪魔のように挑発的な目つきで、フィオナはヴァラルを覗き込んだ。
「気になるな。無理にとは言わないが」
「そっかそっかぁ……ふふっ、ならいいよ。教えてあげる」
相変わらず素知らぬ顔、そして黙々と手を動かす彼には少々不満だったが、それでも自身に興味を抱いてくれたことに満足したフィオナ。
それに、彼に聞きたいこともあったのだ。
丁度いい機会だとフィオナは意気込む。
そのため――
「私ね、死にかけたことがあるの」
彼女は前に語りだした。
己の生死に関する過去を。
「あれは、ミドルの三年の時だったかな」
彼女の語るところによると、レスレックの長期休暇で実家に戻っていた際、薬草採取のため森の中に出入りしていたらしい。
「ちゃんと杖も持参したし、何回か行ったことがあるから、特に問題ないと思ってたんだ……」
けれど、ほんの少しの油断が彼女に危機をもたらす。
採取に夢中になったフィオナの背後から、突如魔物が現れた。
フォレスト・グリズリー。
鉤爪のような硬質な爪を持ち、その巨体に似合わない俊敏な動きで相手を追いつめる森の狩猟者に、不意を突かれるような形で彼女は襲われたという。
「あの時は本当に危なかったなあ……怪我したから上手く魔法が使えなくて、とにかく必死に逃げ回ったんだ」
「その割には随分とあっさりとしてるな」
「そうなのかな?でも、本当に怖かったのは覚えてるよ?目をつぶって、いっぱい声を押し殺して泣いて……」
魔法士なのに情けないと思った?と彼女は訴える。
ヴァラルはそれを沈黙することで彼女に返答し、話の続きを促した。
「……ありがと。それでね、そんな絶体絶命の時に助けてくれた人がいたの」
「……」
フォレスト・グリズリーは能力で見ればBクラス指定。
けれど、森という地形を最大限に活かし、狙い定めた対象に襲い掛かる。
魔法士でも苦戦させられる相手というのに、それを相手取るとはなかなか勇敢な冒険者だ。
ヴァラルの率直な感想だった。
「本当に凄かったよ。あんな凶暴なのに一歩も退かずに戦ってさ……」
閃光が走るような剣さばき、水のように流れるようにして大胆な立ちまわり。
今でもはっきりと思いだせる。
フィオナはその時の光景を夢見る少女のように振り返った。
そして、これがいい機会だとヴァラルのことを改めて見直す。
試す、というよりも、今度はこちらが彼に聞く番だと視線で。
「嫉妬、した?」
「何?」
彼女の視線を感じたヴァラルはフィオナに顔を向ける。
「……だから、ここまでの話を聞いて、嫉妬したかって聞いたの」
「誰にだよ」
「私を助けてくれた冒険者に決まってるじゃない……」
「……なんで見ず知らずの奴にしなきゃならない。それよりもだ。これに懲りて、今後一切一人での行動は止めろ」
機嫌が悪くなった彼女に構うことなく、ヴァラルはまとめの文章を考えながら、忠告する。
「むう……」
「何だ?文句あるのか?」
彼女とて、ギルドの発行する各地の最新の魔物情報に目を配っているはずだろう。
そこには当然、かの魔物の情報も載っていたはずだ。
今まで大丈夫だったからといって、そんな安易な理由でフォレスト・グリズリーの生息する森に足を踏み入れるなど愚かしいにも程がある。
「ないですよ~だ」
だが、ある意味予想通りの彼の回答にフィオナはふてくされた。
「……心配かけさせるなよ」
「心配してくれたの?」
「当たり前だろうが。カミラが聞いたら、ひっくり返るぞ」
「……えへへ」
すると、その言葉を待ち望んでいたかのようにフィオナは照れる。
結局、なんだかんだ理由をつけていてもヴァラルは気遣ってくれることを彼女は知っていた。
「えへへじゃない。ちょっとは反省しろ……それにしても、この出来事と魔法薬の開発に何の関係があるんだよ」
「その人ね、女の人だった」
「何?」
一瞬、ヴァラルの手が止まった。
そして、彼の脳裏に、騎士のような気高い冒険者の顔が思い浮かんだ。
「しかも助けてくれた後、大丈夫かなんて声までかけられてさ……それで、思ったんだ。私はなんて恵まれているんだろうって」
不意に、フィオナが再びヴァラルのことを見つめる。
これを聞いて、何か思うところはないのかと。
「……続きは?」
二人の視線が交差する。
しかし、今はフィオナの話を聞いている最中だ。
話を変える必要はないと思い、ヴァラルは顔を背け、作業を進めることにした。
「……そっか、何でもないんだ」
――良かった
沈黙するヴァラルに、意味ありげな言葉をこぼして、フィオナは密かに喜んだ。
「それで、彼女が命をかけて戦ってくれてる。おかげで、私たちは生活できる。それを実感したときに、私にできることって何だろうって考えたんだ」
「フィオナにできること、か。要はそれが」
ポーションに代わる魔法薬の開発。
「その通り。さて、ここで問題。なんでポーションが高いのか、その理由を述べなさい」
「材料を集めるのに金がかかる。調合自体難しく、時間がかかる。そして日持ちしない」
「その通り。調合士といってもポーションだけ作るわけにはいかないから、どうしても市場に出回るのは少なくなっちゃうの」
研究会ではあっさりと作ってはいるが、これと同レベルの水準をありとあらゆる場所で求めるのは非常に困難であろう。
――私たちがいなくても、誰でも簡単に調合出来て、長持ちさせること。これが私の目標……今はかなりまずいけどね
少々諦め気味だったが、それでも彼女は、魔法薬にかける意気込みを熱く語り、決意を新たにした。
「……夢が無いな。てっきり魔法薬を開発して、大儲けするかと思ってたよ」
「そんなことないよ。私だって夢はちゃんとあります!」
冗談が入り混じったヴァラルの言葉にフィオナはむきになった。
「何だよ、さっきはあんな簡単に翻したのに、まだ何かあるのかよ」
「それは……内緒」
「は?」
「だから、内緒だってこと!」
「……何だそりゃ。訳が分からないぞ」
人差し指を突き合わせ、たおやかになったと思ったら、いきなりむきになったフィオナ。
そんな彼女の行動にヴァラルから呆れた声が漏れる。
……しかし、それでも彼女の決意が本物だと再認識したヴァラル。
――ならば、己のやるべきことは決まっている
彼は静かに、そしてはっきりと決断するのだった。