二人だけの研究会
放課後のレスレック魔法学院では、研究会の活動が盛んに行われていた。
学生の本分は勉強とよく言われているが、それでも思春期真っ盛りの彼らには息抜きが必要不可欠。
事前に届け出、しかも休日しか外出できない学生たちにとって放課後のこの時間が何よりの楽しみとなっている。
因みに、大小合わせて数十もの研究会があるレスレック魔法学院の中で、最大の規模を誇る研究会は『決闘研究会』である。
「おおっ!」
「やっぱすげえ!」
熱気のこもる観客席から、いくつもの歓声が沸き立つ。
レスレックの決闘場、その中央には二人の学生が魔法を撃ち合っていた。
その内の一人は野性的で攻撃的な印象を抱かせる青年。
「……チッ!」
だがその顔には、思うように事が進まない焦りと、相手との力量差に戸惑いが色濃く浮かぶ。
捕縛魔法は回避され、攻撃魔法も魔法障壁により全て弾かれる。
遮蔽物を展開し、一時的な時間稼ぎを行おうとしても、次には強烈な電撃によって強引に破壊された。
学生の身で対峙するには早すぎたと実感させられる程の魔法の才覚の持ち主。
決闘研究会の部長の彼にそこまで言わしめる相手は、イシュテリアの一年生でありこの国の皇女、リヴィアだった。
「いや~相変わらず魅せるよね。今回はどうだった?」
時間が経ち、人気の少なくなった観客席にエリックとニーナ、そしてリヴィアが今日の決闘について話し込む。
「中々に骨のある者じゃ。今までの中で一番筋が良かった」
「あの人、エルトースの中でかなり名の知れた人なんだけどなあ。そんなことを平然といえる所がまた……」
「もう向かうところ敵なしって所ね」
「そんなつもりで言ったわけではない。わらわも自惚れてはおらん」
元々この決闘はリヴィアから提案したものではなく、彼の方からだった。
前々から噂を聞いていた。立場上中々言いだす機会が無かったけれど、どうか俺と一戦交えてはくれないかという真剣な言葉を、リヴィアは受け入れた。
「でも、勝ったのは事実だよね。あのロバート・コーウェンに」
ほんのりと汗をかき、それをタオルで拭くリヴィアとニーナのやり取りに、エリックは今日の対戦相手を振り返る。
ミドルクラス三年のエルトースの彼は、部員百人を超える決闘研究会の部長だ。
肩書きに恥じずその杖捌きは見事なもので、決闘における戦術要素を全て把握しており、攻撃と防御、状況に応じた的確なスタイルをとることが出来る。
その魔法力の高さはミドルクラスに留まらず、ハイクラスの方にまで名を轟かせており、ダニエル・クラッセンと並び称されていると噂されている。
「気に食わない奴だ。ダニエルなんて、ただ実技の成績と教師に受けがいいだけの奴じゃないか」
「そうだな、僕もその意見に同意する」
「って、貴方たちまだいたの?」
ニーナが振り返った先にはこちらに近づくエアハルトとセブラン、そして大勢の取り巻きがいた。
「そうさ、僕たちはリヴィア様の親衛隊なんだ。当然だろう?」
「親衛隊って……まだ続けてるんだ」
決闘で打ち負かされて以来、その圧倒的な愛らしさとカリスマに魅了された二人はリヴィアのことを慕い始め、彼女の親衛隊をいつのまにやら結成していた。
「何を言うかエリック。このお方はライレンの皇女様なんだぞ?馴れ馴れしくすること自体、まず論外。ああ、それなのにリヴィア様はなんて優しいんだ……」
二人は本人が目の前にいるにも関わらず、リヴィアを称え始めるエアハルトとセブラン。
「鬱陶しく思わないの?リヴィア」
「ま、まあ悪気があってやっているわけじゃなかろう。そこまで気にすることもあるまい」
「と言ってるけど、実は照れてたり?顔、少し赤くなってるわ」
「そそ、そんなわけはなかろう!!」
ニーナのからかいに、リヴィアは慌ててむきになる。
けれど、そのあからさますぎる態度がかえって仇となり、全て分かっているからという彼女から生暖かい視線を向けられてしまい、訂正するのだと躍起になるリヴィアの姿が見られた。
「ちょっとどけ」
「ロバート!?」
すると、そんな騒がしい決闘場の観客席に、さっきリヴィアと決闘を行っていたロバート・コーウェンが現れた。
「さっきはしてやられたぜ……」
渡り廊下を歩きながら、まるで歯が立たなかったとロバートは悔しがる。
手加減はしなかった。最初から全力で立ち向かうつもりでいた。
けれど、自分がいかに未熟だったかをこんなに小さな少女に思い知らされ、そのことが大いに彼にショックを与えていた。
「一つ聞きたい……どうしたらそんなに強くなれるんだ?」
やはりそれだけの力量を持っているのは、オーランドから特別な修行を受けてきたのからなのかと、ロバートは強い口調で問いかけた。
「よく皆から訊ねられるがのう、わらわは特別なことは何もしておらん」
魔法の手ほどきをたまに受けはするものの、彼から特別な課題は一切出されてはいない。
ただ印象に残っている事といえば、山や海、森林や草原と、ライレンの自然の豊かな場所に連れて行ってもらった覚えがある。
そして、あれやこれやと質問したことに対してだけオーランドは丁寧に解説し、リヴィアの疑問に思ったこと、興味をそそられたことを率先して教えていたのだった。
「強いて言えばこんなところじゃ」
「……たったそれだけ、かよ」
にわかには信じがたいことを聞かされたのかロバートが気難しい顔をする。
「それだけも何も、わらわにとっては当たり前だと思っていたのじゃが?」
「……参った、完全にな」
やはり、天才というのはこうも違うのか。
ここに入るまで――今までも必死に努力を重ねてきたが、それを否定するようなことを素で言われてしまった。
ロバート・コーウェンは努力家である。早朝からの魔法特訓も欠かさず、そのひたむきさから女生徒からの人気もかなり高い。
そんな上昇志向の強い彼が次にすることといえば――
「なあ、リヴィア。頼みがある」
ずずっとロバートが詰め寄り、リヴィアは腕を強引につかまれた。
――俺に魔法を教えてくれ
「な、何じゃと?」
「あんたは本当に強い。俺を弟子にしてくれないか?」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「顔近い!顔近いって!」
「そうだ待て待て!リヴィア様になんて真似をするんだ!」
突然の事態にニーナとエリック、それにエアハルトらがロバートを引きはがしにかかる。
するとそのとき、
「乱暴なのは感心しないな、ロバート」
エルトースの監督生、ダニエル・クラッセンの声が彼らの下に届いた。
「……悪かったな」
彼女の魔法の才能に憧れ、我を忘れてしまったロバートはばつが悪そうに手を放す。
その後リヴィアに詫び、そのまま立ち去って行った。
エリックやニーナ、エアハルト達から非難を浴びながら。
「大丈夫かい、リヴィア?」
いきなりの事に動揺したであろうリヴィアを、ダニエルは小さなお姫様のように気遣う。
「う、うむ、助かったぞ」
いつもしつこく付きまとうお目付け役のブレントならば、軽く受け流すことも出来ただろうが、今回は同年代の学生。
あんなに強引に迫られたのは初めての事だったため、リヴィアは視線を泳がせる。
すると、視界の端にヴァラルが廊下を歩いているのを見かけた。
そのことに、リヴィアはほっと安堵する。
こんな目に遭っているというのに、お主は一体何をやっているのだと。
最近研究会の活動が忙しいということでやたらと付き合いが悪く、話す機会も段々と減っていたリヴィアは一言言ってやろうと、弾けるように駆け出そうとした。
けれど、ヴァラルの隣には――
フィオナがいた。
遠すぎず近すぎず。
顔を横に向けずとも、自然と彼の視界に入る絶妙なバランスで。
「あ……」
その光景を見てしまったリヴィアは、動くことができなかった。
◆◆◆
カミラと別れて三か月、アルカディアの四人と再会してから半年が過ぎた。
レスレック魔法学院周辺の景色はすっかり変化し、青々とした葉が赤く染まり始め、セランとガルムもこの場を去り、アルカディアへと戻っていった。
「そういえば、カミラから手紙が来たよ」
「本当に律儀だな、あいつも。何て書いてあったんだ?」
「うん、いつも通り元気にしてるって。何だか最近、調子いいみたい」
「……だろうな」
「何か言った?」
「いや何も」
窓の外から色とりどりの葉が散っていく光景を、感慨深くヴァラルは眺める。
研究が更に捗るようにと、最近マチルダが貸し出してくれた魔法薬の特別研究室。
ここには魔法薬の材料と実験器具が一通り揃っており、何より面倒な材料の使用報告いらずの使い放題だった。
といっても、ここはマチルダの自費で賄われたもの。安易な無駄遣いは許されないし、彼女の大きな期待がかかっていることは明らかであった。
ポーションといくつかの材料を眺めつつ、次の調合に取り掛かろうとするフィオナ。
それをヴァラルは確認し、次の実験に備えて戸棚から新たな材料を取り出す。
カミラのいなくなった魔法薬研究会では二人だけでの作業の時間が増えた。
元が三人だけだったということもあるが、一人抜けるというはとても大きい。
いないはずのカミラを呼ぼうとしたり、実験に使う魔法薬を調合していなかった。
開発の方も些細なミスが原因で遅々として進まなかった時期もあった。
魔法薬研究会に暗雲が立ち込める。
けれど、そんな二人の前に届いたのが、一通のカミラからの手紙。
互いの近況を報告しあうことにより、ようやく現在の状態へと落ち着いた。
「私たちも、カミラに負けないようにしないとね」
「ま、足を引っ張らないようにはするさ」
フィオナとヴァラル、二人の実験は続き――
「……失敗」
今日の成果もゼロだった。
「う~……何がいけないんだろう?」
黒板に書かれた複雑な数式や魔法式を書き足しながらフィオナは唸る。
ヴァラルはその間、過去の実験結果を詳細に記したレポートを眺めていた。
「結局、どちらかを取るしかないんじゃないのか?こんなにやってきたんだろう」
「……そうなのかなあ、やっぱり」
フィオナは残念そうに、小さな瓶に入った毒々しい色の魔法薬を廃棄物用のゴミ箱に捨てた。
彼女の頭を悩ませていたのはポーションの携行性を向上させ、回復能力も向上させるというもので、魔法薬研究会はこれまでの間、この両方を向上させようと研究を重ねてきた。
けれど、携行性と回復能力の両方を取ろうとすると、ポーション以下の劣化品が出来てしまい、彼女の頭を大いに悩ませることとなっていたのである。
「材料の目星は大体ついているんだ。今日はもう、休むことに専念しろ」
「は~い……」
フィオナはぶーぶーふてくされながら、ヴァラルの言うことに渋々従う。
予定終了時刻を大幅に過ぎ、日はすっかり沈んでいた。
「なんだか不満げだな」
「そんなことないよ。ただ後輩君ってさ、いつもいつも小さなこと気にしすぎなんだよ」
「またこうなったか……」
こうしてそれなりの月日を過ごすことでヴァラルはフィオナの性格、大勢の人が知らない彼女の本性が明らかになった。
というよりも、自分の目は節穴だったのかと思わず疑ってしまった。
彼女はとにかく諦めが悪い。
一度やる気に火が付いてしまうと何時まで経っても続けようとするため、止めさせるのに苦労する。
連日連夜実験が深夜にまで及ぶのは彼女のこうした性格が大いに関係し、やる気の燻った所で厳しく言わなければならない。
尚、無理やり中断された彼女は大変に機嫌が悪く、ヴァラルを大いに困らせた。
不機嫌モードの彼女は、まるで酔っ払いを相手にするように絡んでくる。
その甘え癖を極度に悪化させたような絡み癖は、百年の恋も冷める勢いで凄まじく、かなり鬱陶しい。
「何か言った?後輩君」
「……いや何も」
別れ際、彼女がフィオナ姫のお世話をよろしくと言っていたが、彼女の裏の性格を知った時、あれはこういうことだったのかとヴァラルはつくづく思い知らされた。
この一面を自覚しているのかどうか分からないし、こんな彼女の姿が知れ渡らないのは何故だと不思議に思う。
それでもヴァラルが分かったことといえば、フィオナが実は男子学生に噂されるような非の打ち所のない性格ではなく、正と負、どちらの感情も豊かな女子生徒であったこと。
「ならよろしいっ!」
そして、小言を言いつつもしっかりと面倒を見てくれるヴァラルに満足したのか、フィオナは機嫌よく返事をするのであった。
「おお~い、こっちだこっち」
「何なんだよ、いきなり連れ出して」
フィオナのせいで夕食の時間が大幅にずれ、やれやれとアーガルタへと向かう最中にヴァラルは薬草学の教授、ネイル・ベジムに呼び止められた。
ネイルによると見せたいものがあるそうで、彼に連れられるままヴァラルはレスレック城内の温室に入る。
「これさね」
そして、初老の彼は足取り早く奥にある植込みにヴァラルを案内した。
「これは……」
不思議な植物だった。
薬草を栽培しているここは今、明かりがともっていない。
それなのに、目の前の雑草とも見間違えそうなこの植物はぼんやりと光を放っており、ネイルとヴァラルを照らしていた。
「いつからここに生えていたんだ?」
「つい最近のことだ」
数日前、夜のレスレックの見回りをしている最中に、温室から光が漏れているのにネイルは気が付き、これを発見した。
こんな植物を見たことの無かったネイルは独自に調べまわったものの、結局分からず仕舞いに終わったという。
そこで、冒険者として様々な植物に詳しいヴァラルに見てもらおうと思ったのだという。
しゃがみ込んで興味深く観察するヴァラルに、ネイルはこれを見つけた経緯を説明した。
「……」
ネイルの説明の最中、大体の事情をヴァラルは把握していた。
数日前といえば、この付近のレスレック城の魔力の流れを正常に直したばかりであり、恐らくそれが原因で植物が突然発生したのだろう。
しかも、この植物にどこか見覚えがあったような気がしたヴァラル。
トレマルクでもライレンでもない、もっと別の場所だったはずだと思案する。
「そうだ、あそこだ……」
記憶を辿り、ようやくヴァラルは思い至った。
アルカディア。
ユグドラシルのアイリスの家庭菜園と、ビフレストにあるイリスの庭園だ。
「ネイル、これを少し貰っても良いか?」
「まあ、そのつもりで呼んだから構わないが……どうしたんだね、急に真顔になって」
「ちょっと調べたいことがあってな」
二人に聞きたいことが出来た。
ヴァラルは比較的小さな苗をいくつか受け取り、この場を後にするのだった。