ハイクラスへの編入者
「皆さん、おはようございます。さて、今日はこれまでのおさらいですが、少々ペースを早くします。しっかりと話を聞き、書き写すように」
レスレック魔法学院は午前と午後に二回ずつ、授業が行われる。
ハイクラスの場合は早朝の場合や、夜遅くの時間帯に行われることもあるが、基本的に変わりはない。
今日の魔法薬学ではいつものように調合は行わず、今まで学んできた魔法薬の効能を改めて解説し、理解を深めようという趣旨である。
その言葉とともに、生徒達はマチルダの話を真剣に聞き取ろうとする。
彼女の話すペースは早く、うかつに聞き逃せば後が怖い。彼らは黙々と彼女の解説を聞きながら授業に没頭する。
けれど――
「え~マチルダ教授?少しよろしいですか?」
一人の男子生徒がスッと手を挙げ、マチルダの解説を中断させる。その顔は困惑しており、今までの話を聞いていなかったようにも見える。
「何でしょうか?何処か分からないところでも?」
マチルダはやや不機嫌になりながらもそれを表には出さず、続きを促そうとする。
「いや、それは平気です。本当に。だって言っていること全てが意味不め――」
「そんなに分からないと言うなら、貴方だけ特別に課題を出しましょうか?」
「冗談ですよ!冗だ――いえ、それはほんとに結構です。すいません」
目が全く笑っていないマチルダの視線に射抜かれた男子生徒も流石に茶化すのをやめ、ぺこぺこと謝った。
「教授。補足しておきますが、クライヴの奴どころか、ここにいる連中全員が気になってしょうがないんですよ」
彼の友人と思われる男がいつものようにフォローし、周りを見渡す。
すると、彼に同意するかのようにイシュテリアの生徒達がうんうんと頷く。
マチルダの厳しすぎる授業に慣れてしまった彼らは、すっかり無駄口を叩くことも忘れてしまっていたのだった。
「説明も何も、廊下に掲示されたので分かるでしょう。これ以上説明することが何かあるのですか?」
何か学院側で生徒達に伝達事項があれば、大広間の入り口近くにある掲示板に貼り出される。
教室変更や休講、課外授業や生徒の呼び出し等など多岐に渡るが、今日の朝に張り出されたものは予想以上に生徒達の反応を大いに買うのに充分だったようだ。
「いや、それはそうですが……でもやはり気になることは気になります。一体なんでこんなことになったのですか?」
何だかはぐらかされたような気がした男子生徒は、イシュテリアの監督生であるを女生徒を見る。
彼女は誰にでも人懐っこい所があるが、恋愛事にはまだ興味がわかないのか、その美貌のせいで数多くの男達を撃沈させていた。
しかし、その隣には一体何を考えているのか良く分からない男が座っている。
正確に言えば、男子生徒はその可憐な女生徒ではなく、彼のことを見ていたのだった。
「ここ、ハイクラスですよ?しかも」
「四年のクラスだ」
復活したクライヴがロベルタに続く。
――ここはなにやら不思議な香りが漂う魔法薬学の教室。
男の隣に座っているのはフィオナ・スノウ。
レスレック魔法学院の人気ナンバーワンの女生徒にして監督生だ。
彼女はくすくすと面白そうにして、男のことをじっと観察する。
――そして、今日から一風変わった男がハイクラスにやってきた。
「ねえねえ、私も詳しく聞きたいな」
後輩君。
◆◆◆
こうなったのも、話は前日にさかのぼる。
セランたちと別れたヴァラルがレスレックへ到着したのは、星が燦然と輝く夜中のことだった。
「よっと」
閉じられていたはずの窓からするりと城内へ入り込むヴァラル。
レスレック城は定刻を過ぎると防犯の関係上、城門が閉まる。このタイミングを逃すと朝まで開くのを待つしかないのだが、彼には一切関係ない事のようだった。
そして、イシュテリア寮にある自身の部屋へと移動する。
この場所からならば、そう時間はかからない。ヴァラルは城の廊下を歩き続ける。
(あ~、今日はいろんなことがありすぎた。流石に休みたい)
リヴィアがやたらと騒いではいたが、ヴァラルも何だかんだ言って魔物研究所が気に入っていた。ああも厳重に管理されていると、魔物たちも形無しで、あの場所を一般の人たちにも見学させてみてはどうだろうと思っていたのだった。
そんな気ままな休日になると思われた、最後の最後で四人の来訪。
ヴァラルはすっかり心身ともに(どちらかといえば心の方であるが)へとへとになっていた。
「おお、ヴァラル。部屋にいないと思っていたらこんなところにいたんじゃな」
「オーランドか。どうした?こんな場所に出歩いて」
「ちと頼み事があっての。お主が外から帰ってきたときに伝えようと思っていたのじゃが、どうも行き違いになってしまったようだのう」
オーランドは考え込むようにして、ヴァラルの様子をそれとなく確認する。
平静を保っているようだが、彼の体から別の空気が漂っている。ついさっきまで、外に出ていたのだろう。
レスレック魔法学院の学院長は、彼が門限を過ぎて帰ってきたことをあっという間に見破っていた。
「ああ、それは悪い。ちょっと手が離せない用事が出来てな……今まで逃げられなかった」
「ほほっ、面白いことがあったようじゃのう。じゃが、リヴィアは心配しておったぞ。『遅いっ!』とな。わしからすれば、あれは心配というよりも、ただふて腐れていただけのような気もするがの」
「後でフォローしておく。今日は本当に厄介なことがあったんだ……で、それほどまでに急ぎの用なんだろう、何かあったのか?」
「こんなところで立ち話も何じゃ、場所を変えようぞ」
オーランドはそのまま彼を校長室に連れていった。
「ハイクラス?何で?」
「マチルダがお主のことを気に入ったようでな、ハイクラスに入れてはどうだと提案があったのじゃよ」
「いや、でもなんでだよ。俺は何もしてないぞ?」
「魔法薬学の際、マチルダから別に課題を出されたじゃろう?」
「ああ、リヴィアと一緒にな」
「それじゃよ」
「……どうしてそうなる」
かちこちと文字盤の無い不思議な時計が鳴り響く校長室にて、オーランドは職員会議の中であった出来事を簡潔に説明した。
「マチルダはお主の鼻を明かしたかったようだのう。ああ見えて、負けず嫌いなところがあるでのう」
「調べている途中で、どう考えてもミドルでやるものじゃないとは思ったが、そういうわけか……禁止魔法薬に指定されているって書かれていて驚いたぞ」
「原液の方じゃがのう。しかし、薄めたものでもなかなか効果は……」
「使ったことあるのか?」
「……昔にちょっとだけ」
オーランドは青春時代の自分を回想し、困ったような顔をした。
あの魔法薬に関して、彼には苦い記憶があるようだった。
「……オーランドも分かっただろう。あれを使ったところで、所詮偽物。空しいだけだ。結局、そういうことは自分で努力するしかないんだよ」
「じゃが、人の心はお主のように強いわけでもないし、そう簡単に割り切れぬものじゃ。若い頃は特に」
「俺は駄目だ。心が強いとか弱いとかの問題じゃない。もう諦めてるだけだ」
「お主……」
淡々と語るヴァラルの冷め切った声の中に、複雑な感情が渦巻いているのを察したオーランドは、そのまま黙り込んでしまった。
「だんまりするのは困るんだけどな。そこは笑って流してもらいたかったんだが……まあ、事情は分かった。参加する分には問題ない。とりあえず明日――って今日からでよかったか?」
「お、おお。そう言ってもらえるとはのう。いやはや、マチルダからどやされていてのう」
「気苦労は察するよ」
「うむ。それではまたの――って最後に言い忘れておった」
「何?まだあるのか?」
「これもまたヴァラル、お主に関係あることでの。毎夜この城を修理しているのは本当に助かっておる。それを承知の上で頼み、というよりこっちが本題じゃ……彼女の意気込みからして」
「本題って二つあったのか」
「聞けば魔法薬研究会にそれなりの縁があるようじゃのう。夜な夜な活動に参加していると聞いておるぞ?」
「確かにそうだな。といってもただぼーっと眺めてるだけで、何にもしてないんだけどな」
結局、魔法薬研究会のメンバーであるフィオナとカミラは、最初に会った日からも熱心に活動を続けていた。
また、魔法薬学の教室はマチルダが寮監のこともあるのか、イシュテリア寮付近にある。
そうなると、夜な夜な出歩くヴァラルと出会うことも必然的に多くなっていたのだった。
「そこでなのじゃが――」
◆◆◆
「ヴァラルっ!お主には言いたいこと、聞きたいことが山ほどあるっ!」
昼食時、クライヴとロベルタたちの相手をしているヴァラルの元に、その声は轟いた。
ミドルとハイでは先輩後輩の関係でもあるのだが、それ以上にハイクラスの生徒はミドルの生徒達から尊敬を集められることが多い。
そして、イシュテリアではクライヴとロベルタのおかげでそれほど意識はしないのだが、近寄りがたい雰囲気があるのは確かだ。
そんなハイクラス生が多くいる席にて、リヴィアはお構いもなしにずかずかとやってきた。
"どうするよ兄弟。多分、さっきの俺達と同じ気持ちだぜ?"
"説明するしかないだろう。何なら二人のどっちかが相手するか?"
"遠慮する。自分の蒔いた種はきっちりと刈り取ることだ"
「何をごちゃごちゃ言っておるのだっ!昨日は帰りが遅かったし、授業に出ていないと思えばハイクラスに出ていたなんて……妾に説明するのじゃ!」
「五月蝿いぞ。怒鳴らなくてもちゃんと聞こえてるわ」
そうして、ヴァラルは何度目になるか分からないオーランドとのやり取りを適度に誤魔化しつつ、話の筋が通るよう、打ち合わせた内容を編集して伝えた。
ハイクラス入りしたのは前々から希望していたこと。
するとマチルダがそのことに興味を持ったのか、ヴァラルに課題を出したこと。
『アムンテル』ではなく、『ポーション』を作製することに成功した彼はハイクラスに入れても良いのではないかと推薦状をもらったことなどなどである。
昨日のことは急な体調不良でトイレに引きこもっていたというしょうもない理由になってしまったが、リヴィアはヴァラルがハイクラス入りしたことにショックを受けていたようで、そのあたりは突っ込まれなかった。
「で、今日から参加してみたらどうかということで、ハイクラスの授業に出てたんだよ」
「……むぅ!」
掲示板には、ヴァラルをハイクラスに編入することを許可するという旨の内容だけ書かれており、そこに至った経緯は何一つ書かれていなかった。
そうなれば当の本人に聞けば一番だ。そのため、彼女は問いただすことにした。
けれども返ってきた答えにリヴィアは気に入らなかった。
あまりにも出来すぎている。
第一に感じたことがまずそれだった。
しかも、このほかにもまだ己の知らないことをヴァラルは隠している。
言葉を薄皮一枚にくるみ、事実を巧妙に隠蔽しているような、そんな感じがした。
「そんなに気にするな。ミドルの授業にも顔を出せるよう交渉したから、気が向けばそっちにも顔を出す予定だ。それにまだまだリヴィアにこの国を案内してもらってないからな。何も問題は無いはずだろう?」
「じゃ、じゃが……」
しかし彼女の胸の内にはまだ不安があった。
"あ、いたいた"
そんな話をしていると、ヴァラルの元へ一人の女生徒が近づいてきた。
イシュテリアの監督生のフィオナだ。
「後輩君注目~~!君に伝言ですっ!」
「フィオナか。何なんだ?」
ヴァラルは特に驚きもせず、素っ気無く答える。
――マチルダ教授が後で私とカミラと一緒に顔を出すようにって。要は、魔法薬の材料を補充するから手伝えってことっ!
「「「えっ……」」」
フィオナの一言に、誰もが絶句した。
リヴィア、クライヴ、ロベルタ。遠くのほうで様子を伺っていたエリックとニーナ。
そして大広間にいた全生徒が、である。
「ん?ああ、わかったよ。全く、人使いが荒いな……初日からこれかよ」
「それ程気に入られてるんだよ、後輩君は。あの人、自分の研究室には滅多に人を立ち入らせないからね」
「気難しいだけじゃないのか?」
「そんなこと無いよ。だって、声が弾んでたもの。久しぶりに骨のある若者が来たって。その気持ちも分かるけどね。私もさっき聞いたときは本当に驚いたんだから」
「……でも今からじゃ時間が無いぞ?授業が終わった後で良いのか?」
「大丈夫。放課後の方が時間取れると思うから」
「分かった。ならそうさせてもらう」
「じゃ、何かあったら私に聞いてね。それじゃあ、カミラにも伝えなくちゃいけないから、また後で」
「わざわざ助かる」
「いいよ、これくらい。だって――」
――同じ研究会のメンバーなんだから
そう告げた後、フィオナは何をどうしたらそんな髪になるのかと同姓に訊ねられる位、綺麗な長髪をサラッとかき撫でて、そのまま去っていった。
「……兄弟、君には一つ聞きたいことが増えた」
「……奇遇だな。俺もだよ」
クライヴとロベルタは放心状態から、いち早く復帰する。
「もしかしてだ。最後のほうにフィオナ嬢が言った台詞。どうか俺達の聞き違いであって欲しい。いや、そうじゃないと困る」
「その通り。でないと、とんでもないことになる……兄弟、君は何処かの研究会に所属したのか?」
恐る恐る二人はヴァラルに質問する。
そこにとんでもない答えが潜んでいるのを承知の上で。
「ああ~そういえば言い忘れてたな、すまんすまん。俺はだな、ハイクラスの授業に出ることになったんだが」
――ついでに、魔法薬研究会に入ることにもなった
魔法薬学の権威、マチルダ・アディンセルが指導員を勤める魔法薬研究会。
彼女が率いるこの研究会の歴史は古く、ライレンの発展、とりわけ医療分野の発展の影には、常にここの存在があった。
卒業生の中にはポーションの製法を発見し、冒険者と軍の損耗率を大幅に低下させたアルフレッド・スノウ。
従来の治癒魔法効率を格段に向上させ、現在の治癒魔法の体系を確立したアイーダ・ハルネスがいる。
フィオナの父と、カミラの母だ。
二人もまたマチルダ・アディンセルに認められ、所属していたのだ。
そう、魔法薬研究会の人数が少ないのはフィオナが入ったからではない。
フィオナとカミラの二人しか、入ることを許されなかったのだ。
いくらポーションを作れたとしても、マチルダが認め、その彼女自身が勧誘に動かなければ意味がない。
逆を言うと今まで彼女に認められたのは、フィオナとカミラであると言い換えることも出来るだろう。
ヴァラル本人は何でも無さそうにして言葉を発したものの、その一言は突然のハイクラス入りという朝に話題となったものを一瞬で掻っ攫い、
大広間全体に衝撃が走った。




