レスレック魔法学院
レスレック魔法学院での最初の授業はイシュテリアの担当教師である女傑、マチルダ・アディンセルの『魔法薬学』だった。
『薬草学』との兼ね合いが多いこの授業では、各魔法薬の性質や取り扱い方、調合方法を詳しく学ぶ。まだリヴィアやエリック、ニーナ、そしてヴァラルはミドルクラスであるためそこまで難しくはないが、だんだんとそのレベルは上がっていき、ハイクラスともなると『応用魔法学』を差し置いて最も修めるのが難しい学問として知られている。
「皆さん、おはようございます。私がこの魔法薬学を担当するマチルダです。最初に言っておきますが、寮監だからといって成績では決して優遇するつもりはありません。真剣に授業に取り組むことを私は希望します」
外はさんさんと日差しが照りつける一方、この教室は仕切りが施されて薄暗い雰囲気の中、マチルダは甘えた考えは捨てろと告げる。
彼女はレスレックの教師達の間で最も厳しいとの評判だ。そんな彼女がどうしてイシュテリアを担当するのかは長年の謎である。けれども教える内容は流石レスレックの教師、非常に質が高く、彼女の元を無事に卒業していった者たちは誰もが大成をしている。そのため、入学時と卒業時ではかなり印象が変わる教師として一番に挙げられているのだった。
「――というわけで、この一年間で以下の内容を学ぼうと思います。どれも魔法士になる以上、必要不可欠といわれるものばかりです。それにこの先もこれらの調合方法を元にさらに上の分野へと進んでいきます。なのでこの一年を疎かにすると大変なことになりますよ?それを忘れないように」
黒板に出た授業計画を彼女は説明し、黙々とイシュテリアの生徒達はそれを書き写していく。
それはリヴィアやエリック、ニーナも同様だ。
……ヴァラルはぼーっと聞いていただけであったが。
「さて、ここまでの間で何か質問はありますか?」
「はいっ、先生!」
「何でしょう?エリック」
「ポーションはいつ頃作れるようになるのですか?」
ポーションは大抵の外傷を治してしまうその効能から高値で取引されている。それを自身の手で作れるようになればきっと大もうけできるようになるはずだ。彼だけに限らず、ここにいる大多数のものが聞きたいことを彼は代弁した。
「そうですね……貴方がこの魔法薬学を落第せずに続けることができると仮定して、ミドルを卒業し、ハイクラスに入学する頃でしょうか」
「えっ!そんなにかかるんですか!?」
エリックに限らず、教室全体がざわめいた。
ミドルクラスを卒業すること自体は特段難しいことではない。実際、レスレックに入学した者達はとりあえず何かしらの問題を起こさない限り卒業することが可能である。
けれど、ハイクラスは別だ。進学するためには三年間、レスレックの中で成績上位者に名を連ねなければならないし、そうでない場合はマチルダたち教師の推薦状が必要となる。
つまり彼女の言っていることを要約すると、ミドルに在学中は一切教える機会がないということなのだった。
「静かに!静かになさい!いいですか?皆さんは大きな勘違いをしています。そもそもですよ、貴方達の年頃の子供が高級薬に分類されているポーションを作ろうと思うこと自体、おこがましいというものです」
ポーションはその質の高さと共に調合者の技量も大いに試される。
調合過程の詳しい内容は教えてくれなかったが、おおよそ十工程であることが分かった。けれどその一つ一つが繊細な作業と集中力を試され、これから学ぶの応用分野が伴い、ミドルに入学したばかりの彼らでは到底扱えない代物だということをマチルダは解説した。
「さらに付け加えるとポーションを調合し、販売する者には国への登録が義務付けられています。そうですよね、リヴィア」
「うむっ!その通りじゃっ!粗悪品を流通させてはこちらも困るからの。そのときには別途、試験も課すぞ?」
「う、それはまた……」
リヴィアの言うことも最もだ。冒険者に限らず、魔物と戦う彼らにとってはまさに命を握る薬。そんなものに対し、中途半端な知識と技能で作られてはたまったものではない。
やはり世の中はそう上手くいかないものだとエリックはがっくりと肩を落とした。
「もう、エリック。そんなに気を落とさなくてもいいじゃない。真面目にやれば、きっと大丈夫だわ」
「ニーナの言う通りです。学ぶ意欲さえあれば、誰でも作れますよ。おや?ヴァラル。どうしたのですか、頭を抱えて。気分でも悪いのですか?」
「……大丈夫、大丈夫だ。話を続けてくれ」
「そうですか、ならこのまま次に進みます。で、今日調合を行う魔法薬ですが――」
「のうヴァラル。いったいどうしたのだ?ポーションのくだりから急に落ち着きがなくなったように見えたのじゃが……」
隣にいたリヴィアが心配そうに声をかける。
「ああ……いや大したことはない。ただあまりにもポーションというのがこの国で重要視されていることに驚いてだな」
「この国の特産品でもあるからの。無理もあるまいて」
(……流石に予想外だ。まさかポーションを手作業で調合するとは……)
最初の授業から、彼は別の意味で驚くことになった。
アルカディアではエリクシルに代表される魔法薬を調合・精製するとき、『合成魔法』を駆使する。
これは指定された材料を基にして自動的に工程を省略し一瞬にして完成させ、かの国の住人達に広く普及されている魔法の一つである。
ここへ訪れる前は、エリクシルに変わる代替物が見つからないのもしょうがないと納得した部分もあった。『薬草学』・『魔法薬学』指定の植物図鑑や参考書を眺めていて気がついたことだが、ユグドラシルで栽培されている薬草や各種材料はどれもこれも載っていないものばかりであったし、そこからではとてもエリクシルなど調合するのも不可能だと考えていたからだ。
(けれど、まさか『合成魔法』さえも抜きにしてポーションを一から調合していたとは……)
彼らの努力精神に恐れ入ったヴァラルだった。
「――ですから、これから調合するレストブルはポーション調合の最初の一歩といってもふさわしいものなのです……ここに材料を揃えておきます。各自調合方法を書き終わり次第、取り掛かること。決して手を抜かないように。後でチェックしますから」
杖を振り、彼女の目の前にはレストブルを作り出すための材料が続々と集まる。
そして、彼らは初めての調合作業に取り掛かっていった。
「――はい、そこまで!時間です。急いで片付け、提出してください。もたもたしていると次の授業に遅れますよ!」
果物が腐ったかのような、なんともいえない臭いが充満する教室にてマチルダは指示する。
レストブルは完成すると爽やかな柑橘臭がするものなのだが、この様子では失敗する者が後を絶たなかったようだ。
「……エリック、分量を間違えましたね?次からは教科書もきっちり読み込むこと……ニーナ、貴方は最後で焦りすぎです。気をつけなさい」
「「はい……」」
二人はとぼとぼと引き返していった。
(やはり難しかったのでしょうか……)
未完成のレストブルを提出する生徒達にどこが悪かったのかを指摘し、マチルダは考える。
レスレックに入学する生徒はさっきのエリックのように、大抵ポーションの調合方法について訊ねてくる。
けれど、これさえも満足に完成させずして一体どうしてあれを作れるように思えるのか。
近年のハイクラスの『魔法薬学』の受講生が減る中、マチルダは思わずため息をつきそうになった。
そんな中、彼女の鼻腔にふわりと柑橘臭が漂ってきた。
きつくもなく、甘ったるくもなく。程よく、そして爽やかなあの香りだ。
「もってきたぞっ!」
「……よろしい、これなら十分です。よく頑張りましたね」
色や香りを確かめた後、ガラス瓶に入ったレストブルを眺めながらマチルダはリヴィアを褒める。多少濁りがあるが、この出来栄えなら十分この先もついていけるだろう。教育者としてホッと一安心するマチルダだった。
「次は俺だな」
「……貴方、これまでにレストブルの調合経験は?」
「無いな。教科書は一通り目を通したが」
「……そうですか、分かりました、貴方も良く頑張りました。下がって良いですよ」
つっけんどんに言って薬を渡し、リヴィアと共に教室を立ち去っていったヴァラルを見届けながらマチルダは考える。
(それにしても……彼はまた凄いですね……)
自身に対する態度にどこか釈然としなかったが、彼女は彼の持ってきたレストブルの完成度合いに驚いていた。
澄み切った橙色。それは市場で売られてもおかしくは無いほどの出来栄えだったのだ。
『魔法薬学』においては長年の経験とセンスが何よりも重要だ。リヴィアの場合、オーランドから度々彼女について耳にしていたため、最初から彼女が優秀だということは知っていた。
けれど、ヴァラルはそんな経験も無しに教科書を見ただけで作り上げたという。
これはヴァラルが天才的なセンスを保持しているということに他ならなかった。
オーランドが突然彼をレスレックに入学させると言い出したことに最後まで疑問を呈していたマチルダではあったが、その理由も今ここで分かったような気がした。
(惜しむらくは、彼が半年でここを出て行ってしまうかもしれないということですか……しかしどうしてこうもあっさりと……)
マチルダは何とも勿体無いことだと残念そうに息を吐いた。
◆◆◆
「諸君、基礎魔法学の授業にようこそ。私がこの科目を担当するアンリ・バルトだ。よろしく」
次の授業はレイステルの担当教師でもある、アンリ・バルトの『基礎魔法学』だった。
「世界の法則を捻じ曲げ、現実に事象として確立させる魔法。その果て無き秘密を、諸君らと共に探求していこうと思う」
かつかつと靴の音が教室に響き渡り、彼はマチルダと同様に今後の授業計画を説明していく。
アンリ・バルトは魔法士としての才能はお世辞にも良いとはいえない。けれど教師としての才能は人一倍優れており、難しい科目とされる基礎・応用魔法学を一人で受け持ち、分かりやすい説明で生徒達からの評判も上々だ。
……忙しさのあまり、今にも倒れそうな虚弱な体つきをしているが。
「――そういうわけで、魔法という不可思議なものに対し、私達は感覚だけに囚われることなく頭で想像し、理解することも重要だということを分かってもらいたい。さて、それでは今日の授業だが……これを使う」
説明を終えたアンリは杖を振り、ヴァラルたちの手元にボードと粘土を置いていく。
「この粘土でまずは諸君らの発想力のテストを行う。ああ、何。テストとはいっても成績とは全く関係しないので自由に取り組んで結構」
「でも、先生。これで一体何をするんですか?」
イシュテリアの生徒の一人が彼に質問した。
「先ほどもいったように魔法士たる者、自身のイメージを具現化させることが何よりも重要だ。そのため、諸君らの頭に思い浮かべたものを魔法によってこの粘土で再現することが今回の授業目的だ。それこそ、一人前の魔法士への近道だと私は思う……そんなの簡単だと思っただろう?いやはや、これが案外難しいものなんだぞ?」
彼はそう言って杖を粘土に向ける。すると球体状の粘土がもごもごと動き出し――
小さいながらも、自身と同じ姿の精巧な人形が完成した。
"おお~"
それを見ていた生徒達からは拍手が巻き起こる。
「いや、そこまでびっくりするほどのものではない。君達も卒業する頃にはこれくらい容易いこととなるだろう。さっ、始めたまえ」
「う~ん……ニーナ、君は何を作るんだい?」
「私は――そうね、アンリ先生みたいに自分の人形を作ってみようかしら」
ニーナは杖を粘土に向かって振りかざす。
グネグネと粘土は動き出し、ニーナと同じ形を作り出そうとする。けれどその途中で、
「……駄目ね」
どろどろと崩れ落ちていった。
「あははっ!そんなの、いきなり無理だよ」
「笑うことはないでしょうが……それに、そんなことを仰るんでしたらエリックはさぞや立派なものを見せてくれるんでしょうね?」
「僕はイメージするのが得意なんだ。こんなの楽勝さ」
そして、彼はドラゴンを作って見せると彼女に息巻く。一体どこにそんな自信があるのかは分からないがとにかくニーナは見届けるのだった。
「それっ!」
エリックの粘土もまた軟体生物のように動き出す。しかし、ドラゴンというあまりにも複雑な形を表現しようとしたため、
「うわっ!」
バシッという音と共に粘土は吹き飛び、
「……」
アンリの顔面にべちゃりと直撃した。
「何をやっておるのじゃ、あ奴は……うむ?どうしたのじゃ、ヴァラル。またもや難しそうな顔をして。やはり気分が悪いのではないかの?」
「……いや、大丈夫。全くもって大丈夫だ」
「そうか?……まあ、体調が優れぬというのならいつでも言うが良い。妾が特別に付き添ってやろう」
実際その通りなのだが、ふふんと彼女は偉そうに言った。
しかし、その一方でヴァラルはまたもや複雑な思いに囚われていることは言うまでもなかったのであった。
……確かに、アンリの言っていることは尤もだ。
魔法を扱う上では何よりもイメージが重要。そのことに関し、ヴァラルは異論の余地も無かった。
(けれどもなあ……)
ヴァラルは旅立つ前に、イリスに連れられてメルディナ魔法学院にも立ち寄ったことがある。その際に丁度新設された幼年部を見学したことがあるのだが、
生後間もない子供達の間で、この光景と同じようなことが行われていた。
レクリエーションの一環として。
(……やめだやめだ。あっちはあっち、こっちはこっち。そんなことを気にしててもしょうがないだろうに)
ヴァラルは気を持ち直し、何を作るか考え出した。
「――さて、もう時間だ。そろそろやめにするとしようか」
まだ時間はあるが、とりあえずアンリはそれぞれの生徒の出来を見るため、辺りを回りだした。
(ふむ……まずまずといったところか)
野草や花、食器などの比較的単純なものが多かったが、それでもまあ例年通りの感じだとアンリは思った。
(ん?それにしても……)
けれども、何故かは分からないが、イシュテリアの生徒達の視線が一番後ろの席に座っているヴァラルとリヴィアの方に向いていたことに気がついたアンリ。
そこで彼らの出来を見ようと近寄ったところ――
アンリは思わず絶句した。
「……リヴィア、ヴァラル。君達は一体何を作ったのかね?」
どこかで見覚えがあったが、思わず訊ねずにはいられなかった。
「うむっ!妾はフォーサリア宮殿を作ってみたぞっ!」
「俺はここ、レスレック城だ」
「……」
リヴィアの場合、自分の住まう宮殿を精巧に表現していた。ライレンの水晶宮とも呼ばれるそこは皇族関係者やそこに仕える者、もしくは国の重要人物しか立ち入れない場所だ。
その壮麗かつ立派な建物は、粘土細工であっても細やかな部分まで見事にイメージされており、彼女はその年にして超一流の魔法士の資質を備えていることを十分に証明するほどのものだった。
けれど、アンリはそれに負けず劣らずの(個人的にはむしろこっちのほうが凄いのではないかと思っていた)出来を誇る彼のレスレック城にも目を奪われた。
レスレック城はフォーサリア宮殿とは違い、優美さよりも機能美を追求したものだ。
それは城という防衛拠点としての役割を果たすと共に見るもの全てを威圧、けれども非常に頼もしい印象を与え、周りにある湖や森といったものまでそこにはあり、彼の想像力も途方も無く素晴らしいものだということを如実に表していた。
「……君達、今からでもレイステルに来ないかね?」
「「授業初日に何を言っているんだ(じゃ)」」
一人の青年と一人の少女の声が同時に木霊したのだった。