第16話 特攻の空、神風の残照 ——天狐と阿古町の悲しき決意——
特攻の空、神風の残照 ——天狐と阿古町の悲しき決意——
1. 昭和十九年十月、学徒出陣の朝
帝都・明治神宮外苑。降りしきる雨の中、ペンを捨て銃を取った若き学生たちの軍靴の音が、重く地面を叩いていた。
「……行かせてはならぬ。あのような子供たちまで、戦場へ送ってはならん!」
滝夜叉姫は、雨に濡れる学徒たちの背中を見つめ、拳を血が滲むほどに握りしめていた。
「五月、止めるな。彼らは己の意思で、この国の未来を繋ごうとしているでありんす」
紅葉が静かに制するが、その瞳もまた、かつてない悲哀に濡れていた。
2. 万世飛行場、神子の降臨
舞台は九州、薩摩の端に位置する万世飛行場。そこには、二十歳前後の若者たちで構成された「特別攻撃隊」が集結していた。
「おい、見ろ! あれは……!」
隊員の一人が空を指差す。夕闇に染まる滑走路に、黄金の光を纏った二柱の存在が舞い降りた。
天狐と、老いた母狐の如き慈愛を湛えた阿古町である。
「皆様、お疲れ様でございますわ」
天狐の、透き通るような早見沙織の如き声が響くと、死を覚悟していた隊員たちは「神風の白狐様だ!」「我らに加護が降りたぞ!」と、歓喜の声を上げ、一気に士気が跳舞した。
「ああ、可愛い子たち……。私たちが、皆様の行く道を照らしましょうねぇ」
阿古町が温かな狐火を灯し、一人一人の手を握って回る。特攻隊員たちは、母を思い出すかのように、その温もりに涙を流した。
3. 届かぬ祈り、神風の限界
しかし、隊員たちが寝静まった深夜。二柱の狐は、漆黒の海を見つめて立ち尽くしていた。
「……阿古町様。お分かりになりますわね」
天狐の表情は、昼間の微笑みが嘘のように凍りついていた。
「……ええ。かつて元寇の折、私たちが起こした神風は、木造の船を沈めるには十分でした。けれど……」
阿古町が鏡のような水面に映し出したのは、現世の列強が誇る巨大空母と、空を埋め尽くす鉄の艦載機の群れであった。
「今の船や飛行機とやらは風や波だけで抗えるものではありません。科学という名の鋼鉄は、私たちの起こす自然の理(神風)すらも、力ずくでねじ伏せてしまう……」
天狐が呼び集めた日本中の霊力も、巨大な対空砲火の前では霧散してしまうことを、彼女たちは悟っていた。自分たちがどれほど祈り、風を吹かせても、この若者たちが「鉄の壁」に激突して散る運命は、もはや変えられない。
「私たちは……彼らに嘘をついているのでしょうか。勝てぬ戦いに、加護を与えると笑って……」
天狐の頬を、一筋の涙が伝う。
4. 悲しき約束
「阿古町様、天狐様! 明朝、出撃いたします! 我らが神風となりて、必ずや敵を討ち果たします!」
一人の少年兵が、清々しい笑顔で駆け寄ってくる。阿古町は、その少年の幼い手を強く握り返した。
「ええ……。私たちは、最期の瞬間まで貴方たちの側にいます。風が吹くときは、私たちが背中を押しているのだと思ってくださいねぇ」
それは、勝利の約束ではなかった。
せめて彼らが散る瞬間、独りきりで寂しくないように。その魂が迷わぬように見守るという、神子たちの悲しき誓いであった。
万世の空に、切ない狐火が揺れる。
明日、この若者たちが「鋼の怪物」へと突っ込んでいくのを、神風の霊狐たちはただ見送るしかなかった。




