第14話泥濘の覇道、惜別のガダルカナル ——魔王の涙と狸の意地——
泥濘の覇道、惜別のガダルカナル ——魔王の涙と狸の意地——
1. 餓島の惨状
ガダルカナル島。かつての「緑の地獄」は、今や「餓島」とその名を変えていた。
輸送船団が受けた壊滅的な打撃により、届いたのは僅かな米と弾薬のみ。日ノ本の兵士たちは泥水を啜り、木の根を噛んで命を繋いでいた。
「……フ、この余が、天下を論じる前に腹を空かせるとはな」
織田信長は、頬が削げ、眼光だけを鋭く光らせて大木に背を預けていた。
「信長様……これを。最後の一粒でござる」
仙石秀久が、泥にまみれた握り飯の欠片を差し出す。だが信長はそれを手で制し、周囲で虚ろな目をしている兵士たちを見渡した。
「皆、聞け! 腹が減っては戦はできぬと言うが、余の軍勢は魂で戦うものだ! 異国の王に、日ノ本の意地を見せてやれ!」
信長の咆哮に、兵士たちは一時的に背を伸ばすが、その足取りはあまりに危うかった。
2. 冥府の密使、非情の宣告
その夜、密林の闇を裂いて、青白い鬼火を纏った一羽の鴉が舞い降りた。
「……小野曹長、貴殿に冥府の代理たる参議篁様より直々の伝令である」
鴉が人の言葉を話す。小野曹長は震える手で、鴉が吐き出した文を受け取った。
其処に記されていたのは、あまりに無慈悲な一文であった。
『ガダルカナル島放棄。一木支隊の組織的戦闘を終結させ、即刻撤退せよ。これは現世の軍令にあらず、冥府の理による決定である』
「……そんな。一木支隊を見捨てて、自分たちだけ逃げろと言うのか……!」
小野曹長は文を握りしめ、嗚咽を漏らした。撤退に必要な船を操れるのは、工兵である自分だけ。だが、共に戦ってきた戦友たちを置いていくことなど、彼にはできなかった。
3. 信長の気遣いと、長島の悔恨
「小野曹長……何を震えておる。余に隠し事は通じぬぞ」
背後から、信長が静かに声をかけた。曹長は咄嗟に文を隠そうとするが、信長の悲しげな瞳を見て、すべてを打ち明けた。
「……そうか。放棄か」
信長は夜空を仰ぎ、自らの白く細い指を見つめた。
「かつて……余は伊勢長島で、己に従わぬ門徒たちを数万を兵糧攻めにし、炎の中に焼き捨てた。あの時、余はそれを『天下のため』と断じた。だが……」
信長の瞳に、微かな涙が浮かぶ。
「今、この飢えた兵たちを見ていると、あの時の熱風が肌を焼く。余は、もう誰も置き去りにしたくはないのだ」
4. 狸たちの猛反対と一木の覚悟
「冗談じゃねえや! 撤退だと!?」
話を盗み聞きしていた隠神刑部が、茂みから飛び出した。
「俺たちは、こいつらと一緒に戦うために来たんだぜ! 喜左衛門も死ぬ時は一緒だって決めてたじゃねえか!」
「親分、あっしら狸が逃げたら、化けの皮が剥がれちまうよ!」
喜左衛門も鼻を膨らませて抗議する。
だが、その時。闇の中から、一木支隊の生き残りの兵士たちが姿を現した。
「……信長様、小野曹長。……行ってください。俺たちの分まで、生きて、日ノ本を護ってください」
一人のまだ幼さが残る兵が静かに頭を下げた。
「あんた方は『不死の兵』だ。ここで飢え死にする器じゃない。……俺たちが殿を務めます。どうか、本土へ、滝夜叉姫様たちの元へ!」
「……すまん。……すまん……!」
小野曹長は、生まれて初めて声を上げて泣いた。
深夜。船舶工兵の操る小さな発動機艇が、音を殺して岸を離れた。
背後のガダルカナル島からは、残された兵士たちが歌う「海ゆかば」の歌声が、波音に混じって微かに聞こえていた。信長は一度も振り返らず、ただ漆黒の海を見つめ、復讐の炎をその瞳に宿していた。




