第7話「殺されない夜」
冷たい石の感触で、目が覚めた。
最初に感じたのは、身体の痛みよりも、
喉の奥に残る乾いた恐怖だった。
「……ここは……」
低く呟いた声は、洞のように反響した。
薄暗い空間。
天井から差し込むわずかな光が、床に不規則な影を落としている。
壁は荒く削られ、湿った土と苔の匂いが鼻を刺した。
――攫われた。
その事実を思い出した瞬間、
胸の奥に、遅れて恐怖が湧き上がる。
「母さん……」
隣で、子どもの声が震えた。
人族の村から連れてこられた者たちが、
ひとつの区画に集められている。
縛られてはいない。
だが、逃げ場もない。
遠くで、重い足音が響いた。
魔族だ。
誰かが息を呑む。
角のある影が、松明の明かりに浮かび上がる。
大柄な体躯。
人の言葉を理解していることは知っている。
それでも、恐怖は消えない。
「……殺されるのか」
誰かの囁きが、場の空気を凍らせた。
魔族は、無言でこちらを見下ろす。
だが、剣も槍も構えていない。
ただ、距離を保ったまま立っている。
しばらくの沈黙の後、
別の魔族が食料の籠を置いた。
「……食え」
短い言葉。
誰も動かない。
疑いと恐怖が、体を縛りつけている。
やがて、年配の男が、震える手でパンを取った。
口に運び、噛みしめる。
――何も起こらない。
その光景を見て、
ようやく、周囲にも動きが生まれた。
「……殺さない、のか」
誰かが呟く。
その問いに、魔族は答えない。
ただ、距離を保ったまま、見守っている。
子どもが、小さな声で母親に囁く。
「……魔族、怖くないの?」
母親は、答えに詰まった。
怖い。
それは事実だ。
だが、
目の前の“怖い存在”は、
今のところ、誰も傷つけていない。
その夜、
人族たちは、ほとんど眠れなかった。
魔族の気配に身を強張らせながら、
それでも、誰も殺されないまま、
夜は過ぎていく。
恐怖の中に、
小さな違和感が芽生え始めていた。
――本当に、敵なのだろうか。
夜明け前。
森の外れ、丘の上に、ひとつの影が立っていた。
人の形をしているが、
どこか現実から浮いているような輪郭。
その影は、
遠くにある魔族の集落の灯りを見つめていた。
「……動き出したか」
誰に向けた言葉でもない、低い呟き。
月の欠けた空を仰ぎ、
影は、静かに息を吐く。
かつて、
同じ光景を見送った夜があった。
助けることを、諦めた夜。
「今度は……どうなる」
影は、誰にも答えを求めない。
やがて、
その姿は、霧に溶けるように消えた。
まるで、
最初から存在しなかったかのように。
夜明けの風が、丘を吹き抜ける。
世界は、まだ静かだ。
だが、
静かなまま終わる世界ではなくなりつつあった。




