第4話「王座の継承」
夜。
町の灯りが、背後で小さく瞬いている。
ノアは、人気のない街道を歩いていた。
昼の出来事が、何度も脳裏をよぎる。
縛られていた魔族の女。
逃がした瞬間の、群衆の目。
恐れと憎しみが混じった、あの視線。
(……これで、もう“こちら側”には戻れない)
町にいれば、いずれ捕まる。
だが、それ以上に――
ここに留まれば、また同じことを繰り返す。
誰かが傷つき、
誰かが“間に合わなかった”と後悔する。
その連鎖を、断ち切るには。
ノアは、街道の分岐で立ち止まった。
一方は、人族領の中心へと続く道。
もう一方は、闇の濃い森へと伸びる道。
魔族領へ続く境界。
(……行くしかない)
足を向けた瞬間、胸の奥が軋んだ。
雪の夜の記憶が、ふいに蘇る。
――それでも、お前は優しいままでいろ。
「……無理だよ」
小さく呟き、ノアは境界線を越えた。
空気が変わる。
肌を撫でる風は冷たく、
見えない魔力の流れが、背中を押し返すようだった。
やがて、闇の奥に城影が浮かび上がる。
石造りの巨大な城。
魔王城。
(……ここまで来て、逃げるわけにはいかない)
迷いはなかった。
むしろ、ずっとここに来ることを避けていた自分を、
ようやく許せた気がした。
重い扉を押し開く。
玉座の間は、静まり返っていた。
中央に座る存在が、こちらを見下ろす。
「来たか」
低く、静かな声。
ノアは一瞬、言葉を失う。
(……知っていた、みたいだ)
「……人族の町を見てきました」
ノアは、これまで見てきた光景を思い出しながら言った。
「変わらぬだろう」
「ええ。変わりません。
だから、このままでは終わります」
短い沈黙。
魔王は、ノアの目を覗き込むように言った。
「――ノア」
心臓が跳ねる。
「……なぜ、俺の名を」
「……あの男が言っていた。
『次は、あの子がやる』と」
背筋に、冷たいものが走る。
最期の夜の記憶。
消えゆく背中。
“託された”という実感。
「奴は、自分が世界に消されることを知っていた。
それでも、お前を育てた。
世界を動かす者としてな」
ノアは、視線を逸らさなかった。
「だから、俺は来ました」
一歩、前へ出る。
「話し合いも、融和も考えました。
だが、間に合わない。
優しさは、いつも遅れる」
ある光景が、胸を刺す。
差し出されかけた手。
間に合わなかった一瞬。
「この世界は、静かに滅びる。
だから、衝撃が必要だ」
ある夜が、脳裏をよぎる。
恐れられる側になった、自分。
「強制的にでも、世界に選択させる力がいる」
顔を上げる。
「その役を、俺が引き受けます」
間。
「俺は――魔王という役割になる」
長い静寂。
やがて、魔王は立ち上がった。
「……よかろう」
差し出される手。
「我が名を継げ」
ノアは、その手を取った。
魔力が全身を包み込む。
背後で、町の灯りがさらに遠ざかった気がした。
――もう戻れない。
それでも、迷いはなかった。
遠くで、懐かしい声が聞こえた気がした。
――それでも、お前は優しいままでいろ。
「……難しいよ、じいちゃん」
ノアは、そう呟いて目を閉じた。
この日、
“悪役”は、ついに役を引き受けた。
世界を救うために。




