第40話「見えない境界」
夜明け前の共存村は、ひどく静かだった。
焚き火の火は落とされ、
人族の居住区と魔族の居住区の間には、
昼間よりもはっきりとした“距離”が生まれている。
見張りの魔族が、
村の外縁に立ち、森の奥を見つめていた。
遠くで、
木々を揺らす気配がある。
人族の調査隊が来る――
その噂は、すでに村中に広がっていた。
(……また、来るのか)
見張りの魔族、カイルは、
胸の奥に重たいものを感じていた。
過去に、人族の恐怖が暴走し、
魔族の村が襲われた夜を、
彼ははっきりと覚えている。
その時も、
“様子を見に来ただけだ”と言われていた。
共存村の中では、
人族の住人たちが、家の灯りを落としながら、
小声で話している。
「……調査隊が来るんだって」
「……また、何かされるの?」
「……ここにいるだけで、
疑われるの、疲れるわ……」
魔族の姿を見て、
視線を逸らす者もいれば、
逆に、必要以上に愛想よく振る舞う者もいる。
どちらも、
“恐れ”の別の形だった。
カイルは、
村の外れの小高い場所に登り、
森の奥を見やった。
夜の闇の中に、
規則正しく並ぶ、小さな灯りが見える。
――魔族だけの村。
人族の足が踏み入らない場所。
争いも、監視も、疑いもない。
そこでは、
魔族の子どもたちが、
夜更けまで笑っているはずだ。
(……帰れる場所は、あそこにもある)
それでも、
カイルは、共存村に残っている。
ここは、
“変わろうとしている場所”だからだ。
背後から、足音がした。
人族の青年が、
水を汲みに来た帰りのようだ。
視線が合い、
互いに、少しだけ身構える。
カイルは、
意識して距離を取った。
近づけば、
相手が怯えることを、
もう何度も経験している。
人族の青年は、
一瞬、何か言いかけて、
結局、何も言わずに立ち去った。
(……声をかけるだけで、
壁になる)
それでも、
声をかけないままでは、
壁は、永遠に残る。
その頃、
魔王城では、ノアが報告を受けていた。
「……調査隊が、
境界付近まで来ています」
ノアは、短く頷く。
(……見られる側の時間だ)
迎撃する気はない。
逃げる気もない。
見られることで、
世界が“動く”なら、
その役目は、引き受ける。
共存村に、風が吹く。
焚き火の灰が舞い、
人族と魔族の間の、
見えない境界線が、
一瞬だけ揺らいだ。
遠くの魔族の村の灯りは、
変わらず、穏やかに揺れている。
変わらずにいられる場所。
変わることを選んだ場所。
その二つの間で、
共存村は、今日も息をしていた。




