第38話「見に行く理由」
調査隊が出発してから、三日が過ぎていた。
町には、何も変わらない日常が流れている。
市場は賑わい、訓練場では剣の音が響く。
だが、ノエルの中だけが、
どこか置き去りにされたままだった。
(……見に行ったのは、
あいつらだけだ)
レオンの背中が、何度も脳裏をよぎる。
“無事に帰ってこい”としか言えなかった自分。
その言葉の薄さが、胸の奥に残っている。
その日、ノエルは訓練を早めに切り上げた。
理由を聞かれれば、
“体調が悪い”とでも答えるつもりだった。
実際、
胸のあたりが、妙に重い。
町の外れまで歩き、
人目の少ない道へと足を向ける。
――森の縁。
共存村へ向かう街道とは別の、
人族の巡回路の外側。
本来、
勇者候補が一人で近づいていい場所ではない。
(……命令外、か)
そう自覚した瞬間、
足が止まりかけた。
それでも、
引き返さなかった。
“見ずに決めたくない”という感情が、
“規則”よりも、わずかに強かった。
森の空気は、
町とは違う匂いがした。
湿った土。
葉の影。
遠くで聞こえる獣の鳴き声。
その中に、
微かに、別の気配が混じる。
――人ではない。
ノエルは、反射的に身を低くした。
木々の隙間から見えたのは、
角の生えた影だった。
魔族。
それも、
戦場で見る“敵”の姿とは違う。
大きな背に、
薪の束を背負い、
足取りは、驚くほど静かだ。
その後ろから、
小さな魔族の子どもが続いている。
手を引かれ、
転びそうになりながらも、
必死についていく。
(……親子、か?)
思わず、息を呑んだ。
“魔族”という言葉から想像していた姿と、
あまりにも違う光景。
武器を構えていない。
人を探している様子もない。
ただ、
暮らしている。
別の影が、木々の向こうから現れた。
人族だった。
共存村から逃げた者か、
それとも、森に迷い込んだ旅人か。
足を怪我しているのか、
歩き方が覚束ない。
その瞬間、
魔族の大人が、足を止めた。
一歩、前に出かけて――止まる。
ノエルは、
その場面を、息を殺して見ていた。
魔族は、子どもを背に庇い、
ゆっくりと距離を取る。
近づかない。
刺激しない。
視線を逸らす。
(……襲わない……?)
むしろ、
“人を怖がっている”ように見えた。
人族の方も、
魔族の姿を見て、
顔を強張らせる。
一瞬、
互いに動けない時間が流れた。
やがて、
魔族は、子どもの手を引き、
静かに森の奥へ引き返していった。
人族は、
その背中を、呆然と見送っている。
ノエルの胸の奥で、
何かが、音を立てて崩れた。
(……俺は、
何を“敵”だと思ってたんだ)
襲ってこない魔族。
逃げる魔族。
人を恐れて距離を取る魔族。
訓練場で教えられた“魔族像”と、
目の前の現実は、
一致しなかった。
帰り道。
ノエルの足取りは、重かった。
見てしまったからだ。
“敵”だと思っていた存在が、
ただの“生活する誰か”である姿を。
(……見に行った理由は、
分かった)
見に行ったから、
もう、知らないふりができない。
それが、
自分をどこへ連れていくのかは、
まだ分からない。
ただ一つ。
ノエルは、はっきりと知ってしまった。
――この世界は、
自分が教えられてきたほど、
単純じゃない。
その事実が、
彼の中で、静かに、だが確かに、
根を張り始めていた。




