【過去編】第26話「消える道」
朝、村の門が騒がしかった。
交易に出るはずだった男たちが、予定より早く戻ってきたのだ。
「……道が、ない」
最初は、誰も意味が分からなかった。
「道に迷ったんじゃないのか」
「霧が出てたんだろ」
口々に、いつもの理由が投げられる。
だが、男たちの顔色は悪い。
「……違う。“道そのもの”が、消えていた」
ノアは、老人の後ろで、その言葉を聞いた。
“消えた”という言い方が、ただの言い間違いには思えなかった。
男たちの話によれば、村から東へ続く街道が、途中で途切れていた。
崩れたわけでも、塞がれたわけでもない。
ただ――
先へ進もうとすると、視界が歪み、足がすくみ、“そこから先へ行けない”感覚に襲われたという。
「……霧の中に、壁があるみたいだった」
「……いや、壁じゃない。“何もない”のに、進めない」
話を聞く村人たちの間に、ざわめきが広がる。
「……そんな馬鹿な」
「……気のせいだろ」
だが、その場にいた誰もが、心のどこかで“ただの気のせい”ではないと感じていた。
昼前。
確かめるために、村の若者数人と老人が、問題の街道へ向かった。
ノアも、後を追う。
街道は、見た目には、何も変わっていない。
いつもの石畳。
いつもの木立。
遠くに見える、山の稜線。
「……ここだ」
男の一人が、立ち止まった。
「……ここから先に、行けない」
「……冗談だろ」
若者が一歩踏み出す。
その瞬間、空気が、わずかに“歪んだ”。
目の前の景色が、水面のように揺らぐ。
足元が、急に遠く感じられ、身体が、前に進むのを拒む。
「……っ!」
若者は、反射的に後ずさった。
「……本当だ」
誰も、そこから先へ踏み出せない。
まるで、“世界の端”に、見えない境界が引かれているようだった。
老人は、黙ってその光景を見つめていた。
やがて、低く呟く。
「……始まったか」
ノアは、その声を聞き逃さなかった。
「……なにが?」
老人は、しばらく黙り込んだあと、ようやく口を開く。
「……この世界が、自分で“縮み始めている”」
「……縮む?」
「……行ける場所が減り、出来ることが減り、やがて……」
言葉が、途切れる。
続きを言わなくても、その先が良いものでないことだけは、はっきり伝わった。
村へ戻る道すがら、ノアは、何度も後ろを振り返った。
何もないはずの場所。
だが、そこには確かに、“戻れない境界”が生まれていた。
(……世界って、そんなふうに壊れるの?)
答えはない。
ただ、昨日まで確かに繋がっていた“外”が、今日には、もう繋がっていない。
その事実だけが、胸の奥に重く残る。
夜。
村の集会所では、不安混じりの声が飛び交っていた。
「……外と繋がれないなら、この村はどうなる」
「……物資が尽きたら?」
誰も、はっきりした答えを持たない。
老人は、輪の外で、黙って座っていた。
ノアは、その横顔を見つめる。
昼間の言葉が、頭から離れない。
――この世界が、縮み始めている。
その夜、ノアは夢を見た。
村の外へ続く道が、一本、また一本と消えていく夢。
最後に残ったのは、自分の足元だけの、小さな地面だった。
目を覚ますと、窓の外には、変わらない夜が広がっている。
だが、“変わらない風景”の裏で、
確かに世界は、音もなく狭まっていた。




