【過去編】第24話「変わらない風景のひび」
朝の空気は、妙に澄み切っていた。
雲ひとつない青空。
鳥の鳴き声は澄んで、
村の通りを抜ける風は、ひどく穏やかだ。
穏やかすぎる、とノアは思った。
理由は分からない。
ただ、胸の奥に、ざらついた違和感が残る。
畑へ向かう老人の背を追いながら、ノアは、村の様子を見回した。
いつも通りの朝。
井戸端で水を汲む女たち。
通りに並ぶ露店。
昨日と同じ場所に、同じ籠。
同じ時間に、同じ顔ぶれ。
(……昨日と、同じ)
その感覚が、頭から離れない。
畑仕事の最中、老人は、土に鍬を入れながら、ふと手を止めた。
「……おかしいな」
独り言のように呟く。
「……何が?」
ノアが問うと、老人は、空を仰いだ。
「……雨の匂いがしない」
空は、快晴だった。
「……もう、何日も降っていない」
「……雨、嫌い?」
「……嫌いじゃない。ただ……降るべき時に、降らんのは、良くない」
老人の声には、理由のない不安が滲んでいた。
昼過ぎ、村の外れの水路で、小さな騒ぎが起きた。
水が、ほとんど流れていない。
「……上流で何か詰まったのか?」
「……いや、詰まりはない。水そのものが、減ってる」
村人たちが顔を見合わせる。
「……まあ、すぐ戻るだろ」
誰かが、そう言って話を終わらせる。
“すぐ戻る”。
その言葉が、なぜかノアの胸に引っかかった。
夕方。
ノアは、丘の上から村を見下ろしていた。
家々の配置。
畑の広がり。
通りの人の流れ。
すべてが、まるで“前に見た絵”の上に、同じ色を重ねているように見える。
(……変わらない)
良いことのはずなのに、
その“変わらなさ”が、
息苦しさに変わっていく。
背後で、老人が足を止めた。
「……ノア」
「……なに?」
「この村は、好きか」唐突な問い。ノアは、少し考え、頷いた。」
「……好き」
「……そうか」
老人は、しばらく村を見つめたあと、低く呟いた。
「……変わらない場所は、人を守ることもある。だが……」
言葉が、そこで途切れる。
「……だが?」
ノアが促すと、老人は、視線を逸らした。
「……いや、何でもない」
夜。
食卓の灯りの下で、老人は、黙って古い地図を広げていた。
ノアは、向かいの椅子から、その様子を見つめる。
「……どこ?」
「……この辺り一帯だ」
「……遠くまで、行ったことある?」
老人は、しばらく考え込むように黙り、やがて、静かに首を振った。
「……行かない方がいい場所も、ある」
「……なんで?」
「……知らん方がいいことも、ある」
その答えは、ノアの心に、小さな影を落とした。
その夜、ノアは夢を見た。
村が、朝のまま、ずっと変わらない夢。
人々は笑い、
畑は実り、
空は青い。
だが、
何日経っても、
何年経っても、
同じ景色が、同じ場所に、同じ形で続く。
季節は巡らない。
子どもは成長しない。
老人の背も、曲がらない。
変わらないままの世界。
ノアは、その夢の中で、なぜか、ひどく息苦しさを覚えていた。
目を覚ますと、窓の外は、現実の夜だった。
だが、その静けさの奥に、
“世界が止まり始めている”ような感覚が、
確かに残っていた。




