表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/41

プロローグ「禁忌と消失」

 世界には、触れてはならない理がある。

 それを知る者は少ない。

 そして――知ってしまった者は、長く存在できない。


 雪の降る夜だった。


 音を吸い込むような静寂が、村を包んでいる。

 小さな家の中で、老人はゆっくりと目を開けた。


 来る。


 理由は分からない。

 だが、理解だけはしていた。


 長く逃げすぎたのだ、と。


 視線を向けると、部屋の隅で本を読んでいた少年が顔を上げた。


「まだ起きてたの?」


 無邪気な声だった。


 老人は答えず、その姿をじっと見つめる。


 まだ幼い。

 だが、その瞳の奥には、時折、ぞっとするほど静かな光が宿る。


(……この子は、いずれ、世界に触れる)


 本来なら、触れずに済むはずだった。

 そうなるように導いてきた。

 世界の“外側”に触れないように。


 だが――もう間に合わない。


「こっちに来なさい」


 少年は素直に立ち上がり、老人の前に来る。


「どうしたの?」


 その問いに、老人はすぐには答えなかった。


 代わりに、しわだらけの手を伸ばし、少年の頭にそっと触れる。


 温かい。


 この温もりを感じるのも、これが最後だろう。


「覚えておきなさい」


 静かな声だった。


「世界はな、お前が思うほど優しくはない」


 少年は少しだけ不満そうに口を曲げる。


「急に何それ」


 老人は小さく笑った。


「それでも――」


 一拍置く。


「お前は、優しいままでいろ」


 その瞬間だった。


 空気が凍る。


 薪の爆ぜる音が止む。

 揺れていた炎が、形を失ったまま固定される。


 雪が――落ちてこない。


 時間ではない。

 空間そのものが、老人だけを切り離していた。


 少年が何か言っている。

 だが、声は届かない。


 結界。

 いや、これはもっと上位の――。


(……また、これか)


 老人の脳裏に、かつて見た“終わり”がよぎる。

 何度も繰り返した、世界の初期化。

 その果てに、自分が選ばれなかった記憶。


「……来たか」


 恐怖はなかった。

 あるのは、諦観に似た静けさだけだ。


(今度は、あの子に託すしかない)


 視線を上げる。

 誰もいない空間に向かって、老人は告げた。


「この子は、まだ何も知らない」


 返答はない。

 ただ、世界そのものが意志を持ったかのように、圧力だけが増していく。


 理解していた。


 これは“罰”ではない。

 理に抗い、なお消えなかった者への――最後の整理だ。


 それでも。


 後悔だけは、していない。


 老人は最後に少年を見る。

 時間の外側から。


(……次は、お前の番だ)


 声にならない声で、そう呟いた。


 光が走る。


 音もなく。

 熱もなく。


 次の瞬間。


 老人は――消えた。


 崩れることもなく。

 倒れることもなく。


 最初から存在しなかったかのように。


 静止していた世界が、動き出す。


「……え?」


 少年の手から、本が落ちた。


「……どこ?」


 返事はない。

 痕跡もない。


 ただ、椅子だけが空いている。


 やがて、胸の奥に得体の知れない恐怖が広がっていく。


 理由は分からない。

 だが本能が告げていた。


 ――これは、人の死ではない。


 その夜、少年は初めて知る。


 この世界には、抗えないものがあるのだと。


 そして彼は、まだ知らない。


 この消失こそが――

 世界に刻まれた禁忌に触れた証であることを。


 さらに知らない。


 この夜を境に、

 彼自身が何度も世界の“終わり”を見ることになることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ