兄弟悲劇ごじつたん
チャッピーにお願して話を書いてもらったよ
◆後日談:影の隣で老いていく湊
【Ⅰ:忘却から始まる余生】
湊が精神病棟に入ってから、季節は何度も巡った。
最初の数年、湊は毎日のように同じことを言った。
「弟が……今日も話しに来てくれて……」
看護師は沈黙したまま、湊の薬を置いた。
湊が見ているその“弟”は、どの誰にも見えない。
やがて記憶の断片が欠け始め、
数年が十年に変わるころには、湊自身の年齢すら曖昧になっていた。
「俺、いま何歳だっけ……?」
“弟”が答える。
『兄さんはずっと僕と一緒だよ。年なんて関係ないよ』
湊は安心したように微笑んだ。
⸻
【Ⅱ:施設の中で積み重なる老い】
湊の髪が白髪になり、
膝がきしみ、
視力が落ち、
肌にしわが増えても、
“遼”だけは、あの日のままの姿だった。
高校生くらいの若い顔。
冷たい瞳。
どこか実体があるようで、触れた瞬間に霧のように溶ける気配。
湊はそれが当たり前だと思っていた。
そう思うしかなかった。
看護師の一人が言った。
「湊さん、今日写真を撮りませんか? ご家族の記録として」
湊は首をかしげた。
「家族……遼しか……」
それでも写真撮影は行われた。
カメラのシャッター音が響く。
フラッシュが一度だけ白い部屋を照らす。
湊は微笑み、
その肩に手を置くしぐさをした。
隣に、確かに“遼”がいる気がした。
⸻
【Ⅲ:写真に写り込んだ“不在”】
現像された写真を看護師が手渡した。
湊はしばらく眺めていた。
そして、息が詰まった。
写真には――
しわだらけの老いた自分しか写っていなかった。
隣にいるはずの遼が、いない。
「……あれ……?」
湊は写真から視線を上げる。
ベッドの脇に、遼が立っていた。
若いままで、影が薄く、光を通しているような身体で。
湊は言った。
「どうして……写ってないの……?」
遼は微笑んだ。
『兄さんが忘れてるからだよ』
背筋に冷たいものが走った。
――忘れている?
――何を?
遼は続ける。
『兄さん。僕はあの日、死んだでしょう?』
写真の中の“空白”が急激に意味を帯びた。
湊の脳裏で、閉ざしていた記憶が裂ける。
狭い部屋、暴れる影、倒れる音、
自分の手、
赤黒い床、
動かない遼の身体。
「う、あ……あああ……!」
湊は写真を落とし、頭を抱え、震えた。
忘れていた記憶が一気に流れ込む。
封じられていた罪が形を取り戻す。
遼が、近づく。
『兄さんは僕を殺したんだよ。
でも、僕は兄さんを置いていけなかった。
ずっと一緒にいるよ。ねぇ――愛してるよ、兄さん』
耳元で囁く声は、あの日と同じ響き。
湊は叫んだ。
「やめろ!! 遼は……死んだ……死んだんだ……!」
だが遼の幻は消えない。
どれだけ首を振っても、腕を振っても、
視界の隅に必ず立っている。
怖い。
愛している。
逃げたい。
離れられない。
そのすべてが混じり合い、湊の心は限界を超えた。
⸻
【Ⅳ:最後の夜】
その日の夜、湊は自室の窓辺に立った。
足元には、破れた写真。
遼が写っていない、老いた自分だけの写真。
外は静かだった。
月が淡い光を落としている。
背後で、遼が囁いた。
『兄さん。僕から逃げるの?』
湊は震える声で返した。
「もう……楽にさせて……遼……」
『ダメだよ。兄さんは僕がいないと生きていけない』
その瞬間、湊は悟った。
逃げる方法はもう一つしかない。
ゆっくりと、窓を開けた。
夜風が肌に触れる。
足を一歩、外へ。
遼が湊の手首を掴んだ錯覚がした。
『兄さん、どこに行くの?』
湊は目を閉じた。
涙が零れた。
「一緒に……終わりにしよう……」
次の瞬間、湊の身体は宙に浮き、
暗闇へと落ちていった。
遼の幻影は、最後まで彼の隣にいた。
⸻
【Ⅴ:遺体発見と、その後】
翌朝、看護師が中庭で倒れている湊の遺体を見つけた。
その表情は、不思議なほど穏やかだった。
しかし――
遺体の少し横の地面には、もう一組の足跡が残っていた。
小さく、若い男のもののような、はっきりとした足跡が。
病棟のカメラには、湊しか映っていない。
けれど湊の遺体の横には、
あの日と同じ形の影が伸びていたという。
その影だけは、誰にも説明できなかった。
⸻
◆完




