第5話 異世界でミラクルオラクル
服屋でもらった薄茶色の麻のシャツとダークブラウンのコットンズボンに袖を通す。
初めて着る異世界の服は、思っていたより着心地が良かった。日本の服とは生地の質感が少し違うが、動きやすく、なんとなく冒険者らしい気分になる。
鏡で自分を見ると、確かに異世界の住人らしく見えた。甚平姿の時とは大違いだ。
身支度を整えて宿を出ると、城下町には朝の活気が溢れていた。
石畳の道には早朝から人々が行き交い、荷車を引く商人や買い物かごを持った主婦たちが忙しそうに歩いている。空気は清々しく、どこからか焼きたてのパンの香りが漂ってきた。
市場は宿からそう遠くない場所にあった。
「うわぁ……」
見たこともない光景が目の前に広がる。色とりどりの野菜や果物、香辛料、そして湯気を立てる屋台料理。まさに異世界の市場だった。
「お兄さん、どこから来たんだい? 見ない顔だね」
声をかけてきたのは、パンを売っている初老の男性だった。人当たりが良さそうで、温かい笑顔を向けてくれる。
「遠い遠いところからです」
昨日みたいに異世界とは答えないようにしておいた。
「言いたくない感じだなぁ。いいよいいよ。まあ、どこから来ようと腹は空くもんだ。うちの焼きたてパンを食べてみないか?」
男性が差し出したのは、表面に焼き色のついた丸いパンだった。ほんのり甘い香りがする。
「いくらですか?」
「50イエンだよ」
安い! 日本円で50円なら、かなりお得だ。
「じゃあ、それを一つください」
パンを受け取って一口かじると、外はカリッと中はふんわり。ほのかな甘みと塩気のバランスが絶妙だった。
「美味しい!」
「そうだろう? 家族のレシピでね。代々受け継いでるんだ」
パン屋の店主は嬉しそうに笑った。
次に向かったのは、野菜と果物を売る屋台。色鮮やかな野菜が並んでいるが、見たことのないものばかりだ。
「この紫色の丸いのは何ですか?」
「ああ、それはムルベリーだよ。甘酸っぱくて美味しいんだ。試食してみるかい?」
店主のおばさんが切ってくれた一切れを口に入れると、確かに甘酸っぱい。リンゴとブドウを足したような味だった。
「美味しいですね」
「だろう? 1個50イエンだよ」
また50イエン。日本だったらこの大きさの果物なら150円はしそうなのに、こっちの方が安いのかもしれない。
結局、パンとムルベリー、それに魚を焼いたような料理も買って、合計300イエンほど使った。日本円換算で300円。この量なら安すぎるくらいだ。
宿に戻って部屋で一人、異世界の朝食を味わった。
ムルベリーと魚は日本では食べたことのない味で、新鮮な驚きがある。特に魚料理は香辛料が効いていて、とても美味しかった。
「異世界での生活も悪くないな」
食事を終えて、ふとスマホのことを思い出した。
今朝はエレナの前で基本機能しか確認できなかったが、一人になった今なら詳しく調べられる。
まずは記念に部屋の様子を撮ってみた。カメラは普通に機能する。写真フォルダにもちゃんと保存された。
写真のフォルダには、今朝撮ったエレナの写真もちゃんと残っている。
しかし、写真を撮れても自分にしか見えなければ、異世界に持ってこれても特別感を感じない。異世界転生に出てくるチート的な能力だとかスキルとは程遠い。
異世界でのスマホの活用方法があるのか考え込んでいるうちに、誤ってスマホ側面のボタンを長押ししてしまった。
ピコン! という音と共に音声アシスタントが作動した。
元の世界では稀にしか使っていなかった音声アシスタント「オラクル」。その存在を忘れていた。
「異世界でのスマホの実用方法がわからないよ」
『おはようございます、携太さん。初めまして、私はオラクルです。あなたのアシスタントとしてお手伝いさせていただきます。異世界での実用方法についてですね――』
声は穏やかで知的な印象。男女どちらとも判断がつかない、中性的な声質だった。
(なんで俺の名前を? そんなに凄かったっけ?)
頭が混乱しているうちに何かしらの説明が終わってしまっていた。
もう一回使ってみよう。試しに今度は声で呼んでみる。
「おはよう、オラクル」
『おはようございます、携太さん。ご用件はなんでしょうか』
オラクルの声が耳に聞こえてきた。
「異世界にこのスマホを持ってこれているんだけど、何ができるの?」
『私が知っている範囲でお答えします。スマホにはレベルが存在します。現在このデバイスはレベル1です。また、元の世界とは違い充電不要。電波も必要ありません。使用可能な機能は時計、アラーム、カメラ、写真フォルダとなっております』
「レベルって上がるの?」
『レベルアップにより新しい機能が解放されますが、詳細については未解放のため私にも分かりません』
(なるほど、今の感じだとスマホのレベルが上がると、オラクルの知識も増えるのかもしれない)
「写真に何か特別な機能はある?」
『写真編集機能がございます。ご案内いたしましょうか?』
写真編集……まさか、元の世界での俺の仕事に関係する機能が?
「お願いします」
『写真を選択してください』
言われた通り、部屋の写真をタップすると、見慣れた編集画面が現れた。しかし、元の世界のソフトとは明らかに違う。もっと直感的で、なぜか神秘的な雰囲気を持っている。
『こちらで色調整、明度、彩度の変更が可能です。またオブジェクトのコピーや合成なども可能です』
オラクルの説明を受けながら、それができたところで自分にしか見えないし特別感を感じない……そう思っていた。
それでも俺は、試しに写真に写るベッドをタップしてみた。マットレスなどを除いたベッドのみが、自動で選択された。色味を少し明るく調整してみた。
操作は元の世界での経験があるため、すぐに慣れた。
編集を完了させると……。
「え!?」
写真の中で明るくしたベッドが、現実でも微かに明るい色になっていた。
すごい!
今度は試しにシックな色に変更してみる。
すると現実のベッドの色も、写真の編集に合わせて変化した。
「凄い! 凄すぎる!!」
とりあえずお店の備品のため、慌てて元の色に戻した。
複製や合成も試したいが、勝手に備品で試すのは申し訳ない。
そこで良いことを思いついた。異世界に来たばかりで洗濯のことを考えていなかった。
寝巻きの甚平の写真を撮り、写真の中で3着にコピーしてみた。
すると現実でも甚平が3着に増えた。
「凄すぎる……」
そこで気がついた。画面の右上に「残り1回」という文字が表示されている。
聞いていない……。
あ! 説明を受けている最中だったのに聞いてなかったんだ。
「おはよう、オラクル。写真の編集回数制限について教えて」
『写真の編集回数制限についてですね。1日5回が使用上限です。6回以上ご利用されたい場合は広告をご覧になっていただくと利用が可能です。6回目が30秒、7回目が60秒と、30秒ずつ広告が長くなります。同じものを何度も変更することはこの制限の中では可能です。編集不可の商品が稀に存在します。代表的なものはお金です。また複製については限界があり、10個までです。複製した物を撮影しても複製できません』
「広告なんてあるんだね……。いろいろと分かったよ、説明ありがとう。関係ないけど、オラクル呼ぶ時、この異世界じゃ目立ちすぎじゃない?」
『声に出さずに、携太さんの心の中でお呼びいただければお答えします』
(え? そうなの? これ聞こえているの?)
『はい。「おはよう、オラクル」と仰った後であれば私が目覚めます』
今度は耳ではなく、頭の中に直接響くような感覚だった。まるで自分の思考の中にオラクルの声が混じっているような、不思議な感覚。
(わかった。今後はそうするよ)
カメラ機能については結構わかってきた。
早速エレナを呼んできて見せてやろう。今朝は見えないことに落ち込んでいたからな。
見えるわけではないけど、俺と同じように驚いてくれるはずだ!