第二章第6話 その名前は
ふわふわほわほわと。
まるで雲の中にいるような空間。
その中で一人きりで丸まっていた。
腹に抱えているのは大きな卵。
ここは巣で、これは大事な卵。
外敵を寄せ付けないこの空間で、慈しむように卵を温めている。
まもなく生まれる雛。
それが愛おしくて、早く生まれてほしくて……。
自然と頬が緩むのがわかる。
安らかな時間。
守るものがあるからこそ、得られる至福。
時をかけ、ゆっくりと、丁寧に、慎重に……。
生まれてくる子を夢見て……。
朝起きると、目の前に変なのがあった。 実技試験で鋼鉄の蜘蛛と戦う直前に見かけた球状の物体。
それが仰向けで寝ている俺の腹部にちょこんと鎮座している。
「……こ、これは?」
先ほど見た未だに鮮明さをもつ夢。
卵を慈しむ夢に出てきた卵だった。
「なるほど、夢の続きか……」
俺は腹部に鎮座している卵を抱きかかえる。
卵は暖かく、今にも孵りそうだ。
妙にリアリティのある夢だな、っと思っているとペキ、っと音がした。
「ペキ?」
ペキペキペキ、っと卵が内部からの干渉によってひびが入っていく。
だんだんと夢心地だった俺の脳は回り始めてくる。
ここは夢ではない。
ではこの卵はいったいなんで俺の所にあって、俺の目の前で孵ろうとしているのだろう。
いや、そもそもなんでこの卵が俺の目の前にあるのか……。
混乱している俺を後目に卵の雛は音を立てて広がっていく。
やがて……。
「ぴぃ」
卵の殻ををかぶって変なのが中から出てきた。
それは一見ヒヨコだが、黄色く小さいヒヨコと異なる。
まず、大きさがサッカーボールをちょっと小さくした程度。
そして皮膚を覆ううぶ毛は火のような色をいた朱。
俺の知識にはない種類の鳥というのは理解できた。
まあ、狭いファラスなぞに引っ込んでいた俺が知らないことなんて多々あるに決まっているので、そのうちのどれかだと納得する。
窓を見るとまだ暗く、本来起きる時間はまだまだ先のようだ。
昨日はアカデミーの入学試験で結果発表は明後日。
ということで合格発表までとりたててする事がないので今日はのんびり惰眠を貪ると決定している。
所在不安定そうにしている赤いヒヨコはキョロキョロしている。
青い鳥を見つけると幸せになるなんて逸話があるが、赤い鳥だとどうなるんだろう、って思っていると。
ヒヨコと目が合う。
「ぬ?」
「ピ?」
俺が首を傾げるのと同時にヒヨコは真似するように首を傾げる。
そしてある雑学が頭の中を駆け巡る。
刷り込み。
卵から孵った雛は一番最初に見たものを親と認識する……。
「……………へ?」
「…………ぴ?」
なんて安易な展開。
まさかこんな事になるとは。
「う〜〜む」
「ぴ〜〜ぅ」
とにかく俺の真似をする赤い物体。
見ていて何となく愛着も湧いてくる。
それに安易な展開なら生まれるのはこの赤いのじゃなく、ある程度育った女の子が生まれてくるとか、処理に困る事態になること。
普通のヒヨコより数倍でかいこの赤いのを食べさせるのは普通のヒヨコを飼うより高くつきそうだが、朝っぱらから姉に変な誤解されて右往左往するよりは幾分もマシだ。
ん? 捨てるという選択肢はないのかって?
そんな選択肢、この赤いの見てたらなくなるよ。
自分を本能とはいえ純粋に慕ってくれるのを見捨てるなんて選択肢を選ぶほど俺は邪道ではない。
「したら名前をつけてあげなきゃな……」
「ぴ♪、ぴ♪」
喜んでいるのがわかるあたりかわいいもんだ。
「さて、名付けというのは何気に重要だ。 俺の感性を公表するようなもんだし、慎重につけないと」
あまりにも捻りすぎて最終的に痛すぎる名前になるなんてバカはするわけにはいかない。
名前というのはそいつが一生背負うものだ。
名前をつけるとは、安易な気持ちでつけてはいけない。
結局悩んだ末、本人に選ばせることにした。
と、いっても思いつく限り名前を挙げて気に入ってる節のある名前にしようと、ある意味責任丸投げなのだが。
いや、だって、残念ながら俺には名前を付けるという重圧に耐えれなかっただけなのだが。
結果。
「ピィでいいのか、お前……」
「ピ♪」
「後悔しても知らんぞ!?」
「ピ♪」
喜んでいる。
で、名前が決まった。
こやつの名前はピィ。
実に65回目に呼んだ名前を大層気に入ってしまったらしい。
64回の名前までは首を傾げながら頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
で、問題の65回目。
なんとなくこやつがピィピィいうもんだからピィと言ってみる。
途端に、ピィピィピィピィと、駆け回った。
気に入った、と言わんばかりに。
流石にそれはないと思い、次々名前をあげていくが、こやつはぷいっと反応を示さなくなった。
で、ピィと呼んでみると……。
「ピィ!」
元気よく返事してくる。
もう知らん。
そんなに気に入ったのならピィでいいさ。
後悔しても頑なにその名前を気に入ったのはこやつ自身だ。
俺はこいつの名前を提案しただけにすぎない。
個人的にはボルレノフを推したんだがな……。
窓を見るとすでに朝日が登っている。
「クラブ、朝だよ〜」
姉が起こしにきたようだ。
姉はノックせずに、ガチャリとドアを開ける。
姉よ、兄弟とはいえ異性の部屋に入るときは気をきかせろよな……。
「ピ?」
「おはよう、姉」
「おはよう、弟」
姉は俺には目をくれずピィを見ている。
そりゃそうだよな。
昨日いなかったものがいるんだもの。
なんも疑問に思わない方が不思議だ。
「ね、ね、ね、ね、クラブ。 この子どうしたの?」
姉は目をキラキラさせて興味津々で聞いてきた。
ああ、そういえば、姉は鳥好きだったっけ。
理解ある姉で助かった。
「こいつはピィ。 生まれた時俺がそばにいてしまったもんで俺を親と誤認してなついてしまった」
これ以上ない簡潔かつ、隙のない返答だと自負する。
「クラブ、センスない名前だね」
と、グサッとくる反撃だった。 だがこの一言は譲れない。
「俺が決めた名前じゃない。 ピィが選んだ名前だ!」
「つまり候補として上げたわけだよね?」
それを言われると身も蓋もない。
「私だってもう少しまともな名前つけれるよ?」
「参考までに聞いてみようか」
「そうだね。 う〜〜んと……。 ツクネ、テリタマ、テリマヨ、ササミ……」
「姉よ、それらの名前にはとある一分類に纏める事ができるのだが……」
全部鳥に関連する料理の名称だった。
ピィも怯えている。
「響きはかわいいと思うんだけどな」
「OK。 響きがかわいいのは認めよう。 だが、人のセンスを疑う前に自分のセンスを見直してくれ」
「ちなみにクラブはどんな名前を提案したのよ?」
ムッとした顔で姉が言う。
仕方がない。 俺のセンスを披露してやろう。
「ボルレノフ、アンジュノイ、ミッフィーフェルテン、ダイソンペプシマン……」
「………………………」
姉がすっごく冷めた目で俺を見る。
「ミエルさんもクラブ君もどっこいどっこいだと思いますよ」
俺らのやりとりに横やりを入れてきたのはロベルト。
一応この家の家主で姉の旦那を名乗る奴だ。
「しかし珍しい鳥ですね。 赤い鳥とは……。 僕もそこそこ世界を回ったもんですが、生まれたてで赤毛が生えていてこんな体躯の鳥を見るのは始めてです」
「ピ?」
「ピィと鳴くからピィくんですね。 はじめまして、ロベルトです」
ロベルトはピィの頭を撫でた。
「ピィゥ、ピィ♪」
「しかしこの子は何を食べるんでしょうね。 鳥類は徹底的な肉食もいれば雑食もいます。 草食も確かいるはずですね。 クラブ君はご存知ですか?」
言われてみれば何を食べるかなんて頭になかった。
「ん……、無駄に鳥に詳しい姉よ。 ピィは何を食べるんだ?」
「そんなの知らないよ。 私だって初めて見るんだから」
「ん……。 どうしてくれよう?」
「ならばいっそ肉、野菜、穀物全てだして食べたものをみて判断するのはどうだろう?」
ロベルトはそう言った。
てなわけで、ロベルトの意見にのっとり全部だしてみた。
結果、ピィは全部平らげたのだった。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
どれを食べるか分からなかったので一つの量はそこそこ多く盛られていたのが、それをピィはペロリと食べてしまい、俺の頭の上にのっかっていた。
「よほどクラブ君の頭の上が気に入ったみたいね」
そういう感想を漏らすのは淡々と朝食をとっていたルゥ。
「見かけによらずこの子食べますね」
みんなが思ったことをロベルトは呟いた。
こうして我が家に新たな家族ができたのだった。