第二章第11話 酒木原ひじり
ひじりは屋上に来て、持参した弁当を広げる。
丸い握り飯二個と鰯を焼いた焼き魚。
竹で出来た水筒には緑茶が入っている。
酒木原ひじりの故郷、倭を連想させる弁当だった。
日差しは暖かく、時々吹く清涼な風に身を委ね、ぼうっと空を眺める。
どこまでも青い空は春を思わせて、ひじりの周りに春を感じさせるのには十分だった。
酒木原ひじりは先ほど行われた魔力判定で風属性と診断された。
そのため風と相性が良い理由が各個たる証拠として提示されたにすぎない。
ひじり自身、自らが風属性に分類された魔力を纏っているということは生まれた前から知覚していた。
まあ、酒木原ひじりにとって今世の属性などもはやどうでもいいことなのだが。
ただ、アイテムを使わず、魔力を自然力で回復するためには己の属性を知っていることに損はない。
ひじりにとって心地よい風に当たることは最も落ち着く行為だった。
そんなひじりの隣に座る雪を思わせる銀色の髪をした少女。
真新しいアカデミーの制服を見る限りひじりと同じ新入生のようだった。
「で、何のようだ? アマリリス……。 俺を殺しにでもきたのか?」
アマリリスと呼ばれた少女はひじりをニコニコと見つめ返した。
「冷たいわね。 昔馴染みに対して」
「昔馴染み? 貴様とは幾代に渡る仇敵だろう。 なんなら前世でつけられなかった決着を今つけてもいいのだが?」
「ん〜、それも楽しそうだけど、私って楽しみはとっておくものなのよ」
「ふん、快楽主義者め……。 ところでなんでお前まで今世にいる? 俺の記憶によるとお前は消滅したはずだがな。 いくらお前とて再生には時間がかかるだろう。 こうしていること事態、解せぬ話だがな……」
「それはあなたと一緒で転生したからよ」
「転生? 悪魔のお前がなんのためにわざわざ転生までして今世に現界する必要がある?」
「転生の制約の事言ってる?」
「転生する以上、前世の記憶は残るが、経験までは引き継がれない。 悪魔とてその例外に漏れるはずはないのだがな」
「さっきも言ったでしょ。 私は快楽主義者だって……。 経験に勝るものがあるから転生した。 それだけよ」
「経験に勝るもの……な。 悪魔アマリリスをそこまで魅了するものとやらに些か興味はあるが、これで面倒な敵が一人減ったと思えば暁光」
「減った……ね。 勘違いはしない方がいいわよ」
「経験を捨てたということは俺と戦う上でこの上なく不利だろ。 おまえの従来の力なら成長前の俺を消すことくらい容易いはずだがな?」
「それもそうね。 あなたみたいに厄介なのさっさと潰しておいた方が色々楽でしょうね」
「今世のこの身はあまり魔力を行使するのには適してはいない。 潰すなら今しかないと思うのだがな」
「そんなことはしない。 あなたと戦うのは楽しいけど、それ以上にもっと楽しそうな事を見つけちゃったからね」
「それが転生した理由か。 悪魔が転生を行使してしまった場合、悪魔には戻れず人として生きていかなければならないはずだ。 そこまでして楽しそうなことにすがるか……」
「あら、あなたも似たようなものじゃない。 あなたこそもう三千年は転生を繰り返しているでしょ? 記憶だけを次世に残し、滅び行く肉体を捨て不滅のように生き抜くあなたがそれをいいますか?」
「俺には果たさなければならない事がある。 それをお前は知っているはずだけどな……」
「呆れた……。 そんな事で三千年も繰り返してきたっていうの?」
「火種を撒いたものとしての責務。 それを果たさなければ俺は輪廻に戻れぬよ」
「古い傷跡に拘ったってつまらないだけよ。 損な性格ね」
「お前のような変な性格よりは遥かにましであろう。 悪魔のままでおれば大抵な事が可能であろうに、人間になるメリットがわからん」
「あら、悪魔に手に入れられなくて人間に手に入れられるものだってあるわよ。 わたしはそれに憧れたからこそ、人間に転生したのだから」
「はあ……。 悪魔で手に入れること叶わず、人で手に入れることが叶うもの……。 さて、何があるかとんと思いつかないがね」
アマリリスはムッとする。
「じゃあ頑張って思い出すことね。 他でもないあなたが私に教えたことなんだから」
「は?」
「またいつかあなたの口から同じ事が聞ける事を楽しみにしてるわ」
そういってアマリリスはその場を立ち、屋上から出て行った。
「変なやつ……」
アマリリスと入れ替わりでよく見知った男がひじりを見つけ、ひじりのほうに歩いてきた。
「ひじり、頼みがある」
「高いよ?」
「聞く前から値段の話は出来ればやめてくれ」
「なに? まさか俺に依頼?」
「当たらずも遠からずかな。 報酬は金貨一枚でどうだろう?」
「は? 何を依頼する気さ?」
金貨一枚。
かなり破格な金額だ。
ちなみにポシューマスの相場をいうと、大衆食堂で一食食べるのに銅貨一枚。
銅貨千五百枚で銀貨一枚に換金でき、銀貨千七百枚で金貨一枚となる。
国によって相場は変動するが、まあ金貨じたい国によっては一生遊んで暮らせるだけの金額になることもあるのだ。
「違約金が怖いんだが……」
「まあ、報酬返還と、ちょい色つけるけどな」
「引き受けるかどうかは内容聞いてからにする」
「何、依頼内容事態は簡単。 俺の忌み名を口外するな、って事で」
「……。 ふむ、そりゃ金貨一枚も貰えん。 銀貨一枚でいいんだが」
「いや、銀貨一枚じゃ信用ならん。 何せポシューマスで知己を得た人みんなに危害が及ぶ恐れがあるからな」
「だから銀貨一枚なんだがな。 カメレオンの残党に、ファラス魔導軍が絡んでいるんだろ? なんで忘れたのかしらんが、俺も関わったもんばかりなんだからお前を売ると言うことは自分も危ないってことじゃないか」
「そりゃそうだ。 だが、金貨一枚払うって事はそれに見合った運動してもらう魂胆があるんだが」
「…………ま、言いたい事はわかった。 だが、それなら一枚で足りるか! 必要経費だけで二枚は飛ぶんだぞ!」
「うむ。 だから折半」
「鬼か、お前は……。 動くのは全部俺じゃないか。 自分にも関わることだから俺の負担一枚は飲むが、俺の報酬くらいだせ!」
「いくらよ?」
「銀100は出せ!」
「高い! 銀35!」
「少な! 銀95!」
「仕方ない、銀36!」
「ふざけんな、銀90!」
「……………どこの競市ですか、ここは?」
「「!?」」
突然背後から声をかけてきたのは千冬だった。
「「今の話、どこまで聞いた?」」
ひじりとクラブは声をハモらせて千冬に問い詰めるようにジリジリ近付く。
「お二人とも怖いです。 だいたい内緒話ならこんな公共の場で声高らかにするほうもするほうです。 ちなみに私はお二人の競りが始まった所から聞こえていたんですが……」
「「ほんとに?」」
「クラブさん、なんですか? その短剣。 ひじりさん、少しでも動いたら殺すみたいな目、自重してほしいんですが」
「まあ、千冬は嘘つく娘じゃないか」
と最初に納得したのはひじりだった。
「ん? 千冬さんとひじり、初対面でないの?」
「ああ、アカデミーに入る前から知遇はある。 馴染みの妹だからな」
「倭人繋がり?」
「お前、その言い方だと、倭人すべてが知り合いのように聞こえるんだが……。 倭人すべてが知人なわけないだろ。 そもそも倭人は東西大陸中至る所にいるんだから、すべてと知り合いですというやついたら何者かと逆に聞きたくなる」
「なんか例えがわかりにくいが……」
「ひじりさんはお姉ちゃんの上客さんなんですよ」
「は? 上客?」
「うちの姉、情報屋なんです。 ひじりさんはお姉ちゃん曰わく金づる……」
「ほお……、あの女……」
「ああ、お前が稀に売りつけてくる情報の発信源か。 いやはや、千冬さんのお姉さん、大した腕だ。 ひじりが売りつけてくる情報外れたことないしな」
「そこは俺の情報網と情報取捨選択力を誉めるところだろ? ったく、失礼な奴だ」
そしてひじりは思い出したように千冬を正視して、
「ああ、千冬。 お前の姉貴に伝えておいてくれ。 クラブが仕事頼みたいって」
と、言った。
「クラブさんがお姉ちゃんに仕事?」
「金貨二枚ってのも補足でよろしく」
「まてこら、ひじり」
「ん?」
「お前、手数料銀95もブンとろうとしてやることそんだけかい?」
「仕方ない。 銀90でいいぞ」
「ざけんな、銀30でも高いわ!」
「ああ、それの競りをしていたんだ……。 私もたったそれだけで銀30とか払いすぎというか、ぼったくりもいいとこだと思いますが……」
ひじりの守銭奴というか、金の亡者ぶりに千冬も呆れて呟いた。
あえてクラブ提示の銀30を強調して。
「仕方ない、身内割引だ。 銀50」
「むしれるとこから徹底的にむしろうってか? 千冬さん、そろそろ俺キレていいよね?」
「全然いいと思います。 というか銀貨取引の話をしている時点で学生からかけ離れた会話だと思いますよ? 二人とも金銭感覚がぶっ飛んでいると思います」
千冬の言い分は至極最も。
金貨、銀貨の取引は普通、企業間、ないしは国家間のやりとりで出てくる単位であって一個人同士ででる単位だったりしない。
補足するが、クラブとひじりは共にBランクの冒険者。
Bランクでの仕事報酬単位がそのクラスに当たるため、二人は違和感なくそんな会話をしているのだが。
そんなわけだから冒険者は儲かる仕事として人気が高い。
上位になればなるほど金銭感覚が破綻する度合いは比例するジンクスもあるのだが、二人揃ってその例に洩れてなかったりする。
「仕方ない。 んじゃ、銀10でいいや。 その代わり千冬の姉貴への交渉は自分でしろよな」
「む……。 まあ、繋ぎ料銀10なら妥当かな」
「妥当なんだ……」
未だに呆れる千冬。 さすがに二人の金銭感覚についていけない千冬だった。
「ああ、クラブ。 一応言っておくと即金だぞ。 流石に金1とか今手持ちにないんだが」
「とっとと下ろしてこい!」
「ポシューマスのハウス、郊外にあるからダルいんだが」
ちなみにハウスは銀行のようなこともやっている。
冒険者の中には腰を据える場所もなく根無し草な冒険者もいるわけで。
全財産を持って歩くより預けた方が安全なことと、あんまり宜しくない話なのだが、違約金が発生した場合、自動的にハウスの口座から引っこ抜かれるため、口座残高が少ないやつには違約金を払える見込みがないということで程度の低い依頼しか受注できないシステムになっている。
いくらランクが高くても口座が空っぽなら駆け出しの仕事しか受注できないというシステムなのだ。
なので金銭管理ができないやつが稀に低ランクの仕事に来たりするのだが、それは別の話ということにしておこう。
「まあ、こればっかりは仕方ないか。 明日までに下ろしてくるから千冬の姉貴と会うのは明日の夜以降でたのむわ」
ちなみに補足。
冒険者同士での金銭貸し借りは根本的にNGとなっている。
理由は言うまでもなくトラブルのもとになるためだ。
ハウスはこれを徹底的に規制を入れている。
発覚してしまったら仕事受注の無期限停止に口座凍結と、色々笑えないペナルティがある。
発覚即ち冒険者廃業。
それは借りたものも貸したものも対象になるため、だいぶ神経質になる。
まあ、金の切れ目は縁の切れ目というし、そういう制度くらいないと色々マズいのだ。
で、金も担保も無い冒険者はどうするかというと、そこはそこで救済措置もある。
前述したがハウスは銀行の真似事もやっているわけで……。
ハウスから借りるということも出来る。
だが、それはあくまで最終手段とも言われる。
担保は己が身体。
手っ取り早く言うなら臓器だったり、隔膜だったり、人体実験をご所望する怪しげな機関へ売り渡されたりするわけで。
どこの闇金だといいたくなるのだが、冒険者は不定期職に該当する職なので一般の金貸しはまず駆け出し冒険者には金を貸さない。
冒険者の仕事に月給制の仕事もあるにはあるが、あんまり知られていないし、基本的に長期拘束となるので割が合わない感がある。
てなわけで毎月固定の収入はないので一般の金貸しは冒険者に金を貸すことを嫌うわけだ。
そのあたりの細かい描写は追々必要なら加筆するが、今はあんまり関係ないのでこのあたりで割愛させてもらう。
なのでクラブは俺がひとまず出しておくと言う発言をしないわけで……。
というか、それが言いたいための説明のだけなのにすごく無駄な長文……。
読者様、お疲れ様です……。
「というか銀10とかそれでも高いと思う私は一般人ですね」
「甘いね、千冬」
ちっちっちっちっち、と、人差し指を揺らしながらひじりは言った。
「冒険者っていうのはなんだかんだで何が一番価値があるかというと人脈さね。 その人脈を手に入れる金額が銀10とかだいぶ安い方だ。 千冬も冒険者目指すならそれを頭にいれておくことさね」
「え~……。 でも私の姉如きを紹介するのに銀10ですか? それだけの価値がうちの姉にあるんでしょうか? 言ってしまえば…………、んと、不適切発言になるのでやめておきます」
「その不適切発言て下りがスッゴく気になるところだが、あえてつっこまないでおこう」
と、ひじりは言った。
「ところで今更なんですけど、ひじりさんとクラブさんってどういう間柄なんですか?」
「あら、説明してなかったの、クラブ」
「まあ……ね」
「俺とクラブ、冒険者仲間だよ。 なんの因果か受注する依頼という依頼、こいつと常に被ってね。 その流れでこんな付き合いになってる」
「へぇ~~、…………、ということはクラブさんもBランクだったんです!?」
「何を今更? ってクラブ、なんで言ってなかったの?」
「いや、察しろよ……」
「………ふむ。 言われてみれば黙っていたほうがいいわな、お前の場合。 でも千冬は基本的にペラペラ喋るやつじゃないし、そこそこ頭も回る。 こいつに隠す必要はないぞ?」
「出会ったばかりのやつにペラペラ喋れる内容じゃないだろ」
「ああ、千冬。 一応フォローしとくとだな、だいぶデリケートな問題なもんでクラブもこの件に関しては神経質になってるだけだ」
「ああ……、クラブさん、大丈夫ですよ。 出会って間もない状況で大きな秘密まであかしてくれるなんて逆に不自然だというのもわかりますし、人には人に言えない秘密があることも理解してますから」
「クラブ、千冬ってこんなやつだわな」
「ああ、なんかそれは短い付き合いだけどある程度は把握してる」
ひじりとクラブは頷きあった。
「まあ、千冬さんにもあとで口裏あわせてもらわなきゃならないだろし、千冬さんのお姉さんにあうとき一緒に説明するよ」
「ん? なんか私陰謀に巻き込まれそうになってません?」
「…………ま、こういう天然深読み早とちりも千冬だわな」
「………、あ~~、やっぱりこれ、素なんだ」
呆れるひじりに妙に納得するクラブ。
「ま、そんなわけで千冬、姉貴への伝言頼むな」
「了解です」