海の挽歌2:破壊の邪神転生~お供え騎士の絶望~4.1
「……」
ふうと目を開けた瞬間から、騎士ミルドレは違和感をおぼえた。
これはどうしたことだろう、と思う。
何かが違う……。見慣れ聞きなれ、触れ慣れた彼の日常とは、すっかり別のものに取り巻かれているような変な気がする。ミルドレはむくりと起きた。
すぐ隣にあるはずの、ふわもこ気配がない。まるで空っぽである。
「……黒羽ちゃん?」
ミルドレは彼の世界の中心である、唯一の女性の名を呼ぶ。
おはよーう、とやわらかく返ってくるはずの声もなくて、騎士はうすら寒さにぶるっと身震いをした。
――うらららら……。これは一体?
素早く周囲にめぐらせた視線が、きな臭い警戒のもとばかりを摘んでゆく。
山頂の岩窟、せまいながらも乾いてあたたかいいわやの中に寝ていたはずなのに、今いるのは薄暗い森である……。
ごつごつ盛り上がった樫の木の根のあいま、草や苔のはびこる地べたに寝転がっていたらしい。いつも身にまとっているはずの草色外套も、見当たらない。
騎士は自分の身体を見て、ぎょっとした!
「あらららら!? なぜに私は、このような格好をッ?」
いつものくたびれ黒麻衣と毛織のかわりに、ごわつく綿地の細身股引と上衣すがただった。
農家風の質素なつくり、全くもって彼の趣味ではない!
「うーむ、じつに奇ッ怪な!? これはもしや、精霊につままれてしまったのかも……!」
長年使用の短槍も見つからない。仕方がないからミルドレは立ち上がって、樹々のあいだを慎重に歩き始めた。
♪ 俺は、イリーの土地うまれ……
低い声で歌い始める。ミルドレは慌てなかった、さすが年輩者である(なかみが)。
彼の信じる唯一無二の存在、その女性さえ探しあてればどうにでもなる、と思っている。
小さく歌っても、かの女ならば必ずそれを聞き取って、彼の元へ飛んできてくれるはずなのだ。
「……げ、ほ~~!!!」
が、どうしたことだろう!? 喉がいがいがして、何だかしゃがれ声しか出てこない!
――変ですね! 私の声とも思えない、風邪でもひいたのかな? ……不覚!
喉をさすったその手の甲に、妙な触感があたった。もじゃ……。
――え~……?? あごひげって、ひと晩でこんなに伸びません……よねー?
ばちばち目を瞬く。
しかし次に視界に入ってきたものに、ミルドレの騎士道が反応した。
「……きみっ!! 大丈夫ですか!?」
灌木のかげ、うつぶせに倒れ込んだ人影があった。
ひい、ひい……。その脇から、か細いうめき声がきこえる。こどもだ……!
駆け寄って間近に見ると、それは麻袋を背にしたうら若い青年……いいや、少年だった。上質そうな濃灰色の外套を着ているが、全身いたるところ土ぼこりにまみれてしまっている。
かたわらにうずくまった赤ん坊は、一歳ほどだろうか? 少年の肩に取りすがって、哀しげにべそをかいていた。ひん、ひいいん……うああああん。
「……」
むくり、と少年の頭が動いた。もしゃもしゃした暗色の乱れ髪の中から、くるしげにミルドレを見上げてくる。
「……どうしたの。怪我でもしたのですか? ひとり?」
低く囁いたミルドレに、少年はわずかに首を振ったらしい。
大儀そうに肘をついて、ゆっくり上半身を起こしかける。ミルドレは手を貸してやった。
「……あの。何かたべるもの、持っていませんか……?」
やつれ切った少年の顔が問うてくる。
ミルドレは困った。騎士としてもちろん何かをあげて助けたいのはやまやまなのだが、用意はない。しかし反射的にふれた上衣のかくしに、見知らぬ手触りがあった。これは?
「ああ……、ありがとう!!」
全くおぼえはなかったが、とにかくミルドレが持っていた手巾包みの中の厚い焼菓子を、少年は泣きながら口にした。
たべながら小さく砕いて赤ん坊の口に入れる、一緒に皮袋から水をちろちろ流し込んでやって、必死に飲み込ませるのを騎士も恐る恐る手伝った。
それだけで赤ん坊は機嫌をなおし、おとなしく少年の腕に抱かれている。少年自身も、多少回復したようだった。
「……そちらの赤ちゃんは、きみの弟さん?」
騎士はそうっと、聞いてみた。
ちゃんと座ると、上背があって大きな少年である。まだまだ伸びる気配があった……。長々としなやかな指の目立つ、両手が妙に大きく見える。
「はい」
「こんな小さな子を連れて、行き倒れてしまうなんて……。いったい、きみに何があったのです?」
少年は両腕に抱いた子を揺すって、騎士をまっすぐに見た。
「首都から逃げてきたんです。この先に乳母やがいるはずなので、そこへ向かいます」
「……? 何か騒乱でも、起こったのですか」
ミルドレは首をかしげた。
自分が山籠もりの修行にいそしんでいる間に、外界であらたに戦役でも始まったと言うのだろうか。そんな兆候は、まったく聞かずにいたけれど……?
対する少年は、双眸を哀しげにゆがめて答える。
「……ご存知ありませんか? 【魔女】にやられたのです。じきにここにも、やつらがくるかもしれない。……あなたも早く逃げて」
「魔女!?」
そういう呼ばれ方の女性をミルドレは一人知ってはいるが……、やつらなんて言われるような、ぶっそうな女性ではない。ちっさくて感じのよい人物である。少々酒量は多いが。
「ええ、モリガン魔女です」
言いながら、少年は立ち上がった。
両手に抱いた小さな弟、ふわふわ白金髪の生えたそのまるい頭に頬をすりよせてから、背にした袋をゆすり上げて、騎士に一礼する。
「……本当に、ありがとう。このご恩は忘れません」
「きみ……」
「今、俺にはぜんぜん力がなくって……。及ばなくって、本当にごめんなさい。でも俺とカレンは、必ずここに、この国に帰ってきますから。どうかあなたも、無事に逃げのびて下さい」
そろそろと歩いて、きょうだいは去っていった。少年は麻袋の上に、妙な形の革袋を引っかけていた。管のようなものが上に突き出ていているが、それが一体何なのかミルドレには判断がつかない。かろうじて、そこから垂れている紐の先で揺れるのがほたて貝だとわかっただけだ。寂しげな兄の後ろ姿は、やがて暗い樹々の合間にまぎれて消える。
言葉なく見送ったミルドレは、その場を動けないでいる。少年が口にした言葉に、奇妙な戦慄をおぼえていた。
――モリガン……、モリガン魔女?
少し前のことだ。
ミルドレはとこしえに恋う存在、前世紀に出会った頃から黒羽ちゃんと呼んできた女神に、別の呼び名をつけた。
【偉大なる女神】それを縮めてモリガン、というのが胸中にひらめいたのである。
なんだか畏れ多くていい感じではないか! 彼はこっそり某所の芳名帳に書き込んでみた。
今のところ、本人……本神も知らない、ミルドレの秘密である。
――その名前が、何であの子の口から? それに……魔女、だって?
謎ばかりが、ミルドレの胸の中に重なり連なってくる。
ミルドレはふと、きょうだいが消えたのと反対方向……少年たちがやってきたと思われる方向に、足を向けた。
ずんずん踏み分けて行く、やがて森が終わって岩場の高台に出る。
小高く丘になったようなところ、騎士は頂上を目指す。彼の頭上に、うす紫色の雲がたなびいた。
「……!!」
双眸を見開いて、騎士は言葉に詰まる。
黒々と丘陵が重なる彼方に、巨大な廃墟がうずくまっていた。
遠目に見てもはっきりと知れる。
むちゃくちゃな力で内側から吹き飛ばされ、焼かれ、流されへし曲げられ、粉みじん寸前に踏みにじられた白亜の都市!
一体なにがあったのだ。嵐や暴風雨だって、こんなに凄まじい破壊はできない。
大きな都市である。中には相当数の人びとが住んでいたに違いない……。彼らはどうなったのだろう? 胸の中で自分に問いかけ、さらに自分自身で答えを得て、騎士はぞっとする。
こんな風になってしまって、無事でいられるわけがない。中にいたはずの大多数の人びとは……滅びてしまったのだ!
ミルドレの視線はその中央部にある、骸骨かばねのように隙間だらけになった大きな建物……。王城だろうか? ひときわ高い塔堂の上空に、吸い寄せられた。
そこから羽音が響いてくる。彼のよく知る、つばさの羽ばたき……。
「そんな……まさか。……まさか……あなたが、これを……??」
それは力強く羽ばたいていた。羽音をたぐるミルドレの視界に、よりはっきりとした姿がうつる……。
うす紫の空の中、地上より巻き上がるあまたの焦煙の筋にまぎれながら、巨大強大な黒き翼をくゆらせている、女……。
かの女は騎士に気づいた、笑う。
見つめられればいつだって自分も笑顔にならざるを得ない、彼のいとおしいかんばせ……しかし。
「違う! 私の女神様じゃないッ」
禍々しき微笑をたたえた、その顔その瞳をにらみつけながら、騎士は絶叫した。
「黒羽の女神の姿をまとい、モリガンの名をかたるとは! 何者なのだ、邪悪なあなたは!?」
ぎゅうううん!
黒羽の女神もどきは羽ばたいて、あっという間にミルドレの目前に迫る。
そのまま両の翼がぎゅるりと騎士の身体に巻き付いた、強烈な締め上げに騎士は驚き、激しく咳込む。
「ぐぁはっ……!」
――何ということだ! 封印したはずの赤い巨人がかの女の身体をのっとって、再び出現したとでも言うのか!?
「ぐうっ……! 正体をあらわしなさい、何者なのですッッ」
――――わたしよー!
その時はるか遠くから、本当のかの女らしい声がかすかに聞こえる。
ミルドレの胸中に、かっと熱が灯った!
「こんなまやかしにくじける、ミルドレ・ナ・アリエではありませーん!! ぬぉおおお、黒羽ちゃぁぁぁーん!!!」
ふんぬぅぅぅ!!! 不撓不屈の気合全開で、ミルドレはうなった!
『ひゃあーっっっ』
そこでミルドレの視界いっぱいに、小さな足裏が見えひろがった!
もこもこ黒き翼を盛大に毛羽立てて、うしろ向きにひっくり返った女神の足裏である。つるぺかとしていて、何ともうるわしきにんにくのごときおみ足!!
「うららららー!? うええっ、く……黒羽ちゃーん!?」
慌てて、抱き起こそうとミルドレは手をさしのべた。
よろよろむくり、とその腕に取りすがって、女神は顔をまっかにしている。
『んもう、どうしちゃったのよミルドレー!? ふがふがもがもが、ずーっと寝言ばっかり言ってて起きないと思ったら! いきなり気合全開って、ひどいじゃないのようー!』
心配ふんがい、ないまぜのぷんぷん女神!
いつも通りにこし・つやばっちりのちりちり髪を振り乱したミルドレは、見かけ三十代ではあるけれど、それは若返りの秘術を幾度となく繰り返して来たからだ。どうしたって、なかみはおじいちゃんなのである。何が冷や水になるか知れない、と女神は常時はらはらしている!
一方の騎士は、自分の周りをぎょろぎょろっと見渡した。
「……うらららら、ここはなつかしき快適岩窟……!」
そして、ぐーっと女神の顔に見入る!
「でもってあなたは黒羽ちゃん、すてきに優しく泣き虫くいしんぼ、実は武闘派なイリーの民の守護神……! 黒羽の女神さまですねッ?」
『はあ?』
「基本ちっちゃく時たま偉大、超絶かわいい私の黒羽ちゃん、ですねー!?」
『他に黒羽ちゃんは、いないでしょうッ』
照れかくし、女神は騎士の胸中に、もこもこ手羽先びんたをお見舞いした!
「いたんですよー、その他がぁッッ。うぁぁ、夢でよかった! 私ってばうっかり事故死して、話によく聞く転生とかいうのをしちゃったのか、と思いましたー! はぁ寿命ちぢまった、ふ~~……♪」
即座に鼻歌、ふわもこ翼の中央にあるこがらな女神の身体を、ミルドレはぎゅぎゅうと抱きしめた。可憐にやわらか、ああ安堵!
『ふぁッ、何だか心拍音もどえらいことになっているわよ!? どれだけすさまじい夢みたの、ミルドレ!』
「しかも顔の輪郭が、なみなみ波線描写になっちゃってるよー。大丈夫ぅ?」
すぐ脇にぬうんと現れた、森の賢者おじさんのひょうきん声に驚いて、黒羽の女神はミルドレごと、ずこんと再びひっくり返る。
『ディンジーさんてば、おどかさないで! ただでさえ、あなたのまゆ毛は驚異の一本線なんだからー!』
「ごめんなさーい。朝めし持ってきたの」
『あっ!? 杣のおもちだ!』
声音の魔術師が胸の前に抱える布包みに向け、鼻をひくつかせた一人と一柱は、たちまちきらッと笑顔になった……げんきんである。
「ゆうべのやつをモティちゃんが焼き直したんだけど、うまいよー。お湯わかしてるうちに、ミルドレさんは“背伸び体操”しちゃってね……。めんこいちゃん、火加減まかしていい?」
灰色上下衣に、いつもの山羊皮上っぱり姿。現在ミルドレにとって教師役であるこの賢者おじさんは、小さな石積みかまどの前で、てきぱき火の準備をしていった。
「はいはい、本日も修行開始……」
草色外套の寝床をくるっと片付け、騎士は長いちりちり髪をうなじのあたりにまとめながら、岩窟の出口に歩いていった。
外に出るその瞬間、春の陽光がミルドレの全身をあたたかく輝かせるのを、女神は見る。
「ミルドレさん、いつも早起きで寝ざめいいのに。珍しいねー」
さっそく勢いよく燃え盛ってきた火に、たきつけ小枝を突っ込んで立ち上がりながら、声音の魔術師は女神に言った。
『夢をみたんですって』
「へーえ?」
『よっぽど怖かったのね。わたしは夢ってみないから、わからないのだけど……』
かまどの前に膝を抱えて座った女神は、森の賢者おじさんを見上げる。
『あんなふうに本気でうなっちゃうなんて。頭の中で、現実みたいなことが起こる感じなの?』
ディンジー・ダフィルは唇を尖らせた。
花粉が飛んでいないから、今日は藍色の布で口元を覆っていない。ひょうきんな思案顔である。
「……めんこいちゃん。夢ってのは侮れないのよ。……ちょっと気になるし、ミルドレさんに話聞いとこうかな……」
女神は首をかしげた。
『どういうこと?』
「うん。……べつの世界をね、うっかりのぞいちまう時があるの。場合によっちゃあ、そっちに引き込まれ過ぎて危ないのよ」
『べつの世界って……? それじゃ、それもやっぱり現実ということなの?』
未知の領域に関する話である。吸収すべく黒羽の女神は双眸を見開いて、声音の魔術師に問うた。
左右が豪快一本につながった太い眉の下、少しためらうように蒼い瞳をさまよわせて……ディンジー・ダフィルは、ふふふと笑った。
「なーんて、ね。そういうぼんやりした話を、どこだったか遠くで聞いたことあるだけ。めんこいちゃんは心配しなくっていいの、ミルドレさんには修行に集中してもらいましょ♪」
最後は歌にのせて言って、でかい手のひらでぽぽんと女神の肩をたたくと、おじさん賢者も外に出て行ってしまった。
「今日は、なんの日~~♪♪」
水をはった鍋の前に残された女神は、変てこりんな気持ちになって肩をすくめる。
『べつの世界だって……。何なの、それ』
小さくつぶやいた。
『でもって、今日は……あっ、卵月のついたちね』
【完】
みなさまこんにちは、門戸でございます。
季節もののネタ短編でした。お楽しみいただけましたでしょうか? 無理? (笑)とにもかくにも、ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました! よろしければページ下方にて☆評価などをお願いします。
そして何じゃこりゃ、と思いつつ最後まで読んでくださった(大感謝!)初めましての読者さまへご案内を。今作で迷走いたしました脱力系のほほん騎士・ミルドレと黒羽の女神は、門戸のシリーズ作品「海の挽歌」に登場いたします。
「海の挽歌」(本編)https://ncode.syosetu.com/n4906ik/
「黒羽ちゃんと不滅のお供え騎士~わたしに重なる、世界に一人のあなたの歌」https://ncode.syosetu.com/n4279il/
わたくし門戸は、ケルトやアイルランドに影響を受けた作品を、日々楽しくかいております。
明日・4月2日(小説家になろうの20周年記念日! ぱちぱちぱち)からはあたらしく長編冒険ものの連載を始めますので、こちらも見守っていただければ幸いです。
それでは……。今日も一日、お元気で。本当にありがとうございました。
門戸