現状整理
少しずつ頭の中や周りの事情が落ち着いてきました。
元軍人~の方も三日以内には更新できそうです。
奇怪極まりない朝を迎えてから、丁度一週間が過ぎた。
今日も僕は目を覚ますと同時に急いで洗面所まで赴き、冷たい水を顔に浴びせていく。
勢いよく蛇口から排出させる水を手のひらですくって、己の方へ放り込むように動かす。
ぱしゃぱしゃと音を立てながら、未だ潜む眠気が消え失せるまで何度も繰り返した。
何度も、何度も、丹寧に。
約1分と、いつもより多めに時間を費やしたところで僕は蛇口を捻って水を止める。
「ふぅ……さすがにこれぐらいやれば充分かな?」
既に目元に溜まっていた重い感覚は完膚なきまでに失せていた。
必然的に僕の全身の神経は先程までと比べて鋭敏に研ぎ澄まされていく。
これならもう、寝ぼけて幻視や幻聴に悩まされることは万に一つもないだろう。
「よし……!」
僕は固唾をごくりと飲み、改めて鏡に反射する自分の姿を眺めてみた。
「…………」
眼前に映るのは、やはりいつものように暗い顔をした冴えない青年。
……ではなく。
まさしく成長期の真っ只中と言えるような、程々に幼い顔をした少年の姿だった。
以前と違ってストレスによる寝不足で出来た目の下のクマは綺麗さっぱり消えていて。
相反するように、照明の光を反射した瞳がきらきらと輝いている。
口と鼻周りには無精ひげの類は無く、ぷっくりとした唇が薄い紅色に染まっていた。
一言で表すなら、12歳という年齢に見合った容姿をしている小奇麗な男児と言った所だろうか。
……最も鏡に映っていると言う事は即ち、そいつは紛れも無い自分自身である訳なんだが。
幻視の可能性が無いのはさっきの洗顔で証明済みだ。
つまり、今目の前に広がる光景は疑いようのない現実という事である。
……そう。
にわかにはとても信じられない話だが、どう足掻いてもこれが現実。
改めて異様な容姿のビフォーアフターっぷりを目にした僕は、溢れんばかりの違和感を独り言に変えて吐き出す。
「……一体僕の身に、何が起こってるんだ?」
奇怪極まりない朝は、既に奇怪極まりない日常へと変貌しつつあった。
◆
ほとほと困惑を抱えながらもきちんと身支度を終え、そのまま朝食を食べる為にダイニングへと向かう。
食卓には既に味噌汁の香りが広がっていた。
母さんは慣れた手つきでおかずの配膳を次々と行い、父さんは新聞を片手にコーヒーを飲んでいる。
これまで幾度となく見てきた、我が家の朝食時の風景。
そんな中でふと、母さんがこちらの気配に気づいてにっこりと微笑む。
「おはよう!しゅーくん」
続いて父さんも片手を上げて緩やかに挨拶を行った。
「ん、お早う。修二」
「……おはよう。母さん、父さん」
ぎこちなさを感じつつもきちんと返事は返しておく。
そのまま僕は、既に一通りのメニューが並べられている自分の席へと座った。
淡々と朝食の時間が進む中、新聞に目を通す父に怪訝な顔で問いかけてみる。
「ねぇお父さん……今日って4月の20日だよね?」
あまりにも簡単すぎる質問を受けた父さんは不思議そうに眉を潜める。
「ああ。4月20日だな、2009年の。それがどうかしたか?」
「いやえっと、な、何となく……かな」
「……?そうか」
どもる僕の顔を不審げに覗く父さんだったが、少しの間をおいて再び新聞に視線を戻した。
確かに異端な質問に思うだろう。
わざわざ人に聞かずとも、カレンダーやテレビを見れば一発で分かる事柄なのだから。
実際そう言った情報から予めチェックは完了している。
だが、今回ばかりはもうそれだけじゃ意味がないんだ。
僕が真に求めたのは、第三者による現状に対する明確な言質。
確かに父さんは言った。今日が2009年の4月20日と。
聞き間違える筈もない。
僕の想定はもう確信の域にまで至っていた。
咀嚼を繰り返しながら、脳内でこれまでの1週間の内に出た情報の整理を冷静に行っていく。
一人暮らしをしていたにも関わらず、突然の両親の出現。
ボロアパートに住んでいた訳だが、何故か現在の居住地は一軒家。
だらしない顔つきから一転して、眩しい位の若々しさを取り戻している容貌。
そして何より今年は2022年である筈なのに、示される西暦は2009年。
言わずもがな、年号も令和ではなく平成だ。
……間違いない。
25歳の冴えないサラリーマン時代から……夢と希望が満ち溢れた小学六年生の頃まで。
僕の人生は、13年間巻き戻っている。
◆
一週間前の巻き戻り初日、4月13日の時点でも気づくことは可能だったと思う。
実際その段階で僕も薄々感づいては居た……が、確信まではとても行きつけなかった。
何せ、時間遡行なんて結論はあまりに現実離れしすぎている。
理解を示すのに七日ばかりの時間がかかるのはさすがに仕方ないだろう。
……ぶっちゃけ、今でもこれは夢や無意識の妄想の類なのではないかと疑う気持ちも僅かに残っている位だ。
僕はまだ現状に対して表面的な理解しか及んでいない。
事態を完璧に受け止めるには情報が足りな過ぎる。
伊吹修二は小学六年生に戻った。ここまでは百歩譲ってまだいいとしよう。
しかし、不可解な点はいくつも残っている。
まず頭に浮かぶ疑問は「どんな方法で戻ったのか?」そして、「何の為に戻ったのか?」という二つの謎について。
必死に知恵を絞って考えるが……到底納得の行く結論は出せそうにない。
そもそもタイムリープのメカニズム自体が酷く不透明だ。
どれだけ思考を張り巡らせようと、少なくとも現時点での究明は叶わないだろう。
「修二。そこの醤油取ってくれるか?」
「はい」
「ん、サンキューな」
色々分からないことだらけだが……それでも今の僕にできるのはただ一つ。
小学六年生としての伊吹修二の人生を、再び送る事だけだ。
と言っても特筆すべき事情は特にない。
普通に朝食を食べ、普通に学校へ通い、普通に寝る。
現在起こっている異常事態と比較してあまりに普通過ぎる日常を過ごす事になるが……一先ずはそうするしかないだろう。
何か情報が入って来るまで、今はもどかしさに耐える時だ。
自分の中で一旦結論を付けながら納豆をひたすらにかき混ぜていく。
すると、母さんが片眉をピクリと上げた。
「……あれ?しゅーくんってからし駄目じゃなかった?」
「あ……」
言われて気付く。
そう言えば、この時点の僕は納豆を食べる際にからしを混ぜていなかった。
確か……匂いが苦手だったんだっけか?
高校に入ってからは問題なく食べれていた筈だが……成程、何にせよ今の段階では不自然な行動という訳だ。
正直に話すのなら「時間が巻き戻ったので今は食べれるよ!」と素直に説明すればいいだけの話だが、当然そんな簡単には言えない。
まず間違いなくまともに取り合ってもらえず、頭の調子が大丈夫かどうか心配されるだろう。
……それに、もし仮に信じてもらえたとしてもいたずらに混乱を招くだけ。
当事者の僕自身が未だ何も分かっていないんだ。
そんな中で説明を受けようが、二人にはどうしようもない話である。
だからこそ、タイムリープの件は両親に限らず誰に対しても秘密にしておかねばならない。
少なくとも……僕自身が納得できるほどの有益な情報が得られるまで。
それまではじっと己の胸にしまっておくべきだろう。
なので僕は、数秒で考えた適当な嘘をでっち上げる。
「この前給食で納豆出た時に試しに混ぜてみたら、あれ?意外といけるな~ってなってさ」
「へぇ……良かったわね」
「苦手なものに挑戦するのは偉いぞ修二。もう来月は12歳か……どんどん子供から大人になっていくな」
息子の成長っぷりに喜びを見せる両親だが、当の本人である僕は非常に複雑な気分だった。
子供から大人になっていくか……実際は真逆なんだよなぁ……
心の中で苦い感情を零しながら、混ぜ終えた納豆をそっとご飯の上にかけた。
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次回以降から学校での物語が始まります。