手負いの獣、その名はABADDON!!
前倒し分です。
<放送中>
サーキットにおいて数多くの状況判断を迫られる審査員。その判断はレースを円滑に運営することを目的とする。
そのため現場の限りにおいてはルールブックより優先されるとされ、レース後の再検証で間違いが正される展開もしばしば起きる事であった。
「あのドライビングは反則だ! 空を飛んだんだぞ! チーム・CARSのABADDONにペナルティを与えるべきだ!」
その審査員に食って掛かる数名のスーツ姿の男たちが見えないかのように無視して、彼は不思議とたった今目が覚めたような感覚を味わっていた。
スーツ姿の男たちが指摘する反則とは先ほどABADDONが行った空中ドリフトの事である。
2台の対抗マシンによって正面のラインを埋め切られていたABADDONは業を煮やしたのか、10周ラストの最終コーナーでその身をドリフトによってコース外へと振り出した。
意図的なコースアウトは危険運転として反則でありペナルティの対象となる。いかに前を抜きたくともレーサーはコース外を走る行為は許されない。
だが、ABADDONは『コース外を走ってはいない』事が運営の判断を紛糾させていた。
チーム・CARSはCFSマシン共通で搭載されている車体復帰機構のリフトファンを駆使する事で『路面から浮いていた』からだ。
そもそもこれはレースだ、カーブで車体が想定以上に流れてしまいコース外に飛び出してしまう失敗はプロでもままある。別にS字のど真ん中をワザと突っ切ったわけでもない。
ならばペナルティを課すほどではないというのが審査員たる彼の判断だった。
ましてレースのやりようはミッションリングのほうが悪質なのだ。自分たちの勝ち負けさえ置いて、ああまで露骨に後続をブロックするなどレースの精神を侮辱しているに等しい。
彼も一度は『天の声』に賛同した。チーム・CARSや他数チームからの疑問・抗議を『問題なし』と握り潰した。
それがCFS業界の、人の手で行う競技を守る事だと自分に言い聞かせて。
――――しかし。
「AI制御による走行には制約があります。あのようなアクロバット走行をAIは『危険』として決して行えない。それが出来る性能を持っていたとしても試行しない。それがAIを走行補助に使うCFSレースの大前提です」
ここで言葉を区切った彼は、湧き上がる感情を抑えて冷静な声で付け加えた。
「人が操作し、AIがそれを助ける。人と機械が明確に決まっているんです」
「それがなんだと言うのかね、我々が問題にしているのはコース外を走ったという事実――――」
「AIじゃないならドライバーの腕なんだよ! あれをやったのは! すっげえテクニックだろうが!」
再び問い詰めようとしたスーツの面子に、先程我慢した分だけ彼は声を荒げる。
そのまま噛り付きそうな勢いで犬歯を剥いた審査員。あまりの迫力に食って掛かっていた男たちが怯む。
「ドリフトかますところからしてユニークだと思ってたが……分かるかあんたら!? あのドライバーはな! ワールドエースはな! そこらのCFSレーサーよりずっとCFSマシンを操ったんだよ!」
「お、おい、落ち着きたまえ」
「マシンを理解してるんだ、遥かに高い次元で! 他のドライバーにあんな事思いつくか? リフトファン駆使して抜こうなんて!!」
そのあまりに興奮した様子にスーツの男たちが困惑する。感情を抑えられないというようにワナワナさせた手は、何度も握りしめられては開かれてを繰り返していた。
まるで止まっていた己の心臓を直接握りしめて、バクンバクンと動かしているかのように。
彼自身にも自覚がある。今の自分は興奮していると。
レースが好きだ。車が好きだ。速いやつが大好きだ。そうでもなければこんな胃が痛くなるような面倒な仕事に就いているわけがない。
何より! 無駄をそぎ落としたストイックなレースより、特異なギミックや奇想天外なテクニックを駆使し、有象無象をブッ千切るような暑苦しいほど力技のレースが大好きだ!
だからCFSが好きなのだ。搭載されたギミックを使って逆転の一手を打てるこの業界が。
――――そしてそれは審査員の彼だけではなかった。
これまでCARSにマイナス感情を抱き、消極的ながら排斥路線に歩調を合わせていた他チームや観客の意識に変化が訪れていた。
理解したのだ、今の走りは決まりきったコースをなぞるだけのAIらしい無機質なドライビングでは断じてないと。
これこそ逆境のレーサーが放った、勝利にこだわる飢えた獣の咆哮。競技者の技。
ABADDONの胎内に宿ったドライバー、玉鍵たまの血の通った熱い走りだと。
CFSは最初からAIだけのレースではない。あくまでドライバーがマシンを操り、それをAIが補佐してこそ成立するモータースポーツ。
AI主導のCARSブランドという強烈な閃光に遮られて、この場の誰もが見間違えていた。
今ここでサーキットを走っているのは他の誰でもない。玉鍵たまという『1人のレーサー』であるという事を。
気が付いたのだ、彼は。それ以外の多くの関係者たちが。あの空中ドリフトを見て。
あれこそ卑劣な業界の壁を乗り越えんとした競技者の必死の走りだと。
……若きレーサーの熱い走りを偏見と業界の都合で妨害している自分たちこそ、最低の反則野郎ではないかと。
「誰がなんと言おうとABADDONの走りは正当なものです。これ以上の干渉をするようなら出るところに出るとしましょう。このレースが終わった後で」
「き、君は何を言っているのか分かっているのかねっ」
「レースをスムーズに進行するために審査員がいます。外野の無意味な抗議はやめて頂きたい」
俗に強者が順当に勝つレースは詰まらないという。
ならば大会運営から理不尽を受けて、それでも最下位から劇的な速度で追い上げている強者の展開するレースは?
気が付けばスーツ姿の男たちにその場の全員の視線が集中していた。
神聖なレースを『企業利益』と言う名の悪意で犯そうとする害虫に、最大の軽蔑を込めて。
「こんなおもしろいレース、ペナルティ加算なんかで順位を決めていられるか! いいか、チェッカーフラッグが振られるまで邪魔はさせねえからな!」
企業という血に濡れた黒い土壌で、金という栄華を実らせて権力を振るってきた者たちがいる。
その力の源となる稲穂を踏みにじる様に一匹、また一匹と虫が付き出したと最初に感じたのは、スーツの男たちのうちの誰であったか。
数はまだ少ない。しかし、彼らの正義であるはずの企業を照らし続けた太陽を覆うかのように、黒く重苦しい影が生まれ始めていた。
……それは古来から恐れられた実りを喰い尽くす黒い嵐。
時に――――黒い太陽と呼ばれる。
タコ紫どもをまくって、このまま勢いに乗って全車ブッチギリ。
……と思っていたが、さすがに上位5台ともなると腕もマシンも上等だ。自由になったABADDONでもジリジリとしか詰められねえ。
サーキットでのレースってのはライバルのミス待ちだ。ミスの少ないほうが勝つ。
自分は全周において丁寧にラインを取って、最適解で突き進んでいけばおのずと最速。出た最高得点でライバルたちと競うってのがレースの本質だ。
つまりこっちがノーミスでも、同じく前を走るやつがケアレスミスをしないかぎりは結果は同じ。
それでは後続とのタイムは一向に縮まってくれねえ。スタートの時点で付いてたグリッドがそのままラストの順位になっちまう。
(マズいなこりゃ)
分かっていた事だがレーサーとしての経験値は相手が上だ。どいつもコースのクセをよく知ってやがる。
その上でこうまで丁寧に走られたら打つ手がない。無駄な挑発をしてもこっちのタイムに悪影響が出るだけだ。
妨害してくるタコ紫共には腹が立ったが、抜き去る意味ではそのほうが与し易かった。こっちの相手をするために無駄な動きをした分だけ遅くなるって事だからな。
ここまでオレに抜かれた連中はつまりそういう事。
自分の付いたグリッドの有利を戦術ミスや操作ミスで失ったって事だ。マシントラブルのやつや、他のやつのアクシデントに巻き込まれた不運なやつもいるかもだが。
《5位から上はちゃんとレースで勝負する気のようだナ》
(個人としては好感を持つが、戦ってるレーサーとしてはそのストイックさが忌々しい限りだぜ。さっきから走りに可愛げが無えや)
ちょっとぐらいミスをしろ。きれいに適切なラインをなぞりやがって。
むしろカーブでこっちのライン取りが甘くなってきた。ドリフトかましてから地味に踏ん張りがきかねえや。わずかだがタイヤが滑る。
「11、タイヤのコンディションはどうだ? さっきから違和感がある」
〔計測する限り耐久力はまだ十分です。他車のタイヤカスを拾って悪影響が出ているのかと〕
《参加してるのは全員プロレーサーだからナ。全車が最適なコースを選ぶとしたら、おのずとそのラインが一番荒れていくからニィ》
(長丁場だったらあえて最適ラインを外す戦略も立てたんだがな)
こうなると20周のショートレースって条件がジワジワとのしかかってくる。
20周そこらではタイヤ交換している余裕なんて無いし、周回設定が少ないほどオーバーテイクのチャンスも少ない。
前はあと9周で何回ミスをしてくれる? 1回分のブーストのハンデはどこまで響く?
《ブーストギャンブルで一気に抜いとく? 後はブロックしまくればイケるかもヨ》
(無理をしても通るビジョンが見えん。こういう時は何やってもうまくいかんもんだ。何か変化があるまで耐えるしかねえな)
ABADDONはストレートに強いしブーストも強力だ。だが圧倒的ってほどじゃない。
相手にもブーストされたらホームストレートの長さを持ってしても1位までは抜けないだろう。抜けて5位と4位くらいだ。
これでもまだ表彰台の順位からひとつ足りない。そんな実入りが少ない賭けに大博打は割に合わん。
……そうして打つ手が無いままお行儀よく周回を続けて、次が13周目の最終コーナー。
《上位勢、2回目のブースト開始》
「来たか」
吹き上がる水素エンジン由来のイオンノズルの光と、超電動コイルに過電流を流して発揮されるオーバーロードの光がどんどんオレたちを突き放していく。
やる側からすりゃ見せ場だが、やられる側からはしたらクソもいいとこだなこのブーストシステム。ここまで必死に食いついても余裕で離されちまう。
だがブーストを使わないオレにも仕事はある。レースの3分の2だ、タイミング的に後続車たちもブースターを吹かすだろう。それを黙って眺めてるほどアホじゃねえ。
まあやるのはただの最適ラインのブロックだがな。
もちろんブーストの速度でオレを抜いて前に被る事はできるだろうが、その無駄な動きの分だけ引き離される距離を縮めることができる。こういう小技が生きてくんだよ、ギリギリの世界はな。
「……? ミラーに映らねえな」
ぼちぼち7位が最終コーナーから顔を出すかと思ったら後続の気配がまだ無い。
《現在7位とのタイム差は4秒22です。チーム・ミッションリングのコース復帰時に混乱が生じ、彼らを含めて後続車は大幅にペースダウンを強いられたようです》
「はっ。4秒? タコ紫ども、後で他のドライバーたちに怒鳴り込まれるんじゃねえか? トラブルメイカーもいいとこだぜ」
道理でレース中にミラーを見てもほとんど映らないわけだ。
レースで4秒も差がついたら絶望的なタイムだぞ。しかも6位のオレ基準だ、トップとはもっと差がついてんだからよ。
《これは朗報かもネ。終盤は周回遅れがトップ集団の邪魔になってくれるかも》
(そういうのを期待すると最初から負けた気がするなぁ。まあこれもレースの風物詩――――)
瞬間。ゾワリとした感覚に逆らわずに無心でハンドルを振る。
〔11wはedfgfhてgdfnmhjuio;plk??!〕
《EMP反応!? 低ちゃんマシンコントロール!》
「うおおおっ!?」
ブースターを使っていなくてもそこはホームストレート。ABADDONは高速に適したエアロ形態で480km以上の速度を出して走っていた。
そこに来て急ハンドルからの車体コントロール不調。
11に預けていたマシン挙動の微細な修正が消し飛んだ!
AI補助からマニュアル操作へ! 反応しない箇所は無視! なんでもいいから動け動け動け!
ステアリングのボタンで車体前後の重心のコントロール! バランス、バランスだこの野郎! 戻れABADDON! スピンは勘弁だぞコラ!
《コーナー!》
(サーキットモード! 曲がれじゃじゃ馬ぁ!)
三度目のドリフトで突っ込み過ぎを凌ぐ。友大っ、あんたの力を貸してくれ!
慣性が付き過ぎてどうしようも無く横転しそうになる車体の中、ステアリングのボタン操作でリフトファンを出そうとするがウンともスンとも言わねえ。ダメだ、壊れたか!?
「んなろぉ!」
ギリッギリでドスンと音を立てて車体が復帰する。車体底部が低いなのに腹をぶつけさせんなよな。
「《危っぶ》」
あのまま外に転がってくかと思ったぜ。
「11! 11!? 生きてるか!」
《低ちゃんは引き続きマシンを管理して。11はEMPの影響で再起動中。復帰まで7秒》
(Electro Magnetic Pulse? AI補助車の走ってるサーキットで電磁パルスなんてバラ撒いたら多重の大事故になるぞ! どこのバカだ!)
《んー、効果がピンポイント過ぎるネ。たぶんライフル用のEMP弾だと思う。着弾時にほんの一瞬だけ機器破壊の電磁パルスが出る軍用とかの特殊弾》
――――狙撃?
《車体そのものは狙わずにABADDONが走るコースを狙ったんだろうナ。通過するタイミングに合わせてEMP弾を路面に『置いた』んだと思う》
カーブのタイミングで電磁波に引っかけてAI制御を停止。そのままコースアウトか、よしんばクラッシュを狙ったのか。
富士岡の第1コーナーには車を受け止めるタイヤバリア等は無く、上に一般用の観客席が設置された滑らかで高い壁がある。
ここに叩きつけられたらデリケートなレースマシンはとても持たねえ。頑丈な運転席周りを除いて粉々になるだろう。
「やってくれんじゃねえの……」
〔―――――玉鍵様、マシンの現状をお伝えいたします〕
「おはようだ、11。おまえのコンディションは?」
〔わたくしは致命的な損傷は免れています。しかしABADDONの制御周りに不具合が生じ、無線を含めた25パーセントほどの機能が反応いたしません。マニュアル操作関係はほぼ無事ですが……〕
「ならそっちはオレが担当する。残りの制御は頼むぞ」
〔危険です。先程のアクシデントは何者かからの狙撃と判断します。棄権いたしましょう〕
CARSも妨害と当たりをつけてるか。そりゃそうでもなけりゃレース場で電磁パルスなんか喰らわんもんな。
「ショックでオレのプロフィールを忘れたか? パイロットは殺せない。妨害はしても死ぬような狙撃はしないだろうさ」
〔しかし、怪我程度を受ける可能性は低くありません。ABADDONは安全基準をクリアしていますが、これは『ドライバーがクラッシュ時に深刻な怪我を負わない』程度のものです……そのような危険な目に貴女様をあわせるわけには〕
「はっ! 相手の目的を達成させてどうするよ。オレはイモ引くためにここに来たんじゃねえぞ? 舐め腐ったタコは後で必ず殺すが、今はレースだ――――あざ笑ってやろうぜ、どんな不正をしてもオレたちに勝てやしないってな」
《お? スーツちゃんの出番ナリか? まかせろバリバリー》
(いや、このままやる。これはCARSの、11のレースだ)
《えー、狙撃までされたのに?》
(参加者全員で金出してスナイパー雇ったわけじゃねえだろう。依頼したのは1人、せいぜい1チームくらいのはずだ。そいつ1人のためにオレまで不正するのはな。でないと大真面目にレースしてる連中に『勝ったぞバーカ』と胸張って言えねえだろう?)
《張る胸は以下略》
(煽りを省略すんな。胸ネタは食傷気味だからいいけどよぉ)
「11。四の五の言わず、レーサーのおまえの望みを言ってみろ……叶えてやるよ」
〔……一部をマニュアル操作に。貴女にお任せいたします――――パートナー〕
「オーライ。行こうか11、ABADDON(、スーツちゃん)」
レースの祝勝会は実行役と指示役捕まえての血祭りだ。前祝いで派手にカッ飛ばすぞ!




