契約の履行? 金を受け取ったなら物は渡すべき
誤字脱字のご指摘、いつもありがとうございます。
夏だというのにローソ〇で中華まん全品100セールをやっていて、このクソ暑い中つい買ってしまいました。ワイルドだろぉ?(肉まん)
<放送中>
直感だった。
揉み合うような混戦、自身の技量、彼女への信頼。
あらゆる情報が脳内で混じり合い、それらすべてを押し固めて放った弾丸は過たず敵の銃身に命中し、わずかに少女の腹から射撃軌道を逸らした。
シェルターへの避難という一刻も早く移動を完了したい状況においても身の危険を顧みず、玉鍵たちの後方から密かに追従していた向井による援護射撃は、玉鍵たまの負傷という最悪の結末を防ぐ最良の1射となった。
もっとも第三者がこの状況を映像として見ていたら、おそらくは向井の射撃を判断ミス・その結果はたまたまの幸運と断ずるだろう。
幾人もの敵兵と肩が擦れるほどの近さで戦闘中の玉鍵への援護など、これは誤射の可能性が極大。相手の注意を引く目的で威嚇発砲するならともかく、敵を狙って撃つなど無謀にもほどがあると。
だが向井は撃った。減音器とスコープを取り付けた5.56ミリの小口径ライフルを。ラングたちを挟んだシェルターに続く廊下の向こうへと。
これまで感じたことのないほどの強い直感。玉鍵を狙う敵の銃が不思議と見えた気がしたのだ。このままでは彼女が撃たれるという確信が。
撃った弾丸が命中したと脳が認識しても、反射にまで染みついた体は即次弾のフォローに入る。
とはいえスコープ越しに見えているのは銃を撃たれて怯んだ敵を即座に制圧する玉鍵の姿であり、2撃目は不要であると頭では分かっていた。
ここで全身からどっと汗が出たことを自覚した向井は深く息を吐いて、自身のコンセントレーションに努める。瞬間的に限界まで張った緊張の糸が緩んだ反動だった。
(初めて玉鍵を助けられた気がする。あんたに仕込まれたオレの生き方は無駄じゃなかったよ、じいちゃん)
初対面のころから向井に何かと気を遣ってくれていた玉鍵。
同年代とうまくコミュニケーションを取れない自分に、よく話を振って助け舟を出してくれた彼女は普通の学校生活というものが難しかった向井にとって恩人だ。さらに命まで助けられたことで感謝の気持ちはより大きくなった。
しかし感謝を形で表したくとも玉鍵たまという少女は戦士として完璧で。同じ戦士でも等級の大きく劣る向井に助けられることなど無いと苦心していた。
だが決してそうではない。玉鍵とて人間、最善を尽くしてもどうしようもないこともある。
投げ込まれた2発のスタングレネードを銃で撃ち返すという神業的な反射神経と技量があっても、10人以上の武装した兵士を相手に拳銃1丁で圧倒するほどの実力があっても。
本当に些細な、ミスとも言えない偶然で不覚を取ることもあるのだ。あの玉鍵でも。わずかのフォローが出来なかっただけでも人は死ぬ。あの玉鍵でも。
銃弾1発で死ぬのだ。玉鍵でさえも。
そんな無常すぎる不幸を自分が防げたことが向井は嬉しい。己が身に着けてきた技術が初めて人の役にたった、報われたと感じた。
……だが同時に、自分はやはりふがいないとも向井は痛感する。
(玉鍵に、あいつに人を……殺させてしまった)
状況的に仕方ない。これは仕方ないと自分の中の兵士の向井は冷静に状況を分析する。
先の2人のエージェントに対しては玉鍵は致命傷を避けている。たまたま蹴りで喉を潰してしまった片方は死ぬ可能性があるが、これは戦闘中の不幸な事故だろう。
互いに銃を持っていて2対1。さらに後方には護衛対象。いかに玉鍵と言えどそこまで入念な加減はできまい。
(まして次の相手は部隊単位で本格的な武装までしている。殺す前提で動かなければ護衛も自分も守れない)
そんなときのためにこそ、向井にはサイタマから十分な装備が与えられていたというのに。隠密する必要があるとはいえ、結局は援護程度しかできなかったと。そのせいで彼女に人殺しをさせてしまったと向井は強く悔やむ。
芸術的なまでの戦闘力に思わず見惚れていた自分を殴りたくなるほどに。
――――そしてそんな己と近くて遠い、複雑な気持ちを抱いている人物がこの場にもうひとりいた。
「たまちゃん! やめて!」
銃弾の嵐のような状況が収まり、血相を変えて玉鍵の元に走った女性の名は高屋敷法子。第二基地の長官であり、ラングと並んで向井の最重要護衛対象のひとり。
呼びかけられた玉鍵はまだ生きている倒れていた兵士に向けて、ちょうどリロードを終えた拳銃を向けたところだった。
ひどく無機質な表情で。
「もう終わったわ! だからそこまで! ね?」
「ズレて急所を外した。この傷では死なない」
静かな一言。そして躊躇いのない38口径の咆哮が響き渡る。
呻きながら倒れていた兵士は眼球に食い込んだ鉛の衝撃に上体を仰け反らせ、やがて弛緩した。眼底の薄い骨を突き破った弾頭は男の脳を確実に破壊しただろう。
「たまちゃん!?」
悲鳴に近い声を上げる長官に構わず、玉鍵は自らの銃をホルスターに仕舞うと敵の持っていた銃のうち状態の良さそうなものを見繕い、予備のマガジンも2本拝借すると動作の確認を始めた。
向井もショックを受けなかったと言えばウソになる。しかしいつも以上に無表情な玉鍵を見ていると、彼女が心を殺しているのが嫌でも分かった。
「たまちゃん……もう殺すことはなかったはずよ? 二度とそんな事をしないで。身を守れればいいの」
非情を貫く玉鍵のありように苦悩しながらも、高屋敷長官は悲しげな顏で諭そうとする。その肩を途中でラング・フロイトが押さえたが高屋敷は自分の伝えたい事を最後まで言い切った。
高屋敷とて玉鍵に、子供に不用意な人殺しなどさせたくなかったのだろう。それはおそらく大人としてのひとりの人間としての言葉であったに違いない。
しかし、そんな優しい言葉を受けた少女はわずかに眉を寄せて真剣な眼差しで高屋敷に向き直った。
「ここにいるのは兵士だ」
短くもすべてを言い表すように少女は告げる。
向井はその言葉の真意をすぐに理解したが高屋敷は困惑を見せた。その反応を見て玉鍵は今少し言葉を補足する。
「こいつらは上官に言われるままに殺して、殺される職業を選んだ人間だ。なら、狙われたこちらが加減してやる事はない」
向井は内心で頷く。兵士にとって個人の判断など二の次。どんな命令であろうと発せられた瞬間からそれが最上位の行動指針となる。
たとえ死地に赴けと言われても進み、撃てと言われれば民間人に見えても撃つ。それが兵士だ。
その場では間違っている命令のように思えても、それは現場に降りてこない情報からの政治判断の可能性もある。すべての情報を知りえる立場にない一兵卒が個人の判断など許されない。
だからこそ兵士は無心で命令に従うのだ。
そんな命令ひとつで即座に人を殺す軍人を相手に、ただでさえ不利な側が敵への配慮などしていては守れる者も守れない。
もちろん玉鍵自身の身だけならなんとでもなるかもしれない。あるいは敵を怪我ひとつさせずに無力化さえできるだろう。
だが今の彼女は護衛。自分以外をこそ守らねばならない立場。本当の意味での余裕など無いのだ、無敵の彼女といえど。
「……すまない、そういう事を言いたいんじゃないとは分かっている――――だが、38を預けたあんたが言うことじゃないだろ」
返り血が付着して汚れてしまった白いジャケットを少女はめくる。内側は黒に近い灰色のシャツとネクタイ。
シャツは銃弾が掠めた腹部がさけており、彼女の白いおへそが覗いていて向井はわずかに目を逸らす。
視線を逸らした先にはホルスターに収められた撃ったばかりの銃。その木製の古風なグリップがあった。
普通であれば中学生が持つことなどない、人殺しの道具が。
「銃をなんのために渡した? こいつらは都合よく加減できるような相手じゃないし、半端に見逃すには状況が悪い。安っぽい道徳心でいらぬ情報を敵に与えたくないんだ」
「でも!」
「理不尽に奪いに来る相手に温情をかけて殺されるくらいなら殺したほうがマシだ。殺された後で無責任な誰かに、かわいそうと他人事で言われるくらいなら……人殺しと罵られるほうがマシだ」
「たま――――」
「こんなやつらより! 知ってるやつに生き残ってほしいんだ!」
彼女らしくないほどに強く熱く被せたその言葉に、ついに高屋敷は押し黙る。
他の誰のためでもない。玉鍵たまは自分たちを少しでも生還させるために、ただそれだけのために最善を尽くそうとしていると理解したから。
誰も泣かないで済む理想論を抱えて殺されるくらいなら、血みどろの道を生きて歩む。向井には少女の決断があまりにも重く、苦しく思えた。
まして、その決断をさせた高屋敷法子その人には。
きっとその銃は自衛のために、あるいは護衛としてちょっとした箔つけ程度の感覚で預けたもの。
きっと使わずに済む。使っても威嚇するくらいで終わる。そんな優しい世界を高屋敷は夢見ていたに違いない。
……もしもその優しい世界が崩れ去ったとき、その手に武器があったならどうなるかを真剣に考えなかった。最悪を考えなかった。
威嚇では済まない相手を前に、守るものがある玉鍵たまがどんな決断をするかを高屋敷は甘く考えすぎていたのだ。
「……進もう。ここはまだ安全じゃない」
命賭けで守っている相手からの否定的な言葉は辛い。今の玉鍵の心境はいかばかりか。それでもやるべき事を放棄せず、彼女はラングたちに避難を促した。
「助かった、向井。おまえも急げ」
気持ちに踏ん切りをつけたらしい少女は向井のいるほうへと礼を言ってから護衛に戻った。姿を現していないとはいえ援護射撃をしたのだから、射手が誰かくらいは合点がいって当然だろう。
「了解」
声が届く距離なので無線による通信は必要ない。しかし、玉鍵に合わせて向井もまた無線で応えた。まだお互いの役割は終わっていないのだから。
幸い敵から手に入れた銃は使わずに済んだ。弾がもう心もとないから一応持ってきたとはいえ、自分が手入れしたわけでもない銃でドンパチしたくねえからな。たまに個人認証や発信機がついてるのもあるしよ。他人の武器なんざ触らないに越したことはない。
シェルターにはハワイに集まった24の都市代表のうち6組しか来ていなかった。他は別のところに逃げたのか、敵に拘束されたのかも分からない。
そしてなんとなくそうだろうと思っていた通りロンドンの代表どもはいなかった。
逆に大日本の連中はしっかりいて変な笑いが込み上げてきたわ。そりゃあ権力者って生き物は逃げる隠れるがうまくなきゃ務まらねえわな。そういう意味じゃ支配者として合格なんだろうよ。
(ひとまず安全そうなところまで来たとはいえ、外の様子が分らんのはマズイな。シェルターなんて袋のネズミと変わらねえ)
《あくまで戦争や自然災害とか、大きな脅威用の設備だしネ。それに誰が敵か味方か分からないから、今いる代表たちや後からくるかもしれない人たちに至るまで、内通者が紛れてる可能性も捨てられない》
めんどくせえ話だ。Sワールドのパイロットは対人というか人類同士の対決のためにいるわけじゃねえんだがなぁ。
「通信が繋がりました! 外の中継です!」
シェルター内の機材を弄っていた先客が声を上げて注目を集める。
〔《――――ゆえに、人類が手にした神の聖杯を私物化する黄色人種の利敵行為を、我々は正さねばならないのです。そのためにハワイへ不便を与えてしまっている事は本意ではありません》〕
スーツちゃんによって流れている英語音声がリアルタイムで翻訳される。すげえ便利なんだが二重音声を聞いてるみたいで変な感じだな。見た感じハワイの都市放送を接収した映像らしい。
(神の聖杯って、なんとも中二臭え単語だなオイ。あ゛ーなんのことか分からんが聞いてると首が痒くなってくる。というかこいつらってロンドンだよな。やっぱり)
《みたいだネ。会議に出席していたロンドン代表のお爺ちゃんでショ。聖杯とかはわがんにゃい。ブリテンジョーク? あとむず痒いのは過去に罹患した中二のアナフィラキシーだナ》
(うっせえわ……そういやとっ捕まえたロンドンのパイロットも聖遺物とかなんとか、臭っさい妄言垂れ流してたっけな。もしかしてエディオンの事か?)
ありゃこっちの戦利品みたいなもんだぞ。戦ってない都市にズルイとか文句言われる筋合いは無い。乗せてたあいつは寝てただけで戦ってないっての。
〔《どうかハワイのみなさんにはご協力をお願いしたい。我々の行動を妨げにならないよう、決して室内から出ないで頂きたい》〕
(他所の国で戒厳令でも敷くつもりかこいつら。ハワイの代表が了承したとは思えないんだが。ハワイの軍隊はどうなってる)
《あらかじめ潜入していた部隊で電撃的に都市の中枢機関を制圧でもしたんじゃネ? 建前上、民主国家は政府の命令が無いと戦えないから、さっさと国の要人を押さえちゃえば動けなくなるしナ》
(そんなお行儀よくいくもんかね? 自衛くらいはするだろ普通)
〔《我々ロンドンはサイタマに勧告する。ただちに議事堂へ出頭し、物質転換機をパイロットいち個人の手から人類すべてに返還することを。その神の至宝は子供にくれてやるアクセサリーではない!》〕
……物質転換機の情報が漏れた?
たぶん無意識だろう。赤毛のねーちゃんが思わずという感じにオレの左手を見た。同じく長官ねーちゃんも。
オレが左手の指につけている質素なシルバーリング。これを物質転換機と知っている人間はとても少ない。世間的にはテイオウの認証キーということにしていた。
知っているのはオレ、ねーちゃんトリオ、S課の細メガネ、アスカ、爺、サンダーだけだ。
例外としてボーイたち指輪を狙ってきたアンダーグラウンドの連中もいるにはいるが、当事者で生き残ってるのはもうボーイくらいだろう。
となると――――ボーイの野郎、裏切り……いや、最初の敵対していた段階でアングラの仲間と情報共有してる可能性はあるか。
初め敵として会って、味方になって、また敵になった忙しい女装野郎だったな。吹き飛ばした足の治療費くらいはくれてやったが、真面目にリハビリしてるかねぇ。
……まだ誰かが漏らしたと決めつける段階じゃねえか。チッ、スパイ映画とか観た影響か、ロンドンは諜報活動が得意分野みたいに思えちまうな。
〔《これより無期限の武力介入による治安活動を開始する。また他都市の代表の皆様も、身柄の安全のため議事堂にこられるよう推奨します……一刻も早くハワイに日常が戻るよう、サイタマには世界の代表のひとりとして理性的な判断を期待する》〕
放送はまだ続いているがこれ以上は必要ない情報だ。
つまりなんだ? ロンドンはオレからこの指輪を毟り取りたいってか? 自分たちで手に入れたわけでもない戦利品を。
パイロットが命を賭けて獲得したこいつを手前勝手な判断で、さも合法みたいな顔で奪い取るってか? オレが住んでる都市でもないクセに。
……ふざけんなよ? 他所の都市にまで迷惑かけやがって。やってることが強盗のクセに世界の警察でも気取ってんのか?
「お、おまえらが持ってたのか!? それは大日本の所有物だぞ!」
不意にトカチから来たでっぷりした中年男、今の総理大臣だったか? がヤニ臭そうな太い指でオレを指しながらしゃしゃり出てくる。
まあ指摘は間違っちゃいない。こいつは本来、第二都市がすでに買い上げた、つまり国の物だ。
爺がカンだけで隠匿して一時期に現物が行方不明になっていたが、書類上はもう買い取られた後。
だから当時の大日本の物だと言われたら、そうですとしか言えない。こっちも部分的にだが報酬は貰ってるしよ。
売り買いのスジを通すなら返さにゃいかん。銀河の事はそれはそれ。売った後はこっちに関係ない話。指輪を巡って紆余曲折した結果、銀河というクソみたいな一族の支配を脱却できたとしてもだ。
「気にすることないわ。死に体の暫定政府の戯言なんて。近いうちにサイタマが日本列島をまるごと呑み込めば済む話だもの」
すっとオレの前に出てきたのは赤毛ねーちゃん。注目が集まる中で堂々と進み出た姿はさながら大女優のよう。
「なっ……侵略行為を明言するのか!?」
「侵略? 別に武力でどうこうするわけじゃないわよ? 今のトカチやサガ、第一と第三の都市民が暫定政府を見限ったらどうなるのかしらねって事」
「そんなことはありえない! それより物質転換機を返還してもらおう! 犯罪行為だぞ!」
口論が続く。
契約上は大日本が正しい。しかし赤毛ねーちゃんはその大日本政府の中核となっていた銀河のクーデターを前面に出して、あれこそ契約者の大日本であり、今ここにいる『自称・暫定大日本政府』とは別物だという理論を展開して煙に巻く。
ならばすでに相手が消滅しているのだから契約は無効だと。
(……)
《あれ? 低ちゃん的にはランちゃんの言い分に反対なんだ?》
(気持ち悪いとは思ってる。組織の長として、せっかくの利益を手放さないための法的解釈だとは分かるがよ)
指輪を欲していたのは確かに銀河だろう。だが連中はコンテナに入って送られるはずだったものをかっさらうつもりで犯罪者を雇っていた。
つまり銀河だって正攻法で手に入れることはできなかったんだ。自分たちが大日本という国を侵食していても。
そう、物質転換機は正しく戦利品として買い取られたんだ、国にな。そりゃ強制だし、税率やらで公平な取引とは言い難いけどよ。
(やっぱりこいつはもう売ったものだ。オレが持ってるのはスジが通ってねえ)
周りに言ったらバカな話に聞こえるだろう。こいつを隠した爺たちや、命張って奪いに来たボーイたちにもいい面の皮かもしれない。
それでもこいつはもう売ったんだ。オレのじゃない―――――――僕が持っていたらいけないんだ。
…………嫌な記憶だぜ、何が僕だ。もうあの頃の、ゴミ溜め這いずってた弱っちいオレじゃないだろう。
「――――(あか、おっと。)フロイト大統領。スジを通そう」
余裕しゃくしゃくの顔でやりあっていたねーちゃんは、一瞬だけオレの言葉に目を見開いた。驚いたという意味では周りの誰もがそうだったろう。
だが、ねーちゃんはすぐにどこか分かっていたように苦笑して『いいわ、好きになさい』と言った。
やっぱすげえな、このねーちゃん。こいつは間違いなくサイタマの切り札だろうに。
薬指から外した指輪を親指で上に軽く弾いて、掌に乗せる。
「物質転換機。嘘偽りなくこれがそうだ。あんたらのところに巣食ってた銀河ってクソ虫から守るために、ちょっとだけ預かっていた」
「そんな終わったことはもうどうでもいいだろう! 早く返したまえ!」
ケッ、ほらよ。
ピンと指輪を弾いて中年男の側近らしいババアに飛ばす。なんか中年男に直接は嫌だったんでな。慌ててキャッチしたババアがホッとするのもつかの間、寄こせと罵った中年男が乱暴にもぎ取ろうした。
だが、どれだけ男が掴もうとしても指輪は手をすり抜ける。業を煮やした男はババアの手を叩くことで指輪を落とさせた。
しかしいくら摘まもうとしても、床に落ちた指輪はやはり掴めない。
「あらあら、嫌われてるわね」
床に這いつくばっている姿を嘲笑する赤毛ねーちゃんの言葉に中年男の顔が真っ赤になる。そして手の痛みに顔をしかめている側近に拾えと命じていた。
「こんなのに総理させてるとか、人材不足で大変ねえ?」
この追い打ちの陰口に痙攣するほど憤怒した男だったが、周りから必死に止められたのと自身の体調不良からくる眩暈でうやむやになった。デブってるし、高血圧だろうな。
「すまない」
都市の運営において大事な信用の担保となっていた物を。綺麗事でやっていいことじゃないのは分かっている。
「いいわよ別に」
この物言いに思わず頭を上げると、赤毛ねーちゃんはオレの頭をグリグリと撫でて優しく笑った。
「だってあんなものあっても国レベルでバカに絡まれて鬱陶しいだけだもの。正直さぁ、ちょっと持て余してたのよねぇ」
「え、ちょ、ラング?」
長官ねーちゃんが目を丸くして真意を問いかけるが、うちの大統領は肩を大げさにすくめるだけだった。
「それにアレが欲しい連中がハワイで暴れてるわけだし? 厄介事は当事者同士で片づけてもらいましょ」
もう私たちはもう関係ないもーん。そうあからさまに小馬鹿にした物言いで大日本の総理を見て、さっきとは打って変わって小悪魔のようにケラケラと笑う。
そしてひと通り笑い終わると、本当にせいせいしたというように大きく伸びをした。肩の荷が下りたと言うように。
対して長官ねーちゃんや側近は唖然としている。うん、オレもそっち側だ。
(自分でやっといてアレだが……いいのかねコレ?)
《トップの判断だからええんでナイ? 物質転換機と言っても質量で言えば大した量を創れるわけでもないし。それに――――》
「おい! これはどういう事だ!」
《――――あれは低ちゃんしかつけられないし、使えないからネ》
あの指輪は手に取っただけではその機能を使うことができない。赤毛ねーちゃんたちに指輪の正体を打ち明けたあとで、ねーちゃんたち立会いの下ちょくちょく検証して分かった事のひとつだ。
「それ指輪を付けられる人にしか使えないみたいなのよねぇ。私たちにはもう関係ないけどぉ?」
持っているというだけでも他国に対して牽制がきく代物だから無価値じゃないとはいえ、それは機能が使えてこそ。
オレ以外は使えないって仕様を他所に知られちまったら、その価値はダダ下がりだろうな。
そしてこの場にはサイタマと大日本以外にも都市代表が4組いる。もう世界中に知られたも同然だ。
一連のやり取りと赤毛ねーちゃんの一言で、大日本が指輪を持っているメリットはほとんど消滅したと言っていい。
(えげつねえ)
《まさしくセブンダウン・エイトパンチィーラ》
(七転び八起きな。誤訳が酷すぎる。パンチラなんて一言も入ってない)
しばらく連中は騒いでいたが、中年男どころか他の男にも持つこともできないようで、結局は側近の初老の婆さん議員がアタッシュケースに仕舞っていた。
《それでこれからどうするん? 離婚してすっかり身軽になった低ちゃんや》
(結婚した記憶さえ無いんですが? 今後の予定は護衛のオレが決めるこっちゃねえよ。ロンドンと交渉するのは現物持ってる大日本になるだろうし。考えるとしたら脱出の算段くらいか)
シマを荒らされたのはハワイ。ロンドンの目的は物質転換機。サイタマが関わるとしたら連中の寄こしてきた強盗への抗議くらいだ。護衛のオレは口を出す権利はないさ。
ただまあ、大日本とロンドンの交渉がうまくいくとは思えないがね。
こんな強硬策に出てくる連中だ。オレが使わなきゃただの指輪と知られたら、このままハワイでねーちゃんたちごと拉致られるかもしれねえ。なら逃げる手段の確保くらいはしときたい。
(逃げるなら敵の追撃能力を完全に削ぐ必要があるな。サイタマまでは遠い……基本の逃走手段は飛行機になるか。船は拿捕されやすいから候補にはしたくない。相手は潜水艦を持っているしな)
《空港なんて真っ先に塞がれてる気がするけどニャア。それでなくともちょっと滑走路にコンテナでも置いておけば、それだけで飛行機の離発着なんてできなくなるゾイ》
(まーなー。それにドンパチやるには戦力的に生身じゃもうキツイ――――功夫ライダーはたぶん押さえられちまっただろうし、どうすっか)
もしものときのために戦闘車両として、サイタマから空輸した功夫ライダー。けどオレが赤毛ねーちゃんたちに護衛として張り付いてるから、あれは議事堂の駐車場に預けたままだ。とっくにロンドンが管理してるだろう。
あれは戦闘用のロボット形態になれるから、ちょっとしたパワードスーツ的に運用できて本星での戦力としては結構いいんだがなあ。
《低ちゃんだけならまだしも制圧されてる空港を奪取して、全員で脱出というのは現実的じゃないヨ。一時的には解放できても防衛する戦力が無いんだもの。離陸準備をしている間に滑走路をボコボコにされるのがオチやデ》
スーツちゃんも同じ結論か。根本の問題として島という海の監獄に閉じ込められている現状を打破するには、看守になっているタコどもを排除せにゃならん。でないと空・海、どっちのルートでも力技で止められちまう。
飛行機は滑走路に穴ひとつ。船は潜水艦で出航を塞がれたらおしまいだ。
「《フロイト大統領。あなたに協力を要請したく思います》」
急にスーツちゃんの真面目な通訳が耳に入り、大日本側とは別に固まっていた4つの都市のグループから褐色の肌の男性が進み出てくる。
この場にはサイタマと大日本、そして他4都市の代表の一団と思っていたのは間違いだった。
「《このふざけた状況を終わらせるために、ワールドエースの力をお貸しいただきたい。そちらはパイロットを、こちらは機体を用意します》」
取り巻きを連れずたったひとり。ハワイ代表として会議を進行していた人物がそこにいた。
「《我々ハワイの切り札――――BIG-Kを貴方に》」




