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第8話 いただきます


「はあ、優勝取り消しですか」

「す、すみません……」


 大会役員の男性は畏まって頭を下げた。


 ローレンが昼寝をして少ししてから家に訪ねてきたのがこの人だった。


 嫌な仕事を押し付けられた自覚があるのか、若い彼は終始俯いている。玄関口で謝る彼には同情しかない。


 それもこれも、ローレンの隣で腕を組み、鬼の形相で役員を睨み付けているブレンダンのせいだろう。


 黒のエプロンをして、右手にお玉を持っているあたり可愛らしいのだが、その顔は百獣の王の名に相応しい。こんこん、とお玉の持ち手に爪を立てているのは苛ついているからか。静かな中でその音はやけによく聞こえた。



「なんでローレンの優勝が取り消しなんだ」



 と、ブレンダン。


(目が怖いのよ、目が)



 役員の彼は額に吹き出る汗を何度目かわからない同じ仕草で拭いた。そのハンカチももうぐっしょりだ。




「は、はい。やはり、その、ゴクラク国は、もう存在しないからというのが、最も大きな決め手でございまして……」



「ゴクラク国の選手として出場させようと言ったのは役員だぞ。俺はローレンをヒビナ国民として申請した。移住手続きが終わっていないからという理由でヒビナ国民としての出場を拒んだのは大会側ではないのか」



 口調は隊長モードに戻っている。

 つまり、迫力も隊長モード全開だ。



「そ、それは、その……。そのような発言をした係員の確認が取れず……」


「俺が虚偽の申立をしているとでも言うのか」



 ぎら、とブレンダンの三白眼が鋭くなった。明らかな不愉快さを醸し出している。



「い、いえ! そんな、滅相もありません! ただ、その、証拠が……ないので……。も、もう優勝取り消しは公表してしまいましたし……だから……」


「ヒビナの国王陛下に話をしてみる。ゴクラクとヒビナは既に統一された。ゴクラク国民は、つまりヒビナ国民だ。世界一の繁栄国ヒビナの名誉を(けが)す行いが、ヒビナ国内で開催された大会で存在したと報告する」


「え」


「ちなみにローレンは国王陛下の命令で軍の特別顧問をも務める予定だが、そんなローレンを蔑ろにしていいと判断した責任者は誰だ? 君か?」


「い、いえ! 出場者の意見を汲みまして、最終的には会長が、判断を……」


「出場者に、文句を付ける暇があるなら1本でも多く矢を()てと言っておけ」


「は、はいぃぃ!」



 そうして、彼はブレンダンの気迫に負けて逃げ帰って行った。



 閉じた玄関扉を見つめながら、ローレンは言う。



「別にいいですよ、優勝なんて」


「よくない。あれはローレンの実力だ。実力で勝ち取った優勝を取り消すなんて、有り得ない。移民だからなんだというのか。大会は、国なんて関係なく平等に力量を評価すべきだ。それこそが競技なのに」



 ぶつくさと言いながら台所に戻り、寸胴の鍋をかき混ぜるブレンダン。


 どれだけの量を作ったんだと驚きつつも、シチューのいい香りがした。パンも焼いたのか、テーブルの上には湯気が立ち上るふっくら丸いブレッドも用意されている。



 お腹が空腹で鳴いた。



「ところで、どうして、ここに住んでいるのです?」



 軍人ならば軍の施設で、隊長ならば特に厚遇されているイメージがあった。


 素朴な疑問だったが、ブレンダンは振り返りもせずに口早に答えた。


 その反応を見て、どうやら触れられたくなかったところだったと知る。まずかったか、と案じるも、もう遅い。



「俺が孤児の施設出身だから。軍の施設は、両親と同居しているか、妻帯者が優先される」


「なぜ? 同じ軍人なのだから、皆、一緒に施設に住めばいいのに」


「軍の施設は家賃が安い」



 質問の答えになっていないような気がした。



「……つまり?」


「育児や介護に掛ける金がなく、給与を全額自由に使える独身は、優先度が低いということ。この国は家族があると優遇される。独り身の肩身は狭いんだ」



 まあ、それもそうなのか、と思いつつ、ならば独身寮でも作ればいいのにとも思いつつ。



 一方で、ひとり暮らしが長いおかげで料理にも慣れているのかと合点がいく。


 手持ち無沙汰になって料理が出てくるのを待つだけなのは嫌なので、ローレンも棚から食器を出したり、スプーンをテーブルに並べた。


 おや、皿が新しい。


 ひとつのセットは使い古されているのに、もうひとつのセットは新品だ。



「新しく買った。ローレンのものだ」



 察したのか、ブレンダンが言った。


 なんだか、むず痒い。


 自分のための食器を買ってくれる他人というのは、生まれて初めてだった。

 ブレンダンはまだこの国の自分の立場について語った。


「だから俺は隊長といえど、馬鹿にされている節がある。親もいない、妻もいない、子どももいない。だから一人前の男じゃないと、認められていない部分がある。


 そうでなければ、ローレンがわざわざ大会に出なくとも問答無用で隊員達を黙らせることも出来たのに。


 不甲斐ない隊長で申し訳ない」



 つまり、彼が言いたいのはその部分らしかった。


 なにを謝る必要があるのか、ローレンにはとんとわからない。


 馬鹿にされるより、馬鹿にするほうが問題があるように思えてならないのだ。間違いなく、そう。


 ()()でなくちゃいけない。



「いや、いいです、そんなの。仕事の成果を見て、あなたに隊長の器量があるから隊長に選ばれたんでしょ。プライベートで家族がいるかどうかで馬鹿にされるなんて、



むしろ公私混同も甚だしくないですか?



 かなりどうでもいいです、そういうの。超興味ない」



 (から)の皿を手渡すと、ブレンダンが受け取り、それに並々とシチューが注がれる。茶色のとろとろの中にあるごろごろの野菜達。


(うっほほほ。美味しそう)



 それを受け取ろうと手を出すのに、一向に皿が返ってこない。

 なんだと思って瞳を上げると、驚き顔のブレンダンと目が合った。



「……そう、か。公私混同か……。そう思うか?」


「え? ああ、はい。だって仕事が出来るかどうかは仕事で判断するのが普通じゃないんですか?


 子どもひとり育てたら、ゴクラクの調査が進むんですか?


 親の介護をやったら、森の開拓が1日縮むんですか?



 ならないでしょ。

 全然、判断基準が違うでしょ。



 育児、介護。働き方で考慮すべきところではあるとは思いますけど、それらを経験してないからって隊長として相応しいかどうか決めるとか、そんなの関係ない気がしますけどね。


 どうでもいいんじゃない? って感じです」


「……そうか。考えてもみなかった……」



 ブレンダンはなおも難しそうな顔をした。


 こちらとしては単純明快極まりないと思うのだが。



 まあ、日本でもそんな風潮はあった気がしないでもない。


 結婚して一人前。

 結婚したら子どもは当たり前。

 しかも子どもはふたり以上。

 3人産んだら頑張ったね。


 それでいて、フルタイム勤務をしなくてはならず、周りに迷惑を掛けたら駄目。


 家事は女。

 育児も介護も女。


 けど職場や同僚に迷惑を掛けるのはご法度。

 そこをなんとかしてこそ社会人。


 人間関係で心が折れてしまうほうが弱虫で、害悪であるほうが職場に残り続ける。


 学校でも同じで、いじめるほうが授業を受け、いじめられる側が保健室や家に引き込もる。



 友情なんて、湖に張った氷よりも薄くて脆いもの。



 スポーツが出来る子が輝き、勉強ができてもおとなしい子は評価されずに根暗というレッテルを貼られる。


 そんな、不思議かつクソな風潮。

 そんな、信頼するに値しないゴミみたいな風潮。



「えぇ……。普通じゃないんですか、それ」



 そう言うローレンは、普通であれ、という願いが込められている強がりだと自覚があった。


 そんな風潮で苦しんでいるブレンダンを哀れだと思った。かつての日本での自分と重なり、柄にもなく慰めたかったのだ。


 腹が鳴る。

 とにかく、今は腹ごしらえだ。



(早く、シチュー。早く早く)



 半ば奪い取るようにして皿を受け取り、皿に並べていく。

 先に席について、ブレンダンが座るのをわくてかして待った。


 早く早く!

 足をぷらぷら。

 わくわく。わくわく。



「……なにしてるんだ? 食べないのか?」



 エプロンを外しながら、立ったままのブレンダンが問うてくる。不思議そうな表情だ。

 きょとんとしつつ、ローレンは愚問に答えた。


「……え? 食べます。あなたを待ってるんですけど」


 今度はブレンダンがきょとん。その顔のまま、ようやく向かいの席についてくれた。


「え? 待つ? なんで?」

「え? だって、ご飯ですし。一緒に『いただきます』しないんですか?」


 サンドイッチを前の部屋に持ってきてくれたときも一緒に食べたではないかと言うと、ブレンダンは目から鱗といった顔で頷いた。納得というよりは、そんな意識をしていなかったような気付きの仕草だった。



「そ、そうか。いや、孤児院でも軍でも食べられるときに、食べられる奴から順に食べるから、誰かを待って食べるという発想がなかった」


「ふうん? 私の国では、代々、家族は揃って『いただきます』でした。さ、早く食べましょう。冷めちゃう。お腹空いた!」


「あ、ああ。じゃあ──」


「いただきます」


 ぱん、と手を合わせる。それからスプーンを持って一口食べると、シチューの甘さが舌に広がった。ジャガ芋が舌に押されるだけでホロホロと崩れていく。

 はふはふ。熱い! けど美味しい!


 見ると、向かいでブレンダンがローレンの真似をして、たどたどしく手を合わせたところだった。


「いただきます」


 これも、たどたどしかった。

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