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第7話 橙と青の交渉


「あー……つまり女と隠してこのままヒビナにいて、自分の庭を案内する調査隊の特別顧問になるか。フタサに行って女として暮らし、新しく物事を覚えて仕事を一生続けるかってことですか。




 どっちでもいいですね」




「「ど、どっちでもいい……?」」



 ダイニングテーブルで向かいに座るブレンダンとベン。

 温かなミルクティーをブレンダンに淹れてもらって、ほっと一息つく間もなくこの話である。


「フタサはいい国だ。栄えるだけ栄えさせて環境など考えていないヒビナと違って程よく自然も残っているし、男は、女は、などと性別で物事を言われない。


 育児や家事も男女で半々としなければならないと法律で定めているくらいだし、他国よりも圧倒的に女性が過ごしやすい国だ。──というか俺に弓を教えてくれ。コーチという名目で城に呼ぶ」


 手をひらひらとさせて否定するブレンダンが割り込んでくる。


「待て待て。ヒビナではなんでも手に入る。確かに女性という身分を隠してもらうが、その代わり、俺がローレンの秘密も、ローレンのことも絶対に守る。約束する」

「はあ……」


 とどのつまり、女と隠し続けていくのは面倒だけれど、仕事は自分が細部まで把握しているゴクラク国の案内というとてつもなく楽なもので、生涯の給与も安定。つまり楽な仕事で高給取り。


 一方で、女として自由に生きていけるけど、新たな仕事を新たな職場で一生続けていかないといけない。女共の陰湿な嫌がらせを考えると、ややヒビナ国での生活に軍配が上がるか。


 というか今さら引っ越すのも面倒くさい。



「じゃあ、ヒビナで」



 言うと、「よっしゃあ!」とブレンダンがガッツポーズを決めた。

 ベンが前のめりになって諭してくる。


「ま、待て! なにが懸念事項なんだ?」

「新しい職場で、新しい仕事を覚えて、さらに人間関係を初めから構築するっていうのがなあ……。めんどい」


 ブレンダンがぱちん、と指を鳴らしてみせた。


「そうだよな!? それに比べてヒビナが依頼してる調査は、ローレンが勝手知ったるゴクラク国の案内だしな!?」


 ベンがブレンダンの口を抑えるように手を伸ばした。ベンの目はローレンを見つめているものの、手はブレンダンと攻防を繰り返している。


「ちょ、ちょっと待て! なら俺専属のコーチとして雇う! 人間関係を構築するのは俺とだけでいいし、弓さえ教えてくれれば無礼講でいいし、城の1室をあげられるし、給与も生涯出す!」


 それならいい条件だ。フタサへと天秤が傾いた。


「あ、本当? なら女って隠すの面倒だしフタサで──」

「違う違う違う! 城に入るなら、どう足掻いても女性ならマナーを重んじろと言われるぞ! 女の序列だとか、挨拶の仕方とか茶会とかダンスとか!


 こいつの言ってることは嘘だ!」


「あ、マジ? ならヒビナで」


 女の序列とか一番避けたいトラブルだ。


 すると、テーブルを叩きながら、がたん、と音を立てて立ち上がるベン。隣のブレンダンを指差して怒鳴り散らすという王子らしからぬ行為をする。


「おい! 憶測で物を言うな! フタサ国に対する宣戦布告か!?」


 と、売り言葉に買い言葉でブレンダンも立ち上がる。

 体格に恵まれたふたりが至近距離で怒鳴り合うのは、なかなか迫力があった。


「そっちこそ生涯の給与を約束するとかヒビナの提示した条件を真似するな! 調査にはローレンが必要なんだ! こっちが先に依頼してんだぞ!」

「現在の条件よりさらに上を提示するのは、交渉するうえでは当たり前だろう! 優秀な人材の引き抜きに、先も後もあるか! 俺はなんとしてでも弓矢で──」


 急にベンが言葉に詰まった。

 ちらりと見ると、なんとなく言いたくても言えない言葉を、唇を閉じることで抑え込んでいる気がする。

 ベンは苛立ったように首を振って、地団駄踏んだ。


「とにかく! 俺にも彼女が必要なんだよ!」



「なら交互でよくないですか?」



 こくり、とミルクティーを飲みながら言ってみる。

 ふたりは訳がわからないといった顔でローレンを見下ろしてきた。


「ここで暮らして調査隊の協力もしつつ、フタサにも行って弓も教える。もちろん調査隊の情報は漏らさないし、フタサの情報も漏らさない。私はもらえる給与が2倍。どうでしょう?」


 ふたりは互いに顔を見合わせて、「それなら、まあ」と戦意喪失気味に腰を落ち着けた。

 ようやく静かになった。


「とりあえず月水金はフタサに行きます。火木土日はここで。両国を行き来するのを知られると政治的に面倒だと思うので、フタサに行くときは変装します。国境で待ち合わせましょう」

「わ、わかった。迎えに行く」


 と、ベン。

 そんな結論は予想だにしていなかったのか、拍子抜けといった顔だ。


「ところで、帰らなくていいんですか? 王子が急にいなくなったとなれば、今頃フタサは大騒ぎなのでは?」

「そ、それもそうだな。帰るよ。邪魔をした」


 案外、あっさりとベンは再び立ち上がって、まだ湿ったままの上着を肩に羽織り、家を出た。

 玄関扉が開くと、まだ雨の降る音が大きかった。地面を叩き付ける雨で灰色の世界が広がっている。


 彼はまた雨の中を走るのだろう。


 雨具を持っていれば貸してやりたいのだが、なにせなにもない。迷っている間にベンは走り出してしまい、玄関が閉まっていく。ぱたん。


 残ったのは青い糸だ。

 ベンが動くのに合わせてゆらゆらと揺れている。ぴん、と弾こうとすると、衝撃を逃げるようにくにゃりと歪んだ。


「糸、ねぇ……」


 あのままヒビナを選んでいたら、もしかしてこの青い糸は切れてなくなっていたのだろうか。ベンとの繋がりが消えるのと同じように、この糸も。


 それも気になるところだったけれど、なんとなくベンを無下に出来なかった。結果として同点だというのにあんなにも勝ち負けに拘る彼には、なにか理由があるのではないか。そんな気がしたのだ。


 ブレンダンは安心したのか、息を吐きながらテーブルに突っ伏した。


「……よかった……。これで調査が進められる」


 まあ、別に自分でなくても案内など出来るのだろうけども。今のところ、ブレンダンの頭には自分(ローレン)しかないらしい。


 なんだか大忙しの1日だった。調査隊に行って初対面で冷遇され、あれよあれよと大会に出て、今。

 静けさとともに疲労が走って突撃してきた感じがする。歯磨いて寝よう。


「じゃあ、私、ちょっと休みます」

「え、あ、ああ。わかった」


 話し掛けると、びくっ、と飛び起きたブレンダンはやや目を見開いていた。

 ミルクティーのなくなったカップをざざっと洗ってカゴに入れ、歯を磨く。汲みにいかなくても清潔な水が出るありがたみを思い出しつつ、鏡の中にいるローレンを改めて見る。

 今までは湖畔に反射するだけでしか自分の顔を認識していなかった。


 ほう。やや吊り目気味。唇は小さめ薄めで、口角は真っ直ぐと引き結ばれていて、気難しげな印象。顎が小さく、おや、こんなところにホクロが。

 伸び始めた髪を撫でる。森では虫が付かないように、さらには洗髪のための水を節約できるように短くしていたけれど、それももう不要ということか。

 ぽりぽりと頭を掻いてから、洗面所兼脱衣所を出た。

 階段を上ろうとして、呼び止められる。


「ローレン! あの、女性とは知らずに家に呼んでしまって申し訳なかった……! 俺は本当に邪な気持ちなんてなくて……!」

「はあ」


 別に、どうでもいいことである。

 心底、どうでもいい。


 口からでまかせなど、いくらでも言えるのだから。



「早急に部屋の扉に鍵を付けるから、待っててくれ! 明日にでも調達してくる!」

「はあ」


 確かに鍵はあってくれたほうが嬉しい。ちゃんと四方が囲まれていて、閉ざされているほうが落ち着ける。

 話はそれで終いかと階段に足を踏み出した。


「あ、あと──」


 まだ話をしたかったらしく、ぐ、と肩に手を掛けられた。疲労蓄積中の華奢なローレンは、片足を踏み出そうとしたアンバランスなところにその力だったので耐えられず、ぐらりと体が傾いていく。


「危な──!」


 それは軍人としての反応だったのか、人としての反射だったのか。

 ブレンダンはローレンを庇って抱き寄せようとしたけれど、なにせ先にあるのは階段である。踏み留まるには足場が悪く、ふたりは一緒になってその場に倒れ込んだ。なんとかローレンの後頭部を守るように手で包み込めたのは、さすがと言うべきだった。


 だが、ブレンダンはこのような状況に慣れていないらしかった。


 階段に沿ってローレンを押し倒した形になったブレンダンは、至近距離でローレンと目が合い、顔を真っ赤にした。


「こ、これは、その、咄嗟に……」

「わかってます。どいてください」

「あの、話があって」


 そういえばさっきなにか言いかけていたなと思い出す。こんなライオンの鬣が頬を撫でるような距離で言わなければならないほど重要なことなのだろうか。ならば仕方ないかと、言葉の続きを待った。



「きょ」

「きょ?」




「今日の夕飯、なにがいい……?」



「それ今?」



 とりあえず、ビーフシチューを所望して退いてもらった。

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