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第3話 ブレンダンの頼み


 ぼんやりとしながら、随分と長い時間が経ったらしかった。


 部屋のノックがされたときは驚いた。


 することがないというのは、おそろしく怠惰な生活にならざるを得ないらしい。ゴクラクでは日の出とともに起きて動物達が目を覚まさぬうちに静かに水辺に水を汲みに行ったり、ついでに洗濯をしたり、作物を採ったり、はたまた種を植えたり、山菜を探しに行ったりとやることも多かったけれど、ヒビナに来てからは特になんの予定もない。食事はあるし、水はあるし。


 この部屋をノックするのはひとりしかいない。そう思ってドアを開けると、やはりブレンダンが立っていた。


 もう1日経ったのだ。


(えぇ……。そんなに寝てたかなあ)


 しかし、ブレンダンは籐のカゴを持っているものの、ローレンの注文した黒色のカーテンはどこにもない。

 さすがに1日では仕入れられなかったか。

 代わりにブレンダンは小さな麻袋を掲げて見せた。


「いい茶葉を貰った。紅茶にしよう。ミルクティーでいいか?」

「……はい」


 帰ってほしい気持ちが負けて、なんだかんだ、久しぶりのミルクティーに心躍る。東京では当たり前に手に入ったペットボトルのミルクティー。あの味を思い出すと、無性に飲みたくなった。


 ブレンダンが慣れた手付きで湯を沸かしていく。わざわざティーセットも持ってきたらしい。背の高い男が籐のカゴにそれらを入れて、カチャカチャと音を鳴らしながら持ってきたのかと思うと、可愛いと言えなくもない。


 ミルクティーの味が前世の底から蘇ってくる。

 早く沸かないかな、なんて柄にもなく思った。わくわく。

 ローレンはいつもと同じくベッドに座る。背中越しにブレンダンが言った。


「黒のカーテンは用意した」


 どこに?

 とは聞かず、礼を言うことにした。買った、くらいの意味合いだろうか。


「ありが──」

「けど、ここではない違う場所にある。引っ越そう」

「……はあ」


 曖昧に相槌を打つ。意味がよくわからない。


 少し沈黙が続いて、ブレンダンがティーポットに湯を注いだ。紅茶の香りが部屋を満たしていって、深呼吸したくなる。ミルクを先にカップに淹れてから、ポットを傾けた。カップを手渡され、ローレンは腕を目一杯伸ばして受け取った。


 茶色をミルクで薄めたこの色。甘い匂い。手の中の温もり。

 香りを楽しんでから、そのまま液面を見つめた。


「飲まないのか? 砂糖も入れてあるが」

「猫舌なので、少し待ちます」

「ああ、熱いものに弱いということか」


 また沈黙。

 ふう、ふう、と息を吹きかけて、立ち上る湯気の温度で頃合いだと知る。そろりとカップを口に付けると、唇の先にピリッとした熱が伝わった。

 口内に流れ込んでくる甘み。

 紅茶、ミルクの香り。ねっとりとした味わい。


 そうだった。こんな味だった。そう、こんな味。


「おいしい」


 湧き出る泉のように小さく言うと、ブレンダンが泣きそうな顔で笑った。そういえば、彼からの贈り物を褒めたのはこれが初めてだった。貰うたびに礼は言うものの、喜びはしていなかった気がする。今さらになって申し訳なくなった。


「よかった。初めて君の表情を見た気がする」


 森では甘みというのがほとんどなかった。だから余計に舌が敏感になっているのかもしれない。甘みが強く、とても美味しかった。

 ブレンダンは自分のカップを置くと、改まってローレンを見た。


「ローレンに頼みがある」


 一口啜って、次を待つ。

 ローレンからの返事がないと知ると、ブレンダンは続けた。



「調査隊の特別顧問に就任して欲しい」



 特別顧問?



◇◇◇



「つまり、こういうことですか。ヒビナとゴクラクがせっかく統一されたのはいいものの、ゴクラクがあまりにも野生動物の温床で開拓の目処がまったく立っていない。これまでにもゴクラクの移住者に道案内を頼むも、あんな森には二度と戻りたくないと引き受けてくれない。そこで安全な道や、森の探索の方法を教えて欲しい、と」


「そういうことだ。──いや、言い訳をさせてくれ。ヒビナ国は本当に恵まれた場所で、火器は存分にあるし、腕の立つ軍人も多くいる。しかし国王陛下の意向で、なるべく動物達を殺してはいけない決まりになっている。あくまでも陛下の希望は動物達との共存であり、淘汰ではないのだ。俺は森に幾度となく足を踏み入れたが、動物と出くわさなかったのはローレンと一緒にいたあの日だけだ。



 頼む。



 調査隊を率いてほしい。

 もちろん報酬はそれなりだ。森に入る命の危険性や、ゴクラクの開拓により得られる利益を考えれば、ローレンを永久顧問として位置付け、生活に困らない給料を生涯払う。勤務も毎日ではない。君の家族を奪った俺からの願いで気に障るだろうけど、そこをなんとか──」



「いいですよ、別に」


「……えっ?」


 頭を下げていたブレンダンに言うと、ブレンダンは拍子抜けした顔を上げた。ローレンはミルクティーを飲み干す。おかわりをしたくて、ブレンダンのいる台所のほうへ歩いた。意図を察したのか、ブレンダンがローレンの手からカップを受け取ってくれ、ミルクティーを再び淹れてくれる。受け取った。


 あったかい。えへへ。


「ほ、本当にいいのか?」


「はい。だって、自分の家の庭を案内するのに嫌だと断る理由なんてないですよね」


「……に、庭……?」

「はい」


 ブレンダンはまだ唖然としていたけれど、ややあってから表情が戻った。


「助かる。本当に助かる! ローレンの住居は用意してあるから、早速引っ越そう! 明日か? 明後日か? いつならいい?」

「いつでも。荷物は、あなたがくれたもの以外には弓矢しかないですし」


「じゃあ今から!」


「ああ、はい今からでも──え、今から?」


「よかった! 仕事をするにはまず居を構えてからというからな! 善は急げだ!」


 わかったから、とりあえずミルクティーだけはゆっくり飲ませて欲しい。



◆◆◆



「……ここ、あなたの家なのでは?」


 えっへん、と言わんばかりに腰に手を当てているブレンダン。ふたりが見上げるのは、こじんまりとした2階建て屋だ。煉瓦造りで、三角屋根の赤茶色の家。


「そうだ!」


 いや、そうだ、じゃないんだよなあ。と思いつつ、3段ほどあがったところにある玄関をくぐる。入るとすぐ右手側に階段があって、左にリビングダイニングへ行ける廊下が伸びている。


 まず2階に上がった。

 ふたつの部屋があった。そのうちひとつをブレンダンが開ける。


「こっちがローレンの部屋だ。黒いカーテンはすべての窓に設置したし、雨戸も閉めれば光は完全に入ってこない!」


「……ここ、あなたの部屋の向かいでは?」


「そうだ! 俺は調査隊の隊長だし、調査の話し合いをするためには近いほうがいいだろう?」


「いやいや……えぇ……?」


 戸惑ってしまう。部屋は洋室でベッドとデスクがあり、広さに驚くほどではないけれど、ひとりで過ごすには十分すぎた。なにより家族以外の知り合いが近くに住んでいるというのは初めてだし、そもそも面倒だなとも感じる。


 せめてブロックが変わるくらいには家と家の距離があってほしかった。

 ローレンは困惑して頭を掻いた。


 ただ、要望通り、窓には黒いカーテンが垂れ下がっている。


「明日、調査隊へ紹介する。今日はゆっくり休んでくれ。食事は届けようか?」

「と、届ける……?」

「それともダイニングで一緒に食事をするか?」

「い、一緒に?」


 家族以外で誰かと食事をするのは、東京での中学生の給食以来だ。


 あれは苦痛だった。

 食べる速度も、食べ終える時間も、食べ方も皆と同じ、机をわざわざ向かい合わせにして会話しないといけない苦行。


 無理。


 ひとりになりたいローレンは拒絶しようとした。


「い、いや食事はひとりで──」

「じゃあ一緒に食べよう。ゴクラク国のことをたくさん聞かせてくれ」

「えぇ……マジ……?」


 今から食欲が失せた。


 ブレンダンはひとり暮らしのようだった。

 1階にはリビングダイニングと台所、風呂、手洗いがある。


 誰かと暮らしている様子はなし。


 まさかと思いきや、食事もブレンダンが自らやり始めた。手伝おうか迷って、ローレンは結局、言い出せずに終わった。


 リビングのカウチに座りながら、そわそわとする。


 手伝ったほうがいいのか、おとなしくしていたほうがいいのか。こうやって気を使うから人といるのは苦手なのだ。


 そしていよいよ食事。


 案の定、ブレンダンの熱意はすごかった。


 ローレンとブレンダンの間に世界地図を広げて、ここまでは調査が済んでいるだとか、開拓希望の場所はこのあたりだがどんな地なのかわからない、しかしこういった施設を作ろうとしているだとか、動物と人が生活する場所の間に柵を設置したいだとか。


 ローレンが話すというよりは、聞き役に徹するしかないほどブレンダンは情熱的に語った。


 これは安請け合いをしたか。

 そんな後悔さえ感じ始めていた。


「調査隊は文武両道でなければ選ばれない。だから優秀な人員ばかりだ。これからよろしく頼む」


 言いながら、ブレンダンは右手を差し出してきた。


(人と接するのは苦手なんだよなあ)


 ぽりぽりと頭を掻いてから、引かないブレンダンに押し負けて握手を交わした。


 熱い。


 急に発熱したのは、小指に絡まるオレンジの糸だった。驚いて糸を見るけれど、火傷もしていないし、糸が焦げている様子もない。


 気のせいだったか?


 いや、糸の色が少し濃くなっただろうか。


 判然としなかったけれど、ローレンはとりあえず早く部屋に戻りたくて必死に食事を進めた。

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