泣いて、泣いて、喉がつぶれるほど泣いて
その女は、今どき珍しいくらい仕事熱心な人である。
現に今も、定時の時間を過ぎているにも関わらず帰るのを忘れているのかと思うほどにパソコンの前に張り付い指と瞳を動かしていた。
そこに、少し疲れた顔をした後輩らしき人物がが資料を抱えてやってきた。
「紫藤さん、頼まれていた資料です」
「あぁ、ありがとうございます。早かったですね」
「いえいえ。その案件、まだ終わりそうにないんですか?」
「う~ん。そうですね、終わるんですけど、終わらせたくないような…」
紫藤と呼ばれた女は、歯切れの悪い返事をした。
後輩はそんな紫藤の言葉に首を傾げ、言っている意味が分からない怪訝な顔をする。しかし、紫藤にはそんな後輩の表情を見ることもなかった。
「赤城さん、先に帰っていいですよ」
紫藤はそう言うと、赤城と呼ばれた後輩は一瞬だけ沈痛な表情を浮かべる。
赤城は、そんな言葉が欲しかったわけではなかった。赤城にとって、紫藤のその優しさや気遣いは邪魔なものでしかない。
「いえ、できれば勉強のために一緒に…」
「じゃあ、今度定時内で教える時間作りますので、今日は大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
「…わかりました。ありがとうございます。お先失礼致します」
赤城はそう言うと、すぐにその場を去った。
そしてそのまま、誰ともしゃべらずに大人しく家に帰宅した。
帰宅して荷物をソファぁに置いた途端、土砂崩れでも起きたかのように瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。
無言で泣き続ける赤城の脳裏には、ずっと紫藤がいた。
少し変わった先輩だが、仕事熱心でいつも一生懸命で、紫藤が好きだという感情が溢れて溜まらなかった。少しでも一緒に居たくて、少しでも頼りにされたくて、自分から紫藤の仕事を手伝うことが多いのだが、紫藤は赤城の気持ちに気付くことはない。
紫藤からの「先に帰っていいよ」という気遣いの言葉も今の赤城には突き放されているような言葉にしか受け取れないのだ。だから、苦しくて仕方がなくなってしまう。
「好きです」ただそれだけ、たったそれだけの言葉を言えないのだ。言ってしまえばいいのかもしれないが、言ったあとのことを考えると、何も言えなくなってしまう。
だから赤城は今も、好きだという言葉を押し殺すように泣いて、喉を潰すように嗚咽した。
私の声が出なくなってしまえば、この感情が伝わることもないだろう。そんなことを思いながら、女である自分を憎むように自身の肩を抱き爪を立てた。
泣くことって一番すっきりしますが、一番何も生まない行為だと思います。
ただ、何も生まないのに泣くとすっきりするのってホントにすごい。
涙を流して泣くことって人間にしかできない特別なことですもんね。