「只今、お繋ぎいたします。」
かつて、電話交換手という仕事が存在したことをご存知だろうか。
携帯電話が普及していない時代。
その仕事は多くの女性が就き、
ビジネスウーマンの先駆となったが、
60年ほど前から徐々に姿を消し始めた。
誰かから誰かへ電話を繋ぐ仕事だ。
プルルルルルルル
深夜1時。小さな部屋にその音が鳴り響く。
ガチャリ。
女は受話器を耳に当てる。
間髪入れずにあちら側が話し始める。
女の声だ。
弱っているのか、細く今にもプツンと切れてしまいそうな糸のような声。
あ、もしもし、私、はやくこのことを話さないと。
でも、先に貴女にも聞いてほしいのです。
どうかお願いします。
女は静かに答える。
『どうぞ。』
「私、人を殺してしまったんです。」
弱っている女が話し始める。
私には父と母、そして病気の妹がいました。
妹の病気は重く、もうあとどれだけ生きれるのかわからない命でした。
妹の病気が悪化していくうちに、母はだんだん憂鬱になり、とうとう自殺未遂をするまで、心が追い詰められていました。
父は母や妹を重荷に感じたのでしょう。
知らない女の人と暮らすため、家を出て行きました…。
あの時の私は間違っていたのです。
全て妹のせいだと思っていた。
母が命を断とうとしたことも、父が浮気をしたことも、妹が病気になった事さえも。
妹のせいではないのに。
なりたくて病気になったわけではないのに…!
電話口からは嗚咽だけが聞こえるようになった。
今まで静かにきいていた女が、口を開く。
『あなたの話では、だれも殺してなどいませんし、だれも死んでいません。』
「はい、前置きが長くなってしまいました。ここからなのです。」
弱っていた女は、少し落ち着いたようで、はじめよりもゆっくりと間違いのないように話し続ける。
私は妹に死んでくれと願いました。
お前のせいで不幸になったと。
そして、神に願ったんです。
どうか、妹の命を差し出しますから、家族の縁を取り戻してください、
父と母ともう一度ちゃんと会いたい…と。
願いは叶いました、かなって…しまいました…。
しかし、このことは願ってはいけなかったのです。
自分の妹を犠牲にしてまで、幸福を追い求めてはいけなかった。
その結果こんなことになってしまった。
…私が間違っていたんです。
そのことを伝えたい、『過去の私』に。
『かしこまりました、
只今お繋ぎいたします。』
ガチャリ。
「はい?どなたでしょうか。」
家主は、家を出る直前にかかってきた電話に、
少し不機嫌そうに尋ねた。
すると相手は答える。
「よく聞きなさい。
点滴の管を切ってはダメよ。
病気になったのは妹のせいじゃないし、
母さんは今、妹の命を第一に考えているの。
妹が死んだからってあなたを見てくれるわけではないし、ましてや大事な娘を殺した奴を許してはおかないわ。」
家主は唖然としているようだった。
なんで、この人は私がやろうとしていることを知っているの。なんで、なんで。
家主は、電話に向かって大声で叫んだ。
「あなただれよ、あなたに何がわかるのよ。
実の姉妹なのに、両親は美人な妹ばかり。
あいつが生きている限り、私は目に入らない。」
「そうよね、でもお告げだとでも思って聞いて。
点滴を切ろうと、ハサミを持って病室に行ったあなたは、直前で思いとどまったわ。
でも、ハサミを持ったあなたを見た母は、何かが切れたように暴れ出して、あなたを刺した。
そして妹を刺した。愛人とそこに住まう父を刺した。
たくさん殺した、きっと母は死刑になる。
これがあなたの望んだ幸せ、なの?」
その声は涙ぐんでいるが強く芯が通る声だった、訴えるような。
「血が止まらないし、寒気がするの。
たぶん私は死ぬ。私は沢山の人を殺してしまった。
間違った考えを持ってしまったから。
一緒にずっと生きていたかったはずの家族を、あの世へ送ることになってしまった。
あんなに会いたかった家族と今は合わせる顔がない。
どうか、あなたは間違わないで。どうか、」
ガチャン。
切れてしまった。
なんとも不思議な電話であった。
本当に、神さまからのお告げではないかと思うような。
家主は思った。少しだけ、ほんの少しだけ頭が落ち着くまで、待ってみよう。
電話の声の主は、母が暴走してみんなを殺すと言っていた。
あのまま電話に出ずに病室へ行っていたら、暴走したのは私だったかもしれない。
私はどこかで止めて欲しかった。
必死で訴え、あの日、止めてくれた誰かに感謝した。
「ふぅ…。」
ため息をつき、ヘッドフォンを下ろす。
深夜2時過ぎ。
今日はもう店じまいの時間だ。
自室に戻り、服を脱ぐ。
そのままベッドに潜り込む。
ベッドから手を伸ばし深夜ニュースをつける。
「次のニュースです。
本日未明、
〇〇市立病院で無差別殺人事件が起こりました。
容疑者は精神疾患のある患者で……。」
今日最後の客のことを思い出す。
あの人結局死んだのかしら。
まぁいいか、私には関係ない。
家族と一緒にいたくて妹を殺そうだなんて。
ばかばかしい。
「…家族なんて。」
っ!!くしゅん!!!!!!
はぁ…さすがに真冬に裸は寒い…。
毛布にくるまり、眠りについた。
寒い部屋が、彼女の冷めた心を一層冷やした。