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このジャリ道ばかりの路地が続く先に、百年のあいだ花街に娘を送り届ける駅があったんですよ

 わたしの住む街の中心駅がかつて川の近くにあったことを知って、その跡地となった公園に面した路地を歩いてみると、家並みに沿ったそのクネクネから非常に趣を感じて、お気に入りの散歩コースになってます。特に猛暑の昼下りに昼酒したあと、酔いに任せた重たい足取りで歩くと、かつての蓋が開いてくるような錯覚を期待したくなります。

 夏のホラーの企画を知り、休業中でない銭湯に浸かりながら、話の流れを掴みました。

 暑さが先に立つ中、読後にしみじみとした秋の気配を感じていただけたら幸いです。

 明日、「田沼さん」としか知らぬそのひとに逢って、何としても力になってもらわないことにはどうにもならないところまで、ケツに火がついてしまった。


 裏日本のこの街にやってくるのは何年ぶりだろう、死んだ親父が家族まとめて連れてきていた頃だから、二十年は経っているだろうか。駅から続く一番の大通りを真っ直ぐに進むと、歩くには少し遠いが街のシンボルとなっているミカゲ造りの橋が大川にかかっていて、そこを過ぎた先に、この街の旧市街がある。


「その沼田っておじいちゃんが逢ってくれるの、明日の午後なんでしょう。何もホテルまでとって、前の日から乗り込むなんて」

 あきれ顔とあきらめ顔の混ざった妻は、それ以上なにも言わない。本当は、そんな篤志家(とくしか)なんているわけない、おかしな詐欺に引っかかってるだけじゃないかと返したいのだろうが、この偶然の腰を折ったら、あとは受け身以外、手立てのないのは私以上にようく分かっているので、黙って着替えをボストンバッグの横に出してくれた。


 沼田というひとは、おやじが何度も繰り返し聞かせたこの街の任侠話に混じってた名前だったように記憶している。そんなだから、じいさんが懇意にしていた人物なのだろう。

 墓参りまでの車の中で、一人だけ眠らずに助手席に行儀よく座っているわたしに、舟運で花街を抱えるほど栄えていた街の波乱万丈を話してくれた。おやじ自身がそんな波乱万丈など出来たわけはないが、墓の中に眠るジイさんの華やかな生き様を我が家の男に伝えたかったのだろう。

 しかし、おやじは此処には眠っていない。死期を察したおやじは、東京に近い墓苑を見つけると、そこに自分たちの墓を建てて、この土地からの一切を断った。わたしが中学を卒業した歳だった。


 ジイさんとおやじに血の繋がりはない。どちらもこの家に婿に入った男だった。

「女ばかりが活き活きして、男なんぞはサッパリさぁ」と、ジイさんの口真似で話は終わる。そんな話の中に沼田の名も挟まっていた。むかしから舟が幅を利かすこの街にも鉄道が()かれ、御一新から続く(あだ)花のように、この街の男たちにも土地と金にまつわる(いさか)が弾けていた。

 時代は、舟から鉄道、そして車へと変わっていく。同じような街並みを繰り返すことで永らえてきた裏日本のこの街でも時代の足音は伝わってくる。川にせよ、堀にせよ、水をたたえるものは、人や荷を運ぶものから、水をたたえるそのものに変わっていった。ほころびを直すだけはつじつまの合わない怒涛の腕力が求められる。若かったじいさんと沼田さんも名を連ねたのだろう。しかし、それは、ほんの一時。一時の仇花に過ぎない。


 - それなら、その沼田ってひと、本当にお化けみたいな大年寄りじゃないの・・・・・妻に話したら、そこまで言われそうだ。

 電話の声からは、しお枯れた年寄りしか感じるものはなかった。 ー 仙三郎のお孫さん、女ばかりが続いて入り婿だった仙三郎さんの家に百年ぶりに生まれた男の子だそうじゃないですか。お墓参りには、また、この街まで来られるのでしょう。あの頃から較べたら、あたしの方も、小さな子どものままごとみたいに、こじんまりまとまっちまったが、それでも、駅について「大川を越えて、旧い街の沼田まで」と言えば、どのタクシーでも連れてってくれますから、どうぞお寄りになってください・・・・・・・ご自身でお仕事をなさってるんですってねぇ、そっちのご相談ごとでも結構ですから、是非とも仙三郎さんから繋がる男の子の顔が見てみたい。


 そのひとの逢う前に、おやじが断ったとはいえ橋を渡って詣でるのが作法のような気がしたのだ。おやじは、ある時から急に年に一度の墓参りの帰参をやめてしまった。何があったのか知らされなかったが、こどもが聞いてはいけないことのような気がした。どのような繋がりか聞かされず、毎年、墓のある境内で落ち合う二つの家族とも繋がりはなくなった。

 お寺には寄らず、その後の会食もなく、毎年30分に満たない間柄だったが、どちらの家族も私たち同様三つ離れた二人の子どもを連れていた。姉と弟のうちとは違って、向こうはどちらも姉妹だった。

 顔が似ている姉妹たちで、この日のために美容室にいって結い直してきたようなツインテールの姉妹と、ぱっつり首元で断髪した姉妹が二人ずつ私たちを前後ろ挟んで墓に向かった。


 供える花は、それぞれの家族が、子どもの顔が隠れるくらい大きなものを用意していた。下に段のない墓標だけの小さな墓は、すぐに花でいっぱいになった。盂蘭盆(うらぼん)の終わった墓地は、まつりのあとの(ほうき)ではいたような静けさを称え、一匹だけ鳴いているアブラ蝉の声だけが真っ直ぐに残った。

 大人たちは二言三言話すことがあるようだったが、間を持てない子どもたちに仲良く振る舞うようけしかける親はいなかった。姉を含めた子どもたち6人は、よそよそしさが板についている身内の顔で、そうした時間をただ通り過ごしていた。

 あの時の彼女たちの顔は、姉と同じ女の子の顔としか覚えていない。絵に描いたような髪型の印象が、顔の記憶を(おぼろ)にしているのかもしれないが、「5人が5人とも同じ顔だから」と言われた方が、いまでもきっと腑に落ちる気がする。


 駅の長い地下通路を抜けて、地上に出た。「大川方面」の案内に沿っていったのだが、曲がりくねり、距離を測りかねるほど長く感じた。

 フェーン現象というやつだろうか。東京を出たときとは較べものにならない暑さだ。日は大きく西に傾いて目指す大川の向こうにあるが、この陽射しを正面から浴びながら大通りを歩くことを考えると足がすくむ。タクシーやバスはおろか、連れを伴ったひとたちさえ見つからない。動いているのは六車線の大通りを通過している自動車だけだ。

 通りに顔を並べたビルは、暑さから身を守ろうと固く扉を閉じている。ブロックの切れ目から覗く飲食店は、すでに終わった昼営業とこれからの夜営業に備えた長い休憩に入っている。

 ボストンバッグと上着を持つダラリの右腕をみていると、無理を言っても先にホテルにチェックインしておけばよかったと後悔し始めたときだ。


 小路というよりも、家並みの隙間が寄り集まって出来た路地が見えた。小さな鉢植えばかり並ぶ濃い緑の影が風に揺れ、そこだけが、アスファルト舗装の陽炎から遊離している。

 大雨を逃れて(ひさし)に飛び込むように身体を斜めに滑らせた。風は冷たく、まるで川風がまっすぐにここまで辿り着いて、道案内してくれているようだ。

 世俗の(ちり)まみれのあたまなんぞ休ませて、そのままに放っておく。

 一本入っただけなのに、この静けさはなんだろう。エアコンの室外機のブンブンいう音は一軒も出てこない。路地なのに青空がやけに広いのは、天井の低い家並みが四方八方ノタってるせいだ。それらを結ぶように、ひとがふたり向こうと此方がぶつからないだけの砂利道が敷かれ、そこに面した家並みには、仕舞屋(しもたや)風情(ふぜい)が残っている。いまだに「さらしな旅館」と書かれた看板を掲げた家があった。声をかければ客として上げようかと、引き戸を少し開けていたりする。


 「休業中」と書かれた銭湯の隣に、飲み客も相手にする食堂をみつけた。灯かりはなく引き戸はきっちり閉じられているが、仕込みの声とは違う客同士の高揚した声が漏れている。

 - ガラリ。

 新参客を聞きつけてか、店の音が消えた。

 迎えてもらう返事はなかったが、追い返される声もない。空いたカウンターを見つけて黒板に目をやる。

  ぶり大根、タコぶつ、マグロぶつ

  ポテトサラダ、しゅうまい、オムライス

  生姜焼き定食、焼き魚定食

  おでん、豚汁、肉豆腐


 やっと店の明るさに慣れた目で品書きを読んで、店内の様子にも馴れてきた。二組の客がテーブルについている。その二組から店主らしきその夫婦へ、ビールだの、タコぶつだの、肉豆腐だのの注文する受け答え以外、こちらに伝わる声はしない。どんな曲調かも聞こえない有線に混じって、ここいらの家並みと同じぼそぼそ声で、それそれが何か独り言を言っている。そうとしか聞こえない平らな声がノタってる。

 ビールを頼み、そのあとタコぶつと肉豆腐を頼んだ。

「この店、見てのとおりの年寄りで、おまけに冷蔵庫が遠いところにあるもんだから、ビールすぐには来ないよ。はい、来るまでの繋ぎにどうぞ」と、店とこんな時間に場違いな若い男がビールを注いでくれた。

「こりゃどうも、ご親切に」と、使ったこともない年寄りじみた挨拶が口から出てくる。(てら)いなく、相手の顔も対して拝まずに素直に飲んだ。うまい。生き返る。すぐ空になったグラスを男の横に置く。

鏡を渡されたら、意地汚い顔が写るんだろうが構いやしない。もう、明日のことも、ケツに火が付いてることも、裏日本のこの街までやってきたことも他人のような気がする。


「東京の方ですか」

 私のグラスに残りのビールを注ぎ入れると、こちらのぞんざいが都会人に映ったのか、先ほどよりよそよそしい口調に変わっている。ほんとうに鏡を渡されたら、私はこの若い男とどっこいどっこいに齢なのだ。せっかくの親切を逆なでする(いわ)れはない。わたしは、出張で異郷に訪れたウブな表情に戻った。

「用事は明日なんですが、幼い頃、父に連れられて何度か。久しぶりに少し回ってみようかと来てみたんですが、それにしても暑くて暑くて」

 私の注文が届き、タコぶつといっしょに相手のグラスに冷えたビールを注ぐ。東京でもどこの街でもみかける行きずりの一人客どうしの作法になった。

 「せっかくですから」と冷酒が運ばれる。枝豆、瓜漬、キンカいわしと、名物とは違う土地の自慢が並んでいく。お互いのフリーランスを、「苦労、雑用ばっかり多くて」、いいことなんか、隠居連中に混じった日の高いうちに「身体が空くことくらい」と、中身を外したやりとりを続け、それはそれで憩いの時間だった。


 「ちょっと」と席を外し、トイレに向かう。財布を入れたままの上着に意識が働いたが、動かした身体を戻すような真似はしたくない。結局はそのままにする。

 場所を店主に聞いたが要領を得ない。相方(あいかた)が言うように、くねくね曲がる店の中を廻ってるうち、店の外へ出てしましまった。そこが丁度屋外にある公衆トイレで、店主に行った先は此処だったのかと納得し、水洗なのを確認して用を済ませた。出すものを一回出してしまうと、酔いにおんぶしてた気分がいくらか落ち着いて、これから、明日からの常識が頭に戻ってくる。


 店に戻ると驚いた。カウンターまでみっしりのお客で埋まってる。ここに来るまで、ちゃんとした仕事で働いて、家路に付くまでの一時(いっとき)を過ごす男たちで溢れかえっている。平日の「日のあるうち」は酒に手をつけない男たちだ。声も話も活気があり、毎日が日曜のような先客は誰も残っていない。お客ばかりか、店主夫婦もお客同様に若返っている。若夫婦と交代でもしたのかと穴のあくほど見てみたが、女将の右耳のほくろの位置までぴったりだ。

「あいにくだねー、満席だ」まだ若いつれあいの顔をジーと見ていたのが気に障ったのか、素っ気なく追い払われた。 


 外の出ると、昼間とはうって変わり、仕舞屋(しもたや)ばかりと思っていた家並みは灯りを入れてお客を招き入れる。

 角打ちの酒屋の繁盛する声、焼きトン屋からあがる火事まがいの煙。

 量り売り用のガラスケースをドーンと店前に張り出した菓子屋ばかりか、下駄屋に荒物屋もわざわざ客の絶えない駅前に店を張ってるからと、おんぶ紐結わえた婆さんまでが通るお客の視線を逃さないように商売を続けている。さらしな旅館は、これから繰り出す泊まり客のために下駄を並べるのに忙しそう。

 何よりも、往来する顔がみんな若い。おんぶ紐の婆さんまで今夜でなく明日を、いまでなく未来をみていると顔だ。

「涼みにいってくる、から」と、短めの浴衣を巻いた子どもや若い娘たちはの流れは大川へ向かう。川風と一緒に、深い漆黒の水面が日中(ひなか)に火照った目を涼ませてくれるのだ。そこから先、橋げた渡って花街まで繰り出すのは、今夜だけは金回りのいい、若い男たち。

 夏の虫のように軽くなった私が、みえる。いっとき戻された不安な日常は、もう別の誰かが肩代わりしてくれた。川を渡れば、橋を越えれば、掘割がある。そこで待ってる小舟に乗れば、姉と同じ顔した姉妹たちが、いつでも私を待っていてくれる。断髪の姉妹、ツインテールの姉妹・・・・・・


 「おっと、危ない。信号は赤ですよ」

 目の前は6車線を車が行き交う大通りに変わっていた。腕を曳かれて、我に返った。「飲ませ過ぎましたかね。夏の冷酒は効くからなぁ。トイレから戻ったら、こっちなんて知らんぷりしたまま、何も持たずにフーと出ていくもんだから、あとを付けてきて良かった・・・・・・まー、お互い、いろいろあるでしょうが、どこで魔が射してくるかなんて分かりっこない。明日の朝になったら、今夜のことは忘れておしまいなさい」

 お互いがフリーランスじゅないですか、といった相方は、上着とボストンバッグを渡してくれたが、話してる間中も、捕まえた二の腕を緩めることはしなかった。

「あそこには魔物がいるんです」

 素面なのかどうかと、男の目を見た。そして、それを分かった私がきちんと話を聞く態度だとしって、男は話を続けた。

「新しい街ごと開発された今の駅が1キロ先に出来るまで、ここに長いあいだ駅があったんですよ、大川渡った向こうも含めて、この街みんなの駅が。橋のたもとの駅ですから、女衒(ぜげん)に連れられ花街で務めるため汽車に乗ってきた若い娘たちは、みんな此処で降りて橋を渡っていくんですよ。あとからそんな女を追いかけにきた若い男もここから渡っていく。女は行くときに振り返り、男は帰るときに振り返る。そんな想いが百年、この(みち)という(みち)がとぐろを巻いて、(あさひ)町には、どこにも抜けず眠ってるんです。だから、一緒に添い寝してもらえる相方が現れると、くっついて、もう離れたくなくなるのさ」

 相方は声も顔も変えずに変わっていった。ただ、二の腕を締めつけている掌が少し冷えてきたのを感じた。冷たいわけではないけれど、男ではない少し冷え性の女の掌に変わっている。怖さを隠すように目を離さずにいると、男でも女でもどちらでも映る目に見えてくる。ハンサムだった顔は冷たさが先にくる美人顔。少し高くかすれた声は、ただただ心地が良い。二の腕があたる胸は柔らかく沈み込み、「おびえる心など早く忘れておしまい」を繰り返し聞かせてくる。

 わたしは、信号が青になると、千切れてもいい思いで腕を引き離し、六車線の向こう側に渡った。そしてタクシーに乗り込むと、ホテルではなく、「川向こうの沼田まで」と告げた。


 お屋敷を想像していたから、タクシーを降りたとき、間違えてやしないだろうかと不安になった。大川を超えたのは、20年ぶりになる。日中(ひなか)の親父の運転では、もっと早く対岸に着いてるはずなのに、川をまたいでる自動車は、駅の街をどんどん小さくしていっても対岸へは一向に着いてくれない。長いトンネルのように漆黒が波打つ水面(みなも)ばかり続く・・・・・・「着きましたよ、お客さん」

 まばたきするあいだ、眠ってしまったらしい。呼び戻すような運転手の声に気づき、すぐに財布を取り出す。

「おいくら」

「タクシー代は沼田様に回すようになってますから、どうかお気遣いなく」と、ドアを開けられた。今日一日、駅からの長い地下通路を渡り、フェーン現象の熱風であたまがクラクラしてから間尺に合わないことばかりが続く。6車線を走る自動車に取り囲まれた駅と、涼を求める人たちがジャリ道を往来する路地の駅。陽炎に川風、顔の見えない老人に浴衣姿のこどもたち、男に女、向こう岸と此方側。

 対自(たいじ)を並べるとキリがないほど溢れてきそう。我を張って立ち止まらず、あたまも一緒に運ばれてしまった方が、バラバラにならずに済みそうだ。

 小さな二階の付いた切妻屋根の屋敷が二棟(ふたむね)、並んで立っていた。重そうな瓦が乗ったどっしりとは無縁の、上からつまんでヒョイと置いた軽やかさが感じられる。面識のない初めてのお客も、すいっと玄関に立てそうな構えだ。

 明かりのついてる棟の呼び鈴を鳴らす。

()いてるから、お入んなさい」と、奥から声がする。電話の声と一緒だが、(くぐ)り抜けてきたあとだから、その塩枯れた感じが、もっと若くて近しいひとに感じられた。


 「少しずつ雑用も減ってきたんで、夜はこうして年寄りひとりの気ままにさせてもらってましてね」

 引っ越してきたばかりの、どの意匠も角がピンと張っている清潔感に満ちた部屋に沼田さんは待っていた。今風の細身のジーンズを履いて、今も現役のロックスターのような身のこなしだ。訪問するのは明日で、それをこんな夜分遅くに連絡も入れずやってきたことをおくびに出すと、他人行儀な真似はよしましょうよと優しく諭されそうな目をしている。

「白の結城でも着た、角刈りでいかり肩した年寄りでも想像してましたか」

 姿勢の崩れない最新のソファーにゆったり腰を鎮めると、いたずらっぽそうにそう言う。「今日はいろいろとお疲れでしたでしょう。初めてのことではないんだが、世間に囲まれてからこんな経験なさったんでは初めてと変わらんでしょうからな」

 さきに分厚い封筒に入った報告でももらい、わたしのいままで()()()()をすべて知ってるように言う。私よりももっとよく、私を知ってるようだ。


 「17年前に亡くなったあなたのおとうさんにも、こうして一度お会いしたことがありました。ガンであることが分かって、いまを外せばお逢いできないと、無理を言ってここに来てもらいました。仙三郎さんの墓のほか、この土地を踏みたくないのは分かっていましたがね。どうしてもお願いしたいことがって、生きてるうちに是非それを伝えておかなければと思って」

 沼田さんは、うすうすは私が感じていることを承知しながら、一番に唐突な先から話をもってきた。

「あなたのことです。あなたに是非合わせて欲しいとお願いしたんです。100年の間、女しか生まれてこなかった家にやっと生まれた男の子を。100年の間、婿に入った男たちが初めて血の繋がるかたちとなった男の子を。仙三郎さんと血の繋がっている男の子を」

 おやじは、二人の間柄を任侠という言い方で繋いだ。しかし、わたしは、もっと近い、粘液の匂いを感じた。きっと、おやじも逢ったときにそれを確信しただろう。この土地を断ったのには、そのことも大きかった気がする。婿に入る前から、血の繋がりのないジイさんを、本当に好きだったのだから。


 「お客さんにお茶も出さないかったとは、これはとんだ失礼を」

 いつ運ばせてきたのか、紫檀黒檀で組まれたワゴンを手前に寄せて、沸かしたばかりの鉄瓶から小さな中国茶の茶器にお湯を廻し入れている。烏龍茶のかぐわしい香りが部屋の中に満ちてくる。

 さぁー、どうぞ。これだけは贅沢して凍頂烏龍茶の一番ものですから、夏の冷酒が回った身体には安眠を与えるいい薬になりますよ。ほうら、今夜はうまく()いりましたよ。胡桃(くるみ)を食べた後の甘い香りだけが残ったような、良い仕上がりになってますから。

 酔ったあと、すっかりご覧になったでしょう。あの駅前の旭街の土地を切り取っていったのは、若かった頃の仙三郎さんとわたしです。誰も鉄道なんていわず、陸蒸気(おかじょうき)って得体にしれない化け物でも呼ぶように遠目から眺めていた時代の話ですよ。舟運で昔から金回りのいい連中は、「駅さえ建たなければ」と、土壇場に来てかなり乱暴な真似を始めましたんで、お役所の方でも、そんな穴塞ぎに腕っぷしでそういったことを片付ける人間が必要だったんでしょうな、やっと顔を売り出したあたしたちに白羽の矢が立ったんです。

 二人とも、どう転んだからって迷惑かける身内もいませんし、漢気(おとこぎ)で稼ぐこんなイイ話をほかの食い詰めに持っていかえるヤワな根性じゃありませんでしたので、二つ返事で、その後はかなり荒っぽくいろいろな汗をかきましたよ。今になっても、よく二人とも片輪(かたわ)にならずに済んだと思いますよ。

 そうこうするうち、かなり羽振りもよくなって、ただの乱暴者からちょっとした顔になっていくと、いつまでも二人っきりで組んでるわけにもいきませんで、あたしはあたし、仙三郎さんは仙三郎さんで、それぞれくっついてくるものが別々になっていって、「おれ、女郎屋の入り婿になる」って、プイッと川を越えていってしまいました。

 そのときは、なにかこぅスパッと斬られた気持ちになりましたねぇ。が、どちらかがそれを言うのはうすうす感じてはいましたから、「先に言われちまった」と、淋しい思いでそれを包んでいましたね。

 

 どちらからもやり取りがなくなって、3年が経ちました。あたしは、旭町のいくつかの地所で人を使って商売をさせるような身分に落ち着いて、取り立てて自分の身体を動かし廻ることから離れていました。いつも、駅周辺を廻っては、身内への小言と堅気(かたぎ)(かた)との世間話を3つ4つ並べる暮らしになったんです。

 駅舎からはみ出るほど沢山の客車を引いて汽車が着き、大勢の人が駅から吐き出されてきました。

 みると、同じ雪国といっても此処いらとは雲泥の差のある豪雪の在所から、娘たちが大勢運ばれてきました。この歳は特に豪雪で、難渋しているのは聞いていましたが、こんな数珠繋ぎに若い娘が送られてくるとは、あっちは女と呼べるのは子どもと婆さんだけになっちまうんじゃないかいって、その光景をもながら世間話を続きていたときです。

 白いパナマ帽に折りのしっかりした結城姿の仙三郎さんを、見つけました。今日と同んなじうだるような暑さの日で、こっちは低い(ひさし)に雨宿りするみたいに頭を突っ込んでいたんで、気づいたかどうか。いやっ、気づいたとしても目を合わせてはこなかったでしょう。川向うでなくたって、(おんな)で半分食ってる街のくせに、女衒(ぜげん)は嫌われてましたからね、それを、離れたとはいえ、あたしに見られるのは辛かったでしょう。

 どんな経緯で、その女郎屋に婿に入ったのか。それにしても婿に女衒をさせるとは、よほど厳しい舅姑(しゅうとしゅうとめ)の店なのだと思いましたね。

 こんな暑さの中で、口をきいてるもんは誰もおりませんでした。そんな中で、仙三郎さんが「これだけは」と、大きな声で娘たちに言い聞かせたんです。

「この駅舎をな、正面から見ておくんだよ。次に見るときは年季が明けたときだ。そん時は、今とは比べものにならない晴れやかな気持ちで拝めるから。その日のくるのを肝に銘じて、あの橋を渡るんだ。向こう岸に着いたら、橋は見えても、この小さな駅舎は見えてこない。汽車がはみ出だす小さな駅舎だからね。だけど、毎日毎晩、この駅舎の正面の姿を目に焼き付けておくんだ。それをひとつひとつ刻むように毎日毎晩繰り返して、元気で年季を開けておくれ」 

 それだけ言うと、娘たちの顔が真っ直ぐにそっちを見つめてのを確かめました。あたしらもそうでしたが、ここいらみんな口をきけずにそれを眺めてましたよ。

 蝉しぐれを聞くたびに、あのときの静けさを思い出します。


 侠客(きょうかく)はやめても、仙三郎さんというお人は(おとこ)だったと思いましたね。(かたき)の身の上で、あれだけの数の娘を前にして、あんな真正面な口上(こうじょう)を張れるんですから。惚れ惚れしましたよ。しかしねぇ、あの()らにとって敵は敵なんでね、因果はやっぱり、まとわりつくんでしょうな。

 商売は大きくなって、代が変わって(めかけ)を何人と囲っても、生まれてくる子はみんな女の子で、仙三郎さんは、結局は、自分の(おとこ)を継いだ男の子の顔を拝むことなく死んでしまいましたよ。若かったですね、四十はまたがなかったかな。あたしも、葬儀には参列しましたよ。綺麗な顔した(じょう)ちゃんたちが、それぞれの母親と一緒に棺桶の前に並ぶ姿は、綺麗なまつり行列みたいでしたね。

 

 あれから、百年、本当に百年もたっちまったんですねぇ。船と汽車で血の雨ふらしてたなんて、今のひとが聞いたら、拍子抜けするでしょう。自動車ばかりが幅を利かせる時代になって五十年ほど経ちますか。あたしも、今の駅が開発されるのに便乗して、旭町の地所みんな売って、花街に近い掘割に茶寮のような隠居所でも立てようかと算段したんですが、ブルトーザー使ってコンクリに埋め立てるだけの土建屋が、堀や路地や墓場まで、この街の水が這い廻れるところ、みんな持って行っちまった。砂丘から湧き水が枯れてないこの一帯だけ、地所にして往時を偲んでるんですよ。

 こんな年寄りになってもワガママ許してくれる器量はまだ残ってるとみえまして、世間様から浮いた生活ができてます。まぁその代わりに、世間様からの雑用は持ち込まれますがね。


 亡くなったあなたの親父さんには、あなたのことを、単に自分だけの子だと思わないよう、かなりきついことを言ったかもしれません。けれど、仙三郎さんたち6代に渡る先人の想いが、形となって生まれたのがあなたなのだから、たった一人の父親(てておや)として見てくれるなと、代わって言ってやりたかったんです。

 ようく見せてください、あなたのお顔・・・・・・苦役の堀は埋まり、見返りの駅は自動車に(おとし)められた別の地に移された。もう、あの時分の女たちの恨みはあなたから抜け出ているでしょう。けれど、わたしの方は、そうさっぱりとはまだいられないのです。

 あなたをずっと見続けてきた100年を、さっぱりとは出来ないのです。仙三郎さんの墓を詣でても、旭町にとぐろを巻いてる小さな埋み火を鎮めにいっても、さっぱりとは出来ないのです。

 

 逢いたい想いだけで生きてきた。やっと、逢えました。見せてもらうだけで十分、詰まっていた(おり)はきれいさっぱり剥がされました。もう、あまり時間がない。凍頂烏龍茶のお代わりをお出しできなかったのが悔やまれますが、何事も完璧な企てなどあろうはずはありません。

 さー、タクシーが待ってます。ホテルまで送らせましょう。あと、ご相談されたかった、もろもろのことは大丈夫です。明日、おかえりなったら、すべてが片付いています。そのことであなたを追いかけることは無くなっています。心配せず、ぐっすりお休みなさい。

 一つだけお願いがあります。帰るときに、二度、こちらを振り返ってください。一度はこの屋敷を出たあと、もう一度は大川を渡る橋の上から、その間に私は、いなくなってますので。それを感じていただけたら、百年も待った甲斐があります。



 わたしの住む街の中心駅がかつて川の近くにあったことを知って、その跡地となった公園に面した路地を歩いてみると、家並みに沿ったそのクネクネから非常に趣を感じて、お気に入りの散歩コースになってます。特に猛暑の昼下りに昼酒したあと、酔いに任せた重たい足取りで歩くと、かつての蓋が開いてくるような錯覚を期待したくなります。

 夏のホラーの企画を知り、休業中でない銭湯に浸かりながら、話の流れを掴みました。

 暑さが先に立つ中、読後にしみじみとした秋の気配を感じていただけたら幸いです。

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