9.平穏と嵐が交錯した平成
9.平穏と嵐が交錯した平成
実は僕はクラブチームに入っていた。そう。例の彼と同じチームだ。僕はほぼ自分で立ち上げたに等しいPTAチームには並々ならぬ思い入れがあったため、大会ではPTAチームを優先させた。もちろん、クラブチームの監督には承諾を得ていた。
区民大会、連盟の春季大会、秋季大会と大きな大会への出場機会が増えるにつれて、僕はこのメンバーで新しいチームを立ち上げたいと思うようになった。そんな矢先、PTAのトップが変わったのと同時にOBが関わることを禁じる方針が打ち立てられた。彼は地元で影響力のある人間だったから誰も逆らえなかった。
当時、ソフトボール部の部長を務めていたのは女性のメンバーだった。彼女は僕たちが培ってきた伝統を守るべく、本部のトップに掛け合った。雄弁で威圧感のある人間が取り巻きを引き連れて自分の意見を通そうとするのだ。彼女一人で太刀打ちできるものではない。けれど、彼女はOBの重要性を訴え食い下がった。そして、3年間だけはOBの活動を認めるというところまでこぎつけた。その時点で僕の居場所はPTAには失くなった。
この時のすったもんだでPTAを離れる部員も少なくはなかった。僕はそのメンバーを引き連れて新しいチームを立ち上げた。
その頃、長男は公務員試験に合格して区役所に採用された。これを機に結婚して男の子を授かった。妻は40代にして“おばあちゃん”になった。長男は嫁の実家に嫁の母親と一緒に住んでいたのだけれど…、いわゆる“マスオさん”である。妻の実家で一緒に暮らす僕と同じで、どうも日下部家の男は逆玉の輿に乗る家系のようだ。ところが、長男も嫁も嫁の母も働いていたので、保育園に預けられるようになるまでは昼間はウチで預かることになった。妻にとっては第二の子育て。慣れたものである。それは僕にとっても同じだった。
長女も高校を辞めてから、アルバイトを始め、社会に出た。出たはいいが、実家に居座り、気楽な生活を送っていた。
長女の弁当は高校の時らずっと僕が作っている。もともと自分の弁当は自分で作っていたのだけれど、長男が高校に進学して弁当が必要になると、「一つ作るのも、二つ作るのも一緒でしょう」妻の一言に新しい弁当箱を一つ買ってきた。
娘が高校に進学した時も同じセリフが妻の口から出た。「二つ作るのも三つ作るのも同じでしょう」取り敢えずまた新しい弁当箱を買って来た。けれど、長女の弁当には悩んだ。果たして僕と長男と同じ弁当でいいのか。
僕と長男の弁当は簡単だった。ご飯を敷き詰めた弁当箱に生姜焼きやらサバ缶などを乗せた丼ぶりスタイル。さすがに年頃の女の子にそんなものを持たせるわけにはいかない。