4.家族4人で歩んでいく平成
4.家族4人で歩んでいく平成
僕たちが義父母と同居するようになってからは、妻は実家の仕事を手伝っていた。子供が赤ん坊のころは仕事場に子供を入れたゆりかごを置いて仕事をしていた。子供が歩くようになると、さすがにそういうわけにもいかず、保育園に預けることにした。
長男は二歳になると、保育園に入った。初めの頃は送って行った妻の姿が見えなくなると、泣き出していたようなのだけれど、それはすぐに慣れたようだ。
そんな長男が行方不明になったと保育園から連絡が入ったことがあった。
保育園に入る前からよく連れて行っていた公園へ行ったときだったのだという。仕事場で連絡を受けた妻が身支度を整えようと住まいに戻ると、何と長男はそこに居た。いつも通っていた公園。勝手知ったるなんとやらで、家に帰る道も知っていたので勝手に帰ってきたようだ。
長男は何度か行ったことがある場所への道をすぐに覚えることが出来たようで、これ以降も僕たちがびっくりするようなところへ一人で行ってしまうことがよくあった。
長女はおとなしい子で、保育園に入ってもそれほど手が掛からなかった。そして、パパ、つまり僕のことが大好きだった。
妻は長男が保育園に入ったときから父母の会の役員をやっていて、その流れでママさんバレーボールのチームに入った。夕方や休日は家を空けることも多かった。その分僕が子供たちの面倒を見ていた。
長男の時もそうだったのだけれど、この頃の僕は自分の小遣いのほとんどを遊園地へ連れて行ったり、おもちゃを買ったりということに使っていた。だから、仕事が終わるとすぐに帰宅したし、外回りの時は定時よりも早く直帰することもあった。妻が急用で迎えに行けないときなどは僕に早く帰って来られないかとメールをしてきた。僕は待ってましたとばかりに大丈夫だと返信した。
僕が迎えに行くと、長女は喜び勇んで走り寄ってきた。そして僕にしがみつくと抱っこをねだる。僕が抱っこしてやると嬉しそうに笑って保育士の先生に手を振った。
「〇〇ちゃんはお父さんが大好きのようですね」
保育士さんにそう言われると僕はとても嬉しくなった。
保育園の入園式、卒園式、小学校に入学式、卒業式、常に二人で出席した。運動会、親子遠足、学芸会にクリスマス会…。ことあるごとに僕たちは夫婦二人で子供たちの行事に参加した。