何でもない日
とある朝。
「ねえ」
突然、誰かが私に話しかけてきた。
驚いて、手に持っていたスマホを落としてしまう。
そのまま、揺れる車内の床を滑っていった。
「ちょっと、大丈夫かい?」
声を掛けてきた主は、私が落としたスマホを拾いに行った。
落ち着く為に、窓の外を見る。
見慣れたようで、見覚えのない田んぼが続いて、過ぎていく。
それを見ている間に、先程の人は戻ってきた。
「はい、どうぞ」
手渡された、私のスマホ。
急いで受け取る。
「別に中は見てないよ」
そう言って、苦笑いしていた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
お互いに頭を下げた。
そして、私は画面に顔を向ける。
カタン、カタンと規則正しい音が耳を通り抜けていく。
「ねえ」
また、話しかけてきた。
「なんですか」
いらだちながら言葉を返す。
「君、どこにいくんだい」
その人は、やさしい声で、私を切り裂いてきた。
「学校ですよ」
「こんな時間に?」
「そうです」
「なんで行くんだい?」
私は思わず睨み付けた。
しかし、相手は何食わぬ顔でこちらを見てくる。
「なんで言わなきゃいけないんですか」
「そりゃ、気になるから」
思いっきり蹴とばしたい。そう思って、やめた。
「学生だからですよ」
「へえ、そうなのか」
自分の左手を握りしめながら、席を立った。
「どこへ行くんだい」
「もうすぐ降りるだけです!」
私はカバンを乱暴につかんで、その場から逃げた。
後ろから目線を感じたが、気にしなかった。
降りたのは、知らない駅だった。
見た目はきれいな改札を抜けて、古びた階段を下りる。
駅の周りにはちらほらと建物が建っていた。
スーパー、コンビニ、カラオケ。
その道を抜けて、前に進む。
途中、パチンコの店のドアが開いて大きな音が耳に流れ込んできたが、気にしなかった。
続いていたのは住宅街。
似たような家が視線の先にたくさん見える。
バス使えばよかったかな、と思いつつも、足を動かしていく。
住宅街は、坂の頂上に着いても続いていた。
どこを見ても、家ばかり。そんな風景だった。
先ほど見た田んぼを探してみたが、見つからず。
代わりに、木の生い茂る森、のようなものを見つけた。
そこは、公園だった。
木々に覆われてはいたが、舗装されている道がその内側を通っていた。
また、公園には噴水が機嫌良く水を空に向かって打上げていた。
私は、その中を歩く。
他に歩いている人は見かけない。
目の前にベンチを見つけ、腰掛ける。
カバンを横に置いて、空を見る。
大きな雲がゆっくりと動いて、太陽を隠していく。
木々が揺れて、静かな音が私の体を満たした。
「ねえ」
その声に、私は目を開く。
声の主は、隣にいた。
「なに」
目をこすりながら、答える。
「君はなんでここに来たんだい」
「なんでも」
「逃げてきたんじゃなくて?」
「それは関係ないもの」
なんとなく、答えた。
「そうなんだ」
話が途切れる。
そこで私は頭が覚めた。
そうか、自分はここに座って寝ていたんだ。
気付いて、先程の会話を思い出す。
右を向いたが、誰もいない。
気のせいだったのかもしれない。
スマホをポケットから取り出し、時間を確認した。
昼前だった。まだ帰るのには早い。
スマホをしまい、カバンを漁る。
取り出したのは弁当箱。
膝の上に乗せ、カバンのファスナーを閉める。
今日の弁当は、卵焼きとほうれん草、おかかごはんだった。
卵焼きを口に運ぶ。
口に甘味が広がっていく。
ご飯を食べる。
そしてほうれん草。
順番に食べていき、弁当箱は空になった。
カバンに軽くなった弁当箱を入れる。
スマホを取り出そうとして、やめた。
早いけど、帰ろう。
そう思って、立ち上がった。
延々と続く家。昼下がり。
家が半分なくても良いと思う位、人気がない道を歩く。
家ってなんでこんなにあるんだろう。
「たけとんぼ、する!」
元気のある声と共に、子供が家から飛び出してきた。
「待ちなさい、飛び出したら危ないわよ!」
それを追いかけて、母親が出てくる。
親子は、そのまま道の先へと走っていった。
一瞬、母親がこちらを見た気がした。
不思議とカバンを重く感じた。
カタン、カタンと規則正しい音が心に響いていく。
見覚えのある田んぼが、窓の外に続いていた。
スマホを取り出し、見つめる。
黒い画面には、うっすらと自分の顔が映っていた。
「ねえ」
無視した。
「どうして君は逃げているの?」
私は、無視した。
「そう、わかった。そうなんだね」
私は、何も言わなかった。
いつもの駅で、降りる。
同じ車内には、他に誰もいなかった。
真新しい改札を抜け、足跡が残る階段を下りる。
きらびやかな駅通りを通り、廃れた商店街へ。
途中で一度曲がって、商店街の先の住宅街に入る。
他より汚れが目立つアパートの二階。
その今にも壊れそうな扉に鍵を通す。
音だけはきちんと鳴って、回った。
軋む音を立てながら、扉を開き、閉じる。
居間には、朝から動いていない布団があった。
カバンを壁に立てかけて、布団をたたみ、隅に片付けた。
大きさだけは立派な机を見ながら、床に座る。
今日はもう終わり。
そう思った。
そしてずっと、シミが残る天井を見つめていた。
読んで頂きありがとうございます。
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