彼女がチョコを撒いた日 女性サイド
「佐々木くん、結婚決まったらしいですよ」
衝撃的な言葉を聞いたのは、二月に入って間もなくの昼休みだった。コンビニ袋を手にした真由子ちゃんが、休憩室に飛び込むと同時に喚いたのだ。
営業二課の佐々木くんは、総務の女性社員にとっては『可愛い弟』的な存在だ。めったにお目にかかれない程の『良い人』で、頭に『ばか』がつくタイプの正直者。童顔で、馴れ馴れしくて、女子をたまにイラッとさせる。『イジられ役』というのが、最も彼に相応しい立ち位置だと、私は思っている。
勿論、そういう立ち位置を作ってあげたのは、私だ。
そんな佐々木くんが、結婚。「無い無い」と、思わず口に出してしまっていた。
「それが、あるんですよ。白井さん。二課の山根課長に聞いたの。お相手は、『N&J』の社長さんの娘さんだって」
つまり、取引先の社長令嬢? ますます、困惑する。
「何? 見合い?」
「さあ? でも、女性から告白されたそうですよ」
「それじゃあ、佐々木は断れないよね」
口を挟んだのは、同期の松島。
「そう。だから、結婚。いいなー、佐々木くん。逆玉」
「佐々木のくせに」
「くせにって、松島さん」
「白井も、そう思うよね? 白井?」
名前を呼ばれて、呆然としていた事を自覚する。
「でも、佐々木くん『良い人』だから」
良い人だから、断れなかった? 違う、佐々木くんは、損所そこらの『善人』じゃないんだ。本当の、お人よし。
打算も、気遣いもない。きっと、その女性に魅力を感じたんだろう。だから、断らなかった。
ため息が出る。彼の性格から、そうと解ってしまう事に。
「コーヒー、入れて来る」
立ち上がると、
「あ、私のもお願い」
松島の一言をきっかけに、
「白井さん、ありがとうございます」
「私、ブラックで」
次々とかかる、声。悲しいかな、総務の女子社員には、遠慮という慎ましやかな文化がない。
佐々木くんが結婚。あの、童顔が。二十五歳のくせに、人をイラッとさせる事が得意な、少年が。
コーヒーメーカーを前に悶々としていたら、
「お疲れっす」
その、佐々木くんが現れた。
「あ、佐々木くん。結婚するんだって?」
思っていた事が、反射的に口から飛び出す。
佐々木くんは、私だとは知らずに声をかけたらしい。一瞬驚いたような顔をしてから、一転、嫌そうな顔になる。
「ねえさんまで、止めて下さいよ。まだ、決まってませんから」
そうだったのか。真由子ちゃんの口ぶりでは、すぐにも結婚するように聞こえたんだけれども。
「でも、断らなかったんでしょ?」
「断る理由なんか、ないっしょ? 相手は、二十三歳で、美人で。取引先の社長令嬢って所はちょっと引いたけど。話してみたら良い感じだったし」
肩書に、ちょっと引いたのか。そして、
「そっか、良い感じなんだ」
思った通りだ。佐々木くんに、打算とかはない。
「ねえさんには、負けてますけどね」
「は?」
「豪快さで」
「どういう意味だ!」
比べるところが違う。というか、比べられている意味が解らない。
「良い所も知っているんですよ」
「ほうほう、どこ?」
「甘やかしてくれるとこ」
こういう奴なんだ。佐々木くんは。『可愛い弟』の立場に甘んじている。
「馬鹿か。大馬鹿者か」
だから、いつものように軽く返した。
佐々木くんは、私を「ねえさん」と呼ぶ。
原因は、解っている。
彼が入社間もなくにミスをしでかして、営業二課が揃ってフォローに走り、山根課長が「どうせ何も出来ないのだから、帰れ」と彼に言った。
彼は、とても傷ついた顔をしていたから。その、憂い満載の後姿に声をかけたのだ。「辞めるなよ」って。
そうしたら、懐かれた。以来、佐々木くんは私の事を「ねえさん」と呼ぶ。だから、総務の『イジられ役』的立場を与えてあげた。
弟のような、中途半端に育った仔犬のような、佐々木くん。
でも、私は知っている。
会社の宴会で。部長が酔っぱらって、女子社員に絡んで来た。
「もう飲めません」ときっぱり告げる私の横から手を伸ばし、杯を取ったのは佐々木くんだった。「僕が飲みます。佐々木、飲みます!」と。
それまでも、さんざん、飲まされていたくせに。
結局、部長に潰されて。部屋の隅で伸びていた。
本当に、馬鹿。私なんか、庇われなくても大丈夫なのに。そう言ったら、
「だって、ねえさん迷惑そうだったし。俺、嫌なんっすよね。女の人が困っているのって」
全ての女性を守れるわけがないのに。でも佐々木くんなら、目に見えている困った人を全員、庇ってあげるのかも知れない。
佐々木くんは、『良い人』だから。私にまで、惜しげもなく手を差し出す人だから。
落とし終わったコーヒーを入れてあげると、佐々木くんは有り難そうに受け取る。そして、
「ねえさんは今年も例の行事には参加しないんすか?」
今の時期に「例の行事」と言われれば、あれしかない。
「しない。あんな悪習、参加する方がどうかしている」
バレンタインデー。前世紀から続く、悪習。二月十四日に、チョコレートを贈る。本命なら、まだ良いよ。でも、義理チョコとか、友チョコとか。わけが解らない。
「一度ぐらいは、可愛い佐々木にチョコを恵んで下さいよ」
「そういう事は、彼女に言いなさい」
それはそれは、高級なやつを贈ってもらえるでしょう。あ、それともあれか? 手作りでアピールか?
「くれますか、ねぇ?」
「そりゃあ、貰えるでしょう。きっと、立派なやつ」
身体の中に、毒が溜まって行く。私、嫌な奴になっている。
「俺、ねえさんのチョコも欲しいです。義理で充分ですから」
今日の佐々木くんは、やけにしつこい。苛々して来る。
「当たり前だ。そもそも、そんな悪習に、私は参加しないってば」
「でも、女性から男にチョコを贈るって、少し萌えません? 俺、可愛いって思うんすよ。女の子が義理でもチョコ贈る時」
「あんたは、ただの馬鹿だ」
佐々木くんは、しゅんとした顔をした。捨てられた仔犬の、顔。
「じゃあ、出まーす」
「はいはい。行ってらっしゃい」
『手作りとか、喰えるわけないだろ。気持ち悪い』
今でも、覚えている言葉。中二のバレンタインデーに、聞いてしまった。
あれ以来、バレンタインイベントに参加した事はない。女の子の真心を『気持ち悪い』の一言で片づける方もどうかと思うが、真心の押し売りも良くないと思ったからだ。
生クリームとバター、チョコを混ぜ合わせたものに、アルコールを飛ばせたシャンパンをゆっくりと注ぎ込む。バットに薄く伸ばして、冷蔵庫に寝かせる。
簡単な、生チョコだ。十年以上ぶりに作る、手作りのチョコレート。
今年になって参加を決めたのは、佐々木くんのせいだ。あんな、仔犬のような目で見られてしまっては、どうにもじっとして居られない。
なんて、建て前だ。本当の理由は。佐々木くんに彼女が出来た事。
義理チョコが欲しいと言った事。もう、義理チョコしか渡せない事。
「そうだよ。馬鹿は、私だよ」
もっと早くに好きだって言えばよかった。「ねえさん」と呼ばれ、懐かれて。それがとても楽だったから、甘んじていた。
仕方ないじゃない? 楽しかったんだから。
二月十四日の夕方、ラッピングされたチョコたちを紙袋に詰め、営業二課に向かう。
男性たちの浮かれた会話になんだかむかっとして、思いっきり佐々木くんの背中を叩いてしまった。痛そうに振り返った彼に、水戸黄門よろしくチョコを突き付ける。
「ご祝儀。腹痛はそっち持ちで」
これで、良かったのだと思う。
踏ん切りをつけて、私は生まれて初めて義理チョコを撒いた。
読んでいただき、ありがとうございました。
白井さんバージョン。佐々木くんが知らない事、けっこうあったかな?(笑)
実は、先に書き始めたのは白井さんバージョンだったのですが。こっちを先にUPすると男性サイドの文字数がやばくなりそうでしたので、先に佐々木くんバージョンを書き上げたのです。
おかげで、あっちはつめっつめですね。(苦笑)
白井さんバージョンの方が、作者としては書きやすかったです。
主人公がツンデレなので、告白には至りませんでした。でも、白井さんは良い女性なので、きっといつか幸せになる事でしょう。
最後に、日下部良介様に、素敵な企画を起ち上げていただき、ありがとうございました。




