終わりの始まり
「お願いです。この子を殺してはくれませんか?」
綺麗な、透き通るような声の主はゆったりとした白のドレスを身にまとい細腕には赤ん坊を抱いていた。
赤ん坊は、生まれて数日といったところだろうか。赤い顔を皺くちゃにさせて口を大きく開けて泣いていた。
それだけは、普通の光景だった。だが、彼女の言った言葉によってそれはガラリと変わってしまったのだ。その薄い唇は悪魔の様に歪んでいる。その狂った視線の先にはある1人の男が信じられないとばかりに眼を見開き、突っ立っていた。
白髪頭の精悍な顔付きの男は見事な鎧を身につけて彼女の目の前に立っていた。濃いめの青眼は、震えながら彼女を捉えていた。
「お主は、自分が何を言っているのか分かっているのか。」
冷静に装うが、額からは汗が伝う。右手に握られた長剣はいつ抜いても良いように決して離しはしなかった。彼女は対称的にゆっくりとその美しい顔に笑みを浮かべた。
「分かっていますよ、私が何を言っているかなんて私自身が一番分かっています。そして、自分自身の子を殺させようとする残酷で最悪な愚か者であることも充分存じております。....そのうえで愚かな私は貴方に頼まざるを得ないのです。無力故、無知ゆえの愚行。まさに、地獄に行く者の哀れな足掻き。...ですが、仕方ないのです。こうするしか、無いのです。」
自虐を交えながらも、自身の行動を最終的には肯定する彼女の狂気さに男は絶句した。
その赤ん坊に、一体何の罪があるというのか。生まれてまもない美しい命が今まさに、消されようとしている。
「お主の言葉を、信じるわけにはいかんな。...その赤ん坊に何の罪も無い。」
「お願いです、第七聖国軍第一番隊長様.....不動嶺一郎様....世界を導き、正義を示すお方....貴方しか居ないのです。災厄を殺すには。」
嶺一郎は、耳を疑った。
「災厄」という言葉を、聞き逃がさなかった。まさか...と気づいた時にはその赤ん坊の、....顔が眼前に晒されていた。
「.....な、なんだ、....こ、...れは、っ...!?」
右半分の顔は普通の人そのものだが、問題は左側だ。有るはずも無い三つ目が縦に並び、赤黒く縁取られまるで魔物か悪魔に取り憑かれたかのような異形と化していた。まるで爆弾か、猛烈な炎に焼かれたかの様にただれた赤い皮膚は嶺一郎の背筋を凍らせた。
「これでも尚、この子が災厄だと信じられないのですか?」
彼女は、冷ややかに嶺一郎を見つめた。今すぐにでも殺せ、というように。
向かい合うふたりは、どこまでも対称的でつり合わなかった。
「....殺すか、殺さないかは、....まだその様な考えには至ってはおらん。が、私に、赤ん坊を預けてはくれないか。」
嶺一郎にとって、これは賭けだった。もし、もし可能性があるならばこの子を殺さずに済む方法を選び取るための。そうしなければ、ただ単に殺人を犯してしまうことになるためだ。
「....殺さない、のですね。....私は貴方をこの世界を誰よりも案じている、と思っていたのですが....世界より化け物の命をとるのですね?」
先程浮かべていた笑みとは違い、確実に殺意を含んだ冷たい瞳が嶺一郎を映す。
「貴方は、いずれ後悔します。貴方は、自分自身を滅ぼすか...いや、貴方がいるとかいないとか、そういう問題ではないのかもしれませんが....この世界は終焉を迎えます。その赤ん坊の悪意によって。それが今か、明日か数十年後かは誰にもわかりません。....貴方には、心底失望しました。出来れば、私は貴方をも殺してしまいたい。ですが、...第七聖国軍の貴方に挑むなど蝿が龍に戦いを挑むのと同等。....私は、この後死にます。」
彼女は赤ん坊を嶺一郎に受け渡した。その艶やかな薄紫の長髪を揺らしながら後ろを歩いて行く。
「お主....死ぬのか?!やめろ!」
数歩歩いた所で彼女は足を止めた。嶺一郎の声で止まったのか、はたまた最後に伝えるべきことがあったのかは分からなかった。
彼女は、また口を開けた。
「止めた所で....無駄です。こう見えて、死にたがりでもあるんですよ?私はね?」
その口元は、やはり歪んでいる。