第5話 夜気と共に
この回はとってもつまらないです。
パァーン。
乾いた音がまた鳴った。
リンナは、俺が教えるとすぐにスキルを使用出来た。
相変わらず理解力だけは高い女だ。
「見ろ! ミライ! 成功したぞ!」
喜色満面でこちらに駆けてくる。
「はいはい……」
もう俺は十分だった。
あれから一時間、リンナはずっと魚を捕っている。
教えたスキルを楽しそうに一時間も使っている。土遊びでも教えたらこいつは永遠に土を触り続けるんじゃないだろうか。
今度砂のお城の作り方でも教えてやろう。
そんな益体もないことを考えつつも、帰路に就く。
「もう帰るのか?」
リンナは少し寂しげな口調で呟く。
「お前が腹減ったっていうから捕まえにきたのに、これじゃ主客転倒だろ?」
俺はリンナを諭す。
魚はもう十分に取れた、帰ろう。
そして俺とリンナは滝の元へと歩を進め、リンナは俺の後ろから着いて来た。
帰ったら夕餉に取りかかろう。
俺たちは滝のある場所に帰ってきた。
またここで困ったことになった。
「どうやって火をつけたらいいんだ……」
火の付け方が、分からなかった。
生前の俺は科学の力に頼りすぎていた。溢れかえる利便さを享受し、自ら学ぶことを行わなかった。
マッチもライターもないこの世界でどう火をつければいいのだろうか。
「確かに……」
リンナも首肯する。
想像力のないリンナは勿論として、火をどう付けるかに考えが至らないなんて、俺もリンナのことは言えないな、と自嘲気味に嗤った。
そういえば生前、火の付け方なんてテレビを見たことがあったことを思い出した。
こんなこと知ったって意味ねぇよ、と笑い半分で見ていたが案外役に立つようだ。あの時の俺をぶん殴ってやりたい。
木の板に木の棒を立て、棒を回して摩擦で火をつける方法、もしくは火打ち石を鳴らし、火種を作った後は枯れ草か干し草か何かに引火させて風を吹き込む方法の二つを覚えていた。
火打ち石に必要な道具なんてない。木の棒もない。
議論は終了した。
「リンナ、どうやって火をつけたらいいと思いますか?」
「分からん」
予想通りの返答が返ってきた。
テレビでは、木の棒よりも火打ち石の方が何倍も早く火種が出てた気がする。
異世界で貰った強靱な肉体にものを言わせて普通の石を打ち合わせてやってみよう。
数十分後、案外簡単に火がついた。
湿り気の少ない近くの枯れ草に引火させ、火が安定しだしたところで薪に変えた。
簡易的な焚き火が出来た。キャンプをしているような感じで少しワクワクする。
「ちょっとキャンプみたいでワクワクするな!」
「そうだな」
リンナと思考が被ってしまった。恥ずかしい。
焚き火はパチパチと音を言わせて幻想的な様子を演出する。
夜になり、鳥の囀りが鳴りを潜め、代わりに梟のような何かがホーホーと鳴いている。
パチパチパチパチ。
「……」
「……」
パチパチパチパチ。
「……」
「……」
「踊らないか?」
「ええ?」
唐突にリンナが提案してきた。
なんで異世界にまで来て野宿中に踊らないといけないのか。
「キャンプファイヤーのつもりかよ」
「そうだよ」
リンナは恥ずかしげもなく言い張る。困った女だ。
リンナは俺に手を差し出してくる。俺は払いのけるわけにもいかず、仕方なく手を取り簡単なステップをリンナに合わせ、踊る。
「異世界、来たな……」
「そうだな……」
踊りながら、リンナは呟く。
現実世界では決して経験しないであろう野宿やキャンプを行い、多少気分が浮ついていたのかもしれない。
イノシシを狩ったり魚を手づかみで捕まえたりなんてことも、修学旅行のイベントの一環でしかしないだろう。
異世界、結構面白いのかもしれない。
「一緒に転移してきた人間がお前でよかった」
「ありがとうございます、僕もです」
突然リンナが口説き文句のような台詞を口にする。
俺は口説かれるのだろうか。
「今日一日、ありがとう。これからもずっとよろしく」
「はい」
そんなことはなかった。が、心なしかリンナは頬を薄く染めている気がする。口元がゆるみ、優しい表情で俺と踊る。
俺もリンナにあわせてステップを踏み、薄く笑いかけ、顔を合わせる。
謎の踊りは三十分にも及んだ。
踊りを終えた俺たちは、倒れた木の上に腰掛ける。
「さっきの踊り、何?」
純粋な質問だ。
「キャンプファイヤーの周りってなったら踊るに決まってるだろ?」
謎の嗜好を押しつけられた。
正直、二人でやってもむなしいだけな気もするが、リンナが満足しているからまぁ良しとしよう。俺もちょっとは楽しかったし。
俺は、木に腰かけ取れた魚全部に棒を咥えさせ、焚き火の近くに刺した。漫画でよく見るやつだ。
「ワクワクするな!」
「はい」
完全に同意見だった。
異世界、想像以上に楽しい。
夜はホーホーと鳴く梟に、風が強くなったのか小うるさい葉擦れの音が合わさり、昼よりも一際怪しい雰囲気を呈している。
パチパチと、焚き火の音だけが辺りを支配する。
「お風呂、どうする……?」
と、唐突にリンナが呟いた。そういえばリンナは最初、体を洗いにここに来たのだった。
リンナの体に興味がないことはないが、流石にこんな状況で出歯亀に踏み切るような人間ではない。
「どうぞ」
俺は何も気にしていない様子で先を譲る。
「いや、魚食べてからの話だって」
!? くそ、やられた! 誘導尋問だ! 少し後悔した。
これじゃ俺がお風呂の時間を心待ちにしていたみたいじゃないか!
「そ、そうだな。まずは魚を食べよう」
気にしていないように振る舞い、リンナに魚を食べるよう薦める。
俺も魚の咥えた棒を取り、二人でこんがりと焼けた魚にかぶりつく。
味が薄かった。
謎の虹色魚は、白身で淡泊な味だった。
塩も醤油もかかっていない。にも関わらず、とても美味しかった。
一日何も食べていなかったら、こんなにも食べ物は美味しくなるのか。そう俺に思わせた。
「美味しいな」
「うん、美味しい」
俺は魚を食べる。
リンナはまだ魚を食べている。っていうかどんだけ食ってるんだこいつ。朝から食ってないとはいえ、一時間かけて捕まえた百数匹の魚のほとんどを食い尽くしやがった。食いしん坊かよ。
結局捕った魚全てを食べ終わり、お風呂の話に戻る。
「お風呂、どうする……?」
「いや、だから先にどうぞ、って」
リンナは執拗に訊いてくる。
いや、待てよ。こんな冷たい水の中に入るのか?これがお風呂?
「滝行じゃねぇか!」
俺が突然叫び、リンナは肩をビクッと震わせる。俺もこんな冷たい水で体を清めないといけないのか……
リンナも滝をお風呂と言い張っている。もしかしたら俺にどうにかして欲しくて、こんなことを訊いてきたのかもしれない。
だが、勿論俺にそんな力はない。
俺は何も出来ないことを暗に示し、リンナにエールを送る。
「リンナ、寒くなるな……頑張れよ……」
悲しげな目でリンナを見やる。
「服はそこに掛けとけ。俺はここで瞑目しとく」
そう言って、木に寄りかかり、座る。
これ以上談義を重ねたら「俺も一緒に入る!」とか「二人で体を温めよう!」とか言いそうだ。安全を考えればそれが一番な以上断れないだろうが、俺は紳士なのだ。
「分かった。苦労をかけてごめん、何かあったら叫ぶからその時はすぐにでも来てくれ、絶対に怒らないから」
そう言って、リンナは俺の寄りかかった木の後ろに隠れ、服を脱ぐ。
コートを脱いだ音がする。服を、そしてホットパンツを脱いだ音がする。中々どうして、服を脱ぐ音はこんなにも響くものだったのか。
想像力を働かせた。
ちゃぷ。
リンナが水に足先をつけた音がする。
「冷たっ!」
リンナは叫ぶ。阿呆だ。予想通り水は冷たかったみたいだ。
「今は春か秋だと思うから水は相当冷たいと思うぞ。浸かるのは止めた方がいいと思う」
俺は木の陰からそう言った。女性が風呂に入ってるところで会話するのもなんか厭らしいな。
「分かった」
リンナはそう返答し、じゃぶじゃぶと水を頭にかけている……様な音がする。
暫くして、リンナが帰ってきた。
俺の寄りかかっている木の後ろにいる。
「どうしよう……寒い……」
リンナが呟いた。本当に馬鹿かもしれない。
「ミライ、どうしたらいい?」
ここでも、リンナは俺の指示を仰ぐ。
「服は着るな、極寒の冬では、濡れた服を着ていたら死ぬから濡れていたら脱ぐべきだ、と聞いたことがある。念のため、濡らさないでくれ」
「分かった」
応、とリンナは承諾する。
「俺が今から木の周りを四分の一だけ回るからお前はそこで止まっててくれ」
「分かった」
そして、俺は木の周りを九十度動き、リンナの手に触れた。
「ひゃっ!」
リンナは嬌声をあげる。
「さっさと逆方向に回れ」
俺は指示する。クソ面倒くさい。
そして、俺とリンナは位置を交換することができた。
今、リンナは裸で焚き火に当たっているはずだ。
青春真っ盛りな俺には刺激が強い。
「体が乾いたら、服を着てくれー!」
俺は、滝に入り大声で指示する。
「分かった」
また同じ返答が返ってくる。
俺は、下着を一枚残して滝に打たれた。
頭を洗い、体を清め、邪悪な煩悩を吹き飛ばすためだ。
俺は覚えてもいない経を雰囲気だけ出して読む。
数分滝に打たれ、スッキリした俺は、問いかける。
「服着たかー?」
「着たぞー」
よかったよかった。俺は下着姿のまま拠点に帰る。
リンナは俺を見てギョッとしたが、すぐ目を逸らした。ありがたい。
「悪いな、世話かけて……」
「いえいえ」
リンナは軽く俺に謝る。まぁそれが女性というものだし、仕方がないだろう。
薪を増やし、焚き火の管理をする。
ぱちぱち。
ぱちぱち。
ぱき、さっ。
「「!?」」
突如、別の音が入り混じった。
何かの足音だ、それはこちらに近づいてきている。
俺とリンナは、未知の動物に油断なく構える。俺は下着姿なので、いまいち締まらない。
足音のした方向の茂みが、がさがさと揺れた。
「敵か?」
「そうかもしれない」
俺とリンナは交互に顔を見やる。
「敵ではないぞ」
声がした。茂みから声がした。獣や魔獣の類では無かったようだ。
人だろうか、俺は目を凝らす。
ガサゴソと茂みを揺らし、出てきたのは、真っ白な猫だった。
「猫が、喋った……?」
リンナは少し顔を青くして猫を見ている。
「すまんな、驚かして」
その猫は、純白だった。そこだけが空間を切り取られたような白。尻尾は途中で二股に分かれており、しっぽの先まで真っ白だ。
最後までチョコたっぷり! って感じだ。
「誰ですか?」
「我が輩はニャンシルである」
猫はそう言った。この後『名前はまだない』、とか言ったりしないだろうな。
「巷では猫仙人などと言われておる」
猫仙人……。
「何だお前は」
「止めろ」
喋れる魔獣に加え、『猫仙人』なんて大層な名前がつけられている目の前の存在に、大きく警笛が鳴った。
俺は、猫仙人を牽制するリンナを押しとどめる。
「まぁそう言うな。我が輩の話を聞いてくれ」
「分かりました、何用ですか? 僕たちはしがない浮浪人です。得るものは何もありませんよ?」
俺は出来るだけ早く話を終わらそうと試みる。が、猫仙人はそうではなかった。
「そうじゃのう、今はお主等はただの浮浪人じゃのう。じゃがお主ら、違う世界線から来たであろう?」
「「…………!?」」
異世界から来たことを当てられた。猫仙人、何者なんだ。というか、ニャンシルってえらい単純な名前だな。
いや、そんなことを考えている暇はない。異世界から来たことを知っている、それは俺にとって得難い情報だった。
猫仙人が知っている情報を聞き出さなければいけない。
異世界転移について理解すること、異世界転移の理由と原因を目標にした途端、目標が叶いそうな状況に少し興奮する。
だが、焦ってはいけない。先程の言葉をよく咀嚼する。
違う世界線とはどういうことなのだろう、そこに異世界転移の原因の答えがある気がした。
「違う世界線とはどういうことですか?」
「知らんのう」
知らなかった。何しに来たんだ一体。
「我が輩の固有能力、『全知全能』で関知出来ない存在がお主等じゃ。全知全能なんて大層な名前にしては知らないものが多い、適当なスキルじゃ」
取り敢えず一応の説明を得た。が、ユニークスキルという謎の言葉を聞かされ、何がなんだか全く分からない。
リンナはさっきからずっと俺の後ろに隠れてニャンシルを見ている。子供か。
ニャンシルは、そんな様子に気を悪くした風でもなく、話を続ける。
「我が輩は一度見れば、その人間の大体の情報が入ってくる。喋ることでより情報を得ることが出来る」
「敵ですか」
俺は身を引き締め、ニャンシルと対峙する。こいつは、ヤバい。直感がそう告げていた。
後ろで隠れていたリンナも臨戦態勢に入る。
喋っている内にも俺たちの情報が抜き取られていたらしい。
「まぁ落ち着くが良い。我が輩は何にも敵対せんし、何にも味方せん。絶対中立じゃ。我が輩はお主等と会話したかっただけじゃ、じゃあのう」
そう言って、猫仙人は闇の中に消えていった。
「……」
「……」
「なんだったんだ……?」
「追う?」
リンナが俺に指示を仰ぐ。だが、俺はリスクは取らない。
「いや、止めとこう。幸い中立らしい。俺達の情報が抜き取られたのは痛いが、まだ異世界について何も知らなさすぎる。今の俺たちの実力も、喋る魔獣についても。今日はもう寝よう」
「そうか、わかった」
リンナは承諾してくれる。ここで、追うという選択をされたらどうしようもなかった。聞き分けの良い子で助かった。
だが、おそらく今後どこかで何度かあいつとは会うことになるだろう。
異世界の秘密を知るために。
だが、それは今じゃない。
今は異世界の常識を知らなすぎる。そして、猫仙人の危険度も。
そして、俺たちは交互に見張りをしながら森の中で初めて夜を明かした。
翌日、寝不足になったことは言うまでもない。