第4話 初めてのスキル
涙が乾いた痕が残っていた。
リンナは涙を拭っても依然、乾いた水滴の痕が残っている。そして、泣くことで気持ちを発散出来たのか、スッキリとした顔に戻っていた。
そういうえば女性は泣くことでストレスを発散することが出来ると聞いたことがある。今までもずっと気を張り詰めていたんだろうか、だとしたら申し訳ない。
リンナは、乾いた涙の痕を洗い流そうと近辺の川へ向かった。
個人行動は慎め、といった手前俺もリンナを一人で行かせる訳にもいかず、後ろからついて行く。
川にたどり着いたリンナは両手でそっと水を掬い、唐突に動きを停止した。また何か問題が起きたのかと俺は少し不安になりながらも、後ろから声をかけた。
「何かあったんです……何かあったのか?」
「いや……」
リンナは言葉に詰まる。だが、すぐに話を切りだした。
「私の目、本当に金色だったんだな、と思っただけだ」
リンナはそう呟いた。どうやら掬った水に映った自分の顔を見たらしい。
どうして今まで気付かなかったんだろう、水面に顔が映る、そんな至極当然のことを。
水面に顔を映して自分の顔を確認すれば話は早かった。
現代社会……、いや、生前の現実世界では鏡が流通し、自然を利用した自分の顔の認識という単純な方法が思い付かないようになっていた。
俳句等において天賦の才を発揮する故人や子供と、機械や人工物に囲まれ、自然を顧みなくなった俺たちとの最も大きな差異はそこだったのかもしれない。
そんなことを考えつつ俺も身を乗り出し、水面に自分の顔を映し覗いてみる。
金髪碧眼の男が、そこにいた。
勿論、水面であるから水の流れに乱され同じ顔を保っている訳ではない。が、それは生前の俺自身の顔と同じように見えた。
髪や眼の色が変わっても、顔は変わらなかったみたいだ。
顔に変化の無かったことを確認した俺は確認の為、リンナにも顔の変化がないか問うた。
「現実世界と今で、顔の変化はある?」
「いや、ない」
リンナも顔の変化は無いようだった。俺たちの先に、或いは後に異世界転移された人間がいても顔の変化はないのだろう。
そうして俺が自分の顔を見て呆けていると、隣でリンナがばしゃばしゃと顔を洗い出した。
異世界で、いや、水面に映して髪や眼の色の変わった自分の顔を見るといった行為に呆然としていたが、リンナはあまり自分の顔に興味がないのかもしれない。
顔を洗い終えたリンナは、徐に呟いた。
「悪かったなら嘘付いてるなんて言って」
「……?」
一瞬、何を言っているか分からなかったが、俺は、リンナに眼の色が金に近い橙黄色と答えた時に嘘つき呼ばわりされたことを思い出した。
「ふふっ……、いや、全然問題ない」
「ふふふっ……」
俺は笑いを噛み殺し、微妙な表情でリンナに顔を向け、リンナは笑いを我慢したような表情で俺を見た。
先刻の喧嘩の俺たちの意識の齟齬に気付き、得も言われぬ顔で見つめ合い、暫くして二人で高笑いした。
そんなやり取りを交わした後、ぶっ飛ばしたイノシシの様子を見に行くことに決めた。
慎重に、それでいて静かに素早く駆けていく。
薙ぎ倒された木の方向に暫く駆けていると、樹の根本でイノシシが横たわっているのを発見した。
見るからに、絶命していた。
俺は、奪ったイノシシの命を思い、少し黙祷した。これからも沢山の魔獣を倒すことになるだろうし、その度に黙祷をするつもりはない。だが、初めて殺した動物の命のことは覚えておきたかった。
死んだイノシシを埋葬し、リンナも共に黙祷を捧げた。
「イノシシ、倒せたな……」
「そうだな……」
なんとなく後味が悪かった。が、これからも魔物との戦闘は避けられない。
もしかすると、先ほどのイノシシは何の変哲もない普通のイノシシかもしれないが、何もしていないのに追いかけて来て、光の粒子を一身に集めるような普通のイノシシなんていないだろうし、もしそれが普通でもどちらにせよ戦うしかない。
今後イノシシと対峙したとしてもリンナが怯え、逃げないよう、俺たちは自らイノシシを狩りにいくことに決めた。
「三……二……一……ゴー!」
俺は木の陰から身を躍らし、石を当て挑発する。イノシシの憎悪を稼ぐ寸法だ。
いのししが光の粒子を収斂させ、俺に突撃してきた所で俺は大きく跳躍し、イノシシの頭上高くを飛び抜ける。
ミライ選手、四回転トゥループです!
スキルか何かを利用したであろうイノシシは疲弊し、数秒硬直する。
リンナはその隙を逃さず、潜伏していた木の影から飛び出し、ハイキックをお見舞いする。
イノシシは抵抗も出来ず樹と衝突し、絶命する。
勿論、リンナは本気を出していない。木々が薙ぎ倒され、新たなイノシシが集まることを恐れ、威力を抑えてある。
「よし!」
リンナは小さく喜びを噛みしめる。
リンナの戦闘訓練を始め、三時間が経過していた。倒したイノシシの数は五十六匹。他に獣とは遭遇しなかった。
この森にはイノシシしかいないのかもしれないが、そう結論づけるのは早計だ。
リンナの戦闘能力が向上することで、安定してはイノシシと戦えた。リンナの怪物に対する警戒心を失くす為に、長時間かけて狩り取った、リンナの初めての獲物は丁重に埋葬した。が、他のイノシシはそこら辺に置いておいた。
今後微生物に分解され、その栄養は土に広がるだろう。君たちの命は他に受け継がれるのだ。
「ふぅ……」
リンナが額の汗を拭うと一息つき、樹に背を預けた。どうやら休憩するようだ。
俺もリンナの隣に腰を下ろす。
こういう時、リンナが俺のコートさえ着ていなければ、汗に張り付き透けて見える素肌などを拝めるのだろう。コートを貸したことが悔やまれた。
ネイビーで、全体的に地味な色合いを基調としたコートが、リンナの肌の露出をガードする。
リンナはそんな俺の心中を察してか、微妙に侮蔑を含んだ眼で見てくる。
「お前さっき私のことを厭らしい目で見てきただろ、変態」
「いえいえ、滅相もございませんよ、リンナさん。まさかそんな不敬なこと、僕がする訳ないじゃないですか」
実際厭らしい眼で見ていたのだが。
リンナは俺の敬語に眉を顰めた。
「敬語は止めろ」
「……はい」
「止めろって」
「うっせーんだよボケ、お前自分の身体に価値があるとか思ってんのかよ、気持ち悪いんだよゴミクズ」
「敬語を止めることは悪口を言うことじゃないぞ」
「冗談です」
「『ごめんねリンナちゃん、てへっ』って言え」
リンナが媚びるような声で話すことを要求してきた。なんだこいつのこのテンションは。
だが、勿論やらない。
「敬語を止めることがそんな変な口調になることでもないけどな」
「てへっ」
リンナが拳を軽く握り、舌をちろっと出し、ウインクしてくる。
ちょっと可愛かった。が、ここで褒めるとロクなことにならないだろうから、頭に軽く手刀をお見舞いする。
リンナは三時間の狩りで疲れたのか、そこでおふざけを中断する。
「……」
「……」
暫く無言で休憩した。鳥の囀りと川のせせらぎが耳朶を撫で、感覚を研ぎ澄ませば葉擦れの音と、俺とリンナの呼吸音までも聞こえてくる。
チヨチヨと鳴く綺麗な鳥の声に耳を傾け、リンナを小突き鳥の鳴き声を認識させる。
異世界にやって来て暫くは驚きの連続でこういった風にリラックス出来なかったが、ようやく一息つくことが出来た。
そこで俺は異世界転移のことについて改めて考える。
「リンナ、お前現実世界に帰りたいか?」
「ん?」
率直な意見をリンナに求める。今俺は異世界に順応し、正直現実世界に戻りたいとは思っていないし、死んだだろうから戻れないとも思っている。
だけど万一死んでなければ、脳震盪で気絶しただけで俺自身が転移されただけなのならば、可能性はまだ残る。俺はリンナよりも起きるのが遅かったみたいだから脳震盪の影響が転移後も残っていたとすら考えられる。
勿論異世界転移なんて事象に常識を持ち出すようなことはしないし、俺が起きるのが遅かったのは異世界に順応する能力がリンナよりも低かったとも言える。
真実は分からない。
リンナはどうなのだろうか。
「そうだなぁ、ミライは死んだから帰れないんだろ?」
「そうかもしれませんね」
少し間を置き、帰ってきたリンナの言葉に即座に返答する。
「私は別に現実世界に未練があるわけじゃないけど、今の異世界に未練があるわけでもないしな……別に婚約者がいた、とかないし」
「そうですか……」
リンナはそこまで現実世界に未練がないらしい。
「だけど、なら私たちは異世界に来て何をやるべきなんだ?」
「……」
現実的な返答が返ってきた。異世界に来て何をなすべきか、それは俺にも分らなかった。
だが、異世界転移には必ず理由がある。何かしらの原因がなければ異世界転移なんて事象は起こらないし、普通ではない何かの干渉があったことは間違いなかった。
「どうして俺たちは異世界転移したんだろうなぁ……」
「確かになぁ……」
分からなかった。リンナの疑問に答えてやることが出来なかった。異世界に来て何をやるべきなのか、そんなことは俺が知りたかった。
が、異世界のことを知らない俺たちが異世界に来てやることといえばやはり決まっているんじゃないだろうか。
「俺たちは異世界のこと何も知らないよな」
「うん」
「当面の目標は、この世界の常識について理解する、それでどうだ?」
「そうだな、そうするしかないよな」
俺とリンナは異世界に来て、初めて目標というものを持った。そういえば生前、校長先生とかの有難いご高説を朝礼とかで何分も聞かされていたがその中に、目標を持つことでパフォーマンスが劇的に向上する、なんてものもあったような気がする。
当時は「早く朝礼を終わらしてくれよ」なんて思っていたが案外含蓄のあることを言っていたのかもしれないな。あんまり聞いてなかったけど。
「異世界のことを調べ尽くして、強くなろう」
重ねて目標を宣言する。
「私も、強くなるよ」
「そして、行く行くは異世界転移の謎を解明しましょう。それが出来れば、俺たちは現実世界と異世界を自由に行き来出来るかもしれませんし、何より、この謎が分からないと俺たちが異世界転移させられた意味や理由が分からない」
「そうだな、異世界転移の謎の調査とこの世界を知り尽くし、強くなる。それを当面の目標とするか」
俺とリンナは檄を飛ばす。
「じゃあ、これから俺とリンナで知り得た知識は共有しよう。そして今からも、異世界転移についてヒントのようなものがあれば聞き逃さないように、見逃さないようにしましょう」
「お前も私に共有しろよ」
「勿論です」
話がまとまった。俺とリンナで、異世界で取り組むことや行うことが決まった。
目標が出来たことでこれからの方針が決まる。方針が決まれば異世界で無為に時間を過ごすようなことにはならないだろう。そんな心算があった。
俺とリンナは、先程の議論で加熱した脳を冷ますため、また無言で休憩する。
「……」
「……」
三時間の狩りの結果、時刻は夕方に差し掛かっている。
今まで狩りをするという行為によって得られていたドーパミンも段々と鳴りを潜め、空腹感に襲われる。
そういえば、朝から何も食べていなかった。そう思い至ると同時に、リンナが大きく息を吸い込んだ。
くきゅるるるる~~~~~~っ。
お腹の鳴る音が聞こえた。犯人は俺ではなく、リンナだった。
お腹鳴らしの犯人確保! お腹鳴らしの犯人確保! 今すぐ監房へ連れて行きます!
先程息を大きく吸ったのは、息を止め、お腹が鳴るのを防ぐためだったのか。
リンナは真っ赤になった顔を俯け、お腹を押さえながらチラチラとこちらを伺ってくる。
「息止めるとお腹が鳴るのを防げるって言いますよね」
俺はリンナに恥をかかせない為、軽く一笑に付してフォローする。
リンナもドーパミンが切れたんだろう、俺もお腹が空いた。
「お腹……空いたな」
「うん……」
お腹が空いた。胃に何かを入れたいと思った俺は、提案してみる。
「さっき狩ったイノシシでも食べてみる?」
「丸焼きで!? 無理! 包丁とかないし!」
「じゃあ草」
「牛かよ」
「なら木の皮」
「白蟻じゃん」
「ステーキ」
「ないでしょ」
「魚」
「それだ!」
「豆知識だけど白蟻って蟻の仲間じゃないんだよ」
「いやどうでもいいから」
リンナは俺の豆知識をスルーする。
結局、魚釣りで意見がまとまった。リンナは早速重い腰を上げ、俺の手を取り、立たせてくる。
「動きたくねぇ……」
リンナに引き上げられるがままに立ち上がったが、癒やしの音が聞こえてくるので、一度腰を下ろすと次に動くには多大な精神力を要した。
「早く早く!」
「はぁ……」
リンナは子供のようにはしゃぐ。
「そうだ!滝があったじゃん! あそこ行こっ! お風呂の意味もかねて!」
「はあ……」
リンナが指揮を執っていた。もう面倒臭いから俺はリンナについて行くことにした。
イノシシに見つからない様、小走りで走り続けること二十分。漸く滝のある場所に辿り着いた。
小さな滝だった。水量の少ない、小規模な滝だ。
だが、そこに魚はいなかった。
魚が見つからなかったから、近くの川で魚を釣ることにした。
が、そこでふと気付いた。
「どうやって釣るんだ……?」
「……」
リンナは無言で心情を吐露してくる。考えてなかったのかよ。
仕方なく、素手で掴み取ることにした。
川には、多種多様な魚が楽しそうに泳いでいた。
「とりゃっ!」
リンナは掛け声と共に魚を掴むが、するりと手から抜けだされていた。
「……」
俺は冷静に観察し、無言でトライする。が、俺もまだ捕らえられていない。
「くそっ……!」
俺は小さく恨み言を漏らす。
俺たちの追っている魚は少し小ぶりだが、鱗が虹色のストライプ模様であり、綺麗だった。
異世界に来てから、最も異世界を感じた瞬間であった。
その美しい魚は見る者の視界を美しく染め上げる。
ちょっと毒がありそうな気がしないでもない。
「はっ!」
リンナはバカ正直に魚を捕まえようと苦心している。
こいつは理解力があるくせに想像力がない。
学校の勉強は出来るがそれ以外は出来ない、って感じだ。
俺は魚をよく観察する。
動く魚を捕まえる。その方法だけを考える。
そういえばイノシシが俺たちに飛びかかってきたとき、光の粒子の奔流が流れ込んでいた。
あれは、異世界での『スキル』だったのかもしれない。
俺は思い至った事実から導き出される答えを元に、考えた。
俺でも出来るんじゃないだろうか、と。
魔獣は、誰に教えて貰わずとも実践していた。なら人間でも、ましてや異世界転移してきた俺ならより、出来るはずだ。
俺は身を屈め、足を開き、地面を掘削するように構えをとる。
右腕を上に、左手を魚を掴むようにして空に位置させる。
中学の頃テニス部だった俺が、昔先生に教えて貰ったフォームだ。
未だにそれは正しいのかどうかは分からないが、三年間凡そ千日同じフォームを取り続けた俺は、それが体に染み着いていた。
スキルを使うにはおそらく魔力か何かそこらへんの力が必要なはずだ。
俺は魚を見据え、腕に魔力が行くように考え、右腕が加熱し始めたその時、動きを止めた。
光の粒子の奔流が俺の右手に収束している。
時間が酷くゆっくりと流れている。脳に異常なほどのデータが入ってくる。
そして、止まった。
俺の右腕は閃光し、一閃。
右腕は一条の光線のごとく水の中へと入り込み、光の残滓が俺の腕の軌道を明示する。
突如俺の右腕が発光し、一筋の光が杭として猛スピードで打ち付けられたような、そんな光景だった。
スパァン。
乾いた音が鳴った。
俺は手に魚を掴んでいた。
「やった! 成功だ!」
俺は嬉びにあふれた一言を発する。が、リンナは俺と同様に喜んではくれない。
リンナは眼を大きくして驚いていた。
水が、裂けていた。
右腕を打ち付けた川は俺の辺り一部を大きく剥ぎ取り、噴水のように地面から空へ水が上がっていた。
俺の剥ぎ取った水は即座に周りの水に補完される。
暫くして、水と魚が上から降ってきた。
ボトボトという音と共に、地面に魚が落ちる。
大量の水の落下は夕陽を反射して、虹を作る。
リンナは口をあんぐりと開けて俺を見つめてくる。アホ面だ。
「俺、スキル使っちまったわ」
得意満面にしたり顔をする。
「おおおおぉぉぉ教えてえええええぇぇぇぇーーーーー!」
リンナは、子供のようにそう言ってきた。
このとき、俺は異世界に来て初めて『狩猟者』のEランクスキル、『把持』を使用した。
篠塚 未来
スキル:
『狩猟者』
Eランクスキル 『把持』